俺SFメカコンテスト


動く戦車オフ会毎年恒例の俺SFメカコンテスト、2019年のテーマは…
スペーストラック
「ダッシュ55」だ!

★「ダッシュ55」コンテスト 参加要領

 ・日本ホビーのスペーストラック「ダッシュ55」をオマージュして、参加者自身が製作したSFメカである事。
 ・宇宙開発で活躍する装輪タイプの頑強なビークルをカッコよく創作して下さい。
 ・市販キットからの部品流用は自由。
 ・屋内での安全なデモンストレーションが可能であれば、サイズや動力等に関する制約なし。
 ・オリジナル版の「ダッシュ55」による景気付け参加も受け付けています。
  注1:俺SFメカコンテストのシール貼付投票はスクラッチ作品のみです。オリジナルキットの参加作品は一般の
      ビジュアル、テクニック、ヒストリカル用の投票用紙で評価して下さい。
  注2:殿堂入りモデラーの作品に貼られたシール貼付得票は、俺SFメカコンテストではなくテクニック票に加算されます。

 さて、それではここでテーマの元となったスペーストラックに関して、作品制作の参考のために若干説明を致しましょう。

 
但し毎度の事ながら、作品制作に不必要なほど語ってしまうので、興味の無い方は読み飛ばして下さい。(笑)
 
日本ホビーのリアルな宇宙観 半世紀前の惑星開発メカ!
 
 日本ホビーは1961年に十五番ホビー商会としてプラモデル業界に参入し、日本の初期プラモデル界を支えた古参メーカーです。十五番ホビー商会という名前は、おそらく最初期の所在地が、当時の地番で東京都港区麻布飯倉片町15番地にあった為と思われます。同社は翌年から日本ホビー工業と社名を変えて1969年まで活躍したメーカーですが、1961年といえば、我が国で国産プラモデルが産声を上げてから僅かに3年で、日本ホビーの業界参入がいかに早かったかが伺えます。
 日本ホビーに関しては、私の先輩とも言える森本氏が動く模型工作ファンのページというサイトで詳しく研究されていますので、興味のある方はそちらも参考にして下さい。

 さて、当初1/2スケールのミニ拳銃でスタートし、翌1962年には1/20のマンモス戦車や1/35クラスのパノラマ(戦車)シリーズで大型中型戦車をリリースします。タミヤが初期の名作1/21ビッグタンクシリーズを発売するのが1963年ですから、その前年に既に巨大な戦車模型を発売していた訳です。
 プラモデルの金型というのは鉄の塊で、大きなスケールのものを作ろうと思えば、単純計算では三乗倍の容積と重量になり、小さなプラモデルとはまた別な次元のノウハウが必要となります。1/20スケールの大きな戦車で先鞭をつけた同社は、日本模型が1/20の「ビッグパットン」を開発する時にそのノウハウを伝授したという話があるように、当時としては一つのブレイクスルーを要する技術だった事が分ります。
 そんな同社は更に1965年、当時としては驚異的なビッグキット、1/250大和を発売します。日本模型(ニチモ)が空前絶後の1/200大和を発売するのが1968年ですから、これも他社に先駆けての巨大戦艦の発売です。
 当時の日本ホビーの広告では、何トンにもなる金型の制約、あるいは機銃がコンマ何ミリになる限界などから、1/250というスケールに落ち着いたと書いてあり、その苦労が忍ばれます。
 ニチモが会社の方針転換でプラモデルメーカーとしての幕を下ろして1/200大和が絶版となって久しいのに比べ、日本ホビーの1/250大和は、今でもアリイから季節再版されて生きながらえているのは、歴史の皮肉とでもいうのでしょうか。
 そんな同社でしたが、真摯にスケールモデルという道を進みながらも、”大きさ”ではない”精密さ”の点ではどうも「このあたりで手を打とう」的なミニアチュールに対する作り手の意識の限界が感じられ、精密ミニチュアプラモデルという流れに乗りきれなかった感があります。こうしてアポロ11号の月着陸と相前後して、日本ホビーはプラモデルメーカーから転業を余儀なくされます。
 これは精密化に対する手抜きというよりも、同社の製品を見ていると、精密化を突き詰めなかったというのではなく、プラモデルに対するソリッドモデルのベクトルが強かった為と感じてしまうのは私だけでしょうか。
 −閑話休題−
 そんな同社は戦車、艦船、SFプラモデルと幅広くキットをリリースしましたが、その中の一つが今回テーマとなったスペーストラック「ダッシュ55」です。


「ダッシュ55」のパッケージ。
 
 上が「ダッシュ55」のパッケージです。4色製版印刷若干にズレがあるようで、サイト管理者の撮影テクニックのヘタさと相俟ってメカ自体がボケているのはご勘弁下さい。
 実はこのキット、日本プラモデル工業協同組合編の「日本プラモデル50年史」のデータベースにも記載はなく、いつ発売されたのかが良く分かりません。
 巨匠小松崎茂氏の描いたボックスアートには1964年のサインがあるのですが、ボックスのロゴマークは1968年頃から使用された最後期のもので、インストの住所にも最後期の住所である「埼玉県新座局区内」とあります。個人的にはこのマーク以外の古いロゴを付けた「ダッシュ55」を見た事が無いので、あるいはこれが同社のほぼ最後期のキットにも思われます。何か手掛かりをお持ちの方は御教示下さい。

 

 「ダッシュ55」は、宇宙戦車でも宇宙探検車でもなく、スペーストラックという、ちょっと変わった設定のメカとなっていますが、上記のようにボックス側面にこのメカの説明が記載されています。
 惑星開発時に不整地を走破する、原子力エンジンを搭載した強力なトラックと言う設定のようですが、前方の障害物を取り除いて強引に走行する為の「整地弾」という爆裂弾を発射するのが特技のようです。
 但し側面図の説明では弾薬庫は「核弾倉庫」と書いてあり、そんなものをポンポン発射しながら、爆発した後の地面を走って行くのか?と思うと、今の感覚ではちょっと怖い感じがします。
 まぁ、当時の少年向けスーパーメカは原子力エンジンを装備して核ミサイルを発射するというのが定番でしたから、これはレトロフーチャーな一つの未来像と
解釈しましょう。
 それ以上に、戦闘兵器ではない宇宙ビークルが模型化されたという点こそが重要でしょう。このあたりに日本ホビーの独特のセンスが感じられます。
 2014年の動く戦車オフ会の俺JOSFメカコンテストのテーマ「俺スペースコマンド」の企画紹介文では、「…(緑商会の社長である)草野氏にとって、スーパーSF兵器に劣らぬ宇宙開発のシーンに欠かせない汎用SFビークルとは、将にスペースコマンドのように地に足の着いた、堅実で頼もしい宇宙探検車に他ならなかったのです。」と書きましたが、日本ホビーにとっても、来たるべき人類の宇宙進出時には、兵器ではなくこうした機能性ビークルこそが必要なのだ、というビジョンがあったのでしょう。

 さて、そんな「ダッシュ55」の全体像です。
 うーん、カッコ悪い。(笑)

 これは、入手時に既に「途中まで組み立てたものをまたバラしてみた」状態だったものを、再度仮組したもので、中途半端な画像になっているのをお許し下さい。ただそれでもキットの全体像は分かるかと思います。
 こうなるとメカマニアとして気になるのが、内部はどうなっているの?というレイアウト設定ですね。(え、気にならない?ウソー、気になるでしょ?気になるよね?)
 後部の丸い筒のような構造は、前出の側面図で原子力動力となっており、小さな後部タイヤも「耐熱特殊タイヤ」とわざわざ書いてあるので、多分主要動力部分と駆動機構は後ろに纏めてあるレイアウトかな。ああそうか、原子力動力とエンジン部分を後部に纏めて、万一の放射能漏れに配慮した設計なのでしょう。素晴らしい!
 車体前部中央には核整地弾発射砲があるものの、それ以外の車体部分もゴツくて大きいので、多分車体前部に輸送物資を積むのではないでしょうか?だから前部に大きくて=接地面積の広いタイヤを4つ配置して接地重量配分を解決しているんですね。特異な大小六輪配置の謎が解けました。
 やはりよく考えてるなぁ、日本ホビー!

 今度は車体後部の原子力動力部分を開けてみましょう。パカッ!
 なんとそこには単二電池一本分のスペースが!ここが電池ボックスだったんですね。
 きっと実車ではここにユニット化された原子力電池がポンと装着されるのでしょう。架空の設定である原子動力を、現実の動力である電池とオーバーラップしている所が心憎い演出ですね。
 これを見て思い出すのがロボットアニメ「GEAR戦士(ギアファイター)電童」。このアニメの主役メカである「電童」のエネルギー源は、見るからに巨大な”単三電池”ハイパーデンドーデンチ!いずれも遊び心がある設定です。

 因みにこのキットのスイッチが電池カバーが閉まった状態の左下側に見えています。また、スイッチの右上の部分の車体パーツが割れて欠損しています。
 電池はマイナス側を右に向けてセットする為、右側にスプリングを使ったマイナス端子が見えています。どうやら前のオーナーは、電池を入れて試し走行した後で電池を外す時にちょっと無理をして、電池プラス側の出っ張りをここに引っ掛けて割っちゃったのではないか?と思われます。(笑)
 全体が大雑把なデザインなのに比べて、車体の成型は周りの色が写り込むほどにツヤツヤなのも良く分かります。


 右は「ダッシュ55」をひっくり返した写真です。車体下部パネルはありません。
 走行用車輪は車体中央部の一対だけです。
 仮組なので車体左側の動輪はちょっとだけしか打ち込んでいません。(それでも既にシャフト受けの部分が割れていますね)
 普通の動力キットの常識で考えれば、車体下部の箱に動力を組み込み、そこに車体上部の箱を重ねる…というのが一般的ですが、このキットは車体を左右に分割して、そこにギアボックス、電池パネル、開閉式キャノピー、弾丸発射用「撃鉄」を挟み込むというちょっと変わった設計になっています。
 車体左右パーツの合わせ目に接着剤を付けた後で、各パーツのヒンジやシャフト位置五か所を正しく合わせて貼り合わせるというのは、結構位置合わせが面倒です。

 この写真を見ていて気がつきましたが、ギアボックスのギアのうち、モーターのピニオンギアが噛みあう最初のスパーギアが仮組で漏れています。申し訳ない。
 本当は白い幅広のギアが4つ付くのが正解です。
 またこの画像では見えませんが、キット同梱のモーターはマブチモーターではなく、サハラモーターのようなものです。

 写真で分かるように、動力輪を含むタイヤは全てプラ製で、動力輪のみ内側にインジェクションのタイヤ部分より直径が僅かに大きい円形ゴム板を装着して駆動力を伝えます。
 また注目すべきは中央の動力輪以外は、左右の車輪をシャフトで繋ぐのではなく、車体側面におのおのをピン止めする片持ち構造です。

 「ダッシュ55」のキャビンとクルーの画像です。
 キャビン下は弾丸の格納庫となっている為、お二方はお約束の入浴スタイルとなっていて、胸から下はありません。
 誰が付けたか”入浴スタイル”。こうして見ると確かにお風呂に浸かっているように見えますね。(笑)
 因みにUMA広報担当の筆者が”入浴スタイル”という言葉を知ったのは、確か1970年代の模型雑誌だったように記憶していますが、都会の成人モデラーの間では普通に言われていた一般的な言葉なのでしょうか。ちょっと気になります。
 透明フェイスカバーこそありませんが、ヘルメットの中にキチンと顔が収まっている様子を見事に再現しています。
 入浴スタイルではありますが、中々立体感のある造形ですね。
 フルフェイスヘルメットの中に頭部が入っていると考えると、概ね1/40程度のスケールでしょうか。


 右の写真は、ちょっと気になるダンガン発射機構です。
 最終出力軸にツメのついたパーツが付いていて、「撃鉄」を弾きます。

 画面上部がキャノピー部分で、後ろに傾斜した底部を持つ弾丸溜めに弾を入れておくと、後部の穴から弾が砲身最後尾に落ち込みます。
 今シャフトについたツメは弾丸を発射した直後の位置にあって、撃鉄も発射後の位置に収まっています。
 この後シャフトのツメは向かって左回りに回転し、時計の二時の方向あたりから撃ち金を押し上げ初め、丁度ツメが十二時位置に来たあたりで撃ち金がリリースされてバネの力で核弾丸が(笑)発射されます。
 カタログデータ(既出のボックスサイドの説明)によれば射距離400mm!先程のフィギュアのサイズでキットは約1/40程だと分かっているので、40倍すると実車で16m先に整地用核弾頭が着地。…ちょっと怖いですね。
 いえいえ、(実車があったとして)実際はもっと遠くに飛んで、安全に岩などの障害物を排除するのでしょう。
 そういう夢の無いツッコミをするのではなく、障害物を自力で排除しながら無人の荒野を突き進む宇宙開発用の汎用トラックという着眼点が良いのです。

 日本ホビーは手でコロ走行させて、その手動動力で弾丸発射するという、当時珍しいスウェーデンのS型戦車もキット化しています。(子供の時分に実際にキットを見たことがありますが、ポテッとしたモールドの無砲塔戦車で、子供心に第一次大戦時の菱型戦車だろうと勘違いしたような出来ではあります)
 また大型戦車でも弾丸発射機能を持っていたように、日本ホビーはそういった意味で弾丸発射ギミックに早い時期から努力したメーカーで、この「ダッシュ55」も、弾丸発射ギミックを具現化する為に、整地弾を発射するスペーストラックというコンセプトをモデル化したようにも思えます。
 

 左は車体を左右に分割して撮影した電池収納部です。中々他では見ない設計ですね。
 車体前方よりパカッと分割して展開している為、向かって左側が車体右側。向かって右側が車体左側と、反転しています。
 車体左側に当たる電池収納部の端にはプラス側の電極があり、車体後部に突き出したスイッチ金具を上に上げる事で回路が閉じて走行します。

 それにしても車体を完全に左右分割する事のメリットはどこにあるのでしょう?
 電池カバーやキャノピーや弾丸用の撃鉄を挟むヒンジ部分を車体左右分割の穴で一括して受け止められるメリットはあるものの、組み付けは難しくなり、何より車体の平面系に当たる部分…ボンネットや車体上面、弾丸収納庫の床、車体後部パネルなど、金型に深さ40mmに達するスリットを深彫りしなければなりません。
 また、全体的なギミックに関しても日本ホビーは独特の機械設計をしています。マンモス戦車シリーズのギアとノッチを組み合わせた複雑な砲塔旋回機構や方向転換機構など、ちょっと他のプラモデルや玩具にはない凝った設計になっています。
 個人的には同社の機構設計担当は、玩具畑というよりもっと一般的な機械設計技師、事によったら戦時中の兵器等の特殊な機械設計に従事していたのでは?と勘ぐってしまうのです。
 1961年当時、同社の最初の名前は十五番ホビー商会ですが、名前から玩具類の卸販売が本業だったのでしょう。それがプラモデルという時流に乗って自社で模型開発をするに当たり、社名も作り手である事を前面に出した日本ホビー工業と変更したのは先に述べましたが、まだ戦後16年しか経っていない東京という立地条件で、戦時中に兵器開発設計に当たっていた子請け孫請けの零細町工場の技術者に伝手を恃み、独特の設計に至ったのでは?という想像は、三丁目の夕日以前の時代に思いを馳せるロマンでもあります。
 右は恐るべき核弾丸のパーツ。(笑)
 前オーナーが試射の為?幾つかの弾丸がモギモギされていますが、1枝14個で8枝分。合計112個の弾丸がモールドされています。
 ボックス側面の説明でも「100発のタマを弾倉に入れると進みながら連続発射する」とあるように、予備を含めてきちんと100発を超えるタマが準備されています。
 直径は6mmで、奇しくも現代のエアソフトガンの6mmBB弾と同じサイズです。
 周囲を四角くランナーで保護する回しランナーではない、素朴な枝ランナーに丸い弾丸が綺麗に揃って並んでいる様は、ブドウのような植物の実を連想させて微笑ましい気がします。

 左が「ダッシュ55」の付属デカールです。既に半世紀の年を経て黄ばんでいるので、使えるかどうかはちょっと怪しいですね。
 シリアルナンバーを入れても僅か6枚というシンプルながら、特徴ある車体に沿った独特なデザインです。
 プラモデル、特に我が国のように独特な動く玩具の延長線上に発展した商品では、プラスチックのインジェクション部分だけでなく、ティントーイのような動く機構部分を擁する色々なマテリアルでもって構成される複雑さが特徴ですが、このデカール(スライドマーク)というものも、我が国のプラモデル発祥時期から既に普通に準備されていたものです。
 台紙、水性糊、ベースの透明膜、耐水多色印刷と、中々複雑な構成になっているデカールというパーツが、今から60年以上前から普通に安価な商品の構成要素として同梱されているというのが興味深いです。


 上記はインストの両面。スキャンではなく、ペロリと机に置いてデジカメ撮影したものを、画像処理ソフトで補正しながらトリミングしたものなので、若干ぐにゃぐにゃしていて申し訳ありません。
 モーターとギアボックスを入れない部品番号で僅かに37種類。ここでサハラモーター(?)の外見も分かるかと思います。
 スマホやLED照明は勿論、普通の家にはカラーテレビもクーラーも自家用車も無かった半世紀前のSFプラモのインストをじっくりと眺めて、これを作った当時のチビッコの気持ちを、しばし追体験してみては如何でしょうか。

 ああー、昭和って素朴でいいなーぁ!



 さて、今まで紹介させて頂いた「ダッシュ55」を、皆様は如何に御覧になりましたか。JOSFメカが最も輝いていた時代のスーパープラモデルに思いを馳せ、皆さんも想像力溢れたスペーストラックを作ってみようではありませんか。
 

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