セントラルモケイ

1/40 ミニ グループセブン シリーズNo.3 マクラーレン M6A   


 王国は営利目的ではありませんが、まがりなりにもインターネットと言う手段を通じて多くの方達に対して「オピニオン」と自認するものを発信している以上は、そしてそれが少しでも有意な展開に結びつく事を現実的に願っている以上は、単に「こんな楽しいものがあったよね」という紹介と「できればこういったプラモデルはまたリリースされればいいよね」という紹介の趣旨は厳然と区別されなければならないと考えます。いくら当時の原体験を持つ人達が懐かしさを感じ、実際にそのプラモデルで楽しく遊んだ経験があろうとも、産業の構造やユーザーの価値観の変化を考えた場合、決して無責任に「もう一度こんなプラモデルを出して欲しいよね」とは言えないものがあるという事です。王国が紹介する以上は、それなりにエポックメイキングなキットであった事は重要です。時にそれは当時の常識を超えた素晴らしいキットである事もあるでしょう。例えば当時それだけ価値のあったキットでありながら、しかし諸般勘案した上で結局は「このコンセプトのキットがもう一度発売される事は無いでしょう」と結論付けざるをえない事は、王国にとっても悲しい事実です。キットの出来が素晴ら しければ素晴らしいほどその思いは禁じ得ません。但しそう言ったキットは再版を望むという意味ではなく、楽しいプラモデルの本質に迫るという意味で、検証の対象とする事には大いに意義があります。今回はそのようなものの一つを紹介させていただきます。

 全国の子供達が熱狂的に迎えたプラモデルにはどんなものがあったでしょうか。まずサンダーバードシリーズ、サブマリン707シリーズ等は真っ先に挙げられるでしょうが、そういったタイトル付きプラモというジャンルでは括れないものに「ゼンマイ自動車」というカテゴリーがあります。その到来のきっかけは誰かが学校にこっそり持ってきたとか、別な小学校に通う近所の友達に見せてもらった、というたわいの無い事です。しかし一旦そのようなきっかけがあれば、それから地区単位、学年単位、小学校単位でそのプラモデルがブレイクするのは時間の問題で、路地といわず居間といわず学校の廊下といわず、ありとあらゆる平坦な場所で繰り広げられるレース!レース!レース!・・・・しかしそれは多くの場合唐突に下火になります。「学校にプラモデルを持ってきてはいけません」「道路でプラモデルを走らせては危険です!」そしてはしかのように一瞬で広まったゼンマイ自動車プラモデルのブームは、始まったときと同じように一気に消え、そして次の地域でのブレイクが始まるのです。

 こんなふうに、動くプラモデルとはやはり子供のオモチャとして広まった側面は否定できません。プラモデル後発国の我国でプラモデルが商品としての市民権を得る為には、ほぼ趣味の固まった大人達の中にスケールモデルとして浸透して行くのではなく、柔軟な価値観を持つ子供達をターゲットとし、その遊びの中に同化するという戦略が有効だったのです。それはモーターライズの戦車であり、ゴム動力の潜水艦であったわけですが、絶対数でそれら全てを凌駕していたのは、他ならぬ50円売り、100円売りのゼンマイ自動車であリました。今から30年ほど前に小学生であった人達に伺ってみましょう。「貴方が一番記憶にあるプラモデルは何ですか?」と聞けばダントツなのはサンダーバード2号あたりでしょうか。人によっては戦車ばかり作っていたという人もいるでしょうが、しかし船好き、戦車好き、飛行機好きと言うのはあくまでもプラモ好き少年の性癖であって、スポーツ少年からガリ勉君から皆ひっくるめて「何と何を作りましたか?」と質問して集計すれば、その結果浮かび上がるのは「ゼンマイ自動車」ではないかと王国は分析しています。

 今回紹介する「セントラルモケイ」社は1960年代後半に出現して活躍し、1970年代に姿を消したメーカーです。ゼンマイ装甲車シリーズや1/72ジェット機のシリーズなどもリリースしていましたが、同社が最も得意とした分野は何と言ってもこのゼンマイ自動車の優れたラインナップでしょう。特に100円売りの「ワールド・チャンピョン・シリーズ」は有名ですが、このほかにも「フォーミュラーシリーズ」や今回ピックアップした「ミニ・セブン・シリーズ」といった50円売りのキットも忘れるわけにはいきません。50円の自動車プラモといえばフリクション(はずみ車)かゴムが少なくなかった当時、後発のセントラルモケイ社が機械システムとしてのレベルがより高いゼンマイというパワーソースで商品展開をしたのは大正解でした。しかしそれは並大抵の企業努力では実現できないものだったと想像できます。

 詳しくはキット紹介を見ていただきたいと思いますが、このキットは単なるインジェクションスケールモデル以上に、複合素材商品としての商品化の難しさを自分自身の中に持っています。プラスチック単体商品ではなく、下請け、孫受けや、時に対等な力関係を持つ他社からの原材料、重要部品の調達等を行って、最後に一つの商品としてリリースするコーディネーターとしての役割すら負わねばならないからです。それも50円という価格設定の枠の中でです。以下のキット紹介を見るに当って、「小売価格50円なら一般的な仕入れ価格は30数円、メーカーが問屋に卸す価格は20数円、ならばメーカーでの原価は・・・」と考えながら見て下されば、このキットが生まれるに当り、様々な形でそれに従事した町工場の人達の見返りとしての収入がいかばかりであったのかは想像できるでしょう。それこそが当時のプラモデルを支えた送り手サイドの現状であったわけですが、現在では単に人件費高騰というだけでなく、そのような産業構造の底辺でプラモデルを支えた零細町工場の存在そのものが殆ど消えてしまった為、再度このような形でゼンマイチープキットが国産される事は無いでしょう。産 業構造だけでなく、単にゼンマイで走るだけの自動車というものならチョロQがあり、レースの為のプラモデルというのであればミニ四駆のような手ごろな価格で楽しめるハイレベルなプラモデルがある現在、ユーザーの要請と言う意味でもゼンマイ自動車がかつての栄光を再び手にする事はなさそうに思われます。

 産業構造と時代の要請という要素を踏まえ確かな企業理念を持って生み出されながら、他ならぬその産業構造と時代の要請の不可逆的変化によって潰えたゼンマイ自動車というプラモデルは、あたかも致死遺伝子を持って生れ落ちつつ自らの道を雄々しく闊歩した人の人生を感じさせる、どこか物悲しいロマンといえませんでしょうか。
 マクラーレンM6Aのパッケージアートです。印刷部分の横幅が123ミリ、回りの枠の白抜き部分を入れたキャラメルボックス全体の横幅が132ミリなので、1024×768ピクセル表示の画面で御覧の方は画面上の表示の大きさより実物はもう一回り小さめとなります。
 当時のセントラルモケイのレースカーのパッケージイラストはレース中の写真をもとに書き起こしている為、望遠レンズで捉えたパースの効いていないショットが印象的な構図です。’67年のカンナムグランプリでは、優勝したブルース・マクラーレンのM6AのゼッケンはC番でしたので、このゼッケンD番のマクラーレンは彼のチームメイトであるデニス・ハルムであろうと思われます。
 キャラメルボックス裏側のインスト。当時の30円、50円売りのチープキットはみなこのように箱の裏側が組み立て説明書でした。
 書き方によってはイラスト一枚で済ます事も出来る程度の部品点数と難易度のキットに対しても、決して手を抜かない姿勢が伝わってくるインストです。これは「どのような購買層に向かって作り方を教えるべきものなのか」という、買い手の姿を見失っていないメーカーのビジョンを端的に物語っています。
 キットのパーツ全景。これらが一つのビニール袋に入っています。
 随所に細かいバリが見られますが、当時のバリの物凄まじさを知る方達にとってみれば「本当に凄いのはこんなもんじゃないよ。」「こんなのまだ可愛いほうよ。」というところでしょうか。
 小売価格50円と言う事はメーカーでの製造原価は20円を切っていた可能性もあります。それをプラスチックのキット本体、ゼンマイシステム、ゴムタイヤ、金属シャフト、デカールといった複合素材でリリースした我国の低価格プラモデルというものが如何に想像を絶する「凝縮された商品」であったのかは、今迄殆ど語られる事はありませんでした。このショットの物語るもの、それは真摯なメーカーが垣間見せる、当時の日本の産業の息吹に他なりません。
 我国が世界に誇るゼンマイシステムの比較です。右がこのキットに付いていたゼンマイで、左は比較の為に並べた、同じセントラルモケイ社の兄貴分ワールド・チャンピョン・シリーズの「フォードJ・ルマン」のゼンマイモーターです。両社のパワーの差は歴然でしたが、惰性走行時の空転装置の設計も同じデザインである事が判りますね。
 ここでちょっと細かい話になりますが、このゼンマイモーターを知る人は真上から見たこの写真だけでどこにどんなギアが使われていたかを思い出す事が出きるでしょう。一般的なレイアウトである左側のゼンマイを例に取ると、上から順にいくと、まずゼンマイの直接のアウトプットである一番大きなスパーギア、次に空転装置として働く増速ギアがあり、3つ目は最終出力であるシャフトへ90度出力軸をオフセットしながら連結する為のクラウンギアを下向きにセッティングし、最後にタイヤを取りつける駆動シャフトが出ています。
 高回転低トルクの電動モーターから駆動力を取るモーターライズキットのギア群が
  ≪減速ギアシステム≫
であるのに対して、低回転高トルクのゼンマイから駆動力を取るゼンマイモーターのギアは
  ≪増速ギアシステム≫
になっているのが常識です。それによって回転数を上げながら同時にトルクを落としてゼンマイのリリース時間を調整しているわけですね。
 所で右側の「マクレラーレン」に付いている小型ゼンマイも一見略同型の同一機構に見えますが、実は空転ギアは増速ギア(小径のピニオンで受けて同軸大径のスパーで出力する)ではなくて、ゼンマイ軸の大スパーの力をその先のクラウンギア軸へ伝えるだけの単なるトランスファーの役目をしているに過ぎません。パワーの弱い小型ゼンマイでは3段の増速ギア比は不適切で増速2段で十分だったのでしょう。所がこの増速2段で空転装置を組み込む機構はこのままではちょっと厄介な事になります。下の図を見てください。

 左の図の上は通常の100円キットのゼンマイシステム。下はこのミニセブンシリーズのゼンマイシステムです。中央にある空転用ピニオンギアに、径の大きいスパーが付いていないミニシリーズのゼンマイは、1個のピニオンの直径の両端で入力と出力のギアと連接しなければならない為にスパーによる逃げのクリアランスが取れず、空転用ギアのシャフトは出力側のクラウンギアと干渉してしまいます。そこでこのキットのゼンマイでは問題のシャフトをクラウンギアに達する前にカットし、その部分でシャフトの下端を保持する為のプレートを追加する必要がありました。上記の写真で車軸の付け根に見えるプレートがそれで、両側に突き出た2枚のツメで支えられています。
 このゼンマイシステムは非力な故に、スパーギアは1枚少ないものの、組み立てに要する手作業の工程は、逆に100円の汎用ゼンマイよりも多くなっているわけです。このジレンマは、後にクラウンギア自体に空転機能を持たせてギアの数を減らした次世代小型ゼンマイシステムが出現するまで続きました。
 それにしてもメーカーにとってこのゼンマイシステムの原価は一体いくらだったのでしょうか。
 素晴らしいプロポーションを見せるキットのボディー部分。価格が価格だけに風防は一体型です。コックピットも当時お約束の「入浴タイプ」で、ドライバーがあたかも胸から下がお湯につかっているように見えるレリーフ表現ですが、50円キットとはいえドライバーの頭部は別部品にしている所にセントラルモケイのこだわりが感じられます。
 後ろに見える部品は、手前から「前輪用スペーサー」「ホイール」「ネジマキ」「ドライバー頭部」です。
 キット添付のデカール。このキットは王国入手以前に倉庫の雨漏りやら何かで一部冠水し、キャラメルボックスも糊が剥れていたほどの状態で、当然最も水分に敏感なデカールはかなり劣化していました。しかし、シェルやモービルのスポンサーロゴは、50円クラスのおもちゃキットには不釣合いな程のクオリティを持っていますね。少しでも原価を押さえたいはずの価格帯の商品であるにも拘わらず、このキットにリアリティを付加する為にセントラルモケイはデカールを同梱する事に躊躇しませんでした。
 M6A、即ち’67年のカンナムグランプリ出場時とするなら、先に言ったようにCかDのゼッケンにして欲しかった所ですが、カンナム以外で実車がFを付けた事実の有無については良く分からない為、このナンバーを必ずしも否定するものではありません。何よりその事実すら、王国が認識したのがこのキット発売から30年以上経ってからなのですから、それは当時の子供達にとって、微塵も短所で無かった事だけは確かです。
 キットのリアリティに貢献するもう一つの重要な要素「ドライバー」の頭部です。兄貴分に当る「チャンピョンシリーズ」に共通部品として付いていた1/32のドライバーの頭部は前後2分割でしたが、「マクラーレン」のドライバーは一体成形です。こうしてみると、当時ミリタリーフィギュアですらピカソの「泣く女」風モールドで済ませていた時代にセントラルがフィギュアに傾注した努力が伺えます。驚異的モールドを誇った「チャンピョン・・」のドライバーに較べれば見劣りがするものの、カンナムのサーキットでモンスターマシンを駆るデニス・ハルムの緊迫した表情が伝わってくる・・・と、メーカーはそこまで確信犯的に造型したわけではないでしょうが、少なくともエンスーなマニアのそんな思い込みにも耐えられる程の迫真の出来である事は間違いありません。タミヤのMMシリーズに先んじる事数年、1/40というスケールでこれだけの表情をインジェクションしていたメーカーがあった事は驚きでもあります。

キットのキャラメルボックス側面に印刷されているミニセブンシリーズのラインナップです。No.1は「ニッサンR381」そしてNo.2は「トヨタセブン」で、No.3が今回紹介した「マクラーレンM6A」となります。

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