今井の「魚雷」初版パッケージとキットの様子。
(画像提供へんりーさん) |
1966年7月、今井科学は水ものプラモデルのシーズンに合わせて魚雷のプラモデルを発売しました。その名もズバリ「魚雷」。
初版版は高荷義之先生の作品と思われるタッチで薄暗くて凄みのある色調で、バックにはこの魚雷を発射したと思われるSF潜航艇が描かれています。
特筆すべきは初版だけ反回転逆ピッチスクリュー機構が付いていた事です。このキットを紹介している本やサイトでもその機構を詳しく述べているものは殆ど無く、多くの人から「ギアによる同軸反転スクリュー機構か?!」とも思われていましたが、その実態は、魚雷本体に直付けで右回りピッチのスクリューが付き、ゴム動力で最後尾の左ピッチスクリューが回ると反動で魚雷本体が右回転する為接着した右回転ピッチのスクリューも一緒に回るというものでした。
仕組みを知ると「なーんだ」と思われるかもしれませんが、50円で2本入りという安価なプラモデルであったことを勘案すると、これはこれで良く考えられたギミックと言えるでしょう。
その後今回の俺JOSFメカコンテストの御題である「魚雷B」の発売とコラボし、初版と同じイラストの別パッケージで「魚雷A」として再版されます。サブマリン707シリーズやジェームズ・ボンドの水中戦車に則(のり)を取って、小さい方を「魚雷A(クラス)」大きい方を「魚雷B(クラス)」と命名したものと推測されます。
その後1971年には、当時流行っていた自社の安価なキットを4つシュリンクパックしてシールを貼っただけのセット商品にあやかり、この魚雷も4点パックの一つとして発売されました。しかしその時は魚雷は1本だけとなり、パッケージも初版で2本描かれていた魚雷を1本だけにトリミングしたものとなりました。
後に私はこの魚雷の同梱数が2本から1本に減ったのはオイルショックによる原材料高騰の為か?と考えていましたが、オイルショックはそれより後の1973年。という事はこのダウングレードは、原材料の上昇やインフレの影響ではないのでしょう。サンダーバードブームの二匹目のドジョウを狙って大ハズレしたキャプテンスカーレットシリーズ(1968年から発売)の赤字を何とか少ない投資で挽回しようとした策であったかもしれません。
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「魚雷」の最終版「サブロック」のパッケージ。 |
今井科学(イマイ)は1971年以降も苦しい経営を続け、過去の商品の再版や開発規模の小さいミニモデルで息を繋いでいく事になります。右のパッケージのイマイ
プラホビー キット ミニ シリーズ「サブロック」はそんな時代(1975年頃)に販売された「魚雷」の最終版となります。
2本の魚雷のパースの効いたイラストは初版のアングルを踏襲していますが、この最終版パッケージは梶田達二先生の手になるものです。
ボックスサイドにはミニ シリーズとして以下のキットが広告されています。
「ミニサブマリン」(青の6号コーバック号再版)、「タンデム1号」(青の6号フリッパー)、「P-1ゼロ号」、「サンダーボート」(バットマンボート)。改名再版とは言え、初版時代を知る人には懐かしいラインナップです。 |
「サブロック」のキット内容。 |
左の画像は「サブロック」のキット内容。
シンプルに設計されたゴム動力魚雷のパーツが2セット同梱されているのが良く分かります。
右下の2個がペアになった部品は魚雷本体左右の内部に付く空気室のフタです。
アオシマの合体プラモデルシリーズの、パーツ結合用の穴にも見える空気抜き(水入れ)の穴がいやが上にも目立っていますが、初版、最終版どちらのイラストでも、さらりとアクセスハッチのような「意味を持ったディティール」として表現されているのは流石にパッケージイラストに精通した名人達と感心させられます。 |
サブロックのインスト。 |
右はサブロックのインスト。実にシンプルですが、こう言った動くギミックを必要十分なパーツ設計で確実に作動させる今井の手なれた設計は流石です。
ゴムの交換が容易なように胴体は接着せず、魚雷頭部とスクリュー基部で前後から抑え込んで固定します。接着剤も同梱されていますが、結局それを使うのは先に述べた空気室のフタの接着だけです。
キャラメル箱のチープキットが箱の裏に組み立て説明図を印刷しているのは当たり前でしたが、実はこの頃から安価なキットを手がける各メーカーは、上蓋のあるキットでもその蓋の裏側に組み立て説明図を直接印刷して原価を下げるという手段を用いていました。
LSなどはその嚆矢と思われますが、かなり経営が厳しかったと思えるこの当時の今井は、それでも1枚のインストを印刷して別物として入れています。
こんな所に、かつて日本一の売り上げを記録していたメーカーの矜持を感じてしまいませんか。 |
「ロケットサブ」のパッケージ。
(画像提供へんりーさん) |
さて、今井の魚雷プラモデルのルーツとしての「魚雷」(サブロック)について一気に初版から最終版まで突っ走ってしまいましたが、今回の水もの俺JOSFコンテストのテーマである「魚雷B」には直接の兄貴がいます。それが「魚雷」発売の翌年(1967年)にリリースされた「ロケットサブ」です。
このキットは胴体内部左右に二発の小型魚雷を内蔵し、本体が何かに衝突すると左右のカバーがパカッと開いて、そこから放出された小型魚雷が、今度は後方に向けて自走するというスーパーギミックを持っていました。
このキットの素晴らしい所は、当時小学校4年生だった友人が作っても、確実に親子魚雷ギミックが作動したという点です。こういうキットのアイディア出しから試作、調整を経て子供でも組み立てられて確実にカタログデータ通りの動きをするプラモデルを作る!という今井技術陣の技量と努力には賞賛の思いを禁じえません。
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「ロケットサブ」のキット内容。 (画像提供へんりーさん) |
右は「ロケットサブ」のキットの内容です。
画像を見ると、至ってシンプルな設計である事が分かります。青いパーツは親魚雷本体で、上下に分割された本体と左右の開閉式”子魚雷格納庫カバー”です。
どうやら「ロケットサブ」には本体がこの画像のような水色のものと、もっと濃い濃紺の2種類があるようです。濃紺のものは下の「魚雷B」の成型色と同じようなもので、「ロケットサブ」としての画像はホビージャパン
ヴィンテージ4号にカラー写真で紹介されています。
このキットの唯一の難点と言えば、子供にはただでさえ一苦労のゴム巻きでしょうか。それが親魚雷で1回、子魚雷で2回の合計3回あり、それを慎重に本体にセットしなければならないのです。合計100回以上も「クリクリ、クリクリ、クリクリ・・・」とゴムを巻いて初めて体験できる親子魚雷ギミックなのです。また、それで体験できる超絶ギミックの感動とは裏腹に、ゴム巻きにかかった時間の何倍もの速さで巻き戻ってしまうゴム動力の儚さは、それを体験した子供でないと分からない感覚です。苦労したゴム巻きが瞬く間にほどけながら展開されるスーパーギミックの凝視。それはもしかしたら子供が人生で最初に感じるカタルシス(感情移入による精神の浄化)だったかもしれません。
画像を提供頂きましたへんりーさん、いつも当会のJOSFオマージュ企画の解説では快く資料提供の御協力を賜り大変ありがとうございます!
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さていよいよ「魚雷B」の中身の紹介です。
先の「ロケットサブ」の画像と見比べて頂くと分かるのですが実はこのキット、「ロケットサブ」の親子魚雷機構を排して左右の扉を本体と一体化させ、モーターライズに改修して「ロケットサブ」の翌々年に当たる1969年に発売されたものなのです。
金型を改修してしまった為、兄貴分である初版の「ロケットサブ」は初回かせいぜい翌年迄の販売で、その後再版される事はありませんでした。
本体に一体化されて無くなった左右のカバーがあったランナー部分には、新たに電池ボックスの蓋、水平尾翼の可動式補助翼とそれを左右から押さえるパーツ、そして長いパイプ状のスターンチューブがインジェクションされています。水平尾翼を上の「ロケットサブ」の画像と比較すると、明らかに翼端をカットとして別パーツにしている事が分かります。
先の「ロケットサブ」の解説で親子3本の魚雷のゴム巻きが大変だったと述べましたが、モーターライズキットへの不可逆的改修の原因はそういう所にあったのかもしれません。
この「魚雷B」は、ゴム動力から、より強力なモーター駆動に変わった為に本体はスクリュー回転の反動でグルグル回ってしまう設計です。但し新設された水平尾翼後端の舵は、飛行機のエレベーターのように左右一体で上下に動くのではなく左右で別々に自由に動かせます。、これを飛行機の主翼のエルロンのように左右で上下逆にセッティングする事で、もしかしたら上手く当て舵のように作用して回転させずに走らせられるかもしれません。それにしても親子機構を排したこのキットは、「ロケットサブ」以上にシンプルな構造です。
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「魚雷B」の組み立て説明図。 |
今度は「魚雷B」の組み立て説明図です。
今ほど超シンプルなキットのパーツ構成を見て頂きましたが、それもそのはず。9番目の説明を見ると、電池を入れると『自動的にスクリューが回ります』と書いてありますが、それってスイッチが無いって事じゃん!
はい。電池室に電池を収めると端子直結のモーターが回り始め、その状態で電池室のフタを閉めて遊ぶんです。で、遊び終わったらドライバーで電池室のフタをこじ開けろ・・・という設計です。
いやぁ、兄貴分の「ロケットサブ」が非常に凝った設計だったのに比べて、何と大らかなものになってしまったのでしょうか。
また電池室と電池蓋の間にはゴムパッキングのようなものは無く防水は不十分ですが、それは最初から想定内で「電池は金属包装のもの(当時ならナショナルのハイトップか)を使うようにとか、遊んだ後は電池をちゃんと拭きなさいとか、(電池室に)水が入っても性能は落ちませんとかの説明がされています。
ただ今井の弁護をすると、当時潜水艦のモーターライズキットで、完全防水設計でないものは少なくありませんでしたし、電池室をゴムパッキングで覆い、電池蓋をきつくネジ止めしても水漏れは完璧ではありませんでした。
水中でも電池は働くし、紙巻き電池でもなければ濡れてもすぐ乾かせます。第一、まだマンガン電池しかなかったこの頃、モーターで動くおもちゃで遊べばすぐに電池の容量が無くなってしまい、子供の実感としても「遊びたい時に遊べれば良い。電池はすぐに力が無くなってしまうもの」だったのです。
なのでメーカーとしてもわざわざゴムパッキングカット用の金型を作ってゴムで専用のパッキングを準備して、しかも性能的に完全防水を望めないキットを作るのなら、そこは割り切ってしまえという事だったのでしょう。
ニットーの汎用水中モーター「マリントレーラー」や、緑商会のモーターライズ潜水艦なども同じような割り切りでした。 |