物理現実の量子力学記述は、完全と考え得るか?

A.アインシュタイン、B.ポドルスキー、N.ローゼン、高等研究所、プリンストン、ニュージャージー州
(1935年 3月 25日受付)
訳 片山泰男(Yasuo Katayama) Feb. 17 2017
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完全な理論の中には現実の各要素に対応する要素がある。物理量の現実性への十分条件は、系に擾乱がないときの、それへの確かさをもった 予測の可能性である。量子力学のなかで、2つの物理量が非可換演算子で記述されるとき、1つの知識がもう1つの知識を妨害する。そのとき、 (1)波動関数によって与えられる現実の記述が完全でないか、(2)これら2つの量は同時には現実性を持ち得ない、の何れかである。 ある系に関する予測を、その系に以前に相互作用した、もう1つの系の測定に基づいて行う問題の考察は、(1)が偽のとき(2)も偽という結果を導く。 ひとはこうして、波動関数によって与えられるような現実の記述は完全でないという結論に導かれる。



1.

どのような物理理論の深刻な考察も、客観的現実との識別を考慮しないといけない。客観的現実は、どの理論とも独立で、その理論がそれを働かす どの物理概念とも独立である。これら概念は、客観的現実との対応を意図していて、そしてこれら概念を手段として、我々は自身にこの現実を描く。

物理理論の成功の判定を試みるとき、我々は自身に2つの質問をする:(1) "その理論は正しいのか?" そして、(2)"その理論が与える記述は完全か?" これらの質問の両方に肯定的な答えが与えられそうな場合にだけ、その理論の概念が満足しうるといってよい。理論の正しさは、その理論の結論と 人間の経験との間の一致の程度によって判定される。この経験は、それ単独で現実について推論をし、物理のなかで実験と測定の形式をとることを 我々に可能にする。我々がここで考察したいのは、量子力学に適用した2番目の質問である。

どの意味を完全という言葉に付与しても、完全な理論には次の要請が必要と思える、ひとつ:物理現実のあらゆる要素は、物理理論のなかに その対応物を持たなくてはならない。我々は、これを完全性の条件と呼ぶべきである。2番目の質問はこう容易に答えられる、我々は、 何が物理的な現実の要素であると決定できるならば、即座に。

物理的現実の要素は、先験的な哲学的考察によって決定できず、実験と測定の結果への主張によって、見出されなければならない。 しかし、現実の包括的定義は、我々の用途には必要としない。我々は、我々が合理的とみる、次の批判基準を満足させられなくてはならない、 もし系に何ら擾乱がないとき我々が確実に(確率=1で)物理量の値を予測できるなら、この物理量に対応した物理的現実の要素が存在する。 この批判基準は、物理現実を認識する大量の全ての可能な方法から遠く離れるようにみえるが、少なくともそれに条件を置く時いつも浮かぶ、 そのような1つの方法を我々に用意する。それは必要条件ではなく単なる十分条件とみなす、現実性の条件である、この批判基準は、 古典的だけでなく、量子力学的な現実性の概念にも一致する。



含まれる概念を表示するために、1次元の自由度をもつ粒子の行動の量子力学的記述を考察しよう。理論の基本的概念は、状態の概念であり、 状態は、波動関数$φ$によって完全に特徴付けられると仮定され、その$φ$は粒子の行動を記述するために選択された変数の関数である。 それぞれ物理的な観測可能な量$A$に対応して、1つの演算子が存在し、これもまた同じ文字で指示される。

もし$φ$が、演算子$A$の固有関数のとき、すなわち、もし、 \[ ψ' ≡ Aψ= aψ, \tag{1} \] ここで$a$は数である、そのとき物理量$A$は、$ψ$で与えられる状態にその粒子があるときはいつも、確かさをもって値$a$をもつ。 我々の現実の批判基準に従って、式(1)を満たす$ψ$で与えられる状態にあるその粒子にとって、物理量$A$に対応する物理現実の要素がある。例えば、 \[ φ= e^{(2πi/h)p_0x}, \tag{2} \] ここでhは、Planck の定数、$p_0$は、何かの定数、そして$x$は、独立変数である。一方、その粒子の運動量に対応する演算子は、 \[ p= (h/2πi)∂/∂x, \tag{3} \] 我々が得るのは、 \[ ψ'= pψ= (h/2πi)∂ψ/∂x = p_0ψ \tag{4} \] このように、式(2)で与えられる状態にあって、運動量が値$p_0$である確かさをもつ。それをいうことが意味をもつのは、 式(2)で与えられる状態にある粒子の運動量が実数であることである。



他方、もし式(1)が成立しないとき、我々はもはや、特定の値をもつ物理量$A$についていうことができない。これは例えば、 その粒子の座標値を伴う場合である。それに対応する演算子、いわば$q$は、独立変数に乗算する演算子である。こうして、 \[ qψ= xψ ≠ aψ. \tag{5} \] 量子力学に従って、我々は座標値の測定が与えるだろう相対的確率だけをいうことができ、それが$a$から$b$の間にある結果は、 \[ P(a,b) = ∫_a^b \overline{ψ}ψdx= ∫_a^b dx= b-a. \tag{6} \] この確率が$a$から独立で、$b-a$の差分だけに依存するから、我々は、座標値の全ての値が、等確率であることをみる。

式(2)によって与えた状態にある粒子の、座標値の確定値は、このように予測できず、直接の測定だけによって得られるだろう。 しかし、そのような測定は粒子を擾乱し、その状態を変化させる。座標値が決定した後、粒子はもはや、式(2)で与えられた状態にはないだろう。 このことから、量子力学のなかの通常の結論は、粒子の運動量が既知のとき、その座標値は物理的な現実性をもたないである。

より一般的に、量子力学で示されることは、もし2つの物理量に対応する演算子が、例えば$A$と$B$が可換でない、すなわち$AB≠BA$のとき、 それらの1つの正確な知識が、他方のそのような知識を妨害する。さらには、後者を実験的に決定するいかなる試みも、系の状態を変化させ、 最初の知識を破壊するだろう。

このことから、いえるのは、(1) 波動関数によって与えられた量子力学の現実の記述は完全でない、又は、(2) 2つの物理量に対応した演算子が可換でないなら、それらの物理量は、同時には現実性をもちえない。 なぜなら、もし、それら両者が同時に現実性ーそしてこのように決定値ーをもつなら、これらの値は完全性の条件に従って、完全な記述に入れられただろうから。 もしそのように、波動関数がそのような完全な現実記述を用意するなら、それはこれらの値を含み;これらは予測可能だろう。 実際はそうでなく、我々は代替的な状態に残されている。

量子力学では、波動関数がそれに対応する状態のなかの系の物理現実の完全な記述を実際に含むことが通常、仮定されている。 最初みるときこの仮定は全体として合理的にみえる。なぜなら、波動関数から得られる情報が我々が測定できるものに、系の状態変化なしに、 正確に対応しているようにみえるからである。しかしながら、我々はこの仮定が、上で与えられた批判基準を伴うと、矛盾に導くことを示すことになる。



2.
この目的のために我々は次を考察しよう。我々は2つの系、$I,II$をもち、時刻$t=0$から$t=T$までは相互に作用することを許し、その時刻$T$を過ぎて、 2つの部分には、もはや何も相互作用がないと仮定する。さらに2つの系の状態が$t=0$以前は既知と仮定する。そのとき我々は、シュレディンガー方程式を助けに、 結合した$I+II$系の状態を、どの部分時間についても、とくに、どの$t>T$についても計算できる。対応する波動関数を$Ψ$によって指定しよう。 しかし、我々は2つの系のいずれにも、相互作用後の状態を計算できない。量子力学に従えば、これはさらなる測定の助けによって、 波束の収縮(reduction of wave packet)として知られる過程によってのみ、行うことができる。この過程の本質を考察しよう。

$a_1,a_2,a_3,...$を系Iに関連する何かの物理量Aの固有値とし、$u1(x_1), u2(x_1), u3(x_1),... $を対応する固有関数、$x_1$は第1の系の記述に 使われる変数を表す。そのとき、$Ψ$は、$x_1$ の関数と考えられ、 次のように表される。 \[ Ψ(x_1,x_2) = \sum_{n=1}^∞ Ψn (x_2) Un(x_1), \tag{7} \] ここで$x_2$は、第2の系の記述に使われる変数を表す。ここで$Ψ_n(x_2)$は、単に $Ψ$を直交関数列、$U_n(x_1)$ に展開したときの係数であるとみなす。 いま、量$A$が測定され、その値 $a_k$ をもつことが見出されたと仮定する。そのとき結論されるのは、第1の系の測定後に、第1の系は、波動関数 $U_k(x_1)$ によって与えられる 状態に残され、第2の系は、波動関数 $Ψ_k(x_2)$ によって与えられる状態に残される。これが波束の収縮の過程である;無限級数(7)で与えられた波束は、 単一の項 $Ψ_k(x_2) U_k(x_1) $に収束される。

関数の集合 $U_n(x_1)$ は、物理量$A$の選択によって決定される。もし、この代わりに我々が、他の量、いわば$B$を選択したなら、我々は 固有値 $b_1, b_2, b_3, ... $と固有関数 $v_1(x_1), v_2(x_1), v_3(x_1),... $を得ないといけないし、式(7)の代わりに、展開は次のようになる。 \[ Ψ(x_1,x_2)= \sum_{r=1}^∞ φ_r(x_2) v_r(x_1), \tag{8} \] ここで、$φ_r$は新しい係数である。もしいま、量$B$が測定され、それが値 $b_r$ をもつことが見出されるとき、我々は第1の系の測定後に第1の系は、 $v_r(x_1)$ で与えられる状態に残され、第2の系は、$φ_r(x_2)$ で与えられる状態に残されると結論する。

我々はそれゆえ、第1の系に対して実行された2つの異なる測定の結果として、第2の系が2つの異なる波動関数の状態に残されうることをみる。 一方、2つの系は測定時以来、もはや相互作用していないから、第1の系になされた何かの結果として、第2の系に現実の変化は、実行されえない。 これは、もちろん、2つの系の間に相互作用がないことが意味することの言明でしかない。こうして、 同じ現実(最初の相互作用後の第2の系) に対して2つの異なる波動関数(我々の例では$Ψ_k$ と$φ_ r$)を割り当てることできる

今、2つの波動関数、$Ψ_k$と$φ_r$は、何かの物理量$P, Q$それぞれに対応する2つの非可換演算子の固有関数である。これは実際例で示すのが最良である。 2つの系が2つの粒子であることを想像しよう。そして、 \[ Ψ(x_1,x_2) = ∫_{-∞}^∞e^{(2πi/h)(x_1-x_2+x_0)p} dp, \tag{9} \]

ここで、$x_0$は、ある定数である。$A$を第1の粒子の運動量としよう;そのとき、式(4)で見たように、その固有関数は、次になるだろう。 \[ u_p(x_1)= e^{(2πi/h)px_1} \tag{10} \]

固有値$p$に対応して。一方、我々はここで、連続スペクトルの場合は、式(7)が今回は次のように書かれ、 \[ Ψ(x_1,x_2)= ∫_{-∞}^∞ ψ_p(x_2)u_p(x_1)dp, \tag{11} \] ここで、 \[ ψ_p(x_2)= e^{-(2πi/h)(x_2-x_0)p}. \tag{12} \] しかし、この$ψ$は、次の演算子の固有関数である。 \[ P= (h/2πi)∂/∂x_2, \tag{13} \] 第2の粒子の運動量の固有値$-p$に対応して。他方、もし $B$が第1の粒子の座標であるとき、それは次の固有関数をもつ。 \[ v_x(x_1)= δ(x_1-x), \tag{14} \] 固有値$x$に対応して。ここで$δ(x_1-x)$は、よく知られた Dirac デルタ関数である。式(8)は、この場合、次になり、 \[ ψ(x_1,x_2)= ∫_{-∞}^∞ φ_x(x_2)v_x(x_1)dx. \tag{15} \] ここで、 \[ φ_x (x_2)= ∫_{-∞}^∞ e^(2πi/h)(x-x_2+x_0)p dp = hδ(x - x_2 + x_0). \tag{16} \] しかし、この$φ_x$ は、演算子、 \[ Q= x_2 \tag{17} \] の固有関数であり、第2の粒子の座標の固有値 $x+x_0$に対応したものである。一方、 \[ PQ - QP= h/2πi, \tag{18} \] は、$ψ_k$ と$φ_r$ が、物理量に対応して、2つの非可換演算子の固有関数として一般に可能としてすでに示したものである。

今、式(7)と(8)とを下敷きにする一般の場合に戻って、我々は、$ψ_k$ と$φ_r$ とがそれぞれ固有値$p_k$と$q_r$とに対応する 何かの非可換演算子$P$と$Q$との実固有関数と仮定する。こうして、$A$または$B$のいずれかの測定によって、何にしても第2の系を擾乱することなしに、 量$P$ (つまり$p_k$)の値、又は量$Q$(つまり$q_r$)の値を、我々は確かさをもって予測する位置にある。 我々の現実に対する批判基準に従って、第1の場合、量$P$を現実の1つの要素であると、第2の場合、量$Q$を現実の1つの要素であると、 考慮しなければならない。しかしながら、我々がすでに見たように、両方の波動関数$ψ_k$と$φ_r$ とは、同じ現実性に属するのである。

以前に我々が証明した、(1) 波動関数によって与えられる量子力学の現実記述は、完全でない、又は、(2) 2つの物理量に対応する演算子が 可換でないとき、2つの物理量は、同時には現実性をもち得ない。そのとき、波動関数が実際に物理的現実の完全な記述を与えるという仮定を もって開始すると、我々は、非可換演算子をもつ2つの物理量が同時に現実性をもつという結論に到達する。こうして、(1)の否定は、その唯一の 他の(2)の否定を導く。我々はこうして、波動関数によって与えられる、量子力学の物理現実の記述は、完全でないと結論せざるを得ない。

現実に対する我々の批判基準が、十分に制限されていないという基盤に立って、人はこの結論に反論をするかもしれない。実に、それらが 同時に測定される又は予測できるときに限り、2つ又はそれ以上の物理量が同時の現実の要素とみなし得ると主張するなら、 人は我々の結論に到達しないだろう。 この視点に立てば、一方か他方の何れか、両方同時ではない$P$と$Q$の量は予測でき、それらは同時の現実ではない。 これは$P$と$Q$の現実性を、現実の最初に系に実行された測定過程に依存させ、それは何れにしても第2の系を乱さない。 これを許すと期待できる合理的な現実の定義はない。

こうして、我々は波動関数が物理的現実の完全な記述を用意しないことを示した間、我々にはそのような記述が存在するかどうかの問が開いて残されている。 我々は、しかしながら、そのような理論が可能であると信じる。