ちいさな宇宙

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ since 03/10/13 ☆☆☆☆

この樽は、すんまの棲む樽です。まだまだ寒いですね。

 

 

2004年2月18日

太宰「苦悩の年鑑」「十五年間」「たずねびと」。「私の最も憎悪したものは、偽善であった」。この心を持たないで、何が文学か。
「田舎者」であることは、大事だ。

 

2004年2月17日

雑事を雑に。へろへろで続かず。神経摩耗。
太宰「ダス・ゲマイネ」「駆け込み訴え」「ヴィヨンの妻」「桜桃」「男女同権」「待つ」。

 

2004年2月15日

日記抜粋。

雑事未だ終わらず。しんどい。
合間に『人間失格』。おもしろい。

 

2004年2月11日

日記をさらす趣味はないないけど、部分的にカットした或る日の日記。

***

 グスタフ・クリムトGustav Klimt(1862-1918)の画をウエブで見る(http://www2.plala.or.jp/Donna/klimt.htm )。

   『ダナエ』1907-08。黄金の雨に姿を変えたゼウスは幽閉されたダナエを訪れる。身をふる
  わせるエクスタシーを優美に表現した作品である。ゆたかな顔の表情は、数多くの女性像の中
  でも絶妙にして秀逸。[←ウエブからの引用]


 ダナエの太もも。

    『Liebe』1895。「生」と「死」の輪廻、そして「愛」。クリムトが生涯追い続けたテーマ
  が凝縮されている。死と隣り合わせに生きているからこそ、命を燃やして愛することができ
  る。[同上]


 恩寵とは死の別名であるか。パスカルとモーツアルトの「冥い悦び」にはエロスがある。ベルクソンとベートーベンの「歓び」は違う。ベルクソンの「歓び」と「愛」は、クリムトの「Liebe」とある意味相容れない。有限が無限に吸収されて純粋の無となる「Liebe」。それではベルクソンにおけるエロスの要素とは、なんだろうか。「無い」のだろうか。としたらそこが気にかかるし、つまらない。だがそれはほんとうに「つまらない」事か?
 バタイユが宗教性と本当の意味で真摯に向き合った思想家だとすれば、彼のエロティシズムについての分析、彼のキリスト教理解は、やはり研究するに値するだろう。「宗教を軽蔑すること、それこそ真に宗教することである」。パスカルの言葉をこう言い換えて敷衍することは意味を持つ。

 エゴン・シーレはクリムトと同年(一九一八年)に没。

 夕方、煙草を求めてセブン・イレブンへ。『文芸春秋』があったのでついでに買う。綿矢りさの「蹴りたい背中」の初めの部分を読む。まぁまぁ。なんだか疲れる。太宰を読みながら一年以上かかって書いたものらしいが、太宰を読む方がやっぱりずっといい。才能が違いすぎる。

 セシュエーの原書をアマゾンで注文した。

○女性と原子の動きとを同一の興味でもってみるロレンスの言葉を探してここに記しておくこと。

***

ねコメ:に”ゃ(中学生のころ、クリムトの《ダナエ》をみて、すごく感銘をうけた。大きな太もものぽっかりとした明るい面に、なんだか驚いた。
シーレも好きだった。そういえば、クリムトが描いたと思っていた、ひまわりがにょきっと一本立っている絵があるけど、実はシーレが描いたものだった。
《ダナエ》の紅潮した顔はいまでも忘れられない。あれを見て油絵を描きたくなった時期が確かにあった・・・

すんまたん、節煙してるかなー?)

 

2004年2月10日

   

ただいまかえるが受験中!がんばれかえる!めげるなかえる!春はもうすぐだ〜

   

 

2004年1月19日

   

 

2004年1月15日

殺しにも二つの極端がある。上品な殺しと下劣なそれと。

残酷さにもまた。


ねコメ:ふゃ(イメージは湧くけれど、実践は難しいよ。
私には上品な残酷さも、上品な殺しもできない。
しかし下劣にはなりうるかもしれない。
劇的なものには差異があるとしても、
現実には、ただ現実があるだけのような。
また二つの極端は実はつながっている円環なのかも。
どこからが上品なのかどこからが下劣なのか、
双方の行き過ぎもまた他方へとつながるのかしら)

 

2004年1月1日

謹賀新年。

 新春そうそうここを覗いたあなた!


  あなたにはきっといいことがある!!


ねコメ:にゃー!!(あけおめ〜。
すんまたん、なんか去年よりたるくないけど、
きっといいことがってあたりに、すんまらしさがあるっ!)

あ、はっぴい にゅう いやぁ〜

 

2003年12月30日(下図参照)

ねこ、おしゃれは良かったけど、
しゃんしゃんしゃーん、て、そんな脚じゃあ、前に進まないよぅ。
綱ゆるんでるし、ひっぱれば首しめそうだし。とれちゃう。

かわいーから、いいか。

ねコメ:うふ(くりすますんまにとって、くりすますってたるいから、
ねこの綱は飾り物です。重いのひっぱれないよー。
ねこのトナカイの角は、もちろんチョコレート製(ナッツぎっしり)。
すんまのプレゼント袋は、樽まくらと同じ素材でたるさを醸し出しています。)

 

2003年12月24日

ねコメ:にゃ(くりすますってきます。しゃんしゃんしゃーん。

ところで、サンタクロースというのは、
コカ・コーラ社による販売促進のために作り出されたものらしい……)

はろー☆

 

2003年12月9日

あはは。寂れくりすます、いー。
お疲れ。

寂れきってはいなけどな。
ねこ、どこかウキウキしてるぞ。
体育座りとは、自分で自分を縛るもの。
(頭が縦縞じゃなくなった。)
すんまの顔も妙に上気してる。なに?(笑)

ねコメ:んにゃ(すんまたんに喜んでもらえてうれしー。
でも、寂れきってはいられない。
細い手足はそのままだけど、
冬眠に備えて、臀部からふとももにかけて丸みが………。
ひものはアジです。アジのアジらしさがまだ表現できない。

頭が縦縞じゃないのは、
ちょっと真実らしいねこになってみたかったから。
いわば、対くりすますのおしゃれです。

すんまの上気はくりすますとは別のところにあるのです。
ねこもすんまもまだ同調していない、
それがここにただよう寂れの一つ。)

 

2003年11月29日

◆すんまのデカルト講・2◆

ぁー、初回から躓いたような感じになってしまいましたが、お許し下さい。まぁ、こういうところからデカルトへ入って行くのも面白いじゃないですか。

ドゥルーズ、ガタリ、カント、フッサール、ボルヘス、と。

もしかしてこの人、人の名前を多く出すことによって多様な読者に手がかりを提供しようというサービス精神の持ち主かも知れぬ。たとえば、ドゥルーズを読まずに由緒正しくカント哲学を勉強した人にも分かるように。「ぁ〜そうか、とりあえずカントの「図式」みたいなもの,.,のことを思い浮かべればいいのか,,なぁ〜.,.」と。ヒントを与えているのかも知れぬ。こんな好意的な解釈も成り立ちうるかも知れぬ。

でも言われていることの内容からして、どうせならベルグソンの名前を出してもらいたかったものです。そんなに博識ならば。

ところで、デカルトのテクストでは人の名前はほとんど出てきません。出てくるとしても必要最小限です。こんなところにもデカルトの精神の秘密がありますね。あと、デカルトはなぜ『方法叙説』を当時の学者の言葉であるラテン語ではなくて国語(フランス語)で書いたのか、とかとか、ね。(デカルトの文体に関しても。それはいずれ。)

(つづく)

ねコメ:うぎょ(今ごろ一歩遅れで、下の文章を読んでいる。
遅れてきたねこ………がさごそ)

ううにゃぐぎょえぇーん(哲学事典引く元気がないにょー)

 

2003年11月26日

◆すんまのデカルト講・1◆

ぇー、まず、導入としまして、すんまの嫌いな物事の一つ【冴えないはったり】の具体例をひとつご一緒に見てみましょう。ぁー、いまだに80年代ポスト・モダンの語り口で何かを考えたつもりになっているような人、の文章、デス、が・・

ドゥルーズ(とガタリ)は、この非精確を「計量的で形相的な固定した本質」とは区別された、したがって精確・不精確の二項対立といった「公式の歴史」とはとことん無縁な、とはいえ「物質的で、しかも漠然とした、つまり流動的で、非精確だが厳密な、本質の領域」、さらにはフッサールの「漠然とした本質」やカントのいわゆる「図式」にも似た、「出来事と情動の遊走する連結」あるいは「事物と概念の間的形態」と呼び、「思考と事物との間にまったく新たな関係、すなわち両者の漠然とした同一性を創設する instaurer 」限りで、繰り返そう、「創設する」限りで成立する「間 l'interm e 〔←これが右回りに90度回転してるよナンダカ:すんま註〕diaire 」それ自体と位置づけた。それをドゥルーズは「落下 chute」あるいは「斜行邂逅 clinamen 」とも言ったはずだ。そしてこのフッサールのいわゆる「原幾何学」からてっ抉〔←変換されないや、この言葉も好きだねー:ずんま註〕・仮構された「間」もまた、ドゥルーズ(とガタリ)の、存在としての「行為」ーーE(s)tーーにおいてのみ看えてくるだろうし、それをボルヘスは、後に触れるように、「驚嘆に値〔し〕・・・臆面もなく実用的である」と断ずるだろうーーーむろん、肯定において。

 っかー イライラ。 樽けった。

   あ”ーあ

もっともこれは「はったり」とも違うか。身に染みついちゃったのか。文体として。

 
     がーーーーーーー

                        んごおーーーーーーーーーーーーー



うっと・・失礼。,,,.
今回はここまでとさせてください。

(蛇足)
【可笑しいはったり】の例 : ねこの「ろろぉ〜〜んっ!」。

ねコメ:ろろぉ〜〜んっ!(麻雀の知識が殆どないくせに、100円麻雀ゲームで「積み込み」という「技」を使い、「リーチ」して、勝手に機械に任せ、時機がやってきたときは高らかにろろぉ〜〜んっ!と叫びつつ、「ロン」ボタンを押す、可笑しいねこの図です。ポンとかカンとかチーとかって、すればするほどいいと思ってたにょ。

すんまたん、むっつかしーょ(猫汗タラタラ))

 

2003年11月12日

気が緩んだのかとたんに風邪だ。しんど。
下の作品の仕上がりには大満足。
ちなみに「変態」は、蛹が蝶になる変態。

デュ・プレのCDようやく発掘して聴いている。
サンサーンスとドボルザークだが、心の渇きが充たされる感じ。
デュ・プレの演奏の哀しく強烈な生命力は、なんだろう。
ヒステリックだという評もあるらしいが、全然違うと思う。
センチメンタルでもない。意気を感じる。
まるで一回一回死ぬ覚悟で弾いているようだ。

演奏家としての命も肉体の命も短いものであることを、
どこかで彼女は知っていたと思う。

昔『音楽の友』の表紙でみたデュ・プレの写真に、
なにか異様な印象を受けたことを今でもはっきり覚えている。
その時は演奏をまだ聴いていなかったが。

デュ・プレのダヴィドフは今はヨーヨー・マが使っているはず。
ちょっと検索したら映画のページだらけだった。

ねコメ:にゃ(デュ・プレのあの映画はなんだか印象深かったな。
いまも、デュ・プレの家の裏の自然と金髪の彼女が思い浮かぶ。

すんま、お大事にね。)

 

2003年11月7日

(穴男?新キャラ?・・ねこは穴子がよかったかな)

ねコメ:じゅる(メタモルフォーズすんまたん、
ねこは断然、穴子のほうがいいょ-。

穴子って好きな寿司ネタです。ねこが食べる寿司ネタ、食べるたい順に大公開!

トロ、穴子、甘えび、づけまぐろ、うに、芽ネギ、
サーモン、ほたて、ネギトロ、えび、たまご、イカ

ガリもすきなの。閉めはイカね。あっさりつるん)

受験中のカエル:今日はベネッセ共済マークモスっ
数学と英語はマシになってきたとしてヤバすぎるのが国語に倫理に物理。
いやん5教科7科目。朝9時半から夜七時くらいまでだし、夕飯食べないと死ぬから10分やすみの合間をぬって飴喰ったりおむすびころがしたり(やめれ
さぁ間に合うのか!?この時期から偏差値+10(impossible)

さぁみなさんこのページを見てるのか怪しまれます。
「すんまさんのこの上の内容がわかんないよう。」
「だって上みてみなよ…

 変態だって自分で言ってるしさぁ」「失礼だよぅ(怒)」

 

2003年11月6日

前奏曲17番を「彼女は私を・・」で聴くと、なんだかメンデルスゾーンみたいな感じになるね。
面白い。

手術台の上のミシンと傘は必然的な邂逅なのかな。意図せざる意図による。
でも必然ってなに?。起こったら、出会ったら、みんな必然ジャン。
理屈は後からいくらでも見つかる。

夢の窮策の作品なんかも何回も聞いてると必然が見えてくるよ。(笑)

ねコメ:にょう(詩の語句というのは他のものと入れ替えが効かないような、
純粋な必然性を持っているような気がするの。
私にはその意味で詩はかけない。必然がそこにはないから。
夢の氏の即興演奏は必然が見えるよ。だから驚かされる。
どこか芸術には生来の神来の狂気的な必然性があるんだと思う。
これは私の『パイドロス』的な考え。

ふらふらでダブルチーズバーガーをやけ食いしたら、胃にこたえた……)

 

2003年11月5日

コルトー版のショパン前奏曲集には、一つ一つの曲に短い卓抜なコメントがついている。
有名な第15番(変ニ長調)「雨だれ」には、

 「彼女は私を愛していると言った。」

と。はーやられた、なんだそうか、そうだよな、これ。・・と思いながら新鮮に聴いた。

でも曲の番号間違えてた。「雨だれ」は、

 「愛し子を揺すって眠らせる母、母自身も既に華胥の国、恐ろしい悪夢で我が 子の運命を絞首台で終わると知る。あまりの驚きと悲しさに叫んだ自分の声に 驚いて目を覚まし悪夢を追い払う。しかし母の心はまだ落ち着かない」

だった。・・そりゃ、これもわかるけどさぁ。

「彼女は私を愛していると言った。」で聴く方がずっと新鮮だし、滲みるょ。
 生産的な間違いといふことで、だから勝手にこっちを推奨。(笑)

*「彼女は私を愛していると言った。」は第17番(変イ長調)。
**コルトーはここ↓で聴ける。
http://www.yung-web.com/syoukai/sakuhin.php?id=chopin_prelude
***このサイトにはバルビローリなどの演奏もある。オイストラフとコンドラシンの共演もいい。オイストラフのうまさは天性のもの。それと人柄。
****あ、あとね、リパッティのショパン・ワルツも。久しぶりに聴いたら表現が細やか。その気品に驚いた。

ねコメ:ごろごろ(すんまおかえりー。お疲れさまです。

違う方向性のものが入れ替わって、もともと意図されていないものと妙に新鮮に噛合うということはふしぎだ。……確かに「彼女は私を愛しているといった」の方がいろいろと発展性はある。不安に転じることもある。恋愛のもつ独特なものを演奏に読み取るか、と思ったらこのパソコン音が出ないよう。(泣)またパソコンが回復したら聴いてみます。(ちなみに「華胥の国」の「かしょ」が読めなかった……汗)

あ、ブーニンのCDの曲説明にショパン自身が恋人サンドとマジョルカ島に滞在していたときに、嵐の夜一人で留守番して居ると、自分を含め全ての人が死ぬという幻想に取り付かれてこの曲を書いたというエピソードが伝えられているけれど、音楽というものによくつきまとう「エピソード」の信憑性はどうなのだろう。でも夢や幻想の持つ揺り返しみたいなものはこの曲に現れているかもしれない。作品とエピソード、解説、(誠実を前提にした上での)作者の言及など、今の私がやや疑心暗鬼だからかもしれないけれど、どうも難しく思える。芸術批評のありかたについて、まだ良く分からない。

かなり違う話だけど、解剖台の上でのミシンとパラソルの出会い、というような意図されることのないものを敢えて結合させるというようなことを狙うこともあるし、意図されない新鮮さというのは興味深い。それは偶然ではなく必然的な邂逅。詩的な味わいの一つが、このような意外性の新鮮さにあるのかな。そして詩は語句一つ一つが必然的でなくてはならないとか。

すんまの引いて来てるサイトは音楽の「青空文庫」をめざしているというユングさんのホームページです。ご参照ください。)
http://www.yung.jp/

 

2003年10月26日

ねコメ:……(ジェラートアイスクリーム『塩味』のこの変なひと口目の味とその後の中毒性と奇妙に襲ってくる食後感……奥深い、ふふ)

今日の受験生:腹いてぇ。
今日は初めて英語の長文をまじめに読めました(遅

 

2003年10月20日

ねコメ:にゅふふふふ(甘い眠りをむさぼり中)

今日の受験生:used to V(よく〜したものだ)と be used to 名詞(〜に慣れている)の区別がつかないよ〜

 

2003年10月19日

ねコメ:にゃふ(すんまはお仕事のために、樽にこもります。
10月いっぱいぐらいの間、出てきません。
そのあいだは、ねこが暇な時に出てきます。ひょっこらと。

ひえっ、隣の部屋で受験生が寝言言ってる。

オヤスミナサイ、オヤスミナサイ、オヤスミナサイ……(繰り返し)

……受験ストレスにちがいない。)

 

2003年10月18日

女子大喫煙室 : せくはら〜

 すんま入室。(どうしても1本吸いたい。)

 すんま: (ぅあ。)やぁ。おはよう。
 なな○: あ〜 せくはら〜 せくはら〜
 すんま: ぅん?(しゅぽっ。)
 なな○: もう時間過ぎてるよ。すんまなにしてんの?
 すんま: 煙草吸って、君と話をしてるんじゃないかな。
 なな○: せくはら〜〜
 すんま: (ぼぅ。)・・・すーーふぅーー・・・
 なな○: 金くれ〜
 すんま: ??・・・すーふー・・・(どんょり。)
 なな○: も〜〜私のマイナスイオンで元気出しなよ〜
 すんま: ん?!・・ほぅ。元気出るのかな、それ。
 なな○: でるよ。てか、すんまもう吸ってるし。金くれ〜
 すんま: すーーふー。すふー。んじゃ。(ぽい。)

 すんま退室。(滞在時間1分弱。)

ねコメ:ぐにゃ(ぅーん混沌……どんょり。
ってか「なな○」ってだれだょー。

そういえば、すんまは某テレビショッピングで、マイナスイオン発生装置「イオリー霧」を欲しがっていたっけ。。。げんにゃり。)

 

2003年10月17日

 樽枕の存在理由。

 なぜ、たる宇宙には枕があるのだろう?
 気がついたらあったわけなのだが・・

 きっと意味があるはずだ。
 まだわからないが、そうに相違ない。

ねコメ:……(ああ………あれはマクラタケの亜種で
きっと、樽が樽として在る以前から、胞子がついていた………)

←問題の枕

 

2003年10月16日

 「私の霊波が自分の霊波より弱いことを嗅ぎ付けて寄ってくる。」
                        (山田花子)

 ・・いつまでこんなことしてんのか、ねぇ、「人間」たち。


  ねぇ、あなた。

体育座りのねコメ:びくっ(きょろきょろ。あたいですか?)

 

2003年10月15日

書くことない。自分しょーかい。


 【すんまの好きな物事】

    天才の廉直。
     奇跡としての礼節。
      優美な業。
       可笑しいはったり。
        可愛いソプラノ。


 【すんまの嫌いな物事】
 
        知ったかぶり。
       品を欠く傲慢。
      こすっからい行為。
     冴えないはったり。
    一ミリグラムの煙草。



 《もってる漫画》

   ねこぢる、全作品。
   山田花子『花咲ける孤独』。
   岩明均『寄生獣』。

ねコメ:にょう(優美な業(ごう)?地獄の業火〜メラっ。
あとね、すんまはダジャレが苦手らし。

ねこぢるというのはキャラがかわいらしくも、
暴力的な、不思議な世界の漫画である。
どこか、痛痒いような安らぎがある。
『ねこぢるまんじゅう』が他の作品に比べて、
異様に「善意的な」作品であることがわかって、何か複雑な気分。 

てゆーか、すんま禁煙しにゃさい。樽が煙くて肺癌になるぅ)

 

2003年10月14日


いきなり物体(ひんやり緑色)が樽に闖入か。
祝辞どーも。
ほら、池へ投げてやるよ。 ぽーーーい。


 いかに切り捨てるか。

      捨てて捨てて、何が残るか。

ねコメ:にゃにゃ(物体といえば、今日の朝のニュースで見た、
オオマリコケムシというやつはすごかった………どこかの沼で大繁殖している寒天状のちいさな虫の集まりです。
ぶるぶると枕のようで、きもちわるいけど、きもちEー。)

にょ(捨てて捨てて、自らをも捨ててしまったら、純粋なものになれるのか………私も寒天化して沼にただようか)

(※参照させていただいたオオマリコケムシのページは詳細で興味深いです。関連リンクも充実しているので、コケムシに興味ある方は是非どうぞ)

 

2003年10月13日

たるもらった。

絵がすごくかわいー。

上の猫は樽に背をあててる。おもしろ。
下の猫は、なんなの?(笑)かわいー。(手足よわそう。)

鬼気迫る、「われ思う」。
樽ぃ宇宙に、枕あり。

ねコメ:にゃー(樽絵はまた増えていきます。
すんまは考える宇宙人です。
ねこは……いたってふつうの猫ですから枕がなくても大丈夫です。
手足はよわくってがたがたぷるぷるです。)

にょにょにょ(どこかの「」みたいにならないように、
これからよろしくお願いします。
はじめはスローペースかもよ。)

ぶにゃん(あっ、やだっ。
変な
みどりいろの物体がずかずかとやって………)

受験中のカエル:お勉強中の大切な時間をさいて
やってきてあげたわけですが、はい。
いつのまにか姿を消して丸一年以上。
その間にダイエットしてついうっかりハマッて死の淵にハマッて、
受験にハマッてリバウンドにハマッて、さぁ大変。
いつのまにかにこんなページができてるなんてさぁ。
人生ってさぁ。そんなもんさぁ。さぁ。さぁ。(←強調構文)
すごい勢いでこのページのキャラ濃くてドキドキー
毎回超楽しみーってかんずぃ。ハイ。
がんばってください。以上。

ねコメ:にゃろめっカエルさんより開樽によせての祝辞でした。いきなり乗っ取られそうな予感です。しかし、自己エコーを強調構文と言ってる辺りが、実に不安です。次回もお楽しみに〜)

 

 

 

周子の森へ