先人達の織物

「民芸の島」といえる竹富町は、暮らしと自然がバランスよく調和した島々でその中から織物は生まれました。生活文化に根ざした染織の品は自然の中より涌き出たとも言えます。長い歴史の中で、衰退した時期もありましたが、先人達の情熱と良き指導者により技術の継承育成があり、今に繁がっています。

竹富芭蕉布

麻.絹布

思い布三種

■竹富芭蕉布■

芭蕉布は沖縄を代表する夏衣の一つ、昔、糸芭蕉は各島々で栽培されていた。階級や男女の区別なく愛用された美しい布である。“海ざらし”で仕上げるのはこの地域独特の伝統的なものである。

白花シュハナ

竹富島の代表的な芭蕉布で祭事用に、芸能の中に使われ絣や縞などには木綿をあしらっているのが特徴。素朴な柄行で、すがすがしく、島人に最も愛用されている。

絹芭蕉布

近年この地域には養蚕があり良質の繭が生産されるようになった。新鮮な繭から素朴な方法で引きだされた生絹が芭蕉の糸と出会いよく馴染み、より爽やかな布が誕生。

皮芭蕉布

竹富町の豊かな素材を生かした新しい布。糸を含んだままの芭蕉の表皮のみを削ぎ、海でさらして自然乾燥し糸にする。絹や麻などを経にザックリと織り込む、透明感のある風合いはインテリアに生きる。

  

■麻・絹布■

衣のはじまりが紙への捧げ物であったように島では今尚、白無地は司の衣として織られる。帷子(かたびら)の一種。太めに紡いだ芋麻の糸にはしなやかな力があり、様々に用途は広がる。また、絹布はあ、桑を育てるのに適し、蚕の飼育にも申し分けなく艶やかな糸が生まれ、極上の布になる。

グンボウ(交織)

経糸に木綿、緯糸に芋麻や芭蕉を入れる。良質の木綿は着心地と使いやすさにきた。素朴な縞や格子柄が特長で島々で最も多く織られている。

八重山上布

琉球王府時代、人頭税が課せられ八重山の女たちが御用布として上納した。この歴史的背景は結果として八重山上布の発達を促すことになり、今日、文化遺産として継承され県・無形文化財、国、伝統工芸産業の指定になった。芋麻の手紡ぎで白地に多種多様な絣が特長。

絹布

亜熱帯という気象条件が艶やかな桑を育て、蚕の飼育に好条件となっている。更に丹精こめての繭から糸を引き、草・樹。花・実などで染め上げる。この純度の高い地糸で織り上げた布は極めて特色深い。

■思い布三種■

ミンサー帯

ミンサーとは木綿の細帯のことでその語源は明確でない。経餅の模様に思いを託し「いつ世の」ミンサー」と呼ばれ、男女の情をつなぐ帯として伝承さあれている。なお、地域によって異なった歴史的背景があり、その経路や技法にも特色がある。1989年〔平成元年〕八重山ミンサーとして、八重山上布と共に国の伝産指定となる。

思いの手巾(テイサジ)

サジとは一枚の裁縫されない布地のことで、表の発生とかんがえられr。手巾は姉妹(オナリ)が兄弟に旅立ちなどの際に贈るもので、その布には霊力が宿り魂を守るとされた。これには女の心情をも表す花染ハナズミ手巾・花織ハナウイ手巾と二種の技法がある。

ひじりうちくい

「ひじり」とは竹富島のヒジリ〔焦げる〕の意と伝えられ、焦げるほどに濃く染め込んだ布(サジ)を二枚合わせて花嫁の「かぶりもの」とした。島ではうちくい(ふろしき)やスデイナ〔衣装〕などに使われ、濃藍で染めたマン・ヌ・テイ〔蜘蛛の手〕の玉模様の餅が広がりのあるおおらかさを感じさせる。今では素材にも展開があり用途も広がっている。

 

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