「じゃ、また明日さ、スース」

「おう、ではな」



 崑崙大学からの帰り道、いつもこの同じ場所で同じ言葉が交わされ二人は別々の帰路へとつく。

 一人は崑崙大学一年の黄天化。そしてもう一人は同じく崑崙大学一年の太公望である。

 この二人、並んでいて後ろから見ると、親子のように見えてしまう。しかしそれは天化が大男だと言っているわけではない。太公望が小さいだけなのである。

 太公望は頭が良い。昔からよく親代わりの祖父に秀でた頭脳の持ち主だ、お前に出来ない事はないと言われ続けたぐらいだ。それも単なるオヤバカ…いや、ジジバカではない。現に太公望は中学校もそこそこに高校を飛び級してわずか14歳で大学に入ってしまった。それ故、太公望の体は年齢相応に育っているだけなのだ。

 ここから太公望の家まではもう数分で着く。しかし長くかかってしまった研究のせいで夜も更けきっているため用心しながら家へと向かう。

 というのもここ最近この辺りで痴漢が出没しているという噂を耳にし、つい先日には男である自分自身が不本意ながらも襲われかけてしまったのである。「襲われかけた」…というのは、ちょうどその時天化が「あんたの見かけじゃ危ねぇさ」とさっき別れた曲がり角まで一緒にいてくれたおかげで、彼が痴漢をノックアウトしてくれたからだ。

 その時は一安心だったが、最近また新たな痴漢が出没しているらしい。しかも今は完全に自分一人だ。そいつに組み敷かれでもしたら抵抗してもしきれないだろう。だからこそ、早く帰ろうと自然太公望の足は早足になっていた。
 
 …だがしかし、太公望の背後にはまたも不審な気配が近付いてきていた。

 酷く興奮しているような荒い息遣いが、太公望の細い肩を一瞬震わせる。

 だんだん怖くなってきて、早足が駆け足になるのには、そう時間はかからなかった。

 そして、ようやく家の明かりが見えてきたと、ほっと気を抜いた瞬間━━━

 背後から、何かが圧し掛かってきた!



「ぎゃ━━━ッッ!!!」






















 家の前の電灯の明かりの下で、太公望はしゃがみ込んでいた。

 ━━━彼の目の前には、くうんと目を細めて毛がふさふさの体を擦り付けてくる一匹の犬。



「痴漢なんぞと間違えてすまんかったな」



 よしよしと頭を撫でれば、元気にしっぽを振ってそれに応える。大型のややおっとりとした感じのする犬だった。

 しかしいつまでも離れようとしないその犬にかまっていると家に入れないばかりか本当に痴漢が来たら大変だと思ったので、少しかわいそうだが強引に引き剥がした。

 すると今度は太公望の周りをぐるぐると回りだしたので、ほとほと困ってしまった。






















(…どうしよう;)



 ここは太公望の家の玄関前。

 ドアノブを掴みながらうーんうーんと唸って悩んでいる事は、一つ。



「何故ついてくるのだ〜…」



 そんなにわしが気に入ったのか?と問うと、言葉が解ったかのようにまたぶんぶんしっぽを振る先刻の犬。



「出来る事なら、飼ってやりたいよ。わしだって兄弟も親もおらんからさびしくてのう…」



 本当に、太公望は昔から犬や猫などを飼いたがっていた。家に帰れば祖父と二人きりだ。彼とは別段話すこともない。勉強なんてする必要もない。眠りにつくまで大学の研究のことについて考えていても、暇だと自覚してしまうと途端に寂しさや孤独感・欠落感に襲われるのだ。そして、飛び級友達の申公豹の飼っている猫に触れた時、その優しいような懐かしいような暖かさに感動した…自分が求めているものとはこれなのだろうかと思ったほどに。それからずっと、動物を飼いたいと祖父にお願いしていたのだ。しかし彼はいくら言っても頷いてはくれなかった。そして何百回は言ったであろう、こちらもだんだん意地になってきたその時、彼はそのわけを初めて話した。

『わしは、動物は苦手なんじゃ』

 苦手と言うより、動物アレルギーだったのだ。



「…まあ一応、育ててもらった恩義というものがあるからのう。すまんな、おぬしとはここまででお別れだ」



 そう言うと、くしゃっと頭をもう一度撫でて意を決したように少しだけドアを開ける。自分が入ったらすぐに閉めて犬が入ってこないようにするためだ。

 しかしそれは失敗に終わった。一瞬の隙をついて家の中に犬が入っていってしまったのだ。



「げっ!待て待て!!…って、……え?」



 内玄関を上がってすぐの所に犬に踏み潰されぐしゃぐしゃになった一枚の紙があった。

 そこに書かれていたこととは………

『老人会の皆とハワイへ行って来る。いつ帰るかわからない。家のことは任せた。━━━元始』 

とのこと。つまり、今日からいつまでかわからない数日間、太公望はこの家に一人で暮らさなければいけなくなったのだ。

 犬はその状況を理解したらしく、家中走り回って大喜びしている。その横で、太公望は何事かをブツブツと呟き続けていた。



「…出掛けるなら、消灯・戸締りぐらいしておけ…しかも、ついこの前痴漢にあったばかりのたった一人の可愛い孫を置いて、自分はハワイでゆっくり遊楽とはな……」



 帰ってきたら覚えていろ…と額に青筋をたてながら拳を握り締める姿は、はたして怖いと思わない人がいるだろうかと思うほどのものだった。

 その剣呑な雰囲気を見て心配そうに太公望の袖を引っ張る犬は、こういう時だからこそ出会ったのではないかと何だか安心させてくれて。



「よし、あのジジイが帰ってくるまでおぬしもここに住むか?」



 一人では寂しいし。

 自分に言ったのか、犬に言ったのか。

 それは誰にもわからなかったけれど。

 とにかくとにかく、犬がそれは嬉しそうにしっぽを振るので、太公望はそれを諾、ととったのである。






















 部屋に入った途端、ベッドに勢いよく飛び込んだ太公望は、心地良さそうに丸くなる。それは何だか、猫がする動作に似ていた。

 …どうやら相当疲れたらしい。

 そんな太公望の横目に、所在無さ気に見つめてくる犬の綺麗な珍しい紫の瞳が映った。

 情けないようなその顔に思わず笑みが零れる。



「あれだけ乱暴に人の家に上がっておきながら…。ほれ、一緒に寝るか?」



 そういって布団をポンポンと叩くと、犬はまた嬉しそうにわん!と一鳴きして、太公望が被っている掛け布団の中にもぞもぞと入ってきた。

 ぺろぺろと顔を舐められるのに、くすぐったいような、懐かしいような感情が沸き立つ。

 太公望は、今度は自分が動物のように犬の暖かい背中に擦り寄った。

 すると、呼びかけようにもその犬には名前がないことに気付いた。



「…何か良い名前はないかのう……」



 周りを見渡すと、枕元に一冊の小説があった。中身は、中国ン千年の歴史の中の、ひとつの伝説の話である。

 自然と開かれたページの一番最初に出てきた名前は、“楊ゼン”だった。



「ふむ、楊ゼンか…わしはあまりこやつは好きではないのだがのう…。まあ、良いか」



 太公望はまた布団の中に潜って、“楊ゼン”の背中に寄る。



「“楊ゼン”。おぬしの名前は、楊ゼンだぞ。それから、わしの名前は太公望だ。皆からは『師叔』と呼ばれておる。覚えて…おけよ……」



 そう言ったのを最後に、太公望は安らかな寝息をたて、意識を遠くへ飛ばしていった。

 これから何があるかも知らずに━━━……… 












to be continued…


はーい。なんでしょうコレは…。初めてのシリーズモノです。
ていうか…今の時点ではコメントのしようがないのですが…。
相変わらず、めっちゃ早い展開で読みにくくてわけわかんなくて申し訳ないです。
まぁ、続く、ということで、続きを読んでくれるという素晴らしいお方がいらっしゃったら、嬉しいです。
しかし、最初だけ読むと、てんすーっぽいですね(爆)