ワラものがたり 猫つぐら誕生
初夏の陽が焼け、地上につきささる。畔を歩きながら稲の育成を見、水の量を調整しながら歩く。汗が首筋を伝い胸に流れ落ちる。暑さとは別に、頭は冷めていた。
偉左武は、思案している。藁製品の修復や継承、新しいものの開発など、豪雪の地での冬仕事にと、昔は必要なものを藁で作っていた。
ぞうり、わらじ、つっこ、みの、つぐら、なべしき、たわら、なわ、むしろなど・・・利用価値が有り、扱いやすい素材なので多く生活の中に溶け込んでいた。「農耕生活」がはじまり、人が一定地域に住めるようになって、藁も活用されだした生い立ちが有る。先人たちは、藁の特性を活かした製品に工夫と知恵を加え、技として磨いてい
る。偉左武は藁製品、細工などを趣味とし、また日常使うものを手がけている藁の持っている強靭さ、手で作る温もりが好きだった。特に生活用の藁品は、実用性が求められ作られてきた事で、着色や装飾はされず、かえってその事が藁の存在を光らせる。藁品の美しさは藁自身が持っているとつくづく思うのである。その美しさに目を奪われる。
急速な経済の「成長」で、様々な製品が開発され「手軽」「便利」などをうたい、使い捨て消費生活の渦が加速してしまう。手間暇かけるのは効率が悪いと敬遠されてしまった。稲を作っている地域であるが、世の渦に巻き込まれ、藁製品の活用が薄れ消滅状態になっている。「転作」や減反で稲作が減っている事にも起因する。藁製品の製作は、主に12月〜3月の冬季期間の仕事だ。テンポの早い経済の中では、手仕事では・・・競争に勝ち抜くのは難しい。藁の持つ良さを知っても、新しいものへと人々は行ってしまう。ふっと。
藁の良さや活用は「どこへ行ってしまったのだろう」と思う事がある。畔に咲く花を踏みそうになって足を止め、われにかえった。額の汗を拭きながら、目を遠くにはこぶと千曲川の川面が陽に映えまぶしい。俺は代々の百姓だ。親父について稲作を始めた頃は藁は米を作ったあとの残り物とばかり思っていた。独り立ちして稲作りに取り組み出してから、米と同じに藁の大切さ
を知った。天井に目をやり藁の文字を書いてみた。目を閉じ「藁」の字を何度も何度も書いてみる。はっと目をあけると同じに跳び起きる。「木より高い草」漢字を分解すると、草冠に高いと書きその下は木だ。日常生活の中にしっかり根をはり、恩恵をもらっている藁は、米にひけをとらないくらい価値のある材料として扱われてきたのだ。「木より価値の高い草」と読める。この冬こ
そ、と意を強くした。藁を使って「新しいものに挑む」ことは、自分達の地域にある暮らしや伝統を無視しては成り立たない。地域が持っている生活技術を見直すことで方向が見えてくるだろうと、地域で伝承されたきた藁製品の掘り起こしをしようと準備にかかった。田舎仕事の合間をさいてこの地域にある藁製品を探しまわった。稲の刈り入れも終り、初雪の季節になった頃、
すすぼけたツグラが見つかった。ツグラとは乳児を入れた固定しておく容器である。作られた時期は定かではないが、その作りは驚くほど確りしたものであった。「母親が、子供に乳を含ませるときに寄り掛かっても、大丈夫なように形が変らない強さがいる」と祖母が話していたことを思い出した。ツグラに出会って以来ツグラを眺め、触り・・・にらめっこの日々がつづいた。「何か
作りたい」気持ちがフッフッと体中に満ちあふれ、動き出した。近くに居る雅彦とも相談した。「何か作りたいがイイ知恵はないか」「猫の住む家のようなものはどうか」「猫の住む家?どんなものか」「雪のかまくらのような形をしていたな」「ツグラに屋根をつかるのか」など、話し合い作ってみることにした。
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