泣く子も黙る丑三つ時。ふと嫌な予感がして、意識は簡単に戻ってきた。

 その予感が当たったのと、壁際に向かって横向きに寝ている自分の背後に誰かの気配がするのに、体が震える。



(…何か視線を感じる……)



 じいっと見られているような気がする。否、気ではない。確実に誰かいる。

 戸締りはしっかりしたはずだ。入ってこれる所なんてどこにもないし、窓を割ったならその音ですでに自分が起きている。

 一瞬、あっちの住人かとも思ったが、それにしては気配が現実味を帯びすぎている。

 どうやって入ったのかはわからないが、このなんともいやらしいような視線はかなりの確率で痴漢だろうと悟った。



(まずいな…わし一人では逃げられん)



 そう思った瞬間、貴重な存在を忘れていた事に気が付いた。



「…楊ゼン」



 起きてくれ!
 

 しかし事態は妙な方向へと展開した。













「はいV」



 犬ではなく痴漢だと思われる背後の人物が返事を返してきたのだった。しかも距離が異様に近い。
 
 驚いて振り向くとそこには。



「すみません、起こしてしまいましたね」 



 透き通るように蒼く長い髪を優雅にかきあげ、整ったまさしく二枚目の顔は甘く優しく微笑ませて。

 自分の隣に当然、といったように肘をついて横たわっている(堂々とベッドの中に入ってきている)………素っ裸の男が、いた。



「………………!??」



 太公望は、一生懸命フリーズしかけた脳を再起動させて、今現在のこの状況を分析した。


 落ち着け落ち着け。ここは確かに自分の部屋であって、あやしいラブホテルなんかではない(その前に、わしは男だ!)。しかも、こんな美醜に疎いわしでもわかる一度見たら忘れられないほどの美形の知り合いははっきりいっていないし、わしの家系の顔でこんなのは生まれるはずがない。じゃあ、やっぱり……


 そんな考えをめぐらせていたその時、突然首筋に何か暖かいものが這ってきた。



「ぎゃっ!」



 男の熱い舌が、まだ稚い造りの太公望の輪郭から首筋へと這ってきたのだ。

 その愛撫は、太公望の躰中にゾクゾクしたものを感じさせた。

 飛びのいて逃げた先にあるのは、絶望的にも、硬い壁。打ち付けて無機質な痛みが背中に走っても、今はそれを気にしていられる状況ではなかった。

 何故逃げるのかと、近付いてくる男を見て、やっぱり痴漢だ!と本気で怯える。



「さっきは、全然嫌がらなかったのに…」

「何を言っておるっ!来るな寄るな触るなっ!この、痴漢━━━ッ!」



 そう叫びながら枕を手に取り全力で叩きつけても、全て逞しい腕一本で防御されてしまう。



(か、かなわない…!)



 するといきなり片手を捕られた。さらにまずいと思って引こうとするが、強い力で握られていてそれは不可能だった。

 男の瞳から視線を逸らさず睨みつける。最後の抵抗のつもりだったのだ。

 それは思った以上に効いたようで、力は緩められ顔もしゅんとしたものになった。

 しかし太公望は、そんな彼の顔に、何故か既視感を覚えた。どこかで見たような気がする、美形が台無しの情けない顔。綺麗な珍しい、紫の瞳━━━━━



「師叔?」



 男の態度から、もう攻撃も変な行為もしてこないと悟った太公望は、ゆっくりと思うままを口にする。



「わしはおぬしを…否、おぬしのその瞳を、どこかで見たような気がするぞ……」



 男はそんな太公望の言葉に目をぱちくりさせながら、数秒後、ああそうか、だからか…とまた顔に優しげな微笑みをうかべた。



「まだ気付いていなかったんですね。でも僕としては、一日に二度も痴漢と間違われるのは御免被りたいんですけど」



 一日に二度痴漢と間違えた?

 頭の記憶を探っても、ひとつの事しか思い浮かばない。



「拾った犬を痴漢と間違えてはいたがのう…」

「それ、僕のことですよ」



 そう言うと彼は、その端正な顔をぐいっとこちらに近付けてきた。



「あなたは今日、こんな瞳の色の犬を拾ったでしょう」



 促されるまま無言で頷く。

 だって本当にそうだったのだ。

 忘れられないほど綺麗な珍しい紫の瞳がそこにあったのだ。



「僕の名前は、『楊ゼン』ですよ。あなたにさっきつけてもらったばかりの……」

「……何を…言っておる」



 そんなことありえない。

 しかし太公望の頭の中では最大級の混乱が生じていた。

 もし本当にそうならば、つじつまが合いすぎるのだ。


 痴漢の話。

 わしのあだ名。

 彼が言う、わしにつけられた名前『楊ゼン』。

 そしてその他に一つとしてない、美しい瞳…。


 ついに観念した太公望は、その大きな瞳をさらにまんまるくして口をぱくぱくと開けながらやっとこさその名前を呼んでみた。



「おぬし、まさか、本当に…楊ゼン?」

「はいV師叔Vv」



 …この反応の速さ。

 嬉々とした表情で応える彼の言うことに、もう疑いの念は消えていた。

 誰がどう見ても人間の彼は、今や太公望にはさっきまでそばにいた犬と同じにしか見えなかったのである。

 それにしてもここまで面影がダブると、嘘だと思うどころかどうして今まで気付かなかったのかと不思議にさえ思うほどなのだ。



「僕はね師叔、突然変異で生まれた犬なんですよ。夜の12時を境に、一晩中人間の体になってしまうという特異体質なんです」



 夜が明けたら戻っちゃうんですけど、とか言いながらまたまた懲りずにあやしい手つきで肩に触れてきたのを振り払い、考えること0.5秒。

 太公望はしみじみと、それでいて冷たく彼に言い放った。



「すまぬが、わしは『犬』を泊めたのであって、おぬしを泊めたわけでは…」

「駄目ですよ」



 しらを切って不埒な特異犬を追い出そうとする太公望の言葉を、甘くも強かな口調で遮る。



「あなたは僕に約束したじゃないですか。あなたの同居人が帰るまで、僕をここに置いてくれるって。だから僕は、ここからは何があっても出て行きませんよ」

「あのなぁ…」

「だって師叔、」



 呆れた声を出した太公望のその唇に、ふわりと暖かい感触。自分と同じ━━━しかし男らしいそれが、優しく重なった。

 そして、今どき恋愛映画でさえ言わなそうな甘ったるい決め台詞が、さらさらと落ちてくる彼の髪とともに降ってくる。



 僕はあなたが、好きなんです…。



 完全に固まってしまった太公望には、その後続いた彼の口付けから逃れる術はなかった………。














to be continued…


何なんだ、この二人は…;
馬鹿ばっか〜(死)信じるの早すぎ…。
しかもまた変なところで切れている。最低。
「今日一日で〜」って、日付変わってるやんか!まあ、そんなツッコミはほどほどにして。
まだ続くみたいです。これからの二人か………。
こんな二人ですが、楽しんで読んでくださっていれば幸いです。