山田模型、通称ヤマダは、日本のメーカーが初の国産プラモデルを発売してから僅か2年後に同社初の
プラモデル、ゴム動力で自動浮沈機構付きの「ミサイル潜水艦」をリリースしました。これを設計したのはその後同社の初期の名作、プロペラ推進SFカー「コメットX」、モーターライズ自動浮沈潜水艦の嚆矢「UボートX-102」、自動方向転換装置付き「トヨタ・ランドクルーザー」、ビックリ分解自動車「オペル」「フォード」等を手がけた神林久雄氏です。(久雄氏は動く模型愛好会会員の神林光二氏のお父様です)
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神林久雄氏が1962年に設計した山田模型不朽の名作UボートX-102の初版
(画像提供:へんりーさん)
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アイディアマンだった久雄氏はもの作りや絵の才能で戦前戦中戦後の世の中を何度となく苦難を乗り越えた人物で、その人生は自伝「ゼロからの出発」で詳しく述べられています。 そんな彼が創業間もない山田模型を支え、その後の同社の方向性を決めたと言っても過言ではありません。久雄氏は山田模型立ち上げ後数年で同社を退社して新たな道に進み、今井科学の大ヒット作「Go Goサブマリン」の設計や、今でも全国の家庭で使われている魔法瓶の革命「エアーポット」等を手掛けています。 一方の山田模型では久雄氏退社後も彼のアイディアに満ちた商品路線は確実にDNAとして受け継がれ、自動浮沈潜水艦「UボートX-102」はその後改良を続け、あるいは新規「伊号潜水艦」にギミックを受け継ぎながら1981年の同社閉業まで命脈を保っていました。 そんな同社は久雄氏退社後の1967年に宇宙パトロールマシン「ロビン号」と「タランチュラ」をリリースします。
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山田模型のSFパトロールマシン「ロビン号」のパッケージ。 |
左はヤマダが「タランチュラ」と同時にリリースしたSFパトロールマシンロビン号です。このキットは走行装置の上に乗ったキャビンが、車体下部の前後の傾きとは独立してシーソーの原理で平衡を保つというギミック付きです。
当時は日本のメーカーのオリジナルSFビークルプラモデルの最盛期で、ドリル付き、ミサイル付き、円盤発射!という勇壮で攻撃的なメカが好まれた中、如何にも地味な探検車然としたこの車両は少々特異な立ち位置でした。無武装の探検車というキャラクターは強いものに憧れる少年達にとって、かなり押しが弱いメカです。しかし実はこの辺に山田模型の特異な性格が表れています。
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山田模型のミサイル潜水艦(再販版) |
右は山田模型が最初に世に送り出したミサイル潜水艦の改修再版版です。初版にあった巨大なドラム缶のような耐圧格納筒が無くなり、細部も若干異なっていますが雰囲気は伝わると思います。また、筆者が遊んだ後で適当に保管していた為、水圧を受けて作動する大事なレーダーがもげています。(ごめんなさい)
このように同社初のキットはミサイル潜水艦という物騒なものでしたが、おそらくこれは部品点数が少なく金型製作が楽だったという事で選ばれたのだと思われます。キット自体もジョージワシントン級ポラリスミサイル原潜を模した船体に、外付けでレギュラスミサイルと格納筒をくっ付けたというちぐはぐなものでした。これ以降山田模型は潜水艦キットを再版、改修版を含めて十数種類発売しています。潜水艦という水遊び玩具としては最適な選択だったのでしょう。潜水艦である以上は、原潜とかミサイルだとかという兵器としてのテイストは運命づけられているとも言えますが、実は約200種類のキットをリリースしている同社ですが、潜水艦以外で僅かでも兵器色のあるキットは魚雷艇とパトロールボート、プロペラで陸上を滑走するプロペラタンク「バイソン」「ゼブラ」以外に無いのです。同社の7割近くのキットは自動車で占められ、当時各社が必ずと言っていい程ラインナップに入れていた戦闘機、戦艦、戦車のキットは皆無です。これはもしかしたら戦中派である社長の山田昇氏が悲惨な戦争体験を通して得た一つの方向性だったのかもしれません。そう考えるとSFブーム真っ最中のこの時期に、無武装の宇宙探検車をリリースした山田模型の矜持のようなものを感じます。
とはいえ、ここで今回のテーマの「タランチュラ」の箱絵を見ると・・・。「何だよ中央ドームの両脇にミサイルが付いてるじゃねーかよ」というごもっともな疑問が。(^_^;) この辺の事情についてはおいおい説明するとして、そろそろ本題のキットの紹介に移りたいと思います。
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山田模型のSFパトロールマシン「タランチュラ」のキット内容。 |
左は「タランチュラ」のパッケージング全景です。シンプルな車体上下と特徴的なホイール等が見て取れます。キットの状態は非常に良く、コレクターが良く使うミントコンディションに近いと言えるでしょう。
山田模型のプラモデルの初期パッケージの特徴と言えば、糊付けでもホチキス止めでもない、折り曲げるだけで丈夫な箱が出来上がる「組み立て式ボックス」です。今でも時々お菓子の箱などに見られるあれです。当時を知るおじさん(おじいさん?)モデラーなら懐かしく思われるでしょうが、このキットはホチキス止めの箱になっています。8ヶ月ほど前に発売されたプロペラタンク「バイソン」「ゼブラ」が組立箱だったので、同社がボックスの構造を転換したのはこの時期、1967年頃だったと思われます。
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「タランチュラ」の透明パーツ群。現在前期高齢者となっている筆者が小学校三年生の時のキットとは思えない透明度!金型をガリガリと削り、表面を少しずつヤスリ掛けし、最後に精緻な鏡面仕上げをして磨き上げてインジェクションされたもの。裏面の処理さえ手抜きを許されない透明パーツというこのパーツ群に職人芸の素晴らしさを感じます。
メーカーオリジナルSFキットではよく見られる色付き透明パーツですが、この薄く青味掛かったそれは金型仕上げの美しさと相俟って「清冽さ」さえ感じられます。 |

これも経年劣化を微塵も感じさせない金属パーツ群。
という事で透明パーツと共に画像撮影の為にパーツは全て袋から出してしまったので、私の「タランチュラ」はミント状態ではなくなってしまいました。どうせいずれ自分で組み立てるつもりなので気にしてはいないんですが、時間が無いので制作は今回のオフ会に間に合いそうにないのが心残り。 |

「タランチュラ」のデカール。何気に読み飛ばしてしまいそうなTARANTURAの表記ですが、UMA会員のらくだ~♪さんが今回の作品制作にあたってデカールを自作しようとしてスペルミス発見!
TARANTULA(最後のRはL)が正解でした~♪ |
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それでは今度は「タランチュラ」の組立説明書を元にこのキットの実体に迫っていきましょう。
先程山田模型初期のキットの特徴に組み立て式の外箱があると書きました。これはおそらく箱の印刷と糊付け(またはホチキス止め)まで外注にお願いして納入されると、ただでさえ狭い零細工場の同社の作業スペースを圧迫し、また外注での組み立て工賃分も高くなるために、印刷とカッティング済みの外箱を平積みにして必要な分だけ自社でパートさんが箱の組み立てと梱包をする為ではないかと思われます。
一方同じ頃の同社の組立説明書は巻物のように巻いて同梱されていた事を覚えている方もいるでしょう。これは印刷された組み立て説明書を手作業で丁寧に三つ折り四つ折りにする手間を省き、クルクルっと巻いて輪ゴムで止めて同梱させる方が安上がりで効率的だと思われたのではないかと推察されますが、上記の画像の折り目でお分かりのように「タランチュラ」では巻物スタイルから脱却して平面的に折りたたまれたものに代わっています。これもこの頃からの同社のキットの体裁が少しずつ変わっていった為のものでしょう。もしかしたら印刷所の方でも印刷物を最終的に機械で折り込むような技術が確立されて、メーカーへ既に折られた状態で納品できるようになったからかもしれません。
組立説明書でまず目に着くのが、部品図の内容が少ない事です。プラモデルの部品図は、金属パーツやリード線なども含めて全てのパーツを表現しているのが一般的ですが、このキットでは明らかに目で分かる車体上下(ボディ、フレーム等)は省略され、同型のものが多数ある分かりにくいものだけが図示されています。
同梱されたリード線を指定の長さに切り取る説明部分は、当時の田宮模型のキットにもある懐かしいものです。
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次のステップは動力部分の完成と車体上部の主要部品の組立です。
ここでまず気になるのが、手順8番の部分。緑商会の「ビートル2世」では前後の車輪は金属シャフトとウォームギアを使った堅牢な4WDシステムとなっていましたが、このキットは前輪だけギアボックス直結のもので、後輪は輪ゴムで連動したプーリー駆動となっています。ただでさえ回りにくそうな8本の放射状スポークのホイールをこんな心もとない仕掛けで回して、うまく走破性を確保できるのでしょうか?
ここで注目して欲しいのが手順10の部分です。ここでは8本スポークのホイールは、同じシャフトに繋がった左右のホイールの位相をうまくずらして左右一体で16本ホイールのようにセットする、即ち放射状ホイールを右と左で合成して出来るだけ滑らかな”円”に近づけようとしています。もしかしたら最初期の設計ではこの車体は単に前輪駆動で後輪はただ追従回転で間に合わせようとしながら、あまりよく自由回転してくれなかった為に、仕方なく後付けで空回りしないだけの回転力をゴムとプーリーで伝達して、形だけ後輪を回しているように思えます。まずは前輪だけで車体を引っ張り、後輪は走行には寄与せずに取り敢えず回っているようにだけ見せる、という後付けの仕掛けのような感じを受けます。
まぁこのプーリーの仕掛けが後付けかどうかは筆者の想像でしかありませんが、実はこの組立説明図にはもう一つ、そしてより確実に後付けされたパーツが描かれています。
前述した山田模型黎明期のアイディアマン神林久雄氏の自伝「ゼロからの出発」では、久雄氏が退社した後で「(山田模型に)土持さんという人が入った。(中略)ほかにも月面探査機や高速艇など、いろいろ開発したようだ。」とあります。山田模型がリリースした探査機=探検車は後にも先にもこの「ロビン号」と「タランチュラ」しかなく探査機とはまさにこの二つのキットを指していると思われます。久雄氏が同社を退社してその後釜に入ったのが土持氏ですから久雄氏にとってはこれらのキットは土持氏が開発した商品であるとも言えますが、実は少なくとも「タランチュラ」に関しては別の話があります。
以前、日本の編集者・ライターでありプラモデル業界の事情にも詳しい岸川靖氏に色々とお話を伺っていた時に「実は山田模型の「タランチュラ」は山田模型のオリジナル設計ではなくて田崎三郎さんという方の持ち込み企画なんですよ」と言って、その時のラフの設計図まで見せて頂きました。つまり「タランチュラ」は田崎三郎氏の基本設計ながら、当時既に山田模型を退社していた神林氏にとっては「タランチュラ」はあくまでも後任の土持さんが商品化したキットの一つだったという事なのでしょう。
更に岸川さんが言うには「タランチュラ」は最初は無武装のシンプルな宇宙探検車だったものの、ミサイルを付けないと売れないんだよというメーカー側の指示に従って、後付けでミサイルをくっ付けたとの事。
そういう目であらためて手順11を見ると「タランチュラ」のミサイルは、単にミサイルのようなものを搭載しているだけで、当時流行りのバネで発射できる機構は備えていません。
これは商品設計の裏話というだけではなく、頑なに兵器色を排した商品をリリースしてきた同社が、SFビークルという土俵で厳しい現実と直面した苦渋の決断を知るエピソードでもあります。
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さて今度はいよいよ「タランチュラ」の組み立てのクライマックスです。
走行機構は中々シンプルながら、「タランチュラ」は車体の艤装には結構凝っています。手順12では左右の前照灯は銀メッキパーツのライト部分をライト本体と透明部品のライトカバーで挟み、燃料タンクも単にタンクを本体に接着するだけではなくその外側に繊細な手摺りが付いています。手順13では車体後部の副操縦席のライトも透明カバーを含めて5個のパーツで構成されています。
一つ前に戻って手順11を見ても、操縦士のバイザーが透明部品だったり、小さな赤色灯が2パーツで構成されていたりと見所は少なくありません。
パッケージイラストを見て「これって全然カッコ良くないじゃん!」という方もいますが、奇を衒わない武骨な本体と細やかにパーツ分けされた各部分の織り成す妙なリアルさは、異形のホイールと相俟って今から半世紀前のレトロフーチャーな世界に見る者を誘います。
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