「ねぇ、そこの人!何やってるのー?」
民家の軒先で桃の木から良く熟れた美味しそうな実を自分の下へと落とそうとしている少年がいた。
彼は棒で木を突っつく作業を一旦止め、暫し惚けたようにこちらを見つめた後、ふう、とひとつ溜め息をはいた。
「見てわからぬか。わしは桃泥棒だ」
そばにいてほしい、いてあげたいと思う「誰か」の前からいなくなったのは、もう3年も前のことになる。
あの時、自分とは対の、影の魂と融合したのは、それでも彼に会いたいと願ったからだ。
たとえ憎まれても。もう一度、あの『蒼』をこの瞳に刻み込むことが出来たなら。
その後はもう、殺されてもいい。否、殺してほしかった…彼の手で。そう思った。
そして予想どおり彼は憎しみの篭った冷たい瞳を向けてギラギラ鋭く光る宝貝をこの自分の首筋にあてた。
ああ良かった。
最後まで、おぬしの心をわしでいっぱいにすることが出来た。…それは愛情とはかけ離れた、憎しみという感情だったけれど。
今までありがとう。そして、すまなかった。
しかしその願いは叶えられることはなかった。先に目の前にいる最大の敵を倒さなければ、という話になったのだ。
それもそうだ、この身体も心ももはや『太公望』のものだけではないのだから。
…でも
『今のあなたは王天君というよりも太公望師叔に近い』
彼はどんな気持ちでそれを言ったのだろう。
ふと考えたが、その答えはやはり自分の期待するようなものは決して出ない気がして、やめた。
━━━そして、女禍が最後に放った閃光に呑まれ、再び取り戻したばかりの身体は崩れていき━━━
彼の前から、姿を消した。
「だが皮肉にも、まだこうして生きている、なんてのう…」
あんなに忌み嫌っていた女狐に助けられるとは。
これは、どんなに苦しくても辛くても生きている、生き続けて自分が導から解放した未来を見続けることが己の犯した大罪への償いなのだということだろう。
何時ぞやの仲間が言っていた言葉を思い出す。
『甘えは許さねぇぜ』
本当にその通りだ。
彼を忘れたくて、それでも忘れられなくて、ならばこの身体も心も消えてしまえばいいと思ってもそれすら許されなくて。
「手厳しいのう。…ま、仕方ないか」
ふう、とまたひとつ溜め息をはいて、先刻盗んだ桃にかぶりつく。
それは酷く甘く熟れていて。それだけで、あの頃の甘やかな他愛もない思い出が蘇ってきてしまう。ああもう、と空を見上げてみればそこにはまた忘れたい筈の『蒼』が果てしなく広がっているし。
…つまり、逃げられないのだ。この想いから。何を見ても何をしていても思い出してしまうほど。
そしてその想いの行き着く先はやっぱりひとつ。
「…会、い、た…い……」
一文字一文字確かめるように呟く。ゆるゆると閉じられた瞼の端からつ、と暖かい雫が零れ落ちた。
会いたい。それはあの時からずっとずっと思っていたこと。でもそれでは償いにはならない。それに、会って以前の関係に戻れるかといったら保障はないというより寧ろ確率0だ。なにしろ、自分がどんなに彼を愛していても、彼にとっては自分はもう殺したいほど憎い存在でしかないのだから。
そう思うと、どんどんどんどん涙が止まらなくなってきた。涙腺が緩いのは老いているからだ!と自分に言い聞かせながらそれをごしごしと手で拭って、ぱち、と瞳を開ければ、何時の間に辿り着いたのか、そこは。
二人が最初に対峙した、あの場所だった。
てくてくてくと歩いてみる。あの時と同じような快晴。確か、妙な気配がして四不象と一緒に振り返ったら、女狐に化けた彼が不敵に笑ってこちらを見据えていたんだっけ。
思い返しているうち、それとまったく同じ気配が後ろに感じられて。
立ち止まろうかとも思ったが、知らん振りしてまたてくてく歩き出す。
そうしないと、人違いも、嬉しさの思い違いもしたくなかったから。
もしこの胸がまだ僅かに期待している答えを持っているなら呼び止めて。
寂しい自分が生み出した幻なら早く消えて。
━━━だがそれは幻などではなく。
静かに、優しく名を呼ばわったのだ…桃より何より甘い声で。
「太公望師叔。…会いたかった……」
そう言って後ろから抱き締めてきた彼の腕に、幾つも幾つも雫が落ちた。
このぬくもりは、本物。そのことが、先刻までの不安も寂しさも痛みも全部何処かへと追いやってしまった。
…これでは罪など一生償えぬな。
*END*
「後日談・太公望side」です。
サムいです。なんだこのペラい話は。
こんなの師叔じゃない!希瀬は自分にキレ気味。もう駄目気味(死)
ただ、私が考えてる後日談っていうのは、もっとたくさんあります。
フジリューがあんな終わりにしたのも、あとは勝手に想像してくれと、わざと後の話への道の本数を無限大にしたんだと理解(曲解)してるんで。
封神同人家の人達に限らず、それを読む人達も、それぞれの後日談を考えていて、またさらにそのうちの一人の人の中でたくさんある…。
だからこれもまた、その無限大の可能性のうちの一つだと思ってもらえたら、幸いです。
しかし歯切れの悪い話だ…。