沖縄・染色工芸の歴史
沖縄は、1879年【明治12年】の廃藩置県により沖縄県として日本に編入されるまで、「琉球王国」という独立国家でした。実に450年にも及んだ王国時代には、中国や朝鮮、東南アジア諸国、日本をはじめ世界の国々との交易を積極的に進めており、その中でさまざまな文化が取り入れられたことで、15世紀後期より18世紀にかけて琉球固有の工芸品の数々が豊かに花開きました。
しかし、その琉球王国にとっても豊かな時代ばかりではありませんでした。1609年に薩摩の島津氏に征服された琉球はさまざまな制約を受けることとなり、八重山諸島では、1637年に琉球王府によって「人頭税」という重税がかせられました。それは、15歳以上50歳未満の男女が納税義務者として、主に男性は米、女性は上布をおさめさせられるというもので、250年以上を経た1903年にやっと廃止されました。
八重山の貴重な伝統工芸である染織物は、このように税として徴収されたばかりでなく、1945年【昭和20年】の沖縄戦においてはその他の数々の文化遺産とともに一夜にして灰になってしまうほど、過酷な歴史を経てきています。しかし、決してわが身を飾るために織ったものでなかったにしろ、不思議に爽やかで美しくすばらしものです。なお染織物に用いられた図柄は「御絵図帳」として現在に伝えられており、また八重山博物館、沖縄県立博物館、日本民芸館などで、実際に見ることができます。
時が移り、目まぐるしく変わりゆく激動のなかにあっても、女性たちの手仕事は消えることなくひたすらな世界をもち続けています。困難ななかにあっても島の伝統文化を営々と守り続けてきたことが、未来への光となり希望となるに違いありません。