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鑑賞日記 テレビ雑感 

東京国際女子マラソン 00/11/20記 

東京国際女子マラソンを見た.今回の大会は来年の世界選手権の選考会を兼ねているとのことである。選考基準は2時間26分を切って,日本人トップというはっきりしたものだった。

公式HPより 左、土佐礼子・
右、チェプチュンバ


あれだけシドニー五輪で選考が問題になったもんだから陸連も議論の余地のない基準を出してきたようである.

それはともかく,スタジオ及び現地レポーター(中継者に乗っている人)
やランナ-同士の人間関係などに今回面 白みがあった気がする.

スタジオ内は実況以外に解説の増田明美とゲストの高橋尚子中継車には谷川真理がいてそれぞれの世代の代表的なランナー集結という感じであった.


高橋尚子は衣装にしてもヘアメイクにしてもほとんどアイドル並のいでたちで,増田明美と季節が違う所にいるんじゃないかと思わせるほど肌の露出があった.(ノースリーブなだけですが)

高橋の発言で面白かったのは,レース終盤のあたりで「みんな輝いていますね.…私も輝きたいです」十分輝いたばかりだろうと突っ込みをいれたくなるような事を言っていた.

谷川真理は増田の声のトーンに比べるとオクターブ違うというほど高くなにか面白いおばさんという感じのキャラクターにうつってしまっていたように思う.(けっこう好きですが)NHKのレポーターなどにも出ていてTV慣れしているのは増田明美らと変わらないはずなのに,谷川は妙にトーンが高い.中継車で正解の配置であったようだ.

あと,小出監督の次女正子さんが出ていた関係で,監督の登場もかなり多かったように思う.監督の周りはカメラを抱えた報道陣などもいて彼も一人の出演者のような扱いに見えた.正子さんも自己記録を大きく更新して小出ワールドはますます強固なものという印象も.

レースの中心はシドニー五輪銅メダルのチェプチュンバと土佐礼子によって展開されたが,何となくそれ以外の事がいろいろと気になったマラソンだった.

めちゃ×2イケ「笑わず嫌い王」 00/11/21記

今年で三回目となるめちゃイケの中でも僕の好きな笑わず嫌い王であった.

この企画はもちろんとんねるずの番組のパクリではあるが,そんな事はいいのである.(たしか2年前の初回では,岡村が石橋貴明に電話をしてお許しをもらったというようなことを言っていた気がする)
普段何気なく見ている芸人さんもなかなか見れない芸人さんも一緒くたにでて視聴者にはありがたみが増すような構造があると思う.今回は前編・後編と分けられて一週おいて放送されていた.

ゲストになにか一定のパターンができつつある.初回のときはスマップ二人であったが、二回目以降は若手女優とお笑いに詳しい(どちらも比較的ということだが)オネエ様という組み合わせである.去年の飯島直子がお笑いに実はあまり詳しくなくゲストとしてふさわしくないという感じすらしたのであるが,今回の釈由美子もふさわしいとはいい難かった.(飯島直子は映画の宣伝という名目があった気がするが,釈由美子はなぜという感じである)岡村は本気で釈に突っ込んでいるような印象も受けた.

いくつか気になった点を.バカルディの名前変更というのは本当なのか.これだけ浸透した名前(たぶん)なのにいきなり季節感のない名前になっていたとはよく分からなかった.番組内だけの名称というわけでもないようなので,本当だろう.

テントさん(ここより拝借)


テント(上岡龍太郎の弟子)さんは面白かった.ちょっと似ているという事では,MR.オクレを思い出した方も多いのでは.

あと、この番組はいつも収録時間が遅いような感じもする.(矢部・岡村の会話などから分かるのだが)ネタの練習は楽屋に来てからやるのかな。


(追記)バカルディの名前変更は内村光良が「気分は上々」という番組での罰ゲームとして改名させたというようなことらしい.来年(2001年)春までの期間限定らしいが,事情を知らないものには訳がわからない.「冬なのにさまぁ〜ずって」三村の突っ込みが聞こえてきそうな感じである.

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鶴瓶の家族に乾杯(ゲスト・加藤茶) 00/11/25記

久しぶりにこの番組を見た.さだまさしと鶴瓶が共演していたころ,何回か見て面白いと思い、その後ゲストによっては見ていたこともあったが,あまり見ていなかった.
さだまさしが出ていたころは(五、六年前だろうか)二人が落ち合う場所を決め,さだがそこでミニコンサートのようなものを開き歌っていたように思う。(この構成が良かった)
最近では,このような最後まで持っていくような構成にはせず,それぞれ出会った人の家族に個別に面談するような形でおさまっているようだ.(産大生の部分は違ったが)

個別に面談する感じのとき,面白いキャラクターが重視され,しゃべらない人はそのまま放ったらかしという感じもする.今回は子供がそうだったような感じ.後,その後のVTRというのはすごい.芸能人でなければ(しかも大物の)ちょっと5分ほど(たぶん)家にきたことに関していろいろと言葉を掛けてもらうということはないだろう.でも自分のところに(しかも家の中にまで)芸能人がくれば,その喜びや衝撃もちょっとやそっとではないかもしれない。

また、加藤茶が取り持って結婚が成立したという例もあったらしい事が今回報告されていた.どんな放送内容かは知らないが,その内容を見て「好きになりました」と手紙に書いて交際が始まったらしい.色々な出会いの場を提供しているようである.

小野文恵さん(ここに行ってクリック
すれば文面の拡大が見られる)


NHKアナの小野文恵さんが最初の方で,サービスショットのような事(温泉に入るところで,浴衣が背中からおちる)をしていた.彼女は笑顔が素敵で,高学歴だから「お嫁さんにしたい女性」のようなアンケートが今あるなら,上位に入るようなタイプである.NHKもこのようなショットを一部の視聴者(私も?)のためにやりだすとは知らなかった.





タモリ倶楽部「Gスポット大研究」 00/11/26記

今回はちょっと大人のメンバーを集めて,女性の快楽ゾーンに迫るという企画であった.ゲスト出演は覚えている範囲で,乾貴美子,水野晴郎,家田荘子,心理学の専門家の方、ハーバード大卒のお笑い芸人(外人)であった.番組は知ってるつもり風で進行するので,必然的にタモリは進行部分に関口の物まねをいれていた.タモリ自ら「関口です」とときおり言うのが逆に面白い.お笑い芸人(ハーバード卒、名前失念)が話していた外国の性教育の話しはすごかった.実際にモデルの男女が来て,あの部分を公開したり,行為を見せたりするらしい.(と話していたと思う)あと,コンドームとバナナを生徒に配って,はめる練習をさせるとのこと.使用したバナナはその日の昼食に出るのが嫌だったとも言っていた。(笑)
Gスポット発見の過程にはほとんどアメリカが関与していたらしいが,その理由はやはり実験台になってくれる女性の存在が大きかったらしい.心理学の先生も日本人の器用さがあれば,やらせてくれさえれば…と嘆いていたように思う.(この先生が一番面白かった)
あと、Gスポットという言い方とGエリア,ゾーンという言い方もあるらしい.これはポイントではなく,しわの多いひだ状の部分全般を指すことからだそうだ。この辺りを話していたときの先生の指の立て方が何かプロっぽくて笑う.
この日の「空耳アワー」は出色の作品があった.痔持ちのおばちゃんの無念の顔とアンニュイな感じのアラビア語(?)の曲がよくマッチ.久しぶりというトレーナー獲得となった.

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テレビチャンピオン大食い選手権「北海道死闘編」 00/11/30記

やっと大食い選手権である.事前に岸義行氏のホームページ「大食いワンダーランド」にてロケが終了しているのを知っていたため,待った.春に新人戦,夏に早食い世界一を見て,待っていたのがこのオールスター戦である。今回は三大スター(岸,赤坂,新井)に対抗する新人たちという構図であった.春の新人戦優勝の岩田美雪や常連の藤田操が出ていないためのこのような企画だと思われる.
今回スタジオゲストが高木美保だったが,優勝したプリンスの応援役としては実にいいゲストだったと思うが、あんなにオネエさまを強調しなくてもという感じもした.(やはりロケの状況を見て、ゲストを呼んでいるのか)ではいろいろ気づいた事を.予選の桃太郎寿司からして,皇帝岸氏が前回の新人戦でアドバイスをした「あまえびがいい」という言葉を皆が守っていたように思う.並木さんなどは空の皿にあまえびの尻尾がいっぱいであった.他の予選通過者もかなりあまえび度が高かったように思う.
第1ラウンドにて,ジャガイモ対決とは素晴らしいメニュー選択.調味料は自由ということで,各選手の個性が出ていた.ホットドッグチャンプの新井氏はケチャップとマヨネーズ、岸氏やプリンス(小林)は食べやすいように輪切りにしていた.ここでの敗者は予想通り(自分としては)予選第3位の女子大生であった.
第2ラウンド、イクラ・うに丼勝負では,鹿間くん(関根さんマネージャー)の実家ということであったが、ほぼその事自体には意味はなかった.(なぜ,寿司通り200軒のうちその店が選ばれたのであろう.ま,少しは映えるが。ちなみに鹿間くんのお父様ははげていなかった.隔世遺伝なのであろうか)
このラウンドでは,実力の差が徐々に現れてきたという感じであった.(並木さんの量がいかにも少ないのは消化が遅いからだろうか)このラウンドで岸氏は比較的とばしていたが,その理由は久しぶりの大食い対決で他のメンバーの力を計っておきたいというようなことを言っていた.(その少し不安な気持ちわかります)
第3ラウンドは予想通りのメンバーになってきたという感じ.メニューはジンギスカンなのだが,ここでの野菜は食べてもカウント無しとか,一皿分を皿に完全に取ってからでないと,次の皿に行けないとかいったルールが混戦模様を作ることになった.野菜を食べてもカウント無しは食べた方が悪いとも言えるが,(一人野菜も一緒に食べていた新井氏はそうでないと食べれないのでと言っていたが)取りきらないと次の皿に行けないルールはジンギスカン鍋のスペースが若干狭いような気もし,事実岸氏は食べるペースに焼き終わるペースがついて行かないと言っていた.全体の総量もそれまでの2ラウンドまでよりも少なかったように思う.このラウンドトップのプリンス(小林)でも19皿。
でもこの日最後の勝負ということで,若干量が少なくなると言うこともあったかとは思う.このラウンドでは、新井氏が落選。今回の新井氏は1ラウンド以外でほとんど良いところがなかった.やはり野菜を食べないとという私生活優先(中村有志発言)の姿勢がいけなかったのか.ところで,このラウンドでは僅差の勝負になったため,全員、食べた総量を1グラム単位まで,明示していた.大阪食い倒れ決戦の5グラムが思い起こされる.
いよいよ決勝であるが,その前にインタビュー。小林,岸は優勝宣言と取れる発言をして互いに牽制していたが,赤坂は何となくまったりとした様子で,「できる範囲で」などと言っていた.
決勝はやはりめん勝負.しかも最近流行りの塩ラーメン.制限時間が去年の決勝(90分)に比べ,若干短くなったがほぼ一緒のルール。(スープは残してよし)例によって淡々とした始まりであったが,途中第3ラウンドあたりから目立っていた赤坂さんの眼鏡の不安定な感じが,ついにラーメンの中に落ちるという結末を迎えた.ふち無しの度の強い眼鏡はそれまでもずり落ちてはあげるを繰り返していたが,スープに浸かってしまうとは.しかし真剣勝負の最中のため,彼女は全く動揺することなく,眼鏡を脇に置く.この部分が僕にとってはかなり印象に残った.また,岸氏が赤坂さんを真似て,割り箸を麺冷まし用に置くと,それに対抗するように割り箸を増やす.このあたりも爆笑だった.
優勝はプリンス(小林)で、達人岸氏が2連覇ならなかったのはさびしい結果だったが,見ごたえあったと思う.それにしてもスタジオに来たプリンスに対しての高木美保は盛りあがり過ぎでは.(プリンスはジャニーズ系かもしれないが,山崎まさよしにも似ているきがした)

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大食いについて 00/12/03記

先日の大食い選手権を見て大食いの状況について書きたくなった.テレビチャンピオンの放送や、大食いのテレビでの扱いのようなものについて考えて見たい.テレビチャンピオンのような真剣な競技としての番組はたった10年前にはこの世に存在しなかった.詳しくは知らないが,たぶん正月特番の企画だとか、テレビ以外の場所では,学園祭のイベント・村祭りの企画などに使われるだしものそれもたまたま出ていたメンツの中でより食べた方が勝ちというレベルのもので,競技とは言えないものだったろう.が現在テレビチャンピオンなどではその出場者を全国に募って真の大食いを探求しようとしているわけである.
で、このような企画に異を唱えるものもいまだにかなりの数いるようだ.曰く,「食べ物を粗末にするな」「食べたものを吐いている(噂の域だが)」「生理的に気持ち悪い」「そんなものに感動を求めてどうする」あたりだろうか。「食べ物を粗末に…」に関しては次の「吐いているのでは」と関連して,またはそれを論拠にして言っていると思われる.「そんなに食べたら食糧自体がなくなるじゃないか」あるいは「必要以上食べるのは悪」という道徳的な事で言っているのだとしたら,それは論外だと思う.誰かどこで食べ物を粗末に捨てているかもちろん分からないしせめて公共のテレビ上だけでもと言う事であったとしても,番組内において吐いている事実,残った料理を捨てているなどと言ったことが明らかでない限り,放送の充分範囲内のことだと思う.「必要以上に…」はまあ個人の腹具合と相談する事で食糧難の時代にはともかく,現状として飢餓が消滅した日本では,個人の食べる量についてとやかく言われる事ではないのはあきらかである。もちろん飢餓の国の凄まじい現状はいまだに見聞きすることがあり,そのようなことを見聞きした後では,少々の疑問符的気分が沸いてくる事はな いとは言えない.が,大食いを責めるのなら,作りすぎたキャベツをトラクターで潰す農家とか,作って一定時間経つとハンバーガーを捨ててしまう某ハンバーガーショップなどを先に批判するべきだろう.その他にも批判すべきはいろいろあるだろう.で,「生理的に…」であるが,大方の人間は自分の許容量を超えて食べた場合の気持ち悪さ,吐きたくなる気分を思い起こしてこのような事を言うのだと思う.がテレビチャンピオンを見る限り,出場選手は己の許容内で食べているのであり,少しそれを超えそうになっても推測ではあるが止めているのだと思う.なので単純に胃の大きさや消化の早さにおいて著しく勝ったもの達であると言える.もちろん番組内の選手紹介部分などで,必要以上にその私生活の大食漢振りを取り上げる事もあるので世間の耳目を引く,「見世物」という要素もいくばくかはある.
次に「感動を求めてどうする」というのは私自身も若干思うことではある.よく物まねの番組で優勝して涙を流す出演者というのがあるが,あれにちょっと似ているのか似ていないのか分からないが比較して見る.物まねはお笑いであり,お笑いである限りそれに熟達する過程がいかに大変であっても涙のラストはどうも…ということなのであると思う.一方,大食いは「そんなに食べてどうする,食費が増すだけだぞ」という大方の視聴者が若干冷めた視点もあわせもちながらも,最後の決勝などではなにかよくわからない感慨が起こるのである。比べて見れば,大分違うようだ.物まねの感動に対する反発はお笑いがなにか最後に感動に到達するというような物語に反発を感じる事からだと思う.に対して,大食いは淡々と量を食べる競技者達が最後にその胃袋の限界に到達しつつ,それだけで良質のエンターテインメントに到達するということにたいしての驚きとまだ存在する「でもそんなに食べてどうする」という冷めた視点の混在だ.それは競技のレベル,白熱度が高まれば冷めた視点が若干消えていくという感じだろうか。
で,結局私は大食いが好きなのだが,それはテレビチャンピオンの番組作り,試行錯誤が今の大食いという新エンターテインメントを切り開いた功績なのだと思う.(って何を真面目に書いているのだろう)

古畑任三郎「灰色の村」ゲスト・松村達雄 00/12/03記
古畑任三郎が好きである.いくつかビデオにとってあるのだが、何となく気になって去年放送のこの回を見てみた.あめくみちこの村人を前にしての開き直りに対しての松村の抜刀シーンや,村人こぞっての隠蔽芝居,あめくみちこの代わりの女性の不細工な感じ,その女性の焼き蛤発言などを見たかったのである.
この回での解決ヒントは「焼酎」と「焼蛤」の読み間違いなのだが,(焼酎と達筆で書かれたメモを渡されたあめくの代わりの女性があまりの崩し字のために焼蛤と認識してしまったというおち)その崩された字のあるメモは具体的に示されなかったのでどんな風になっていたのかは知るすべはない.それにしてもである.焼蛤と焼酎、酎の字を崩して蛤になるのだろうか.右の「寸」は簡略化して,くっつけ気味に書くと,「合」にもしかしたら間違うかもしれない。が,へんの部分は難しい感じがする.全体の雰囲気でそう思ったとしたら,そう思えたのは、彼女が蛤の字を見慣れているのかその村の産地なのかといった理由付けが欲しいところである.
もし単純にそう見えたのだとしたら、他の部分でもかなり読み間違いがあったとしてもしょうがない.とりわけその部分が汚いというのだろうか.岡八郎独特の崩し字があったのだろう.他の部分でかなり面白い回だと思うのだが(夏木ゆたかもさりげなく出ていたなあ),この読み間違いは実物のメモを見せない限り何となく納得してしまうが,少し考えると疑問が沸いてくるのは僕だけではないと思う.あと,松村達雄の演技だが僕は十何年か前にはじめて彼を伊藤かずえなどが出ていた東映ドラマで見たのだが(たぶん),あの時は素人のような演技だと思った(声は単調,棒読み風、表情があまりない)が、今になってみれば渋い演技だと思える。おやかた様という役柄には彼ぐらいしか合わないのではないかとすら思えた.

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大食いについて2 00/12/04記

大食いのことについていろいろ書いてみたが,大半がそれを批判する言葉への反論のようなものに終わっていたように思う。テレビでの扱われ方ということに限定して書いてみたい.テレビでは競技としてはテレビチャンピオンが大食いを唯一取り上げている状況だと思う。TBSでそれをぱくったような番組がやっていたと思うが,たぶん終了したのだろう。競技以外の扱われ方はバラエティ番組や一部のニュース番組ででチャレンジメニューとの関連で取り上げられるか,大食いの人と一般の人とを比較した分析風番組などだと思う。
バラエティではウソか本当かは定かではないが,タレントもどきやタレントなどが,大食いをしている。世間的には大食いの能力が仮にウソだとしてもそう大した反論は受けまいという確信犯的に局側は番組作りをしているような気もする。チャレンジメニュー店で懸賞金を獲得しながら日本を縦断できるなんてちょっといいかもしれない…などといった感想を抱く世間を想定しての番組作りなのである。それはある程度しょうがないのかもしれない。世間での大食いに対する認知などそう深くはないのが現状だし,何回大食いの番組を見ても「あんなに食べれるなんてすごい。信じられない」ということを無批判に繰り返している人も結構な数いると思われる。
一方,チャレンジメニューそのものに個別にチャレンジするのを報告する番組もある。これは主婦などが主に挑戦するのだが,「私も小遣い稼ぎにやって見ようかしら…」などといった感想を抱く事を想定してやっている感もあり,情報番組の枠内であるといえる。成功したり,失敗したりの主婦がいてその成否の報告は良心的なものがある。
また,一般の人と大食い能力に優る人とを比較するといった番組もある。これは同じ料理を食べさせて両者の胃袋の様子ををレントゲンで観察し,科学的に分析しようというものである。胃の大きさや消化能力において優れている(中には食べ物がすぐに汗に変わってしまうという結論を出していたこともあったと思う)という結論が主である。
だが,そのような事になるのはなぜなのか,(胃の巨大化,消化の早さ)の理由は示されていないように思う。遺伝で大きいのか,胃酸の分泌がはやい場合大丈夫なのか,といった一般人(私)の疑問にはあまり答えていないのでは.(その辺があいまいになっているのが世間の大食いに対する不信感(吐いているとか,病的とか)の源なのではという気がする)
そんなあいまいながらもいささか流行の兆しを見せる中,今年夏にはドラマ「フードファイト」がはじめて大食いを正面きって取り上げていた。このドラマでは主人公がフードファイト(大食い対決)をして,大金を稼ぎ,孤児院に寄付をするという設定であった.そして胃が大きい,消化能力が優れている以外の大食いの理由をその挑戦者に担わせていた。覚えているのは,吐くとか,呼吸をしないで飲みこむとか,酒の力を借りるとか,考えて見れば訳がわからないかありきたりのものではあった.で,脚本が野島伸司であったので(悪いということではないです),大食い対決の中身にも愛情や友情や誇りが混ざり大食いの理由が二の次になっていたのは否めない。
ということで,大食いの真の理由(しなければならないわけやその能力のわけ)などべつになくてもいいのではないかと野島伸司に教わったような気がするのである。
一部で真の大食いについて語る人があって,一方ではラーメン三人前に驚く人々が当たり前に存在する社会であるのは何らおかしくないのではと思う今日この頃である。(やはりまとまりがつかなかった…)

HEY!×3随に2時間スペシャル 00/12/05記

最近やけに2時間スペシャルをやるこの番組である。内容はトークの部分の総集編である事が多い。この日は1時間の番組をトーク総集編で水増ししたものだったが貴重な映像がいっぱいであったと思う。貴重というか95年の番組当初のチャンプコーナーが主であったころは面白かった。ダウンタウンも大物ではあったがそれ以上に大物な歌手達が出ていて,それへの対し方が今の出演者が年下がほとんどの状況とは雰囲気が違う。とはいっても基本的にダウンタウンの姿勢は変わっていないように見える。
番組が始まったころ,音楽的知識がたぶんあまりないだろうダウンタウンが音楽番組の司会ができるのだろうかなどと不安に思ったことがあった。しかし,さまざまな音楽番組の歴代司会者がその道の専門家であったことはたぶんなく,要するに芸能人たる歌手達といかに話しができ関係性を持つかの社交的能力がほとんどものを言う世界なので杞憂であったようだ.ダウンタウンはそれ以前の音楽番組よりさらにトークを重視し,歌う前に曲紹介を兼ねてちょっと立ち話というベストテンのような枠を完全に超えたのである.
この日の総集編はだからトーク部分に限られていて,ベストテンであったならロケ地と久米宏とのやり取りやハプニング集などが総集編に使われるところであるのとは全く趣が違う。年末にやる「笑っていいとも特大号」でその年のテレフォンショッキングに出たゲストを一気に流すコーナーがあるが,あれと非常に近いものを感じた。
ところで浜ちゃんのつっこみに喜ばないゲスト喜ぶゲストがいるが,松田聖子は本気で怒っていたなあ。つんくはガッツポーズをしてまで喜んでいた。このあたりに自分とダウンタウンとの格差を推し量った上で(松田聖子は自分のほうが上よ!と言うこともあるが,初対面での礼儀がいいたかったのかも)の各ゲストの行動がさまざまで面白い。
最近では浜ちゃんのつっこみを受けることを楽しみに来るような女性ゲストが大半でこれはこれでちょっと嫌な感じがしないでもないが。

ガチンコ「ラーメン塾」
 00/12/05記
テレビをザッピングしていたらラーメン塾(かな?)というガチンコの企画がやっていた。ラーメン関係ではよくテレビに出る鬼として知られる佐野実氏が先生を務めているのだがついにこの人も登場かと思う。ガチンコはあまり見ていないが,その道に通じたもので頑固者という条件を満たす事ではまさに適役なことこの上ない。画面にうつされていたのは,さまざまな理由からラーメン店を持ちたい人達で,彼ら(彼女ら)は朝からスープに必要なとりがらの処理の作業を命じられていた。偏見だろうが,いかにも今風な若者などいてスパルタ状況に耐えられないで怒りを爆発させそうな雰囲気が満ちていた。
最年長の少し薄毛の男性はホースから水をかけられるという虐待を受けながらもそれに耐え,メンバーの中では一番遅かったがその日の作業を終了させていた。
あの場面はその部分だけを切り取れば,虐待として反発する事に何ら問題ないのだろうが,彼は愚鈍なまでに耐えていて見ていて痛々しかった。ラーメン店を開店するための修行にはあんな場面もあるのだと暴露するような感じで,鬼気迫るものがある。
もちろん,ガチンコという番組はその名の通り,何事にも真剣な姿勢でということなのだが,真剣(愛情のある鉄拳制裁あり?)=成功なのかということもあると思う。他の番組の弛緩的方向と反発するように一部このような「ガチンコ」を売り物にする番組があるが,やはりどうかなという感じが強い。あまり見ていないのでよく分からないが塾生達は,たぶん結果としては厳しい修行に耐えて耐えまくり念願のラーメン店を無事オープンすることになるのだろう。そういった結末を迎えることに関してはいいのであるが,ことは「ラーメン」だからなにか厄介な気がする。他の料理ではなくやはりラーメンであるのは,昨今のラーメンブーム・スープへの探求心・求道者たちの存在などおいしく食べれば良いはずの料理に肥大化したラーメン界の存在が見え隠れするのである。でも世間は「ラーメンだもの,おいしいものはこの程度の修行があってもね」といった納得感でこの企画を見守って行くような気がする。ちなみに佐野実氏は巨人ファンだそうで某局で,応援するときだけかわいらしい笑顔をしているのを見たことがある。 

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今夜もあなたのパートナー「小林カツ代の今日の料理」 00/12/05記
火曜の九時には見るものがないので(今日はガチンコを少し見たが),NHK教育を見ると時間制限付きで料理を作るというのをやっていた。
小林カツ代という料理家(正しい?)が20分でオカズ三品を作り上げるのである。本当に生放送かは分からないが,20分がノーカットで放送されているのは間違いない。
彼女は料理の過程を少し端折ったりして,アバウトでおいしい料理を作るのをウリにしているそうだ。いくつか見られた端折りは,画面テロップで「大さじ1」などと量が明示されているのに,目分量的にケチャップやソースを注ぐのや片栗粉でとろみをつけるところで,直に粉を振り入れていた。(通常こうするとだまになるらしいが)

小林カツ代さん(ここより拝借) 

そういったことはいいのだが,気になるのはこの場がアシスタントなどがいなく,完全に彼女一人に任されている状況である。落語家を髣髴させるほど彼女の独壇場である。確か彼女は「ばあや」という言葉を言っていた。
お手伝いさん(家政婦)のことらしいが,「もしかして言っちゃいけないのかしら」と不安がっていた。(放送されていたのだからOKなのだろう)
あと,通常一人でやる料理をリアルタイムで公共放送する事での違和感(変な感じ)も感じる。番組であるから時間制限があるからといって,黙々と作るわけにもいかず,なにか説明を余儀なくされるのである。ニンジンを千切りにするにも「輪切りにしてからの方が千切りにはいいのよ」と何と比較していいのか分からない事を言うありさま。鍋が沸いて赤の飛び出た部分を押して火を止めるかしているのだが(状況がよく分からない),彼女はこのとき「あんがと,あんがと」と意味不明のことを言う。他の作業をしているのに鍋が吹き,それがかつてはいらいらして火を止めたが,「そんな事じゃ駄目よね。感謝しなくちゃ」という反省の上での「あんがと」らしい。そんなよくわからない日常習慣まで映し出してしまうのだから,リアルタイム料理は面白い。




拡大版クイズ赤恥青恥 00/12/06記
いろいろあるクイズ番組の中でも,この番組はスタジオにいる回答者が直接クイズに答える立場にないのが珍しい。世間の常識度をはかりながら,一般の人にクイズを出題し,年齢,風貌その他の要因からスタジオ芸能人は正解を出せるかどうかを予想するのである。何年か前の番組最初のころは,一般人をキャラクターのように扱って,学生風,コギャル風,年配層,などステレオタイプな区分けであったように思う。そのせいか,一般人の出演人数はもっと多かった。が,最近はストーリーを用意したり,有名人枠を作るなどして(あまり見ていないので「枠」の存在は定かではない)実際のクイズに答える人たち側の人物性が広がってきた感じだ。この日は有名人として,国会でコップの水をぶちまけて俄かに脚光を浴びている松浪健四郎が出ていた。彼は事務所の椅子に座りながら,今までの人生について語ったり,ちょんまげについて語ったりしながらクイズに答えていた。体育会系の無骨ではあるが,率直な感じがキャラクターとして面白い。コップ事件の正否はともかく,バラエティなどにも出ることが期待される人材かもしれ ない。
クイズの中で,加藤紘一氏の写真が出て「これは誰?」というのがあったが,答えられない人が結構な数いるのには少し驚く。森首相と間違えたり(政治家はそれしか知らないからか,でも政治家というヒントも出ていないし),別の人の名前を言う人がいる。別に知らなくても,政治に興味がなくてもいいのだが,単純にちょっと驚く。加藤さんが新聞やマスコミに頻繁に出ていた頃にロケをやったんであろうから,それら全て(またはほとんど)を見ないで過ごしてきた人達なわけである.
テレビや新聞を全然見ずに過ごす都会人も多いそうだし,(そういう人達は人から情報を得ているそうだ?)それはそれで僕などから見れば,すごいような気もする。
こういったテレビ,マスコミ依存度をはかるようなクイズに対し,成吉思汗(ジンギスカン)を読めというタイプの一応教養を見るクイズもある。中学生の歴史あたりで習う読みなので,若い方が答えられるかと思ったが,画面を見る限りそうでもなかった。指導要綱が変わって教科書に載らなくなったのかもしれないし(そんな事はないか),単に勉強していないのかもしれない.嘗ての偉人も鍋料理の名前になって,日常触れ合う機会も増えたのではと思うが,たぶん漢字ではメニューに載っていないのだろう。
美輪明宏さんが出ていたが,この人は目にする度に派手な衣装や髪の色になっていくような気がする。この日は真黄色,飯島愛もかすんで見えるほどだ。

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TVチャンピオン「焼肉王」 00/12/07記
焼肉王って一体何?料理としての焼肉作りに秀でた人?焼肉屋チェーンか何かで儲けた経営者?…もちろん,各種焼肉店で出されるメニューに精通した人である.
「王」の定義のわけがわからないのがテレビチャンピオンの常だが,初めてやるジャンルだとその違和感も高めな感じである。
ラーメンなどメジャーな分野だと作るほう,食べてメニューに精通の方と分かれている.が,最近流行とはいえ「焼肉王」というのはどんな差別化をはかるのか興味深い。
後半しか見ていないのだが,ねぎの断片やこげのかけらから店の名前とメニューを当てるなどしていた。いまさらながら思うのはねぎの断片(肉にのせる薬味)でどうやって店とメニューが連想されるのだろうか。青ねぎとごまが特徴的だからというのが理由だとしても,全国何千店ある焼肉店で肉の薬味として,これと同じようなことをやっているところはないのだろうか。まったく無いとは言えないだろう。焼肉店の中でも情報収集の対象に価するところだけをピックアップして,参加者は知識を収集し,局側もその範疇で問題を出しているような感じだ。もちろん,「貧乏脱出大作戦」に出てくるような非メジャー店を取り上げたら(でてきたVTRに客一切無しで,朽ち果てた感じ),視聴者もこける。
が,そういう暗黙の限定にやはり「焼肉界」の存在を感じる。もちろん,そういった焼肉店の最先端や老舗メジャー店を紹介する情報番組の役割でも見られているのだからいいのだが。
チャンプを決める最後の問題は「安楽亭」という超メジャーな焼肉のチェーン店でだされる野菜の盛り合わせであった。いろいろ難問にも答えてきたというのに,最後にこの問題とは?突然の易問に,接戦だった二人がほぼ同時に答えていた。優勝はロースターの営業の男性であった。職業柄「安楽亭」に行くことも多いという。
気になったのは,この男性の「あなたにとって焼肉とは?」という恒例の,優勝者へのインタビューに対する答えである。「焼肉とは理想の生き方です」とか言っていた。
焼肉料理の多様性を人生にたとえたかったのか,自分の職業に対する賛歌なのか,よく分からないがちょっと聞いただけでは理解しがたい含蓄の深い言葉だ。
また今回焼肉とはいっていたものの,韓国料理のかなり広い範囲をさすものとして扱われていた(キムチ,メシモノ系,冷麺も)


女性専用車両登場! 00/12/08記

2001年3月京王線は平日深夜に本格導入。
ここより拝借

新宿から伸びている私鉄京王線に女性専用車両ができたというニュースを聞いた。報道する側も律儀に女性だけを集めて(カメラマンも含めて)車内に乗り込んでいた。女性を痴漢から守るというのが主な目的らしい(忘年会対策,深夜帯限定も)が,男性にインタビューすると,たいてい最近頻発の「濡れ衣痴漢」のことをあげて,自分たちも守られていいという.
で,実際の女性車両の様子はちょっと若い目の層が多く,しかもかなりすいている。ドア越しに見える隣りの普通車両はラッシュアワー並の混雑なのに。ところで,もちろん女性車両に乗る乗らないは自由なので,この辺の女性心理も複雑かもしれない。「乗る」側に行くということは「自分は痴漢から狙われている可能性あり」との自己申告な感じもし,画面に映った限りではあまり年配層の方はいなかったように思う。逆に言えば,この車両の隣りの普通車両に乗る若い女性はどんな心理なのだろう。
また,なぜ京王線がはじめたのかは分からないが,たしか痴漢のメッカといえば,埼京線だったはず。どこの路線にも痴漢はいるだろうが,悪質なところから対策を講ずるべきでは。やる事自体は素晴らしいと思うが,車両が異様に空いていたのが気にかかった。もし事情を知らない男が入っていった場合はどうするのだろう。周囲の冷たい目や女性専用の張り紙で,事態を理解して隣りの車両にすごすごと移動して行くのだろうか。


ぐるナイ「芸能人漢字王」 00/12/08記
芸能人の名前を漢字で書いてみるというシンプルなコーナーである。ちょっとひっかかる人の名前が当然選ばれるので,山本太郎とか山本文郎とか(山本ばかり)は選ばれない。この日は筧利夫,古舘伊知郎.樋口可南子であった。筧さんはこの「筧」という字がネックである。古舘さんは「舘」と意外にも「郎」であった。ナインティナインとゲストの二つの回答が出されるのだが,二組とも「舘」は間違っていた。インターネット上でも「舘」を正しく書いているのは古舘さんの所属会社「古舘プロジェクト」をはじめあまり無いくらいで,フジテレビのサイト「第4学区」でも「古館」となっているのはなんだろうか。間違った名前がかなり流通してしまっている例だ。
このコーナーでは,漢字の添削もするので書道の先生もレギュラー出演している。登場回数が増えるにしたがって,ちょっとキャラクターが出て面白くなった。
この先生は「はね」や「とめ」といった書道の基本的ルールに沿って添削し,一見正解かと思われる字にも容赦無く小×(完全に違うのは大×)をしてくる。何か小学校の書道の時間に戻ったようで懐かしくもあるひとこまだ。僕は三人ともだいたいわかったが,古舘さんの「郎」の字は「朗」と迷ってしまった。「舘」に目が行きすぎて簡単なところで注意が無くなるパターンだ。この番組の他のコーナーに比べ地味かもしれないが,ちょっと気にかかるコーナーである。

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タモリ倶楽部「ヒロミの悩みに答える・後半」 00/12/10記
2週にわたって続いているヒロミの悩みに答えるという企画。悩みといっても偏食(嫌いなものが多い)という深刻さのないもの(?)。先週も嫌いなものを出して,その理由などを語っていたが,今週はメニュー編(先週は納豆など単品だったと記憶)とタモリがヒロミのきらいなものを工夫をして食べさせるというもの。
カレーやスパゲティカルボナーラやうな重など大方の人が好物のものを嫌いだという。その理由が面白い。カレーは小えび入りのものだが,カレー自体は食べられなくはないが,食後に口の中に残る香辛料の感じが嫌だという。確かにうどんやどんぶりモノ系に比べカレーを昼に食べると,その後何時間か,ふとしたときに(深呼吸,ゲップその他)その匂いが漂って,何か束縛されているような感じを受けることもある。カレーの国インドの人は体臭までも少しカレー風であったりするらしいし。
カルボナーラは好物な人はその理由に挙げる「クリーミィーな感じ」が嫌いな理由。この,好きと嫌いの理由が一致する食べ物はだいたい味の濃い,主張の強いものなので,そのあたりで人それぞれの分かれ目がありそうだ。カルボナーラが嫌いな人はラザニアなども嫌いなような気がする。
うな重は骨があるのがその理由。骨など普通感じない食べ物なので,ちょっと神経質な感じも受ける。それぞれのメニューにそれが好物なADやその他スタッフがついてきて,豪快に食べているところへ,食べられないヒロミが突っ込む。クリーミィー(カルボナーラ)を連発するメイクさんなどイジられるために出てくる感じだ。
この後,タモリが納豆入りつみれ汁を作る。納豆の粘り(これが嫌い)をなくすために湯で洗い,さらに水で流しているうち,ざるの上の納豆は素大豆に戻ったかのようだ。が,これをすりこぎで潰すうち,異様なほど粘りが復活してくる。いわしを入れ混ぜ合わせ,すくって団子を汁に落とそうとするが丸い形にならないほどの粘りの強さ。
結局汁のなかに味噌を入れるなどして見たがヒロミの納豆嫌いは克服されず。料理の間タモリは普段,火を止めないで料理をしている事(?)が発覚。また笑っていいともの前に料理を自らしているとのことも。この企画また他の人でやって見るのも(ここまで偏食の人は珍しいか)面白いと思う。タモリの工夫料理もまた見てみたい。

めちゃ×2イケ「大隈いちろう再来」 00/12/11記
最近めちゃイケでは2000年を前にして,過去八年間を振り返って,過去の名物キャラクターのその後を追う企画をやっている。この日はかつてのめちゃ×2モテ時代のAD大隈いちろうが取り上げられていた。今やお笑い芸人として,単独ライブを開くほどになった彼に岡村はその芸人魂を確かめる企画をしかける。笑わず嫌い王で注目を浴びたなかやまきんに君とペアーでグルメ番組(にせ)のレポーターをやらせ,わざと司会の女子アナに冷たい対応をさせ,つらい気持ちにさせるのである。その際,岡村はかつての名物キャラクター横山弁護士になり,仕事終わりでプロデューサーにだめ出しをされ力を落とす彼に檄をとばすために待機する。
岡村はこの日のために最近ジャングルTVで若手芸人の一人として出てきた彼に敢えて声をかけず無視してきたという状況。なにか好きな状況だ。お笑い芸人として活躍しつつある若手とそれを陰で見守リ続けてきた今や売れっ子の岡村。彼らが叩き合うシーンは涙が出てきてしまった。大隈さんのお笑いの実力は分からないが(はじめて見ました),5年の歳月を経て,かつて付いていたタレントと同じ土俵で戦う立場になった彼の完成はしていないが一種のシンデレラストーリーに感情移入してしまう。
お笑い芸人の世に売れて行くさまと言うと必ずビートたけしを連想する。彼の毒舌が小さな寄席を満員にし,次第にテレビにも出て一気に漫才ブームに乗り,国民的注目を浴びて行く。そんな物語の最初の1ページを見ているようで,大隈さんを応援したくなるのである。ただ,この企画に出た事で,ジャングルTVでは実力に関係なく岡村にいじってもらうことになるだろうから,そのあたりは少し心配である。(余計な心配か)

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進化のプリズム「より良い教育とは?」 00/12/13記

この番組なにか表層的な雰囲気が漂うのは気のせいだろうか。毎回各分野の知識人,文化人がゲストとして訪れ,「食」であるとか,「住」であるとかについて語る番組である。司会のいとうせいこうさんのファンなので見てみたのだが,彼の面白さが毎回一言ぐらいしか聞けない感じである。しかし毎回ストレートなテーマを選ぶものである。そして,おおざっぱにまとめられたその分野の最先端情報などのVTRを見せたりしてトークを展開する。今回は教育で,パソコンを取り入れたり,地域の人々と触れ合う教育といった新しい時代の教育の方向性を皆で考えていた。スタジオゲストも今回は多様性(個性)重視なのか,小学校中退の人,高学歴の教育者と二人が呼ばれていた。
小学校中退の羽ニさんは結局,小学校も出ていない自分の異常性(?)を自覚し,それを理解されたいための半生で(その様に聞こえた),コミュニケーションが重要と生きる指針を展開していた。全くその通りだとは思うが,それは教育というよりも自身の人生を肯定する方向での邁進であると思え,人生論にしか聞こえなかった。(教育と人生は密接な関係にあるので切り離せないのか)
頷けたのは,子供がどんな時に大人を感じるかというような話しで,いとう氏の「ふき」を食べられる大人ってやっぱり大人という言葉。酒・タバコではなく,ふきのような微妙に嫌いな食べ物などを好んで食べる親などを見ると,なんだか大人を感じる瞬間があった気がする。(一生嫌いな人も当然いるのだが)
またいとうさんは作家になった自分の原点を振り返るに,小学校の時に自分の作文を誉めてくれた先生の存在が大きかったという。何気ないことば(言った本人は気にしていなくとも)を真に受けてしまうのが子供だといえ,それでいとうさんのように自身の道を定めた人もいれば,誤った人もいるのだろう。
最初に書いた表層的な感じは,やはりVTRに感じる。戦争の話しを体験者に話させる,地域の人々との交流の場を与える,などの画面が出ていた。もちろんそのときは意味があるし,何らかの影響もあるかもしれない。が,子供は友達関係のなかで生きているのが基本で,そういった試みは残像のような記憶にしか残らないのかもしれない。
大人がどう教育のあれこれを試みたところで(試みるしかないが),子供の印象として残るのは大人の意図したものとは別のところにあるのが現実だろう。
そういう意味では子供は自主的に学んでいるので,大人・子供が相互に何か学び合えば(大人は子供というものの発見・子供は主に知識か)いいというのは幼稚舎の先生に納得する。

とんねるずのみなさんのおかげでした「トルシエのコント」 00/12/15記

トルシエ監督と通訳のフローラン・ダバディー氏(左)。最近では、監督のパーソナルアシスタントと肩書を変え仕事の幅を広げる。nikkansports.comより 01/7/9記

サッカー日本代表のトルシエ監督の横にはいつも長身の通訳の人がいる。(最近は変わっているのかも)日本人ではなく,トルシエと同国人らしい。この人はトルシエが熱くなると同じようなテンションで通訳し,選手たちに喚起を促したりしているのをドキュメント番組などで見たことがある。失礼だが,こういった緊張感の漂う場面で少しイントネーションなどがずれた通訳をすると,やはり選手は違和感を感じたり,「プッ」というのを抑えたりなどがあるかもしれない。で,もうひとつあるのが,トルシエ以上の熱さになっているのではないかという違和感やその暴走としての自分の言葉で言いなおしているのでは,などである。
とんねるずのコントを見ると,この辺りの感覚をうまく再現している。石橋が通訳,木梨がトルシエという役だが,最初はトルシエの言葉を忠実に訳しているのだが,徐々にトルシエの言葉をさえぎるように前にで,そのままサッカー専門用語を駆使して自分で檄をとばし,選手とともに控え室を出て行く。
たぶんどこかで他の人もやっているのかもしれないが,やはりとんねるずがやるとテンポのいいものができるという感じ。ひとつ気になったのは通訳の人,メガネをかけてなかった気がするが,敢えてかけてみたのはなぜだろう。


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ナンシー関さんの大食いコラム(北海道死闘編) 00/12/15記

週刊文春の名物コラムとしてナンシー関のテレビ消灯時間がある。僕はナンシーさんの本はほとんど揃えるほどなのだが,今回もそのコラム上で,先日の大食い選手権評をしていたので読んでみた。全体として番組としての成功や充実をたたえつつも,ナンシーさん個人はがっかりしているといってもいい状況であるようだ。というのはそれまでの大食い番組で感じていた「ヤバいものみちゃった」という感じ(『壊れ』とも表現)が今回優勝のプリンス小林には感じられない(現状ではカタルシスを得られない)ということらしい。また赤坂さんに代表されるこれまでの大食いをマイナス×マイナスで得られるものとし,新人小林のそれは足し算で得られるものとするナンシーさん独特の比喩を使って説明していた。そしてこの足し算型大食いの勝利で大食い選手権は次のステージに進み,このような大食いからも何らかのカタルシスを得られるだろうか?と自分に問い掛けるような感じで締めている。
これはなんとなく分かる事である。「わからない」を連発し,独特の食べ方で名物キャラの藤田さんや,砂糖を常にそばにおいて食べつづける女王赤坂さんなどその食べ方(食習慣も含む)やキャラクターにおいてちょっとしたヤバさを感じさせる人達がテレビ東京大食いの中心にいた(すでに過去形か?)のは確かであるし,藤田さんのキャラクターには笑ったことも多い。そういった名物的,強烈な個性を感じさせるものが新チャンプ・小林には今のところ少ないのは確かである。焼肉好きな大学生である彼はそれが好きであるがゆえに,第3ラウンドジンギスカン勝負でトップに立ち,そのまま優勝してしまった勢いはなにか食べ盛りの少年(大学生に失礼だが)という印象も受ける。
食べ盛りの美少年が優勝して何が悪いということもあり,また美形の彼が優勝する事で世間的にアピールするというのもある。
もしかしたら今までの大食いがたまたまキャラクターに恵まれていたのであって,単純に大食い能力を決める場においてはごく普通の人達がこれからどんどん出てきそうな予感もする。なぜ今までキャラクター祭りのような感じになっていたかといえば,大食いという特殊な場で活躍しつづける事に関しての自意識の持ちようがその人の人格(競技上での)にも少なからぬ影響を与えていたということもあるのかもしれない。今かなりテレビで取り上げられたり,食べ放題が巷にあふれる状況の中,大食いの特殊な感じがぬぐいさられる中にチャンプ小林は現れたような感じがする。
にしてもナンシーさんがこれを境に大食いから興味が無くなるとしたらさびしい気もする。

全日本卓球選手権 00/12/17記

卓球のテレビでの放送は珍しい。必ず放送されるのは,この12月に行われる全日本だけだと記憶する。昨今ちょっとしたブームもあるみたいだが,それは自分がやる方のブームなので,会場にミーハーな感じの若者が大挙して応援に集まるという光景はなかった。決勝の常連松下浩二も卓球をちょっとかじった若者には知らない名前だと思う。

優勝した偉関晴光選手(ここより拝借)

野球などの人気スポーツと比べると,人々のそれへの接し方がまるで違う。野球など放送していない時期,自分もほとんど野球をしないという人でもストーブリーグで盛りあがってしまうのだから,スポーツを超えた娯楽の一大ジャンルである。対して卓球タイプのスポーツはビリヤードのような自分自身がする趣味のジャンルの片隅に存在しているのが現状という感じ。僕は卓球は少しできるのだが,経験者と素人の間に大きな差があるのも卓球の特徴である。
たまのテレビ放送を見ると,卓球玄人達のあまりのレベルの高さに驚く。スマッシュをして終了なはずの一般ピンポンに比べ,男子シングルス決勝は互いの攻撃タイプが違うためだが,一方がスマッシュを打っては一方が後方で返すというパターンが繰り返される。これでもかとスマッシュを放ち,そんなボールに食らいつく場面は卓球の醍醐味なのだが,時に2,3ターンの凡ミスで終わってしまう事があり,そんな場面はテレビ放送には耐え得ないさびしいものがある。またラケットの両面を使い分けて,ボールにかける回転速度を変えるという高度な技が展開されたり,思いのほか体力が要求される事など一般の視聴者には発見がいっぱいだろう。が,不必要なほど派手な色のユニフォームは「暗い卓球」払拭を狙った卓球関係者の努力がイヤな形で残っているという気もする。ボールが白で小さいため,卓球の場合ユニフォームに白禁止という特殊事情はあるが。

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目撃ドキュン!年末スペシャル 00/12/20記

なんとなく見てしまったが,なにか古くて懐かしいような番組であった。何十年ぶりの再会というような感動的企画のなかにゴーマン妻ナンバーワンというお笑い的企画が入り混じっていていてちょくちょくその進展状況(片付けられない主婦の大掃除)を伝えたりする。番組は一応生放送になっているので,再会が実現するかしないかは視聴者からの情報次第ということになっている。なかで実現したのは母親に1歳の時に逃げられて現在41歳の女性とその母親との再会。小西博之はその立会人として安比高原の寒い中,その女性とたちつくして母親を持つ。すでに母親の存在は別の件と違い確認されていて安比高原の近くにいて最終的な合意が得られれば,女性のもとへ来るという設定であった。あ,これはこれを確実にひとつ抑えておいて,別のは実現しないのもアリという感じか,と誰しも思うところである。

小西博之さん(徹子の部屋HPより) 

小西の手には携帯電話が握られていて,いつでも母親からの合意の電話が入ってくることになっている。小西&女性は画面に呼びかける。「お母さん,怒っていませんよ」
で,その場ではすぐに携帯に連絡はこない。ここで連絡がきたら笑うな。時間的には9時半頃かな。などと不謹慎なこと(?)も頭によぎる.そのうち母親からの連絡は来て,会う事になるのだが,なにか小西が女性にアドバイスをしている場面も入る。提供の字幕が入って画面から声は聞こえないのだが,お母さんはあっちからくるから,とかこれぐらいの時間は二人の時間になるから頑張ってなどの実際的アドバイスをしているように見えてしょうがない。
いよいよ再会となって,出てきたお母さんは68歳の割にはだいぶ老けていたような気がする。しきりに謝って顔を上げられない母親と許しの言葉をかける女性の絵は雪に映えて素敵だ。このときこの二人を囲むようにして,巨体の小西(比較的)と画面隅にスタジオゲスト達の感動にむせぶ絵がかわるがわる映される。沢田亜矢子はよく泣くなあ,薬丸は泣きをこらえていい顔だなどの感慨があるなかで,いったいいつ小西が割って入るのか気を揉むほど二人の感動シーンが長く続いた。
確かに感動的な場面であるのは間違いないが,みせものである事も間違い無い。母親が謝り,娘が許すのは本当かというのもある。40年ぶりだから当然見覚えがなく,本当かなあという距離感は無いのか。40年という長い歳月は過去のことを水に流すに十分な時間ではあるが。そんな感動再会とは全く別種のゴーマン妻(片付けられない主婦)企画もあったのだが,この企画に移る時に司会のラサール石井は「ちょっと気分を変えまして」などと言っていたのが印象的。気分が変わるというよりも味付けの違う別番組になるようで,こちらもちょっとその編成の「くつろいでもらってから,次ぎの感動へ」という間合いが笑ってしまう。しかし片付けられない主婦も一方では深刻な病気として取り上げられてるのを見た事があるが。


松本人志ビジュアルバム「約束」 00/12/22記

テレビではないし,今となってはかなりふるいのだが,見返してみた感想。ごっつええ感じが終わってコントをテレビでやる機会がなくなった松本さんがシリーズものとして出したビデオでしか見れないもののひとつである。(その後一部がテレビでも放映されたが)
最初の「システムキッチン」はどう理解したらいいだろう。二人の世界が充分に分かっている客を前提としているというのがまずあると思う。ギャグ(決まったセリフによる笑い)という要素がないのはもちろん,笑わそうという意識もほとんど感じられないまま,不動産屋(松本)とその客(浜田)の会話が続いて行く。例えば最初の不動産事務所内では淡々と,物件を探しに来た浜田に応対する松本がいて,たまに松本がメガネを意味無く飛ばすのだがこれが見ているものにとって笑いのつぼにはまったり,はまらなかったりする。個人の感覚で笑いにつながるかどうかでしかないが,この奇妙な記号のような笑いのジャブにはまった場合,一気にこの世界に入っていけるという感じだろうか。この後二人はマンションに行くのだが,台本が無いかのように(ガキの使いのトークのように)風呂場のカランについて一言してみたり,インタホンの置き場所の不満などで奇妙にずれた松本(不動産屋)の応対は続いていく。面白い。間違いなく面白いのだが,少し緊張がよぎる。不動産屋(松本)の奇妙な応対に依然客としてまともな対応を求める浜田のつっこみが少しきつめな感じを受けるのである。きつめとい うかそれは客としては当然ではある。が,常識の枠を守ってつっこみを続ける浜田(客)に松本(不動産屋)のボケは周囲の笑い声がかぶさらないので(それはこのビデオのいいところだが),ちょっとした緊張感を生み出している。浜田がいつ「おまえ何いっとんねん」と行って部屋を飛び出していくかもしれないという感じである。
最後に窓の向うは緑があると聞いて浜田が開けたところ,都会の喧騒が広がっているのだが,これはちょっとドキッとする。車が行き交い,工事の音がうるさく,およそ緑の静けさはないのである。そしてそれまでの二人のテンポとは別に現実の世界が展開している事を示唆するかのように早送り風の映像。「おち」という終わり方でもないと思うし,これはホントにドキッとする場面である。

「げんこつ」はかなり分かりやすい感じ。それぞれの配役がうまい。隠居風な蔵野,赤い顔の似合う中年サラリーマン風木村,これも中年サラリーマン風東野,その後輩田中,居酒屋の小僧今田,そして店の主松本,どれもぴったり。田中が予想する店の主像(人生相談に乗る頑固親父・占いをする)とは違って松本の得意技は,しもねたのおちである。だが,おちの選択はこのコントで重要とはいえ何か活気があって流れとテンポがこのコントを支える。ガード下の小さな居酒屋でこんな異世界が…と口を開けてしまう。

「都…」はコントなのだが,笑う部分はかなり少ないリアル系といった感じか。師匠についたことがないダウンタウンには嫌であろう古風な師匠と弟子の楽屋が主で展開されて行く。絵に描いたような弟子の恐縮振りと,師匠達(木村,蔵野,板尾,松本)の傲慢振り。花札をやったりで,プロデューサー(今田)の話しも聞かず,大喜利に望み散々な師匠達。で,このコントの面白いのは最後の数分のところ。放送作家の書いた大喜利の見本の回答を様々に思い出す師匠達のほうけた顔。ここを見るために今までの不快な楽屋での師匠達があったのだとカタルシスを感じる。丸められた紙くずが飛んでいくのを見守る板尾の顔は最高である。

「ミックス」はそれまでのコントの意味ありげな雰囲気など一切感じさせないいつもの二人(松本・浜田)の世界だといっていい感じ。それだけに喧嘩口調の元ヤンキー風の二人という設定が嬉しい。口喧嘩のなか「お前を愛してるからとちゃうんか」という松本のセリフに一瞬黙る浜田。挽肉とえびとそのミックスという3種の餃子を浜田の誕生日のため作ったのがコント名の由来だが,その古い感じのミックスという言葉遣いがなんともいえないコントの雰囲気を言い当てている。脇役の板尾・東野・遠藤もいい存在だ。

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テレビチャンピオン「大食い新年会」 01/01/05記

大食い新年会とはなんとも嬉しい企画である。スタジオには大食いの豪華メンバーが集まり(分かる人にしか分からない豪華さだが),大食い企画にはよく呼ばれる片岡鶴太郎もいて万全の布陣といってもいいほどだ。
この番組はいつも大食いを競技として捉え,出場者同士で競わせることが常なのだが,今回は大食いという特殊なものの(?),日常のなかのおさまり方のような「風景」がいくつか企画されていた。最初の企画が大食いの風景を味わえるものとしては面白い,一番自然な企画だったと思う。大食い現チャンプの小林君と中井さんが即席カップルになり,回転寿司店で隠し撮りで周囲にそれとわからぬように大食いを披露していき,周囲の驚き・リアクションを楽しもうというものだ。家族連れなどで賑わうたぶん週末の寿司店。子供は素直に驚き,次第に驚きの波が周囲に広がって行く。まさに大食いのちょっとした非日常性を活写したシーン。
この他には,素人と大食い女性スター甘味対決,岸さんの中央線大食い一人旅,新井・赤阪早食いコンビによるラーメン駅伝と計四つの企画があった。気になった大食いの「風景」を書いてみる。甘味対決では,「ケーキや団子なら私もいけそう…」「これならいけるんとちゃう」という感じの素人に悠然と対す大食い女性スター達。この空間においてはまさに彼女達はスターの貫禄さえ漂って違和感がない。シュークリームをしゃにむにぱくつく女の子はまさに大食い素人そのままの姿で,格下感が漂う。
岸さんの一人旅は大食いの孤独な挑戦の風景が印象的。といってもワハハ本舗の佐藤さんがレポーターについて,終始楽しそうだったが。朝から夜中までほぼ無制限に食べるこの企画はノンストップ・イーターという異名をとる岸さんならではのものという感じだ。途中、昼飯のチャーハン(やたらと量が多かった)で限界に迫るところまで来たが、それを乗り越えた後は”絶好調”であった。また他の場所では忘年会帰りのサラリーマンにアイスバーをもらっていたのやおばさんが突然しかりはじめた(朝から夜までどれくらい食えるかという企画の趣旨を聞かされて)のには笑った。
ラーメン駅伝(他のチームが10軒のラーメン屋を5人でまわるところ,新井・赤阪は二人だけで行う)は自転車をこぐ能力の部分も大きく,早食い世界1位と3位の実力をもってしても,結果はあまり良くなかった。が,自転車をこぐ赤阪さんの姿や安くてうまそうなラーメンの数々を見れただけでもいい企画だったのでは。
新井さんは今年もホットドッグ大会に出ると言っていたが,アメリカが去年と同じような「大食い概念」で臨むなら間違いなく新井さんの2連覇だろう。
テレビチャンピオンもそのノウハウをアメリカやら他の国に教えて,真の大食い及び早食い世界大会が開けるようにすると面白いと思う。わりと簡単に出来るような気がするが,予算の関係やキャラクターづくりなど世界進出を阻む要素はあるのかもしれない。


(追記)岸さんの大食い一人旅に関する部分のうち、一部を削除、修正。食べ方のリアクションの変化が少ないことを書いていましたが、無意味な中傷に当たると思い削除しました。また食べ方が汚く見えたと書いた部分は、編集やカメラワークなど制作側の責が大きいと判断し、本人の食べ方云々を書くのは無意味な中傷に当たると思い削除しました。[01/2/22]



朝まで生つるべ 01/01/17記

昨年末の深夜4時間ほどの長丁場で行われていたこの番組。パペポテレビの上岡龍太郎が抜けた一人パペポという感じの番組で,パペポのディープファンである僕はほとんどこの日話された内容を知っていた。嫁さんとの出会い,スキーツアーでのかもめ,木村・松岡のいた高校時代。同じ話をしていても相棒の上岡龍太郎がいないと,笑い話はともかく,いい話のときなどはそのまましんみりと終わってしまうのがパペポと違うところだろうか。しんみり・感動話を嫌う上岡さんは鶴瓶のときにいい話に着地しようという意図を読み,いちゃもんかと思うようなつっこみをよく入れていたのを思い出す。
最初こんな状態で4時間近く持つのかと思ったが,徐々に話に一定のオチがついたところで曲にいくという流れができ,あっという間に時間が経つ。
鶴瓶一人で感動の方向にいくのも、お笑いに着地するのもなかなか見られないので面白かった。願わくは上岡さんが復活して、あと一回ぐらいパペポを見てみたいものだ。

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ダウンタウンDX 01/01/26記

何か気になったのがこの日でていた、うつみみどりと榊原郁恵の二人。まさにおばさんの典型である。おばさんというのもあいまいだが,場をわきまえないマイペース振りというのがある。そのマイペースが顰蹙をかうか,意外な笑いへ展開するかでそのおばさんの力量が問われるという感じもする。(単にわがままか常識の範疇にとどまるかどうかだけかも)
二人(もしくはうつみみどりだけ)のおばさんぶりが発揮されていたと思うのはゲストの幼い頃の写真をネタにトークするコーナー。写真は関根勤笑福亭笑瓶のときは出た瞬間に笑いを誘うもので,定番といった感じもある。この日の関根さんは近所のビデオ屋で竹内力の顔マネをしていた。(あ,これは別コーナーかな)
国分佐智子の幼い頃の写真は一見笑いの要素はないものであるが、松本はこの種の写真から笑いの要素を見つけるのが天才的で,視聴者はそれを待っている状態であると思う。(少なくとも僕は)まあ,常識的な感想で終わることも結構多いが。しかし,こういった写真から「お父さんはなにやってたの?」「いいお洋服着て」だのといった近所のおばさんがアルバムを見せ合っているようなトークの展開をされたらダウンタウンも辛いところだろう。「そう銀行員だったの,だったら安定しているわね」などと会話を進めるうつみみどりは奇妙な自意識から(その場にいる中では最年長・おそらく芸能人歴も)トークの主導権を握ろうとしているかのように見える。
がこういった状況でも,うつみの銀行員の連発にいいタイミングでつっこみをするダウンタウンはさすがといったところ。
後半うつみの車内着替えの話しがでた際,「においもきつかったでしょうね」と松本が言ったのにはさすがに引いたが,これに対するうつみは一瞬怒りの表情をしたものの,感情を抑えたようである。おばさんとして扱われ,その延長上としてセクハラ的発言をされるのもネタという自分への認識がなければ収まらないぎりぎりの発言だった気がする。
おもいっきりテレビでみのもんたがスタジオに来ているおばさんにこの類のことを言ったらやはりホサれるのだろうか。


新しい波8 01/01/27記

なかやまきんに君
番組HPバックナンバーより
 

最近ちょっとブレイク気味のなかやまきんに君が出ていたので,驚きつつ見る。この番組は若手芸人のライブを一定の時間見せるものなので,瞬間芸のきんに君はどのように間を持たせるかに注目である。出てきた瞬間普段より皮膚のテカリを出すための油(正確にはなんというのだろう)が強い気がした。あといつもの小さ目のシャツだが,あれも普通に売ってるものではない感じだ。ボディービルダーの皆さんはあのような露出の多い小さいシャツを競技用で着るのだろうか。
「さあ、こい、こい」といつもの掛け声でボディビルの型のようなものをする。これはおなじみである。この型披露をするとき,簡潔で若干小さめの声で,「サイドショット(仮名)」などと紹介してから型に入る流れが好きである。型の合間に何をするかと思っていたら小話であった。「この間どこそこに行きましたらねー」という感じの落ちがあるような無いような独立した話しとしては何も面白くないものであるが、そのつまらなさとそれを補うかのように型のテンションが上がっていく感じのバランスがいい。
話はつまらないと書いたが、最後の「うちの家が店をはじめましてねえ、『流しラーメン』なんです。客こねえ…」というのはちょっと面白かった。漫才だったら、つっこみの「流しそうめんとちゃうん」などの言葉が入ったりするのだろうが、「客こねえ…」あたりのしみじみとした終わり方がいい感じだ。
番組最後の香取慎吾らとのフリートークでも良かった。ボディビル競技では審査の際、後ろに待機している選手もリラックス(肩を若干いからせたようなポーズ)という特有の型をキープしていなければ減点の対象になるらしい。普通の待機状態でもあの型(リラックス)とは終始疲れる競技なのだなあと思う。

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進ぬ!電波少年 01/01/29記

この日の放送で坂本ちゃんの東大一直線の企画が一区切りついていた。坂本ちゃんは本当に東大にいけるのか…企画当初から半ば無理なことを承知で始まったわけだが、ケイコ先生とのチームワークの良さ、坂本ちゃんのキャラクターやその意外なほどの頑張り振りでいい方向へ展開していたように思う。最近放送された中での数学の問題をすらすら解くさまや年末の模試でのそこそこの健闘振りももしや…などと期待を抱かせるほどになっていた。(少なくとも僕は)が、現実はやはり厳しいものである。

(番組HP 01/1/28放送分より) その後二人は大活躍中。01/7/9現在

センター試験の結果は800点満点中366点(自己採点)。この結果は東大の足きり予想(570点ぐらい)にはるか及ばないため、この企画も終了とならざるを得ないことになった。366点の内訳は国語・社会の健闘と意外な数学の高得点に支えられていて、ケイコ先生も半年頑張った坂本ちゃんにその健闘を科目毎に誉めたたえていた。
企画はとりあえず、東大を諦めて「どこでもいいから一直線」となった。多分私大文系でどこでもいいなら受からないことはないのだろう。これからの予想としてはどこかに受かってキャンパスライフをする坂本ちゃんの大学生活上で何らかの企画をするのか、どこにも受からなかった場合は一浪して企画復活という可能性がある。
どちらにしてもこの半年の勉強生活で坂本ちゃんのキャラクターがほとんど変化しなかったのが良かった(表面上は)。あれほどの勉強詰の毎日ではちょっとおかしくならないかと(食事的にも)見ているほうが心配になってしまう。電波少年=やらせという等式が年末のカウントダウン以降(今に始まった事ではない?)定着しつつあるけれど、この企画はやらせは無理だろうし(食事上のやらせはあったとしても、テレビ局の一存で東大裏口入学は無理だし)、そういう意味では二人の涙もぐっとくるものがあった。



ザッツ踊る大捜査線 01/01/31記

本元であるロケットボーイは1回も見ていないのだが、代わりに再放送をやっているということで踊る大捜査線を見てみる。この回は伊集院光演じるストーカーの巻であった。
ストーカーというのは実にドラマに使われやすいモチーフのようで、いろいろなドラマで様々なストーカーを見るような気がする。知合いでもなんでもない男が一方的にある女性に思い入れし、部屋一面にその女性の写真を張り、つけまわすというのがひとつの典型としてある。(実際はどうだか知らないが)この回の伊集院光は写真張りまくりのタイプではなく、アニメの主人公に思い入れし、その実写版としての存在を現実に求めるというような形であった。伊集院光はデブ、色白というオタクの外的条件を過不足なく満たしているので、キャスティングとしては悪くないのであるが、今のドラマではこの典型は若干避けられるような気もする。(アニメオタクが入っていない場合と別なのか)この間チラッと見た「別れさせ屋」では外見上は普通の感じ(むしろかっこいい)の男性がストーカーを演じていた。伊集院はしかし、オタク的外見ではあるが身長が高く今回のようなナイフを使う狂暴タイプにはよくあっていたように思う。しかし、ドラマとはいえ実際被害に遭った女性(深 津絵里)を囮(おとり)に使うなんてどうもおかしいのでは。
また伊集院の部屋を捜索していたとき発見された賞状のアニメクイズ優勝というのはなんとなく絶妙な感じがする。

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探偵ナイトスクープ 01/02/12記

関東圏では、午前3時や4時といった時間帯で放送されているのでいつも予約録画をして、翌日以降に見ている番組である。最近1年ほど続いてきた局長不在の時期が終わり新局長が決定した。関西の大御所的存在を漠然と予想していたので、「西田敏行」局長というのはやはり意外な感じだ。関西もの同士の選択を避けての新風導入という印象だ。

 西田局長登場の1回目は顧問をつけず、代わりに北野誠が司会を担当するような形になっていた。この司会の選択のほうがある意味重要な感じがする。実際、探偵の中での序列はテーブルの座り位置でちょっと分かる気もする。桂小枝は別格扱いで端、松村邦洋は新入りということであの位置というような。他の探偵の位置はちょっと微妙な配置か。

釣りバカ日誌の一場面(ここより拝借)

 今週はこの日放送の三つの依頼の最後は新局長スペシャル!ということで放送よりも早く家庭に直接お邪魔して、間探偵が新局長の名を明かそうというものだった。生寛平ちゃんの登場に各家庭はテンションを上げるものの、新局長の名前にはあまりいい反応がなかったように思う。だが、こうして新局長の2回を見てみるとなんだか西田敏行のイメージ(釣りバカの裸踊りの印象しかないけれど)と違い、かっこいいのである。浅黒い肌、ひげの感じ、朴訥(ぼくとつ)だが嫌味のない言葉、等々。もちろん、上岡局長の鋭いつっこみ、顧問とのやり取りの安定感などは期待すべくもないけれど、とりあえずおさまりそうな感じがある。ま、局長不在の期間ほとんど違和感を感じなくなっていたので、その雰囲気を壊さないキャラクターが選ばれたという気もするが。




古畑任三郎(笑福亭鶴瓶出演) 01/2/14記 

笑福亭鶴瓶の回のビデオを見る。鶴瓶はミステリー作家の役で愛人をつくり、邪魔になった妻を殺す。見ていてストーリーよりも鶴瓶の演技の奇妙さを感じることが多かった。鶴瓶の演技は自らも言っているように自然体を目指しているようだ。自然体の演技というのは最近の流行というかスタンダードになっているのかもしれない。大げさな感情表現を止め、日常の行動そのままに自由な演技をというのは多分正解なんだろうと思う。(ホテルの高島正伸は逆に面白いところもあるけれど)
でも、この回を見る限りでは、鶴瓶の演技は自然体というよりもそれを意識して、単に「下手」になっていたと思う。なんと言うかぞんざいな感じを強調しすぎ。この回は始まると同時にいきなり殺しのシーン(鶴瓶、妻の首を絞める)なのだが、まさに”いきなり”な感じである。妻の登場はこのシーンのみでどんな経緯からそのようになったか、愛人とのもめ具合などが全く描かれない。
この回は殺しの経緯はほとんど無視され、ミステリー作家のひとり芝居が破綻して行く様が見ものなのだから”いきなり”でもいいのだろう。他のほとんどの回で一応、殺される人も少しのセリフや存在感をアピールして殺されて行くことを思うと、奥さん役の人に同情を禁じえない。
事前に自ら作ったファックス用紙の言葉と現実とがずれていくことでそのずれ加減に気づき一芝居をうった古畑。最後のファックスの”黒いコートの男”と書かれた部分に策を弄すのだが、この事を徐々に明かされていく時の鶴瓶の演技は間違いなく「下手」だ。下手というよりコミカルにして、こっけいな感じでつらいものがある。目を見開き、口をひん曲げて作戦の失敗への驚きをしめすのだがそれまでのそこそこ冷静な感じとの落差はすごい。素の空間(バラエティなど)でつよい人が必ずしもドラマでうまいとはならない一例なのかもしれない。


テレビ欄雑感 01/2/14記

気になるテレビ欄の言葉を拾って見ました。(朝日新聞2/14朝刊より)番組は全て未見。

各種ワイドショー「紅白歌手と不倫?清水アキラ」:なんとも言えない趣のある「紅白歌手」。敢えてそれを言うのはなんだろう。それ以外のフレーズがないということか。昨今の紅白の状況を凝縮したような言葉。(出ているが知らない歌手もいる)かつての国民的歌謡番組の時代ならこのような使い方はありえないだろう。

NHK総合 9.30〜「チキンのミラノ風カツレツ」:ミラノ風とは!何かおかずの一品が豪華になりそうだが、実際はどうなのだろう。食卓を囲んだ家族の会話が想像される。

フジ ごきげん「恋の破局は最低の理由」:いろいろ話されるだろうタレントの話でこれがピックアップされたのはバレンタインがらみか。最低の理由が知りたいと思ってチャンネルをあわせる人もいるんだろうか。

TBS ジャスト「丸顔主婦が驚異の立体メークで梅宮アンナに」:丸顔が縦長風になってもなあ。完全に縦長になったらそれは映画の特殊メークだ。帰って来た夫も妻の顔が判別できないだろう。

テレビ東京 レディス4「花の王国 房総は一足先に春!」:真冬に戻ったかのような東京の2・14。花の王国房総はさぞ暖かいのだろう。

NHK教育 趣味・ウッドファニチャー「フォトフレームを作ろう」:フォトフレームというのは写真立てのことだろうか。ガラス板をはめるのは難しいのだろうか。ヤスリを使って角を滑らかにするなどの工夫?をされた自作のフォトフレームは部屋を彩ってくれるのだろう。

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ラーメン博物館雑感 01/2/19記

先日、ラーメン博物館にいってみた。初めてではないがかなり久しぶりである。市営地下鉄新横浜駅の一番近い出口から2、3分のところにある。1階が展示場やお土産、地下へ行くとラーメン店やその他昭和のなつかしのものたちがセット風に作られている。ここは結構デートスポットとして活用されているようで、カップルの姿が多い。なにか難しい美術館や博物館よりも身近な話題を提供してくれそうではある。
展示の脇にしなそばやの佐野実氏が作っている黒小麦麺の製麺の仕事場があって、本人もいる。といってもガラス張りで外から見れる部分に出てくることはほとんどなく(その場にいた10分くらいの間)、隣りの見えない部屋からたまに粉を取りに来るのか、体半分くらい覗かせるのを2回ほど見た。こちらには一切目をくれず、頭を下げた状態で出てくるので、かなりな薄毛の状況がわかるだけであった。なにか動物園の珍獣を見るかのような気分だった。
カップラーメンの展示があったので見てみたが、器のなかほどに緑のカビらしきものを発見。他の展示物にもたまにこの種のカビらしきを見たのだが、防腐剤を置いていないようで保存体制にちょっと疑問を感じたりもした。
地下ではじゃんけん大会のようなものをやっているようで、はっぴのようなものを着た人達で盛りあがっている。(詳細は不明)そんな喧騒のなか、空いていた熊本のこむらさきでミニラーメンを食べた。すみれなどは10人ほどが列をなしていたが、あまり列が好きでないのでこちらへ行く。とんこつは好きなので、柔かなチャーシューやにんにくチップなどが特徴的で美味しかった。前にきた時には一風堂で食べたのだが、どちらかというと太目の麺の方が好きである。
ここは店の入れ替わりもあるので、接客がきちんとしている印象がある。接客の声を特に練習している感じで、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」がいつも店に響いていて気持ちがいい。店員同士がダレて雑談をしていることがない。(と思う)僕の近くにいた人は食べ終わって店を出るとき、「ごちそうさまでした」と店員と同じぐらいのでかい声を出していたが、客もいつのまにか教育されているのだろうか。


風雲たけし城 外国人大会 01/2/23記

たけし城の概観

先日、機会があって15年ほど前の風雲たけし城という当時人気の番組を見ることがあった。見たのは外国人大会という出場者が、見た目外人の人のみの回。(奥さんが日本人の人もいたり、日本語が流暢な人ばかりではある)
当時はよく見ていたがほとんど忘れていて、感慨深いものがあった。と同時にビートたけしの外国人への偏見というか、本人はギャグのつもりかもしれないがその軽口はちょっと今の放送では耐え得ないものがあるのではと思うところもあった。とにかく、「外人は云々…」という始まりで戦争のことなどに触れ、笑いをとろうとする。(実際笑いは起こるのだが、この笑いは今でいう志村けんのバカ殿あたりの挿入笑いとほぼ同じ物)この挿入した録音笑いの入り方がいかにも気持ち悪い。ビートたけしがいう毒舌らしきもの、に対してとりあえず笑いの合いの手が入るようにつくってある。たまに本当に面白いところもあるのだが、この笑いはいつもテンションが一緒なので、その区別がつきにくいという点でよくないものである。
この頃はまさにビートたけしとたけし軍団が常に一緒に番組に出ていた時期で、石倉三郎とのメイン司会の後ろでそのまんま東とつまみ枝豆が控えとしてだけ立っていて、殿の言葉などに反応するだけで言葉を発するのを禁止されているかのように突っ立っていたのが印象的。
また谷隼人は戦闘隊長として号令をかけるのだが、「よくぞ、勝ち抜けたわが精鋭たちよ!」というのは自分はいつも戦闘に参加しないのでマヌケに聞こえる。


バス散歩 01/3/9記

先日暇な時間に、路線バスの出発点から終点まで乗って見た。目黒駅〜新橋駅間である。約一時間の行程であった。以下記憶に残る光景を列挙。
〇オシボリの業者の車が道に停まっていて、使い終わったオシボリが箱に入っている(なにか綺麗な感じ)、またその配達先などのメモが車内に散乱。
〇とある車屋のガラスを磨く店長らしき人、磨こうと散布されたクリーナーの模様が三面あるガラスのうち三枚目だけ違う。クリーナーがなくなったのか、気分転換か。
〇とある曲がり角にあったオープンカフェにて、まだまだ寒いなかサングラスでゆったりくつろぐ外人親子。車があんなに近く通るのにくつろげるのか。
〇東京タワーがなんということはない街角から、のぞく。日本有数の名所とは思えないくらい気軽な感じが面白い。
〇おじさんがかなりなスピードでジョギングをしている。バスが曲ったところで視界から消えたが、いつしか曲ったところでまたおじさんと遭遇。近道を行っていたのか。
〇車内に降車ボタンを押していないのに、「次降りたいんですが開かないんです」と少し勘違いをしたおばさんあり。
〇学生服の集団が下校中。山崎パンにて買い食いするものあり。3時のおやつにはぴったりなものが豊富そうでうらやましい。
〇新橋駅近くにて。いわゆる言葉通りのサンドイッチマンがいた。消費者金融やピンク系の看板でサンドされている。なんとなく、たまに位置を変えたりするがそれ以外の行動はなさそうだ。チラシ配りより積極性が無く、いるだけで町の品が落ちる感じがある。といっても妙に気になる存在。

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ガチンコ「ラーメン道」 01/3/24記

ちらちらと見てはいたが久しぶりに、ラーメン道を見てみた。既に店は営業を開始していて、修行期間の段階を過ぎ最終的に一人の店を持つ人間を決める試験を課せられている状況であった。当初とりがらの作業段階ではでめちゃくちゃに怖かった(わけがわからない程に)佐野実氏はその目つきの鋭さを保持しつつも、一応師匠としての貫禄のようなものを見せるような立場でその最終試験のために出来た、各自のラーメンに名前をつけていた。
「これは牛のスープか、肉も牛だな」などと的確に塾生の作ったラーメンの特徴をとらえて、名前をつけていく。名前をつけるという作業にのみ佐野は師匠としての存在を示し、ラーメン作りについてなにかを言う段階ではとうにないらしい。ところで最終試験というのは5、6人の塾生各自が三日かけて完成させたラーメンを2週間売り出し、その売り上げの一番多い者にラーメン店の経営者になってもらうというもの。1日目が終わった段階では多少の差は出たものの、ほとんど各自の売り上げに差はない。しかし、二週間である。ほとんどの人が1回の来店だろうから、(一部熱心なリピーターがいるかもしれないが)名前でそのラーメンを想像して、自分の好みのものを選ばざるを得ないだろう。
また、番組で見たあの人のラーメンということで選ぶという人もいるだろう。なにか各自の個性あるラーメンを短期間に売り上げのみで競わせるというのは今ひとつ納得できない方法のような気がする。このあいまいな選抜方法は番組で決めた人間を選出する可能性があることを示唆するものであるような気もする。
ここは師匠である佐野氏のしなそばやのラーメンをどれだけ再現できるか、というような規定演技で勝負して佐野氏が決めるほうがいいような気がするのだが、全ては番組の意向なのかもしれない。それにしてもこの番組は無駄が多すぎて、視聴者を馬鹿にしている感じがする。ラーメン道以外のコーナーに移った後でなぜそんなに復習をする?
CM明けもまたしかり。その時点から見た視聴者にわからせたいのなら、毎回最初からやってくれという感じである。


完全決着ワケあり人生 01/3/24記

ちょこっとだけ見てみた。怖いもの見たさという感じ。よくわからないが、スタジオに長髪の夫とそれを囲むようにその愛人、同じく妻、みのもんた、夢ノ助師匠などがいる。
背景には怒り顔の中尾彬、(他よく覚えていない)などがいる。この状況はなんなのだろう。夫は愛人をとるか、妻をとるかの選択を迫られ、またそれぞれにまずいことをしたのだろうか、愛人にも妻にも「ゴメン、本当にゴメン」の連発であった。この夫は悪いことをしたのだろう。(道徳的に、また演出的に)が、中尾彬やみのもんたといった分別くさく?、暑苦しい顔がそれにかぶさるとこの番組を見て喜んでいるかもしれない人が想像できて嫌な気持ちになる。
長髪で一昔前のロック歌手くずれのような格好の夫は世間的に一部の層には目くじらを立てられそうであるし、実際に悪いこともし、この公の場で裁判もどきをさせられているのである。もう偏見の温床を作っているようなものではないか。せっかく番組に出るのだから、スーツを着て来た夫に対し、「これ、今日の衣装です」と衣装を手渡した可能性さえある。それにしても芸能人って他人の私事に関してなにかをいえる立場を獲得することなのか。という感想すら抱かせるこの種の番組はなんなのだろう。手を変え品を変え、出現し、また無くなるが一定の需要は存在する。なんというのか、スタジオ全体が一人の人間の謝罪を待ち、それを導こうとすることが主眼なわけだが、そのあたりのことにからむえげつなさと芸能人(一部の人達だが)のえげつなさとがかなりイコールという感じがする。
夢ノ助師匠が土下座をして謝った夫を見守る妻に対して、「許すなら手を取ってあげて」などと言っていたが、妻には見事に無視されていた。このあたりを見る限り、夫と妻という私的世界があったようなのでリアリティは感じた。ところで夢ノ助師匠もみのもんたのように人生相談番組に出たいのだろうか。テレビ東京の食番組レポーターでのいいリアクションを楽しんでいる僕としてはなにか嫌な一面を見てしまったような気がする。

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ガキの使いやあらへんで「板尾サンフランへ」 01/3/26記

久しぶりに板尾創路登場で嬉しくなってしまった。今回は春の百番勝負というダミー企画進行中になぜかサンフランシスコに旅立つ(移住する)板尾一家が絡んでくるという設定であった。(板尾は終始サンフランと言いとおしていたが)
ダウンタウン、ココリコがトイレットペーパーを早く出しきるという古典的な対決をしている中、なにやら金網からのぞく人あり。いつもの一家揃ってのトレーナー姿と違いフォーマルな衣装(といっても独特な感じのネクタイの締め方)の板尾である。
この企画は前回までで嫁さんが死ぬ?という結末を迎えていたので、新たな嫁さん及び子供が登場していた。新嫁さんは声質も、日本語のおぼつかなさも、姿形もほとんど旧嫁さんと変わらない感じ。子供の方はちょっとキャラクターをつけたのか、「天才児(かな?)」ということでアフリカのテレビクルー(って)が密着しているという設定。
少し周辺事情が変わりつつも、笑いの部分は板尾のわけの分らない金銭要求と嫁さんのわけのわからない日本語に集約される感じだ。暑い、暑いといいつつ脱いだ下着に力強く、餞別と書かれてあって、板尾の何で暑いと言うのか意味不明の行動がさりげなく次の要求を示唆している。
新嫁さんは6ヵ月であったが、腹のふくらみの微妙な感じが6ヵ月なのだろう、うまい膨らみ方だと思う。出産祝い、入学祝ともらった板尾はそれでも満足できずに(ずうずうしいというサービスを提供しているわけだが)今度は駐車禁止の罰金を払えという。「こんなところに停めてたら迷惑になるわなー」とあらぬ方向を見て叫んでみる板尾。停めているのは自分だが、停めさせたのはあんたらのせいやと言いたげなせりふまわしの絶妙さ。
その後、車の下になぜか時限爆弾を発見し、それを仕掛けたのもガキの使い側のせいにする板尾。「誰一人として、巻き添えにしたわ!」などとワケのわからないうろ覚えの日本語を叫ぶ新嫁さんの言葉を翻訳する板尾。「誰一人として、巻き添えにしたくないわ!やろ」 『誰一人として』や『巻き添え』などちょっと古めかしい感じの言葉やいいまわしを日本語のおぼつかない人に言わせるとなぜかおかしいのを利用しているのだが、この辺りの言葉の選択はいつもつぼにはまる。
この板尾のいちゃもん企画が面白いと感じられない人も世間にはいるらしいが、それはなぜだろう。いちゃもんを芸にするというような存在は他にもいると思うが、その場合その人に愛嬌があったり、結局はいい人なんだというおとしどころのようなものがあるから救われる、または好きになれるというのがあると思う。
しかし板尾のイメージは結局はいい人なんだというところには無いし、そういう事情を背景にした笑いでもない。そんな中途半端な善人イメージはこの企画の趣旨や笑いのもって行き所にはふさわしくない。とにかく、この企画には板尾以外の人は考えられないという気がする。嫁さん、子供とのわけのわからない一家の形成具合(連携プレー?)、板尾のいちゃもんをつける際の言葉のずらし具合などちょっと他の追随を許さない?ものがある。またやって欲しいものだ。


フードバトルクラブ 01/4/4記

総額千万円を懸けたこの番組は大食い界の注目選手のほとんどが出ていたように思う。(藤田さんが見かけられなかったが)それでも、面白かったのか悩むところである。一番気にかかったのが、決勝の時間の短さ(放映時間)と迫力の感じられなさ。選手の層の厚さがありながら、なんとも不完全燃焼な感がある。
全体に感じられるのは”唐突”な感じ。各選手への強引な異名のつけ方はもちろんのこと大食い界の有名選手は周知の事といわんばかりであるのにその選手たちを生み出した出所が言えない事で感じられる違和感。新旧交代という構図も多くの人は知らないことであるのにいきなりな感じ。タレントがとっかえひっかえ出てきてコメントをするが、なにか感じられる選手との遠い距離感。テレビチャンピオン「大食い選手権」を思い返してその雰囲気を反芻してしまいたくなるような気分になる。選手をいくら集めてもその見せ方はやはり重要ということを思い知らされる。以下に感じた部分を書いてみる。
5人一組と言うのはどのあたりに意味があったのか。特に意味が無いのだったら説明をしなくてもいいのでは。第二ラウンドで出てきたシード選手の微妙な強さ加減はなにか大会に国際色を出そうとした下手な演出にしか見えない。といっても一番面白かったのは第二ラウンドだったと思う。各選手の個性豊かな食事模様が自由に展開されるのは今までには見られない戦いの形態で、持ちこみ持参という事でその幅はさらに広がっていた。なぜか水のがぶ飲みのあとトムヤムクンスープを飲みつづける小林君。
持ちこんだ梅干を眺めるばかりの加藤さんなど。が現在の摂取量○キログラムと出るのは机に並べられたものなのか、食べ済みの量なのかよくわからなかった。また、選手が皿に料理を盛りつけているだけなのに、寺門ジモンはうるさすぎた感じ。他の番組で食べ放題でより多く食べるには少しづつ持ってくるのがポイントというのを放送していたのを思い出してしまった。
ドクターストップが多かったのは(岸さん、赤阪さんなど超有力選手)なぜだろう。それほど過酷な日程及びルールだったということなのだろうが、どんな状況なのか具体的に説明が欲しいところだった。あまりにも残念なお二人なので。
決勝戦を迎えたとき、わずか15分ほどしか時間が残されていなかったので不安に思ったのだがかなり駆け足な放送だったように思う。「試合開始30秒前」というあたりでラーメンが全く会場に無いのでおやと思っていると各選手が卓ごと地下に降りて行く。スタートの瞬間にラーメンが間に合わなかったように見えたのは気のせいだろうか。
優勝の小林君のたべた総量は凄まじい。スープ免除でも14杯は凄いというのに。テレビチャンピオンの優勝は偶然ではなかったことを明らかに証明していた。
優勝賞金千万円は全て小林君のものなのか。そこのところもよく分からない。もしかしたら先週放送された事前番組の方が面白かったかもしれない。放送時間が2時間とたっぷりなのに端折っているように思えたのは作り方が悪いのか、内容が濃いのか。多分前者なのかな。テレビチャンピオンの各選手のプロフィール画像ってかなり重要な事が分かった。新しい選手のことを知る手がかりが文字のみでチャレンジ店○軒制覇とかいうのは結構抽象的に感じられるのである。


キングスフィールド 01/4/8記

最近、ゲーム「キングスフィールド」というアクションアドベンチャーを買ってやってみた。ある本で買って損は無いと書いてあったのである。少しやってみた感じではとてもそっけないゲームだった。説明書をあまり読んでいないのでゲームの背景はよく知らないのだが、主人公は遺跡発掘のために孤島にやって来たという設定。ゲームが開始されると、主人公は洞窟の前の海のあたりにいるのだが、ちょっと踏み外して深い方の海へ行くと「あ゛ーー」という感じの声と共にいきなり死んでしまう。ゲームオーバーという表示も無いままにまた同じ海のなかほどから再スタートになる。とりあえず洞窟に入り、少し行くと宝箱があり中身を取ろうとボタンを押すと画面中央にいきなり仮面のようなものが表示され、さらにボタンを押すと獲得できるようになっている。このタイプのゲームの常で装備をしなければ、数値に反映されないだろうと思い装備を見ると今何を取ったのかよく分からない状態である。仮面であるから、顔の部分だろうと該当部分を選択して装備は完了したが、ゲーム上重要なはずのアイテム獲得の部分がこのそっけなさ。
洞窟のあちこちには薬草らしきが置いてあって、これは説明を読まなくてももちろん体力回復アイテム。オーソドックスな感じのアイテムの表示は分かりやすいともいえる。
さらに行くと、イカの化け物がいてこれと闘うのであるがこちらの攻撃が不慣れな事もあって、一瞬にして死んで「あ゛ーー」である。ここで初めて説明書を見て、戦いのコツを見てみると、1回攻撃、後退、また攻撃のパターンであるらしい。とりあえず盾のようなものが無いので防御は逃げるしかないのである。

イカ野郎…正式名は「クラーケン」
ここより拝借しました

イカ野郎に再度戦いを挑んでみると、ある程度ダメージを与えられたのだが、その段階で傘の部分が取れ小さくなったイカはなにか以前よりすばしこくなり、窮鼠猫をかむといった具合にパワーアップした。これにより通常の攻撃の高さではダメージが与えられなくなり、またも死んでしまった。これだけ簡単に死ぬゲームも珍しいという気がしてくる。
死んだ後はまたもそっけなく、「セーブしますか」という表示も無くあの海のあたりに投げ出されるのである。(セーブは特定のところでしかできないことが後に分かる)
また、仮面を取り装備し、薬草を取りとりあえずの準備でイカに再戦である。今までの攻略を反芻し、なんとか一匹を倒す事ができた。しかし、近くにいたほかのイカ野郎に不意の攻撃を受け、またも死ぬ。このあたりでかなりゲームをやりつづける意志が無くなる。
やはり最初の部分は戦いの快感を感じさせなくてはプレイヤーが続ける気すら無くなってしまうのに、なんとも意地悪なゲームだ。この戦いに習熟するのも悪くないかもしれないが、ちょっと気持が萎えてきて1回目は辞めることにする。主人公が死んでいるのにかぶさってイカが攻撃しつづけるのも不気味である。「あ゛ーー」「ザク、ザク」という感じなのだ。ゲームの全体からすると、100分の一くらいのところなのだろうが、こんな感じの難易度が続くかと思うとこれを完全攻略した人はある意味素晴らしい。



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ナンシー関さんの「フードバトルクラブ」評 01/4/13記

ナンシー関さん、やはり今回も大食いファンとしてはそそられる番組「フードバトルクラブ」を見ていたようである。週刊文春のテレビ消灯時間のコラムを読んでみた。
最初の出だしの文「なんかむかつくよねー」に全てが象徴されている感じである。パクリのことに関して言えば、ナンシーさんはある程度新興番組の発生には鷹揚に構えているものの、結局テレビチャンピオンでの優勝者(小林尊)がこの番組で優勝してしまったことがパクリの汚名を免れていないことを象徴するという指摘は納得という感じ。
岸さん、新井さん、赤阪さん、といったテレ東のわりに古くからの常連の決勝進出は阻むことはできたものの、結局テレ東常連といってもいい小林尊が優勝してしまったのは些少なパクリとは関係なく、テレ東と同じことをなぞったに過ぎないことではなかろうか……。
今回TBSが目指したのは早食い・大食いその他変わったルール全てにおいて勝ったものだったのだが、どう施行錯誤をしようが、結局優勝者は変わらないという現実。
それほどに小林尊が強いということになるのだろうが、まわりまわっただけにTBSの「いけしゃあしゃあ感」(ナンシー関さん記)が目立った番組だったというのは全く同感。
今回の版画は「赤阪さんInTBS」という言葉入りでちょっと視線を下にしたものだが、何かさびしげな感じもする。いつだったか、プライド2000という言葉と共に、復活した赤阪さんを彫った版画は眼鏡無しでなかなかきれいであったという印象がある。このあたりの選手をきれいに撮ろう意欲もあまりTBSにはなかった感じがする。赤阪さんの蝶ネクタイ姿が似合ってなかっただけかもしれないが。反対に小林君は素晴らしい色男ぶりでファン一気に急増ではある。
あと気になったナンシーさんの言葉を引用します。「優勝賞金1000万円だもの。それだけでテレビ東京逆ギレ必至。目に涙をためながら、両腕をぶんぶんまわして走ってくるテレビ東京の姿が思い浮かぶ」「規制は緩和しなければ発展はない。しかし、テレ東の大食いにだけはセーフガードを(ちょっと時事ネタ)。
テレ東への愛と金持ちTBSへの批判が嬉しい言葉の数々であった。


「遊ぶ金が欲しかった」 01/4/19記

ニュースを見ていると、金銭目的の犯罪の時のフレーズ「遊ぶ金が欲しかった」は動機として決まり文句のようにいわれる。今日聞いたのは一万円の偽札を作ってtotoの券を千円分買い、お釣りを受け取ろうとして捕まった高校生の動機がこれであった。偽札の作り方はカラーコピーという安直なものだが、他に余罪もあるという。
で、「遊ぶ金が欲しかった」である。どんな遊びをするのだろう。カラオケや欲しい服、デート代、ゲームセンター、……。もっと高そうな遊びもありそうだけれどこんなものかもしれない。はっきりと目的はなくとも、金という手段をとりあえず欲しくなる欲求は誰にもあるが、若者が金目的の犯罪を犯した時はだいたいこの「遊ぶ金が欲しかった」という言葉でくくられる感じがする。例えば、ピアニストが憧れの高級ピアノが欲しいために強盗をしたというような場合(←変な例え)、一応ニュースでは「このピアニストはピアノ購入目的で強盗をしたという事です」と伝えられると思う。職業を持っていて、その延長上でなにかある必要性に基づいたものを欲しいという犯罪の場合、少しは世間の同情も得られる気はする。(しないか)定職のない若者の場合だって、将来ギタリストになるのが夢で憧れのギター購入のための犯罪であるかもしれない。目的が正しい(少なくとも使途が明快な場合)といっても犯罪を犯したらばその手段は正当化されるはずもないけれど、「遊ぶ金が欲しかった」という文句って何かひどく大人の事務処理的言葉でいい感じがしない。
あいまいなそれぞれの犯行者の動機を伝えるのも難しいし、こういう定型的文句は簡潔に事を伝えるニュースのような場合便利かつ有効であるのは認めるけれど。
「イタメシ食ってー、グッチの財布とブルガリの時計買ってー、海外にも行ってサー」のような(誰なのかよくわからないが)様々な欲望のひとつでも言ってみるとニュースにも色が出て面白い気もするけれど。
「今日、東京は葛飾区でコンビニ強盗が逮捕されました。犯人の19歳無職の男は『普段食べている380円の弁当をワンランクアップして500円のものにしたかった』と話しています」というような感じで。(←また例えが変)

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美術館にて 01/4/20記

美術館にたまに行くことがある。午後の一時を静かに絵でも眺めながら過ごす時間は楽しい。楽しい事には違いないが、自分が絵とは無縁の人間であることが悲しい。
別に自分で絵を描く能力と鑑賞する楽しみは切り離しているので、問題はないはずなのだが。見ている周りの人達は皆美大出なのでは、とかこの画家の構図は……などと専門的な視点で見ているのでは…などと劣等感を感じながらも楽しんでいる心境だからである。
自分としては主に付けられた題名と実際の絵との違和感や一致具合のようなものを楽しんだり、画家の遊び心や心意気などを作品を通じて感じるぐらいしかない。
そういった素人目にも好きな絵、面白い絵、印象に残る絵はあるものだ。ところで、美術館には間隔を置いて監視の人が座っている。勤務中は本も読めないようだし、他の同僚も近くにいないので一点を見つめる感じである。この仕事を見ていると、昔やった事のある試験会場の廊下監視のバイトを思い出す。このバイトはほとんど仕事はなく、冬の寒い季節にストーブを前にして座っているだけだ。たまに受験生が(ごくごくたまに)「鉛筆を忘れました」とか「トイレはどこですか」などといってくる事があって、対応するだけだ。鉛筆を忘れたという女の子には試験本部(なにか先生らが待機している)に向かい鉛筆を用意してもらい、ちょっと感謝されるぐらい。
このバイトの場合は本は読み放題なので、退屈はしなかった。
最近行った美術館では、アラーキー(荒木経惟)が撮った「中年女」という題の素の感じの女性の写真が100枚ぐらい貼られているものがあった。写真を撮られることを意識した目線や顔を作ることをしていない女性たちの顔は今で言う「まったり」という感じで、逆に色気のようなものや存在感を感じさせるものがあった。
ちょうど撮られている女性たちと同じぐらいの年代の女性二人組がいて、写真を見つつ話している。「ああいう感じでぶすっとして街中歩いてることってあるわよね」とかこちらもまったりと感想を述べ合っていた。


土曜特集「ふるさと皆様劇場」(ゲスト・長山洋子他) 01/4/21記

見るものがなかったので、チャンネルをいじっていると奇妙な光景が飛びこんできた。歌手の長山洋子がどこかの市民会館のような所で、歌いながら会場を歩き回り、座っている観客と握手をしている光景だ。何が奇妙なのかというと、歌手・有名人である「長山洋子」の実際の人気度とはかなり違うだろう扱い方を当たり前に受ける彼女の姿が映っていたからだ。観客はなぜかほとんどが御年配の方で、彼女と握手できるのが心底嬉しいというかのように目を輝かせ、手を差し出している。この間、歌いながらの握手なので歌に集中しているのだろうか、少し長山の握手がおざなりな感じも受ける。歌う、悠然と歩く、握手を求める客をあしらう…という流れは大スターしかできない振る舞いなのになにか奇妙な空間をNHKは提供しているようである。長山洋子はそれは綺麗だし、歌も上手いし、問題なく演歌の中堅クラスではあるだろうけれど、この振る舞いが許される空間はなかなかないのではとも思う。
スターとその多くはないだろうファンが集う集会といえば、ディナーショーが思い浮かぶけれどこれは公衆の面前にさらされる事はないので外野は関係ない。
が、この皆様劇場というのはまさに公衆の面前だ。この番組は「ふるさと」とか「皆様」とかを掲げて、全国を回って主にわかりやすい寸劇と歌を聞かせて皆様を楽しませている番組のようだ。田舎町にスターがくれば(前川清級の)、悪い気持はしないだろうし「来週そこの会館に前川清が来るんだってよ!」みたいに話題がそこかしこで盛りあがるのもありえそうではある。でもなあ。スターとそれを有り難がる民衆という図式はものすごく古いように見える。それをあからさまに写すのもはたから見ると何か辛い。
とりあえず、歌う時はサービスだからといってむやみに会場の客席の方へ降りて行かない事が第1歩の改善点のような気がするのだけれど。

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大食いのスポーツ化 01/4/26記

先週、大食い選手権春の新人戦を見た。やはり安定感があって、楽しめたのは確か。でもフードバトルクラブの試みもいくつか評価したいと思いたくなった感もある。
上手くいえないけれど、テレ東の方は固定のルールによる若干のマンネリ化を感じるという事もあった。固定だからこそ(特に予選は)過去の強者達と一応の比較ができるし、そんな固定ルール(シンプルでわかりやすい)であるから大食い達の活躍が存分に見れるという事もあるのは確かだけれど。今回の戦いはレベルは凄かったけれども、全体的に爽やかな感じの面々が多くて(さわやか君もいた)若い男に面子がなぜか限られて、本当に大食いがスポーツ化してきたというのを感じた。(女性大食い、30代以上大食いを望む!)
ところでスポーツというのは一体なんだろうと改めて思ったので、ヤフー辞書を検索してみた。

余暇活動・競技・体力づくりのために行う身体運動。各種競技・登山などの総称。」と出ていた。

余暇活動ではないだろうけれど、競技のために行う身体運動というのには大食いの練習の段階でも当てはまりそうである。また、各種競技の総称ということでも当てはまりそうである。スポーツという言葉は何かしらの競技の準備段階と競技そのものを指すようである。かなり広い意味の言葉であることがわかったのだけれど、とすると大食いが競技として認められるのかという一点にスポーツといえるのかどうかの判断がかかってくる。ということで次は競技という言葉を調べる。

(1)わざをきそうこと。(2)運動競技。スポーツ。」とヤフー辞書に出ていた。

競技を訓読みに下から読んで、わざをきそうとは分かりやすい。大食いは競技者達のそれぞれの技はあるといえるのだから(胃の大きさ、消化力、咀嚼力、その他)これで一応大食いはスポーツだといっても言葉の意味上では文句はないような気はする。
ここで気になるのはじゃあ昔の大食いはスポーツじゃなかったの?という事である。技が競われていたという点では大食いはずーっとスポーツなのだから。
最近の「大食いはスポーツだ」という時に含まれているのは、やはりさわやか度のアップというのがその現チャンピオン小林尊によって広められた感があり、そこを意識したイメージチェンジということでの言葉なんだろうと思う。だから大食いはスポーツかどうかにこだわるのも(自分だけか?)ちょっとずれていて、「大食いはさわやかに移行中」というメッセージということで理解すればいいのかもしれない。もうひとつ、食べてる時に吐きそうな印象(辛そうな顔)が各選手からほとんど感じられなくなったのもあると思う。


私を旅館に連れてって 01/4/26記

3回目のこの番組を見ていたらちょっと驚いた。旅行代理店の人をお客獲得の為に旅館に招待していて、この人が風呂場で倒れた。(当初、倒れた理由はわからない)浅野ゆう子扮する元凄腕のホテルウーマンは旅館の外聞を考えて、救急車を呼ばないで事を済ませようとしていた。目の前に倒れた急病人がいるのに、旅館の外聞って、何を考えてるのか!とだれもが思うところ。ところがその場に居合わせた仲居や番頭達はタクシーが来るまで待とうという浅野の意見に同調する。

女将姿の観月ありさ(ここより拝借) 

ここで観月ありさ扮する旅館の女将だけは「何かおかしくない?」と反論し、救急車に連絡するという話である。旅館で倒れると救急車を呼んでもらえないのかな?と単純に恐怖してしまう。こんな話を真に受けたら旅館のイメージダウンにつながるような気もするし、そんなバカなと思ってしまう。浅野ゆう子の役は大手ホテルの副支配人を解雇されているので、この小さな旅館でその辞めさせられた理由を事あるごとに気づかされていく設定ということなんだろうけれど、旅館って怖いなあという印象ばかりが残る。
代理店の人の倒れた理由を全く調べようともせず(浅野は床を磨いていないための”ぬるぬる”を転倒理由と決めつける)、風呂場担当のおじさんををいきなり解雇させようとするのも本当に元凄腕か?社会人ですらないのでは?と思う。(凄腕というのは簡単に首きりが出来るということ?)
そして観月ありさは運転できない運転手に送迎バスの運転を頼み、彼のやる気を引き出そうとする。少し練習でもしておけばいいものを(やってたのかな)、彼は果敢に運転を請け負う。やる気とか人への配慮とかを単純に感じるわけにはいかない場面である。でも観月ありさが仕事一途な代理店の人におせっかい気味に「せっかく旅館に来たんだから、温泉に入ってくださいよ。明日できる事は明日でいいじゃないですか」というシーンあたりは温かみがあってよかった。
この旅行代理店、社長にそれほど携帯に電話して指示を仰ぐのはほんとかなあという感じも受ける。(少数精鋭の会社じゃなくて、ほとんどワンマン経営なのかもしれない)


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古本屋にて 01/5/3記

先日、ある新しいタイプの古本屋にいった。本の表紙などを綺麗にする機械を備えて、古本屋のイメージを変えたともいわれる某チェーン店だ。この店は挨拶の声を重視しているようで、「いらっしゃいませ」と掛け声係り的な店員がいうと、別フロアにいる本を整理している店員までが゙揃ってこれを繰り返す。
店内は若い店員が多いためか、なにか体育会系の部活の一団がいるような雰囲気である。もうちょっともそっと働いてくれていてもいい感じがする。100円均一本のコーナーにいたところ、店員が清掃済みの本を大量に抱えてきて棚に入れ始めた。ちょっと本が見にくくなる。整理しているので仕方ないともいえるけれど、その間中も掛け声は繰り返されていて、その分周囲の客への配慮が減じていっているような気がする。「いらっしゃいませ」は客に対していうものなのに、これでは店員同士の連携を確かめ合っているだけのような気がしてくる。
漫画のコーナーには学校帰りらしい中高生がたくさんいて、立ち読みをしている。半額になっていても、100円本でもやはり立ち読み。そういえば新刊の書店では漫画にカバーがあるのが当たり前になってしまったので、立ち読みができるここは貴重なのだろう。
CDのコーナーもあるけれどここにはほとんど人がいない。定価の半額ならレンタルの方が安上がりだし、欲しいものは定価で即買いをするというのがあるのかもしれない。
なんとなくいろいろ周ってみるものの、これというものがなくて今回は何も買わなかった。ちょっと欲しいものがあれば100円なんだから買えばいいのに…と思いつつも100円だからといって安易に買ってはいけないという戒めがなぜか働くのである。とても欲しかった本や何気なく買った本が面白かった場合の100円の価値は他には得がたいものがあるので、それを考えると意外に慎重になってしまうところがある。


NHKスペシャル「”バスジャック”遭遇被害者と家族の365日」 01/5/7記

連休中に全国を震撼させたあの事件から1年が経つ。加害者側のことには全く触れず(取材をしないという面で)、被害者側のその後の1年を追うという番組であった。

727pの大作。文庫も出た。

この番組を見ていてなんとなく思い出したのは、地下鉄サリン事件の、被害者にのみインタビューを試みた村上春樹さんの「アンダーグラウンド」だ。(その後は逆に加害者側にインタビューした本も出たが)アンダーグラウンドは村上さん自身がインタビューを試み、長時間のその内容をそれぞれの被害者ごとにまとめた本である。
被害者の方の通勤というごく日常的な行為の途中に遭遇してしまったサリン事件が多かれ少なかれ与えてしまった影響を丹念に聞き出した素晴らしい本だと思った。
村上さんは本の発行に際して、新聞紙上でインタビューに答えて次のようなことを言っていたと思う。
「加害者側(オウム)の話ばかりがマスコミで流れている。被害者の声はほとんど聞こえてこない。これは健全とはいえないのではなかろうか。被害者側の物語を聞き出すことで僕は平衡をとりたい」
正確ではないけれどもだいたいこんな感じであったと思う。被害者側の「物語」でオウムに対抗(という言葉が適当かは分からないけれど)したいというのはいかにも村上さんらしいやり方だと印象に残ったのを覚えている。
ところでバスジャック事件である。サリン事件のような集団による組織的な犯罪ではないし、加害者側のことはほとんど語られないので比較しても意味はないかもしれないけれど被害者側の物語はたしかに存在していた。たとえば、初めて一人で乗ったバスで事件に遭遇してしまった6歳の女の子の父親。女の子は犯人に対して、あまり恨みのような感情を抱かなかったらしいが、その時の恐怖感が不意の言動に現れて父親達を不安にさせるようだ。父親は娘に事件のことは一切聞かずに独自に今後どうしたらいいのかを模索中であった。事件を扱った新聞を集めたり、同じ事件の被害者の方に話を聞きに行ったりしてなにかヒントにならないものかと。
自分でものを考えるにはあまりに幼い年齢、といってもなにも感じないか(そんなことはないか)忘れてしまうだろう赤ちゃんではない微妙な年齢である6歳。幼い頃は善悪に対する判断のようなものはいろいろに揺れ動くだろう。ちょっと悪ぶっているのが格好よく見えたり、汚い言葉をわざと使ってみたり、時には犯罪行為を英雄視してみたり。
そのような揺れ動く価値観に加えて、トラウマを抱えてしまった娘に父はどう接していくのだろう。あのお父さんだったら多分どっしりと娘に向かい合って行くのだろうと思う。
番組が淡々とインタビューを流しつづける形式であったので、逆にその1年の重みが感じられてきて、今後の被害者の方々の人生にエールを送りたくなった。


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