「ある朝の風景」
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'98/7/29 07:26 東京
7時26分ちょっと早いかな。
このマンションは僕の家と大学のちょうど中間にある。こうして登校の途中に晶を起こし
にくるのがこのごろの日課になっている。
でも今日は夏休みの真っ最中。こんな早い時間に起きるのはちょっとワケありだ。
このマンションの9階に晶の部屋はある。だけど一言に部屋といっても信じられないくら
い広い、さすが長崎でも有数のお嬢様だ。そんなお嬢様の晶を一人、東京にやってご両
親は心配じゃないのだろうか?
そんなことを晶に聞いてみたことがある。そのときの晶はイタズラっぽく笑って僕の顔を
のぞき込んでこう言ったのだ。
「ずっとそばにいてくれるんでしょ?」って。
それに僕のことを晶はご両親に話したらしい。それが東京に一人で住んでもよいという
決定打になったというのは驚きだった。
そんなご両親の信頼を裏切るわけにはいかない。あの長崎での告白以来つきあって
いるわけではあるが、ごく自然にお互いを認め合っている。
ポケットを探って部屋の鍵をとりだし、扉を開ける。
このかぎは引越しについてきた晶のお父さんから直に渡されたものだ。「晶をよろしく」
という言葉と共に。
その時の僕の顔は引きつっていたに違いない。お父さんの後ろで肩を小刻みに震わせ
て笑っている晶を見たからだ。
鍵をわたされた時にかけられた重い言葉とは裏腹に、晶のお父さんは仕事の関係で海
外が長かったせいか、かなりフランクな人であった。娘の人生は娘に任せているらしく、娘
が選んだ男なら大丈夫だろうと僕の肩をたたき、笑いながら言ってくれた。
しかしその時の、その場の雰囲気は和やかなものであったが、ごく一瞬、確かに晶のお
父さんの目は男の目だった。僕の男として価値を見定めるように・・・・それは多分、僕にし
かわからなかっただろう。
静かに扉を閉め、晶の寝室へ向かう。
寝室の扉の前で僕は深呼吸する。なれてきたとはいえ女性の部屋に入るのは緊張する
ものだ、しかも時間が時間である。でもそれさえも許してくれる晶は僕のことをどう思ってい
るのだろう?信頼してくれているからなのだろうか?それとも・・・
ちょっと落ち着いたところでノックする。多分晶は寝ているとは思うけど一応礼儀だ。レディ
の部屋に入るのに何もせずに入るのも気が引けるから・・・
ちょっと間を置いて扉を開ける。扉を開けると甘酸っぱい、いい香が僕を包んだ。起こしに
くるたびに思うのだが、なんで女の子のいる部屋ってこうもいい匂いがするのだろう。
カーテンの引かれた薄暗い部屋のなか、その中央に大きなベッドが置いてある。その隣
にはヴァイオリンとそのケースが置かれたサイドテーブル。それと2つの写真立て。ひとつは
晶とご両親が写っている写真立て、これはちょっと気が引けるものなんだけど・・・
それと僕が晶の誕生日に贈った緑のステンドグラスの写真立て。これには僕と晶が納まって
いる。
さて、眠れる美女を起こすとしよう。
このお姫様、朝はちょっと苦手だから・・・。
「・・・晶・・・晶ってば・・・」
「ううん・・・・」
なかなか起きてくれない・・・もう10分以上この状態。
美人は低血なのよ、なぁーんて前に言ってたけどそうなのかもしれない。しかし今日は
ちょっとワケありの日なのだから。
「朝だよ・・・ほら、起きて・・・」
華奢な肩を揺さぶってみる。
「んん〜・・・もぉ、ほっといてよぉ・・・ばかぁ・・・・」
僕の手を振り払って寝返りを打って背を向ける。
その弾みでかけていたシーツがまくれ、僕の目の前に晶のスラッとした白い脚がむき
出しになった。
「・・・・・・っ!」
普段からミニスカートをはいて、その脚線美を見せ付けるようにしているけど、ここまで
あらわになった足を見るのは初めてだった。その脚をたどっていくと、男物のシャツがあっ
てその先は見えない。
なんかホッとしたような、残念なような・・・
そのシャツはなじみのものである。なんてったって元はといえば僕のものだったのだから。
今日みたいに晶を起こしにきたとき、寝ぼけた目で僕を見て『そのシャツくれたら起きて
あげる』とカワイイ(?)わがままを言われたからだ(本当にあげてしまった僕も僕だが・・・)。
「・・・しょうがないなぁ」
もうちょっと見ていたい気もするけど、時間が時間だ。惜しい気を引きずりつつ窓のカー
テンを一気に開ける。
一瞬にして部屋いっぱいに広がる夏の日差し。
「・・・んー!」
かわいらしい悲鳴をあげる晶。さすがにびっくりしたのか、シーツをかぶってうつ伏せに
なる。
少しすると、ちょっぴり恨めしそうな目つきでベッドの上に起き上り、僕を見る。
ようやく目を覚ましてくれたみたい。やれやれ、いつものこととはいえ、もうちょっと早く
起きてくれればいいのに・・・
「もぉ・・・いきなり何するのよぉ・・・」
小さな文句を言う晶。しかし、なんで起き抜けとはいえこんなにかわいいんだろう?
僕の起きたときなんて・・・やめよう、僕の事はどうでもいい。
「だって、晶・・・」
「・・・もう少しマシな起こし方しなさいよね!」
「?・・・マシなって?」
「もうっ、相変わらずわかってないのね」
僕のほうにビッと指を付きつける。ちょっとその迫力に押されてしまう。
「?」
「こういう時はぁ、優しくキスして起こしてくれるものでしょ?」
付きつけた指を縦にして、左右に振りながら教えるようにして言って、首を傾げてのぞ
きこむように僕を見る。
「!?・・・うーん・・・・じゃ。」
一瞬戸惑った僕だったが、ちょっと晶を驚かせることにした。
いつも晶に驚かされっぱなしの僕だけど・・・たまにはいいかも知れない。
ベッドの端に腰を下ろし、右手で頬を撫でる。くすぐったそうに首をすくめ、目を閉じる晶。
カワイイ!
まだ半分寝ているといった感じの、晶のあいている頬にかるーくだけど・・・・
「!!」
「これでいい?」
ちょっと得意げに僕は晶を見る。
「もぅ!」
一瞬、驚いた顔をしたかと思うと、すぐに頬を赤くして怒る晶。
結構見慣れてる気もするけど、やっぱり怒っててもカワイイ。
「はははっ!さて起きてくれるかな?」
「だからって・・・」
「な、なに?」
「・・・ほっぺじゃだ〜め。」
イタズラな子猫の笑みを浮かべる晶。ちょっとひきつる僕。
あっという間に立場が逆転してしまう、こういう小悪魔名笑みを浮かべた晶はヤバい。
「ふふっ、お返しよっ♪」
・・・案の定、いやな(?)予感はみごとに的中。
いきなり両手で僕の肩をつかむとそのまま手に力を入れる。ベッドの端にいいかげんに
座っていたものだから、彼女の力でも簡単に押し倒されてしまった。
あわてて起きようとする僕に馬乗りになって、今度はやさしく僕の顔を捕まえる。
「おはよう・・・」
言って晶の顔が近づいてくる。次の瞬間、唇に柔らかいものが触れた。
息がかかるくらいの間をおいて、目を丸くしてる僕を見ながらくすくすと笑う晶。
「やられたなぁ。おはよう、晶・・・」
「あら、少しは喜びなさいよね。」
繊細な指を僕の鼻の頭に載せながらいう。
「・・・そうだね」
再び晶の、ふっくらした頬に手を当てる。
すると猫のように僕の手に体重をかけてくる。そしてそのまま手を進めてうなじを
まさぐる。さらさらとした手触りがなんとも言えない・・・
同じ人間なのに、こうまで違うところを発見してしまうとドキドキしてしまう。なんで
女の子・・・晶は僕を狂おしくさせるほどに魅力的なのだろう。
くすぐったそうに、何かに耐えるように目を閉じて身をよじる晶。
そしてちょっと乱暴にだけど、肩を抱いて僕のほうに抱き寄せる。
最初はびっくりしたように腕を突っ張ろうとしていたけど、次第に力が抜けていき、
やがて、まるですべてを預けるように僕の胸に頬を乗せた。
そのまましばらく、お互いの鼓動を感じていた。僕のからだに押し付けられている
やわらかなふくらみを通して彼女の鼓動を感じる。たぶん彼女も僕の、ちょっと早い
鼓動を感じているだろう・・・
空いた手で晶のつややかな栗色の髪を撫でる。すると僕の胸に爪をたてて頬ずり
する。
「ねぇ・・・」
「ん?」
「今日は・・・絶対に、来てよ・・・」
「ん。もちろん・・・」
「絶対の絶対よ!」
「絶対の絶対に行くよ。心配しないで・・・」
彼女のかきあげた髪の影からのぞくうなじにそっと唇を寄せる。
「ん・・・!」
いっそう僕の胸に爪をたてる、ちょっと痛いかな・・・
「んっ、はぁっ・・・・・・それなら最高の演奏ができるようにおまじないして」
「オマジナイ?」
「そう、おまじない。演奏してるときでも、あなたをそばに感じていたいから・・・」
「?」
不思議顔の僕。それを上目遣いで見る晶。
やがて、日だまりの子猫みたいな幸せそうな微笑を浮かべると、そっとつぶやく
ように言った。
「ぎゅーっと抱っこして・・・」
「抱っこ?」
「そう」
いかにも寂しがり屋の晶らしいお願いだ。前のコンサートの時も、ステージの
ちょっと奥でこんなお願いをされたときがあった。今日はかなり早いお願いだけど、
無理もない。
今日のコンサートは晶の学科(本当はヴァイオリン専攻というらしい)の音響ホール
(学校とは思えない程の設備)で各国の著名な音楽人も招かれた大きなものだからだ。
その音楽人の前でヴァイオリンのソロを演奏するのが晶なのだから・・・
ベッド横にあるテーブルにのっているヴァイオリンはきっと夜遅くまで練習していた証拠
にちがいない。そんな練習しているところを僕にさえ見せたがらない晶だ、今日のわがま
まは全部聞いてあげよう。
華奢な肩と腰に腕を回し、少し力をこめて晶を抱きしめる。
「ん・・・」
吐息ともに晶の声が漏れる。
柔らかい・・・
何度もこうしたことはあるけど、その度に僕は感動してしまう。華奢なのに、そのくせ僕を
押し返すほどの弾力を持っている。
しばらくそのまま、お互い抱き合ってどのくらい経ったろう・・・
甘美な空気を胸いっぱいに吸い込むと、晶は微笑んで僕を見た。
「これで・・・最高の演奏ができるわ・・・」
うっとりとした目で、そして桜色の吐息のように晶は言う。
「誰にとって最高の演奏?」
「バカね、一人しかいないでしょ・・・」
そういって晶は僕の瞳を覗きこむ。
晶の瞳に僕がいる。その僕は次第に大きくなって行き、やがては見えなくなった・・・
−終−