光の廻廊

片山泰男(Yasuo Katayama)

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膨張宇宙説の光の廻廊について考える。光が、広がっていってあるところで戻ってくる、そのような時空が存在するかどうかについて。 その時間、場所に近付くと、光は徐々に速度を失って、光が鏡で反射するように、逆向きの速度を持つ。光の速度が0になるところがあって、 そこでは時空の計量は、その場所の光速、√(-g_44/g_ii)= 0 から、g_44 = 0 か又は、g_ii= ∞が成立しているであろうところについて。


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そのような計量の場所の例として、例えば、ブラックホールの事象の地平面がある。ブラックホールの半径方向の計量は、∞になり、 時間方向の計量は 0 になる。そこでは、半径方向の物差しは長さが 0 になり、時間の経過は無限に遅くなり、光速度が 0 になる。 しかし注意すべきは、光がそこで方向転換はしないことである。光が方向転換をする計量とは一体あり得るのだろうか。 全くないのでないか、そのために必要なことは何か、について考える。

その時点以前とその時点以降で時間の経ちかたが逆転すること。その場合、その時刻で時間軸が折れ曲がる必要があり、 一般座標変換が折れ曲がりのない滑らかな写像であるという原則を崩す。g_ik の時間微分が連続でないということになる。 また、それは、空間軸についても言え、空間軸に折れ曲がりを必要とするものも存在しないと考えてよい。 ある場所までの空間が折れ返すと、光は、そこで反射するように戻ってくるだろうが、その時空の一点において、 光の逆転を期待するのは、g_ik の微分可能性から排除できる。光がそのまま戻って来るというのは、ブラックホールの地平面が そうであるように時空の特異面であるが、それよりもさらに存在し得ない特異性を要求するのである。

折れ曲がりでなくて、光は、時空を使ってぐるっと回って来ているのであり、ある時空点による反射ではない、ということでは ないだろうか。それでは、光がぐるっと回って来るためには、その場所の時空は、計量はどうであればよいのだろうか。


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質点の周囲で光は屈曲するという事実だけから、光は空間的構造によってぐるっと回って来ることは、期待できる。 しかしそれは、ある場所に進んだ光が、ぐるっと回って別の場所から出てくる現象であり、光が進んでいって、ある場所から、 そのまま戻って来る現象ではない。空間的にでなく、時空的にぐるっと回って来るというのも、ありえるだろうか。ある時空の 時間と空間軸が傾いて傾いて、光の進路がこちらの時間軸と平行になり、さきにに全く進まないということは、あるだろうか。 それが徐々にこちらに向かい帰ってくる、ということである。

光円錐がそこでは、ある時刻より前では、外側に向かっていて、ある時刻ではちょうど円錐の近い側面がこちらの時間軸と平行 であって、それからすこし時間が経過すると光の円錐はこちらに向かい、光は時間空間図の上でぐるっと回って来る。それが、 膨張宇宙説の光の回廊の描像であろう。そこに必要なものは、時空のゆっくりとした傾斜だけであり、特異性は必要でないよう に考えられる。近くから発した光がある地点より先に届かないという意味では特異であるが、局所に特別なものは不要である。 そこでは、ds= 0 という光の経路は、時空間の座標変換によって、こちらの時間軸に平行であるだけである。光の進路の空間軸 と時間軸だけの2次元 (dx, dt) を考え、局所からミンコフスキー時空 (dx', dt') への変換において、

dx'= a dx + b dt
dt'= c dx + d dt

とし、変換後の ds^2 を

ds^2= dx'^2 - dt'^2

として上の変換を代入して、

ds^2= (a^2-c^2) dx^2 + 2 (ab - cd) dxdt + (b^2-d^2) dt^2


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g_11= a^2 - c^2, g_14= 2(ab - cd), g_44= b^2 - d^2 である。dx,dt が 0 でなく ds^2= 0 なら光が存在すると考え、例を探す。

a = c, かつ b = d は、g_ik を恒等的に 0 とし、ds^2= g_ik dx^idx^k という不変式を成立させない。物差し、時計の存在 できない時空であるから、除外してもよいだろう。

b = d で、a != c なら、g_ik が恒等的に 0 ではなく、計量として存在し得るのではないか。g_44 = 0 であれば、光速が 0 になる。 これは、特殊相対論で慣性座標系が光速度をもつローレンツ変換に相当し、(γ= 1/√(1-v^2) を除外した疑似)ローレンツ変換、

x'= x - vt
t'= t - vx

に v= 1 をいれると

x'= x - t
t'= t - x

となり、a= 1, b= -1, c= -1, d= 1 の上の変換に相当する。それはあり得ないローレンツ変換であるが、一般の局所の変換として 何ら問題のない変換ではないか。時空の変換は場所、時間とともに徐々に滑らかに変化していって、局所の変換が光速の慣性系に 相当するローレンツ変換でもよい。しかし、 g_11= a^2 - c^2= 0 になるので、光速 √(-g_44/g_11) は 0/0 の不定であり、0 ではない。 これは、局所慣性系が光速で飛び去る時空である。そこでの時間と空間は、ミンコフスキー時空に変換後に同じものの符号違いになる。 ということは、そこには時計と物差しの区別のないものしか存在しないことを意味し、それは、この変換に対して疑いを抱くに十分である。


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ds^2= (a^2-c^2) dx^2 + 2 (ab - cd) dxdt + (b^2-d^2) dt^2 = 0

は、光速 u= dx/dt= 0 をもつには、b= +-d であればよい。

(a^2 - c^2) u^2 + 2 (ab - cd) u + (b^2 - d^2) = 0

は、a^2= c^2、ab != cd なら 1 次方程式、解は、u= -(b^2-d^2)/2(ab-cd)。a^2 != c^2 なら 2 次方程式、解は、 u= (cd - ab +-|bc - ad|)/(a^2 - c^2)、u= (d - b)/(a - c) 又は -(b + d)/(a + c)。u= 0 を満たす a,b,c,d は、あり得る。

v を残して、上の疑似ローレンツ変換の光速を求めると、a= 1, b= -v, c= -v, d= 1 であるから、v!= 1 では a^2 - c^2 = (1-v^2) != 0 になり、bc-ad= v^2 - 1 であるから、v<1 では bc-ad<0, v>1 で bc-ad >0 である。u= +-|v^2-1|/(1-v^2)= +-1、 疑似ローレンツ変換の局所光速は+-1 である。v= 1 のときに光速不定。γは、v= 1 で無限大になるから、γを含めた局所ローレンツ変換、

dx'= γ(dx - v dt)
dt'= γ(dt - v dx)

は、dx' dt' の両方が無限大になる。この数学的な特異性は、ここからみた地平面にだけにある。しかし、地平面で光が反射する とはまだいえない。こちらから地平面に進んでいった光がそのまま先に行き、向うからの光がこちらに来るだけかもしれない。 光速で飛ぶ地平面を文字どうり事象の地平面とするなら、向うからなにも来ないから、光はこちらから進んで反射するか、地平面 は完全黒体面でないといけない。局所慣性系の速度になんら制限がなく、地平面は事象の地平面ではないという立場をとるなら、 光は地平面を越えて行き来する。計量の場に局所慣性系の速度を関連付ける光エーテル理論なら、地平面が飛び去る向うからの光 を受け入れるだろう。

しかしながら、この議論で抜け落ちているのは、実際のフリードマン宇宙の計量が、それを満たしているかどうかである。それは、 実に怪しい。それは例えば電磁場を自由に配置してよいなら可能なことも現実に物理的に存在を決めるマックスウエル方程式の解か どうかによって現実性をみる必要があるようにである。


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ds^2= -dt^2 + G^2A^2 (dx^2+dy^2+dz^2)

空間計量 g_11 には、G^2 A^2 という係数がかかっているが、G は時間の関数で時間とともに増大するもの A は空間の関数であり、

A= 1/(1+ zr^2/4) z= 1(球状), -1(擬球状), 0 (ユークリッド的平坦)

となっている。時間的計量 g_44 には固定的値 -1 が取られていて、それが 0 になることはない。だから、光速を 0 にするためには、 空間側の係数 g_11 が ∞ になる必要があるが、それは、A が擬球状であるときの r= 2 の場所である。そのとき空間的計量 g_ii は ∞になる。宇宙は周辺短縮し、r がそれを越えると A は符号が反転するが、A^2 しか計量にはでてこないので、問題があるわけではない。

その場合、宇宙の周辺で光速が 0 になる条件が満たされているが、それが光の廻廊になっているかどうか怪しい。むしろ、宇宙の原初 の光の回帰は、光エーテル的解釈に依る、とみるほうが理解が容易である。もともと、フリードマン宇宙の計量の式は、物差しの縮小 する式であり、宇宙膨張の式ではないから、その式をまともにとっても得るところは少ないのかもしれない。

A の球状、擬球状も逆転しているようにみえる。宇宙がある大きさの限界をもつものを球状と呼ぶのは、通常の習慣である。A の大きさに おいて限界を持つのを球状、∞にするのを擬球状としている。AとGは空間計量をその2乗に比例させ、AとGは、物差しのサイズの逆数を 意味している。G が増大するとは、空間の物差しの縮小である。A が∞になるとき(擬球状でr= 2 のとき) 周辺空間の物差しの微小化に よって空間的限界を与えるのである。それに反して、球状の場合の-∞〜∞までの∫ A dr が 2πを与えることが示されるがこれは、計量 の大きさに積されるものであるから、G と A はその逆数でないと、その意図するものにはなっていない。

そのような計量の意味の取り違えによって GA がその逆数でしかないとき、時間的関数 G がどのようになるか、例えばそれが空間的曲率 が正のとき、サイクロイドの微分方程式を与えるなどを議論してもさほどの意味のない議論である。


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物差しの縮小が宇宙の空間の膨張の言い替えではないかと考えるのも、正しいこととは言えない。

空間の膨張とは、物差しにあたる原子をひっくるめた物質の空間の全体の膨張であるべきで、原子は、強く結び付いているから、その間の空間 だけが膨張するのだとか、太陽と地球も重力で結び付いているからそれ以外のところが膨張するのだとかいう、意味不明な説明になる。重力で 結び付いていない物体などこの宇宙にどこにもないし、膨張を受けるという銀河間が最も強くそれによって結び付いている。その力と変位の比 である強度が関係するものであるという理解は、相対論が座標変換の学問であったことをほとんど、知らないひとの議論である。

そのような選択膨張は、膨張が時空の性質としての膨張であることを認めないことにつながる。頑丈な強いところには、それは大きく働かず、 結合の弱いところに大きく表れるという、膨張は力であると考える、相対論の力学的解釈は、ローレンツ短縮をエーテルからの力による圧縮 と考えた時代に先祖帰りしているように思える。

それは、重力波の検出においても表れている。計量の波は、それが力であれば、共鳴系によって増幅できるだろう。それが、物差しは変化せずに、 単なる距離だけの変化なら、距離の精密な測定で判定できるだろう。しかし、それが物差しの局所の長さの変化なら、局所の物差しによって 計ることができるだろうか。それは原理的に不可能である。しかし、局所の計量が局所で全く観測不可能ということではない。 地上で物体を投げれば、重力は明確に分かることは明らかであるからである。地上の系が地球の重力から言えば局所慣性系ではないことは、 投げ上げたボールが抛物線を描くことが表している。

空間の膨張が、物差しの縮小でしかないということが同じことの単なる言い替えであって、解釈の問題なら、G がサイクロイドを描くことも、 その逆数の縮小していく物差しからみれば、一定のサイズのものがサイクロイドを描くことはあり得るだろう。だから、解釈の問題という言い方も、 ある程度は当たっている。しかし、宇宙のサイズ G がその逆数の物差しであるということは、宇宙のサイズの変化は、実際の宇宙のサイズの 変化しないことに依存していることになる。それを変化というのは、言葉の意味の崩壊である。