理論物理の基礎

The fundaments of theoretical physics
Albert Einstein (1940)
in "Out of my Later Years"(Citadel Press)
(訳 片山泰男 Nov. 22 2014)
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科学は、我々の感覚経験の混沌とした分散を、思考の論理的な統一したシステムにする試みである。この系のなかでは、 単独の経験が、結果の一致が唯一であり、確信できるものであるような方法で、理論構造に相関しなくてはならない。

感覚経験は与えられた対象物である。しかし、それらを解釈するべき理論は、人間の製造物である。それは、適応の、極端に 労力のかかる過程の結果であり:仮説的、決して最終完成でない、つねに問いと疑いの対象である。

概念形成の科学的な方法は、我々の日常生活で使うものから異なるのは、基本的にでなく、単に、より正確な概念の定義と結論にあり; より苦痛を伴う、実験材料と;より大きい論理的経済の系統的な選択である。この最後のもの[経済]によって、我々が意味するのは、 全ての概念と相関関係を、可能な限り少ない論理的に独立な概念と公理に、削減することである。

我々が物理と呼ぶのは、自然科学の群で、測定のうえのそれらの概念に基づき;その概念と提案が数学的定式化に適合できるものである。 従って、その領域は、数学用語で表現され得る我々の知識の総量の一部であると定義できる。科学の進歩に伴って、物理の領域は、 非常に拡大されたので、その方法自体の制限だけによって制限されるようにみえるほどである。


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物理研究の大部分は、多様な物理の分野の発展に捧げられていて、それぞれの目的は多少とも制限された経験の分野の理論的理解であり、 それぞれの法則と概念はできるだけ経験に深く関係するものに止まっている。それはこの科学の分野の、その常に成長する特殊化とともに、 前の世紀に実際の生活を革命し、人は最終的に物理的な労役から解放されるかもしれないという可能性を誕生させた。

一方、その始まり自体から、つねに全ての単独の科学の理論的な基礎の統一、それから全ての単独理論の概念と関係が論理的過程に よって導出できるかもしれないような最小の概念と基礎的関係による構成、を探す試みがあった。これの我々の意味するのは、 物理学全体の基礎付けの探索によるものである。この究極の目標が達成されるだろうという確信的な信念は、研究者を常に生き生き とさせる情熱的没頭の主要な源である。次の物理の基礎への奉仕の観察は、この意味においてである。


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上述したことから明確であることは、この繋がりのなかの基礎という言葉は、建築の基礎とは全ての点で何も類似な意味をもたない ことである。もちろん、論理的に考えて、多様な単独の物理法則は、この基礎の上にある。しかし、激しい嵐や春の洪水によって、 建物が甚大な被害を受けてもその基礎はそのまま残るようでなく、科学の論理的基礎は、新しい経験又は新しい知識によって、より 近い実験的接触をもつ枝葉の理論よりも、常に大きな危難に会う。全ての単独の部分はその基礎との連結して、その大きな重要性に あるが、同様にその新しい要素に対面しての大きな危険性にある。我々がこれを深く知るとき、我々は驚きに導かれる。なぜ物理の 科学のいわゆる革命的な時代が、より頻繁になく、より完全にその基礎を変化させることがないかを。実際に経験した場合よりも。

統一的理論的基礎を置く最初の試みは、ニュートンの仕事である。彼のシステムでは全てが次の概念に還元される:(1)不変の質量 の質点;(2) 任意の質点対の間の遠隔作用;(3) 質点の運動法則。厳密に言えば、全てを包含する基礎はない。なぜなら、明示的な 法則は、重力の遠隔作用についてだけ定式化された;一方、他の遠隔作用は、作用と反作用の等価性の法則を除いて、何も先験的に 確立されなかった。さらに、ニュートン自身は、時間と空間が彼の系の物理的に影響を与える不可欠な要素であることを深く知っていた。


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このニュートンの基礎は、顕著に成果をもたらすことが証明され、19世紀の末まで最終のものと考えられた。それは天体運動の結果 を与えるだけでなく、最も些細な詳細に下って、離散と連続の質量の力学の理論、単純なエネルギー保存の原理の説明、そして、 完全で輝かしい熱の理論をも用意した。ニュートンの系のなかで、電気力学の事実の説明は、より強制的に;全てのなかで最小の 納得を与えるものは、その当初から光の理論だった。

ニュートンが光の波の理論を聞いていなかっただろうことは、驚くべきことではない;そのような理論は、彼の理論の打ち立てに 最も適していなかったからである。空間が質点で構成される媒質で満たされていて、他の力学的特性を何も示さずに伝搬される 光の波という仮定は、彼にとって全く人工的に思えたに違いない。光の波の性質に対する、最も強い実証的な議論は、一定の速度 の伝搬、干渉、回折、偏光は、未知のものか、又は、その他のどのよく構成された合成のなかで知られていないものかである。 彼が、彼の光の粒子説に粘着することには根拠があった。

19世紀の間に、議論は波の理論を有利にして落ち着いた。しかし、物理学の力学的基礎に対する深刻な疑いは持ち上がらなかった、 最初の場所としては、なぜなら、誰も他の種類の基礎をどこに見出すかを知らなかったからである。徐々にだけ、事実の避けられ ない圧力の下に、そこに物理学の新しい基礎が開発される。場の物理である。


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ニュートンの時からずっと、遠隔の作用が、人工的であると一定に見出されてきた。運動理論によって重力を説明しようとする努力 は、欠けてはいなかった。すなわち、仮想的な質量の粒子の衝突の力に基づいたものである。しかし、試みは皮相的で、成果を生ま なかった。力学の基礎のなかでの、空間(又は慣性系)によって果たされる、不思議な役割り、もまた明確に認識され、とくに明解に エルンスト・マッハによって、批判された。

偉大な変化はファラディ、マクスウェル、そしてヘルツによって、---事実、半分は意識されずに、彼らの意志に反して、もたらされた。 彼ら3人とも、その生涯を通して、彼ら自身を、力学理論の支持者と考えていた。ヘルツは、電磁場の方程式の最も単純な式を見出した。 これらの方程式を導くどの理論もマクスウェルの理論であると主張した。しかし、彼の短い人生の終わりに向かって彼は論文を書き、 そのなかで彼は物理の基礎として、力の概念から解放された力学理論を提示している。


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我々にとって、ファラディのアイデアによって採用されたものは、いわば、我々の母の乳のように、それらの偉大さと大胆さに感謝 しきれないものである。ファラディは、誤りのない本能をもって、電磁現象を電気的粒子の間に互いに及ぼす遠隔の作用とする、 全ての試みの不自然さを把握していたに違いない。どうやって、ひときれの紙の上に散布された、間を埋めるたくさんのそれぞれ 単独の鉄が、単独の電気的な粒子が近くの導体の中で走り回っていることを、知ることができよう? 全てこれらの電気的粒子は一緒に なって、周囲の空間に、ひとつの状態を作り出し、それは次に、間を埋めるものに、ある秩序を生み出すのである。 今日では"場"とよばれるこれらの特別な状態は、もしそれらの幾何学的構造と相互に依存する作用をひとたび我々が把握すれば、 彼が確信するには、不思議な電磁相互作用の詳細を用意するだろう。彼は、これらの場は、空間を埋める媒質のなかの弾性体の 膨張状態のような緊張の状態に類似する力学的ストレスの状態であると確信していた。なぜなら、外見上空間に連続的に分布する、 その状態を理解するのに、その時にはこれが唯一の方法だったからである。これらの場の奇妙な型の力学的解釈は、ファラディ時代 の力学的伝統的な見方のなかで科学的道義心のある種の懐柔という、背景に残っていた。これら新しい場の概念の助けとともに、 ファラディは彼とその後継者によって発見された電磁的効果の全体的な複雑さの質的な概念を形成することに進む。 これらの場の時空間の法則の正確な定式化は、マクスウェルの仕事であった。電磁場は分極した波の形式で広がり、 それが光の速度をもっていた!ということを、彼が定式化した微分方程式が彼に証明したときの、彼の気持ちを想像して御覧なさい。 世界中でほんの少しの人々へ、そんな経験は、賜わりものであった。そんなスリリングなひとときに、彼は決して想像しなかった。 明らかにとても完全に解けた、光の謎めいた性質が、後続する世代を、困惑させ続けるかもしれないとは。その間、物理学者の数10年が マクスウェルの発見の完全な重要性を把握するのに使われた。その勇敢さは飛躍していて、彼の天才は彼の同僚の考えを強制した。 やっとヘルツの後、マクスウェルの電磁波の存在が実験的に示され、新しい理論が破壊されることに抵抗を行った。


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しかしもし、電磁場が物質の源からは独立な波として存在できるなら、そのとき静電相互作用は、もはや遠隔の作用として説明され ないだろう。そして、電気的作用において真実であることは、重力においても否定されないだろう。どこにおいても、ニュートンの 遠隔作用は、有限速度の場の広がりに道を譲るのである。

ニュートンの基礎のうち、そこに今残されたのは、運動法則の対象としての質量の質点だけである。しかし、J. J. トムソンは、 運動中の電荷体はマクスウェルの方程式に従って、物体への運動エネルギーの増加がするのと同じく、そのエネルギーが正確に 作用する磁場をもつことを、指摘する。もしそうなら、場のエネルギーによって構成される、運動エネルギーの一部は、そのとき それは、運動エネルギーの全体であることは真でありえるのだろうか? 多分、物質の基本特性、その慣性は、場の理論のなかで 説明されるだろうか? その問いは、場の理論の見地から物質の解釈の問題を導き、その解は、物質の原子構造の説明を用意するだろう。 マクスウェルの理論がそのプログラムを成し遂げられないことは、すぐに理解されるだろう。その時以来、多くの科学者が熱心な 態度で、それが物質の理論を含むべきである、何からの一般化によって、場の理論を完成しようと考えた;しかし、いままで、 そのような努力は成功の冠を得ることがなかった。理論を構成するため、それは、目標の明確な概念をもつのに十分でなかった。 ひとはまた、可能性の無制限な多様性を制限するのに十分であろう、形式の観点をも持たなければならない。いままで、 これは見出されなかった;それゆえ、場の理論は、物理全体の基礎を用意することに成功していなかった。


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数十年の間、ほとんどの物理学者は、マクスウェル理論に力学的な部分構造が見出されるという確信に執着した。 しかし、彼らの努力の不満足な結果は、次第に新しい場の概念を、それ以上還元できない基礎として、受け入れるようにした。 ー言い替えれば、物理学者は、力学的基礎の考えを諦めることに自らを任せた。

このように、物理学者は、場の理論のプログラムに固守した。しかし、それは基礎の打ち立てとは、決して言えなかった、なぜなら、 無矛盾な場の理論が、一方で重力を、他方で物質の要素的成分を、一度でも説明し得たかについて、誰も言えないからである。 物事のこの状態のなかで、質点としての物質粒子がニュートンの運動法則に従うということを考える必要があった。 これは、ローレンツが彼の電子の理論と運動物体の電磁現象の理論を作成する過程であった。

そのような点であった、そこに基礎的概念が到着する、世紀の代わり目である。莫大な進歩が、新しい現象の群全体への、理論の打ち込みと、 理解においてなされた;しかし、物理の統一した基礎の打ち立ては、じつに遠く思えた。そして、物事のこの状態において、 後続の開発がさらに悪化さえさせた。今世紀の開発は、本質的に互いに独立な2つの理論系に特徴付けられる。 相対論と量子論である。2つの系は直接に互いに否定しない;しかし、それらは、ひとつの統一した理論に融合するという 適応がほとんど見られない。我々は、これら2つの系の基本的アイデアを短く議論しなければならない。


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相対性の理論は、論理的経済、世紀の代わり目に存在した物理の基礎付けに関する改善する努力から立ち上がった。 いわゆる特殊、又は制限された相対論は、マクスウェルの方程式 (そして、そのような真空中の光の伝搬法則)が、それらにローレンツ 変換が実行されるとき、同じ形の方程式に変換されるという事実に基づいている。このマクスウェルの方程式の特性は、物理法則が 全ての慣性系で同じという、我々の公平な安全な経験的な知識によって補充される。これがローレンツ変換がー空間と時間の座標に 適用されーひとつの慣性系から他への移動を支配しなければならないという結果を導く。制限された相対性理論の内容は、それゆえ、 ひとつの文に要約できる:全ての自然法則は、こう条件付けられなければならない、それらはローレンツ変換に関して共変的であると。 これから次のことが出る。ふたつの離れた出来事の同時性は不変の概念ではない。剛体の大きさと時計の速度は、それらの運動状態に 依存する。さらなる帰結は、与えられた物体の速度が、光の速度に比べて[極端に]小さくない場合のニュートンの法則の修正である。 そこには、また、質量とエネルギーの等価性の原理が、質量とエネルギーの保存則の一体化同一を伴って、続く。 ひとたび、同時性が相対的であり、参照系に依存することが示されると、遠隔作用を維持する全ての可能性が物理の基礎のなかで 消え去った。なぜなら、その概念は、同時性の絶対性を前堤とするからである (ふたつの相互作用する質点の位置に"同時に"をいう ことが可能でないといけない)。


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一般相対論はその起源をガリレオやニュートンの時代から知られ、今まで全て理論的な説明を回避する事実を説明する試みに負う: 物体の慣性と重みは、本来、ふたつの全く異なる物事が、ひとつで同じ定数、質量によって測定される。この一致から、与えられた 座標系が加速系であるか、その運動が直線的で均一で[慣性系で]観測結果が重力場によるか、を実験的に決定することができない、 ということが出る(これが一般相対論の等価原理である)。それは、重力がそこに入るとすぐに、慣性系の概念を遮断する。慣性系 はガリレオ、ニュートンの弱点であることに、ここで注意してよい。なぜなら、物理空間のミステリアスな特性を前堤とするから である。慣性の法則とニュートンの運動法則がうまく成立するための、座標系の種類を条件付けるからである。

これらの困難は次の仮定によって避けられる:自然法則は、どの種の運動状態の座標系においても、それらの形式は同一であるように、 定式化されなくてはいけない。これを達成することは一般相対論の仕事である。一方、我々は制限理論から時空連続体のなかの リーマン計量の存在を演繹してきた。それは、等価原理に従えば、重力場と空間の計量特性の両方を記述する。重力の場の方程式が 2次の微分次数であることを仮定すれば、場の法則は明確に決定される。

この結果は別として、その理論は、ニュートン力学には共通な、これまで慣性系の使用によって封印された独立の物理の特性を空間に帰す ことによって被った無能さから、場の物理を解放する。しかし、今日最終とみなされ得る一般相対論のそれらの部分は、完全で満足できる 基礎を備えているとは主張できない。まず、そのなかに表される全体場は、重力的と電磁的と、ふたつの論理的に結合されていない部分、 によって構成される。そして次に、この理論は、初期の場の理論に似て、物質の原子構造の説明を現在まで供給しない。この失敗は多分 量子現象の理解に今まで何ら貢献しなかったという事実となにか繋がりがある。これらの現象を取り入れるために物理学者は、全く新しい 方法を採用する方向に走った。その基本特性を今我々は議論する。


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1900 年に純粋な理論研究の流れのなかで、マックス・プランクは、非常に注目すべき発見をした:温度の関数としての物体の放射の法則は、 マクスウェル的な電磁力学の法則から単独に導出できないということである。それに関する実験の結果に無矛盾に到達するには、与えられた 周波数の放射は、まるで、個々のエネルギー hv をもつエネルギー原子によって構成されているものとして扱われなければならない、ここで hはプランクの汎用定数である。続く年月の間に、光はそのようなエネルギー量子として、どこでも、生成、吸収されることが示された。 特に、ニールス・ボーアは、原子が離散的エネルギー値だけをもつことができるという仮定と、それらの間の不連続な遷移がそのような エネルギー量子の放出と吸収に繋がっているという仮定とによって、原子の構造を大きく理解することができた。これは、ガス状態の原子と それらの結合[した分子]の、ある鋭い決定した周波数の光だけを放射、吸収するという事実に、何かの光を投げかける。 全てこれは、これまで存在する理論の枠のなかでは、全く不可解であった。少なくとも原子的現象の領域において、生起する全ての性質は、 離散の状態と、それらの間の外面的に不連続な遷移によって決定され、プランクの定数 h は、決定的な役割を演じているということが 明らかになった。

次の一歩はド・ブロイによってなされた。彼は、離散的な状態が現在の概念を助けにしてどう理解できるか自問し、音響のオルガンパイプや 弦の固有周波数の場合の例のような定在波に相似することに思い当たった。じつに、その種の波の作用がここに必要とは知られていなかった; が、それらは構成でき、それらの数学的法則は定式化された、プランクの定数hを採用して。ド・ブロイは、電子が原子核の周囲をそのような 仮想的な波の列が結合して回転していることを想像し、ボーアの"許された"通路の離散的な性質を、対応する波の定在の性質によって、 ある程度理解できるものにした。


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今、力学のなかで質点の運動は、それに作用する力か、力の場によって決定される。それゆえ、これらの力場は、ド・ブロイの波場にも同様 な方法で影響することが期待されるべきである。アーウィン・シュレディンガーは、どのようにこの影響が実行されるべきかを、古典力学の ある定式化、巧妙な方法によって再度翻訳して示した。彼は、波動力学理論を拡張して、何の追加仮説も導入することなく、いわば任意数の 自由度をもつ、任意数の質点が構成するどのような力学系にも適用可能な点にまで、進みさえした。これは、n質点で構成される力学系は、 単一の質点が3n次元の空間で運動することと、数学的にかなりの程度まで等価であることによって可能である。

この理論の基礎の上に、それなしに全く理解できない姿を示す莫大な多様な事実の驚くべきよい再現が得られた。しかし一点に、奇妙だが 十分な失敗があった:それは、これらシュレディンガーの波が質点の決定的な運動と関連づけることが不可能と証明した。ーそしてそれは、 結局、構成全体の元々の目的であった。

困難は、乗り越えられないように表われた。それがボルンによって克服されるまでは。期待されなかったほど単純なある方法で。ド・ブロイ、 シュレディンガーの波場は、どのように事象が時間と空間のなかで、実際に実行されるかの数学的な記述として、解釈されるべきではない、 しかしながら、もちろん、彼らはそのような事象として見ていたのである。そうではなく、何がその系について、我々に実際に知ることが できるかの数学的記述である。それらは統計的な声明だけをして、そしてその系に我々が実行した全て測定の結果の予測をするために役立 つのである。


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単純な例を手段にして、量子力学の一般的な特徴を説明しよう:我々はひとつの質点がある制限された領域Gの内側に有限の強さの力に よって保持されていると考える。もし、質点の運動エネルギーがある限界より下であれば、そのとき質点は、古典力学によれば、領域Gを 決して離れることはできない。しかし、量子力学に従えば、その質点は、すぐには予測できない期間の後、領域Gを離れ、予測できない 方向に、周囲の空間へと逃れることができる。この場合は、ガモフによれば、放射性物質の崩壊の単純化したモデルである。

この場合の量子論の扱いは次の通り:時刻 t0 に我々はシュレディンガー波系を領域G内側にもつ。しかし、時刻 t0 から先に進むと、 外側に進む波の振幅は、G内部の波系の初期振幅と比べて小さい、というような方法で、波は全ての方向にGの内部を離れていく。 外向きの波がさらに広がれば広がるほど、G内部の振幅は減少し、それに対応して、Gから発する遅れた波も減る。G内部の供給が使い尽く され、一方外部の波がどこまでも増大する空間に広がってしまうのは、無限の時間を経過した後だけである。

しかし、元々はGに閉じ込められていた粒子が、この波の過程が、我々の興味の最初の対象をもって行うことは何か?この問いへ答えるには、 粒子に測定を実行することを許すだろう幾らかの配置を想像しなければならない。例えば、周囲の空間のどこかに、それに接触するとすぐに 粒子がそれに付着するスクリーンを想像しよう。そうしたとき、波はスクリーンのどこかを叩く強度から、我々は、そのときスクリーンの そこを叩く粒子の確率であるとする結論を描くのである。粒子がスクリーンのどの特定の点を叩いてもすぐさま、波動の場の全体は、その 物理的意味を全て失う;その唯一の目的は、粒子がスクリーンを叩く場所と時刻 (又は、例えばそれがスクリーンを叩くときのその運動量) についての、確率の予測をすることである。


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全ての他の場合も同様である。理論の目的は、与えられた時刻の、系への測定の結果の確率を決定することである。一方、時間と空間 のなかで、何が実際に存在し行われているか、の数学的な表現を与えようとする試みではない。この点において、今日の量子論は、 全ての以前の物理、力学、さらには場の理論とも、基本的に異なっている。それが与えるのは、実際の時空の事象のモデル記述の代わりに、 時間の関数としての、可能な測定の確率密度分布を与えるのである。

新しい理論の概念がその起源を負うのは、どのような空想の飛行でもなく、経験事実の反発力であることは、許容されなくてはならない。 光と物質の現象のなかで表示された粒子と波の特徴を再現する、時空のモデルに直行することによる、全ての試みは、現在まで失敗に終わ っている。そして、ハイゼンベルグが、経験の視点から確信的に示したのは、自然の厳密に決定論的構造についてのどの決定も、我々の 実験装置の原子論的構造のために、決定的に排除されることである。このように、何時か未来の知識が物理に対して、物理の現実を直接に 扱うだろう決定論的なものを目指した再度の反論をして、我々の現在の統計的な理論の基礎を廃止するようにできるかどうかも、多分、 問いとは言えなくなっている。

論理的に問題は2つの可能性を提示するようである。それらの間で、原理的には我々は選択を与えられている。結局は、選択はどの種の 記述が、最も単純な基礎の定式をもたらすかに従ってなされるだろう、論理的にいって。現在は、事実に調和して、事象自体を直接に 記述するどのような決定論さえ、我々は全く持たないのである。


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現在の所、我々が物理の一般的な理論を何も持たないことを許容しなければならない。それは、その論理的な基礎と考えられる。場の理論は、 今まで分子的な領域で失敗してきた。場の理論は、量子理論の基礎を提供できる唯一の原理として、場の理論が量子統計の考え方への翻訳を 構成するひとつであり得ることは、全面的に合意できる。これが満足できる手法で、実際に起きるかどうか、誰もいう勇気をもたない。

幾らかの物理学者は、私自身を含めて、我々が実際に永遠に、時空の物理的現実の直接的な再現を放棄しなければならないとは、そして、我々が 自然の出来事が偶然のゲームに類似するという見方を受け入れなければならないとは、信じない;それぞれの人にとって、彼の努力の方向の選択は、 開かれている;そして、それぞれの人は、レッシングのよき言葉から慰めを引き出すことができる。真実の探求は、その所有よりも貴重である。