ブラックバス・ブルーギルが日本の淡水生態系に与える影響について  



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オオクチバスとブルーギル

 オオクチバス(ブラックバス)とブルーギルは近年日本各地の池や湖で繁殖、増加が確認されています。 オオクチバスは魚食性であり、ブルーギルも他の魚の卵や稚魚を食べてしまうということで、日本古来の生態系を破壊してしまうのではないかと危惧する見方があります。
 魚類に於いて外来種の移入が在来種の大規模な絶滅をもたらした例として有名なものに、アフリカのビクトリア湖、マラウィ湖におけるナイルパーチの事例があります。 ナイルパーチはテラピアと並んでアフリカにおける食用魚の代表的なもので、例えばケニアの観光客用ホテルで出される魚料理の殆ど全てがこのどちらかの魚です。 ナイルパーチはスズキ科の大型魚で魚食性を持ち、生態的ニッチェ(生態系における位置)はオオクチバスに似ていると言えるでしょう。 この魚が食用資源としてアフリカの湖に移植されました。
 アフリカ大地満帯(リフトバレー)に沿って存在する大きな湖、ビクトリア湖、タンガニーカ湖、マラウィ湖は成立の歴史が古く、特にタンガニイカ湖、マラウィ湖にはカワスズメ科の固有種が数多く存在することが知られています。 こうした閉鎖水系の中で強力な魚食性魚類を持たなかった生態系において、ナイルパーチは一方的な捕食者となり、数百種とも言われるカワスズメ類を絶滅に追いやったと言われています。
 オオクチバスやブルーギルが日本の淡水生態系に及ぼす影響が、アフリカの湖に対してナイルパーチがもたらした影響を連想させることから、これらの魚の日本での広がりを懸念することは当然だと思います。 しかし、オオクチバスとブルーギルは日本に移入された経緯が異なり、その生活環境も若干異なっています。 従って両種を同一に論ずることはできず、それぞれの種が及ぼす影響についても、各々個別に考慮してみることが必要になります。
 まずブルーギルについて考えてみましょう。

ブルーギル

 ブルーギルはオオクチバスと異なり,比較的小さな溜池や公園池のような所でも繁殖します。 小さな止水域は水生生態系のモデルとして観察するのに適していますから、実例を交えてブルーギルを持つ生態系の将来を予想してみることにします。
 ブルーギルは1960年、現天皇陛下がアメリカを訪問した折に土産として持ち帰ったものが日本への移入の最初のものです。 この魚は当初皇居のお濠(ほり)に放流されたと考えられ、ここから全国に広がったものと推察されます。
 最近の調査によると、場所によってはお濠の魚の89%がブルーギルということで、ジュズカケハゼなど絶滅が心配される魚種もあります。 ブルーギルの移入から40年を経過した皇居のお濠は、ブルーギルを持つ水生生態系の一つの極相を示していると考えられ、ブルーギルがある一定の環境の中で他の魚種を絶滅させる可能性を持つことが実証されたと言っていいでしょう。
 神奈川県横浜市青葉区に「寺家ふるさと村」と呼ばれる緑地帯があります。 ここは東京湾に注ぐ鶴見川の源流域にあたる谷戸地で、東に開けた谷戸の西側最奥部と南側斜面にそれぞれ小さな溜池があります。 どちらの池も周辺を樹木が囲み、あまり明るい雰囲気ではなく、そしてどちらの池にもブルーギルがいます。 西の池には水生植物が見られず、ブルーギル以外の水生動物もちょっと見たところでは確認できません。 ところが南の池にはコイやクサガメがいる他、数多くのトンボが生息しています。 よく目に付く種類はクロスジギンヤンマ、ショウジョウトンボ、クロイトトンボ、コシアキトンボの4種ですが、周辺のトンボ相を考慮すればシオカラトンボ、ヤブヤンマ、オオヤマトンボ、オツネントンボ等さらに多くの種類が生息しているものと推察されます。 中でもクロイトトンボの生息密度は非常に高く、静岡県磐田市にある鶴ヶ池のモノサシトンボに匹敵する程です。 おそらくクロイトトンボの生息密度は神奈川県随一でしょう。
 ブルーギルのいる同じように小さな2つの池にあって、このトンボ生息数の違いは何が原因なのでしょうか。 実は南の池は挺水植物こそ無いものの沈水植物が繁茂しています。 池底の大半はハゴロモモ(フサジュンサイ)に覆われ、一部は水面に浮いた状態になっています。 クロイトトンボは連結して水面の水草にとまり産卵しています。 少なくともこれまでのところブルーギルがトンボの生息に致命的な影響を与えてはいないようです。
 この2つの池の事例は水生生態系において植生が如何に重要であるかを示しています。
 皇居のお濠は石垣に囲まれ、周辺に水生植物は存在しません。 お濠の管理方針が一切の水生植物を排除することにあるらしく、本来生育が可能なはずの浮葉性植物(スイレン、ヒシ)や浮漂性植物(ウキクサ、サンショウモ、ホテイアオイ)も全くありません。 沈水植物もおそらく存在しないものと思われます。 広大ではあっても水生植物を欠き、水辺や水深に変化の乏しい皇居のお濠は、水生生態系としてニッチェの少ない単純な構造になっているため、ブルーギルによる他の生物種に対する破壊的影響を緩和することができなかったと考えられます。
 皇居のお濠は水生植物群が欠落しているとはいえ、桜の花びらが水面を覆う様子が春の風物詩になっているように、周辺樹木の落葉等による有機物の供給があります。 それに伴いユスリカの幼虫などの底生動物群が数多く存在するものと推察され、それらがブルーギルの主要餌になっているものと考えざるを得ません。
 環境庁では近々ブルーギルの駆除に乗り出すということですが、それよりもまず始めに皇居のお濠の水生生態系の実態を解明することの方が何よりも大事なことです。 皇居のお濠はブルーギルを頂点とする水生生態系の絶好のモデルを提供している訳ですから、この生態系の生物種間のかかわりを究明することは、今後日本の止水系生物種群の保護にあたって大いに役立つと期待することができるからです。

オオクチバス

 オオクチバス(ブラックバス)は1925年北アメリカから日本に移入され箱根の芦ノ湖に放流されたのが始めです。 芦ノ湖は当初魚がいない湖でしたが、琵琶湖からゲンゴロウブナ(ヘラブナ)を始めとして、ビワマス、ハス等が移入された他、北アメリカからブラックバス以外にもニジマス等が移入、放流されました。 戦後経済復興が一段落すると、芦ノ湖は南関東におけるヘラブナ釣りの名所の一つに数えられることになり、またブラックバスを対象としたルアーフィッシングができる場所としても有名になりました。
 オオクチバスはその後芦ノ湖から全国の湖沼へ拡散したらしく、その原因としてルアーフィッシングの普及に伴い、"心無い釣り人"が不法にオオクチバスを放流したものと言われています。 しかし"心無い釣人"がオオクチバスの拡散に貢献したという実証はなく、意図的あるいは非意図的に巷間言い広められた想像に過ぎません。 全く同様に釣具メーカーが売り上げを伸ばすために組織的にバスの拡散を図ったことが想像され、また地元の漁協や釣客目当ての観光組合が、入漁料や観光収入の増加を目指してバスの地元への移入を行ったと想像することができます。 仮にルアーフィッシングをやりたい釣人がオオクチバスを放流したとすれば、その場所は釣人が日常的にアプローチできる近くの湖沼に限られることになります。 従ってバスが全国に拡散したという事実は、"一部の心無い釣人"の仕業ではなく、"全国の心無い釣人"の仕業でなければなりません。 人間を動かすに最も大きな力を持つものが金銭であることを考えるならば、バス拡散の一翼を担ったのは"全国の心無い釣人"ではなく、金銭的利益の増加をもくろんだ釣具メーカー、全国の漁協、観光業者ではないかという考え方の方がより信憑性があります。
 オオクチバスは低水温に弱く、水温が20度以下になると殆ど活動しなくなります。 また狭い止水域では繁殖が難しいらしく、溜池や公園池のような場所で生息しているという話も聞きません。 実際にブラックバスがどの程度の狭い止水域で繁殖できるかについて、詳しいことは分かりません。 こうした小さな止水域では、バスの代替としてブルーギルが放たれることになったとも考えられます。
 全国の湖沼にオオクチバスが拡散しているとは言っても、その影響が問題になっているのは日本の2つの大湖、琵琶湖と霞ヶ浦だけです。 誰が問題にしているかと言えば、各々の湖で漁を営んでいる人々の集団つまり漁業協同組合です。 何が問題になっているかといえば、漁の対象魚の数が激減したことです。 漁の対象魚とは琵琶湖の場合、ビワマス、ハス、ビワヒガイ、ワタカ、ホンモロコ、ニゴロブナ、ゲンゴロウブナ、アユです。 霞ヶ浦の場合、ワカサギ、ゲンゴロウブナ、タナゴ、ヤリタナゴ、セイゴ(スズキの幼魚)です。 最近こうした魚種が網にかからなくなり、代わりにオオクチバスやブルーギルが数多く網にかかるようになったことから、バスやブルーギルが湖の本来の生態系を壊しているのではないかと疑われているわけです。

琵琶湖の生態系

 琵琶湖の生態系を考えてみましょう。 琵琶湖は面積が広く流入する河川も少なくありませんが、基本的には一般の止水生態系と同じ構造をしています。 つまり生産者として水生植物群落を持ち、消費者として数多くの動物群集を持ちます。 さらに分解者(生態的分解者)として水生貝類やユスリカなどの動物群集と細菌類があります。そしてこうした生態系を構成する生物種の多くが、湖周辺に広がる水際域を生育場所、生息場所としています。
 琵琶湖の魚類が減少を始めたのは最近のことではありません。 それは戦後まもなく始まり、1970年代の半ばには既に致命的なレベルに達していました。 すなわちアユモドキの絶滅です。 琵琶湖にはビワコオオナマズやイワトコナマズのように湖の深場を生活環境としている魚類もいますが、多くの種類は水草の茂る周辺水域に住んでいます。 その代表的な魚種がアユモドキでした。 アユモドキは琵琶湖岸の水際域の激減と共に姿を消したのです。
 かって琵琶湖周辺は広大な葦原を持ち、ヨシズやスダレ、またわらぶき屋根の材料の一大生産地でした。 戦後ヨシ材の需要の減少と湖周辺の道路の新設、拡張、舗装に伴い、葦原は邪魔者として切り払われ、埋め立てられました。 琵琶湖岸の水際域の95%以上が人為的な改変を受け、面積にしておよそ99%の水際域が失われたものと考えられます。
 琵琶湖本来の生態系とは生産者として葦を優占種とする植物群落の上に、消費者や分解者としての動物群集が存在する形です。 従って生産者としての葦原の破壊こそが琵琶湖本来の生態系の破壊であり、琵琶湖岸の水際域の埋め立てや周辺水路のコンクリート化こそが琵琶湖本来の生態系の破壊に他なりません。
 繰り返しますが、琵琶湖本来の生態系とは魚種構成のことではなく、水生植物を含む全ての生物種構成のことです。 そのことを考えるならば、琵琶湖本来の生態系は戦後連綿として破壊され続け、現在既に存在しなくなって久しいのです。 水産学者だけでなく生物学者までもが、漁業関係者や産業を重視する滋賀県行政当局の顔色を伺う形で、過去の土木行政の責任を問うことなく、あたかも魚種構成のみが琵琶湖の生態系であるかの如く議論する様は、あきれ返るどころかむしろ滑稽ですらあります。 現在オオクチバスやブルーギルが琵琶湖の魚種構成に大きな影響を与えていることは事実でしょうが、こうした外来魚が琵琶湖の魚種を絶滅させたという事実はまだありません。 しかし皇居のお濠におけるブルーギルの例を見れば、水際域を失い巨大なお濠と化した琵琶湖においても、外来魚の圧迫によって絶滅する種が生じる可能性はあります。 ここでも重要なことは水際域の存在であり、水生植物群落の存在です。 もし琵琶湖が本来の水際域と水生植物群落を保ち続けていたなら、バスとブルーギルは琵琶湖の生態系に殆ど何の影響も与えなかったでしょう。 これには根拠があります。 静岡県磐田市の桶ヶ谷沼は農業用溜池として残された自然沼で、埋め立てによって面積が半分に縮小したものの水際域と自然植生が比較的よく残されています。 ここにはアメリカザリガニやブルーギルがいますが、その破壊的影響は顕在化することなく、現在でも本州随一のトンボの名所として知られ、中でもベッコウトンボは日本で唯一確実に生息している場所です。 桶ヶ谷沼は豊富な水生植物群落を持つだけでなく、広い浅水域を持つため、ブルーギルのような中型魚の入り込めないような場所が広く存在し、同時に多くの生物種が生活できる多様なニッチェを保持しているのです。

霞ヶ浦の生態系

 霞ヶ浦は琵琶湖に比べて水深が浅く、深場でも10mを超える所はありません。 従ってかっては広大な水際域と水生植物群落を持ち、水路は人家を巡って縦横無尽に走り、棹舟(さおぶね)は人々の重要な交通手段となっていました。 霞ヶ浦の植生はアシの他にガマ、マコモ、ショウブを優占種とすることが多く、アサザやコウホネなども広く繁茂していました。 周囲にはハス田が広がりレンコンの一大生産地でした。
 戦後、霞ヶ浦も琵琶湖と同じ運命を歩むことになります。 周辺道路の拡張と整備に伴い、護岸工事が施され、水路はコンクリートで固定され、そして水際域と水生植物群落が消滅しました。 その過程はおそらく琵琶湖よりもドラスチックで、アサザ、ガガブタ、オニバス、ミズアオイ、ミズオオバコ、ミクリなど数多くの水生植物種が壊滅的打撃を受けました。 魚類ではタナゴ、ゼニタナゴ、ヤリタナゴのタナゴ類が激減、ワカサギやセイゴも数を減らしていきました。 それでも霞ヶ浦の水郷地帯は長い間タナゴ釣り、ヘラブナ釣りのメッカとして知られ、現在でも数多くの釣人が訪れていると聞きます。
 霞ヶ浦でも近年オオクチバスやブルーギルの増加が伝えられていますが、琵琶湖ほどには問題視されていません。 その理由は漁の主要対象であったワカサギが大分以前から既に捕れなくなっており、また甘露煮の主要材料であったタナゴ類も以前から激減していたからです。 タナゴ類減少の原因は水生植物群落を持つ水際域の減少と水路のコンクリート化によるものです。 一方ワカサギの減少は利根川に作られた河口堰が原因であり、この河口堰は同時にセイゴやヤマトシジミなど汽水性動物群減少の原因にもなっています。 利根川河口堰が魚介類を減少させることは、漁業関係者だけでなく行政当局側も承知していて、その建設に当たっては既に漁業関係者に対して巨額の補償金が支払われています。
 霞ヶ浦の漁業の中心は、既に漁獲から釣客を対象とした入漁料の徴収、水郷地帯の観光に移り、実際の漁業に携わる漁民の数は以前から減少していました。 漁協は湖の魚よりも漁業補償の金額に関心があり、バスやブルーギルに対する問題意識も琵琶湖程ではありません。
 霞ヶ浦が琵琶湖のような固有魚種を持たないことも霞ヶ浦の生態系が関心を持たれない理由になっています。 霞ヶ浦は利根川水系の沖積平野にできた巨大な水溜りか、沖積する土砂によって取り残された海の一部と呼べるような湖で、歴史も数十万年程度と浅く、固有魚種を育むまでには至りませんでした。 従って生物学者の間でも霞ヶ浦に対する関心は低く、生態系の破壊はこれまで野放しにされてきたまま現在に至っています。
 霞ヶ浦の主要漁獲対象種であり、釣客の目的釣魚でもあるヘラブナ(ゲンゴロウブナ)も琵琶湖から移入されたもので、霞ヶ浦の本来の生態系は既に破壊し尽くされていると言えます。

魚種のばら撒き

 日本は水に恵まれた国で、雲を受け止める脊梁山脈と豊かな水源林を持ち、河川、湖沼が大小数多く存在しました。 陸上水域は広大な水際域を伴い、水域と相俟って生物相の豊かな水生生態系を形成していました。 例外は山間部に存在する火山湖で、摩周湖、十和田湖、中禅寺湖、芦ノ湖、富士五湖などは歴史も浅く"魚のいない湖"でした。

 豊かな生態系は"豊かな資源"をもたらすとは限りません。 豊かな生態系とは生物種が多くかつその個体数が多い生態系ということです。 一方"豊かな資源"とは極めて流動的な概念で、定義することはできてもそれを事実と照合した場合、時間と共に変化してしまうことが多いのです。 例えば現在のエネルギー資源の代表的なものに石油があります。 石油は古くから"燃える水"として知られていましたが、19世紀以前まで資源として認識されることはなく、実際それまでの人類の歴史において何の役割も果たしていません。 また黒曜石は日本列島に住む人類が石器を発明してから縄文時代に至る長期の間、人類にとってかけがえのない資源でしたが、現在では全く忘れられた存在になっています。
 生物資源についても同様のことが言えます。 豊かな水生生態系はかっては豊かな資源を提供していました。 葦原のアシはヨシズや萱葺き屋根の材料として使われ、香りの良いショウブの葉は端午の節句に子供の成長を祝って菖蒲湯として利用されました。 クワイやレンコンは正月料理に欠かせないものとなり、コウホネの根は薬用として利用され、ガマの穂綿は赤裸になった白ウサギを救いました。
 日本の淡水に住む魚の全ての種は食用として利用することができ、モクズガニやシジミなど食用になる動物種も数多く存在します。 ザザムシ(トビケラの幼虫)、サワガニ、タニシ、スジエビ、アカガエルなども地方によっては食用として利用され、マゴタロウムシ(ヘビトンボの幼虫)は高級な漢方薬になりました。 しかしこれらの生物種は現在資源として認識されてはいません。

 資源には2つの要素があります。 その1つが"有用性"、もう1つが"商品性"です。
 有用性とは人間が生活のために有効に利用し得る要素のことです。 この意味で全ての生物種は人間にとって"資源"になり得ます。 枯れ枝でさえ燃料になり、落ち葉でさえ肥料として利用できます。 そして人間は20世紀の半ばまで実際にそうして暮らしていました。
 商品性とは換金性のことです。 換金性とは"買ったら高い"ということではなく、"常に売れる"ということです。 それは常時存在する市場を持ち、常に売り手と買い手が存在し、その売買に金銭を伴い、商品の売り手は常に幾ばくかの金銭を手に入れることができるということです。 市場が存在するためには商品の価格は需要者と供給者の間で決定される商品の価格水準が、ある一定レベルの範囲にあることが必要になります。 すなわち供給者が一方的に市場から撤退するような低価格であってはならず、また需要者が一方的に市場から撤退するような高価格であってもなりません。 多くの水生生物群は資源として有用ではあっても市場を持たず、従って商品性を持ちません。 資本主義経済体制が一般的に市場経済と称されるように、全ての物的資源は市場を通して決められる価格(金銭)によって評価されます。 従って市場性、商品性、換金性の欠如は、評価の対象外のものとして無価値のレッテルを貼られることになります。 有用性もそれを利用しない者にとっては意味のない属性に過ぎず、金にならないものは不要なもの、あるいは邪魔者として破壊と排除の対象になったのです。

 商品性を問題にする場合、豊かな生態系と豊かな資源とは何の関係もありません。 熱帯雨林や暖海の珊瑚礁は生態系としては最も豊かなものですが、それは役に立たないものとして破壊され排除されることが珍しくありません。 ブラジルに移民した日系人は農地や牧場を作るために森林を焼き払い、切り株を掘り起こしました。 沖縄では観光客目当てのリゾート開発のために、海水浴場とされる海岸から危険と見做される珊瑚礁が全て撤去されました。
 商品性に関する限り、豊かな生態系は何の意味も持ちません。 意味を持つのは金になる生物が如何に数多く存在するかということだけです。
 ヨーロッパの中世から近代までドイツのリューベックを中心に活動したハンザ同盟は、ノルウェーのベルゲンをその北の拠点としていました。 ハンザ商人がここで求めているいたものが乾燥ダラ(cod、コッド)です。 ベルゲンにはタラを売りにくる漁師とそれを購入しようとするハンザ商人によって市場が形成され、このタラの市場だけで数百年の間、町は繁栄し続けました。
 日本ではノルウェー海のタラに相当するような魚種はありませんが、イワシ、アジ、サンマ、ニシン、サバ、サケ、ブリ、カツオ、マグロなどが商業魚種として重要な位置を占めています。 しかし淡水生態系においては際立った商業魚種は存在しません。 商業魚種として市場を持つためには一度にたくさんの数が獲れなければならず、川辺りを探って少数が捕まえられるだけのウナギやナマズでは商業種になりえないのです。 かろうじてワカサギだけがこうした条件を満たしていて、かっては霞ヶ浦を始めとして河口湖など多くの湖でワカサギ漁が行われていました。 ワカサギは金になる魚として全国の湖に放流が試みられ、その子孫が多くの湖に生き残っています。
 金になる漁業を目指す日本人のやり方は、メクラ滅法と言うべき魚種の放流でした。 金になりそうな魚種は内外を問わず移入、放流されました。 ワカサギは人工授精した卵を各地に移入することが現在においても行われています。
 琵琶湖は国内における移入魚種の一大供給地としてゲンゴロウブナ(ヘラブナ)、ハス、ビワマス、ホンモロコなどが各地に移入された他、アユの大供給地として現在においても毎年数百トンに上る稚アユを各地の漁協に提供しています。 琵琶湖のアユは海に下らないため、各河川において自然繁殖しません。 しかし河川においては在来のアユと同じニッチェを持つため、在来種の生息域を圧迫して既に減少しつつある在来種の存続を脅かすことになります。 それでも漁業関係者に在来種保護の動きは微塵もなく、生物学者にさえ琵琶湖のアユの放流を止めさせようという意見はありません。
 各地に移入された国内魚種で有名なものにヒメマスがあります。 ヒメマスは北海道の阿寒湖から各地の湖に移入されました。 こうした移入事業は今なお"誇るべきこと"として捉えられていて、十和田のヒメマスの話はその移入事業にかけた人の感動的な物語として国語の教科書に取り上げられる程でした。
 移入対象魚種は当然のことながら海外に及びます。 1877年ニジマスが北米から移入されたのを皮切りに、カワマス(ブルックトラウト)、カダヤシ(タップミノー)、オオクチバス(ブラックバス)が移入され、ヨーロッパからブラウントラウト、1877年中国大陸からソウギョ、その後1943年にアオウオ、ハクレン、コクレン、タイリクバラタナゴ、さらにカムルチー、タイワンドジョウが移入されました。 アフリカからはテラピア類が移入され、1954年にカワスズメ(マウスブリーダー)、1962年にナイルカワスズメ(イズミダイ)、1963年にジルティラピアが移入されています。 さらにチョウセンブナが1914年に朝鮮から、また東南アジアからタイワンキンギョが移入されています。
 観賞用魚種として移入されたものを含めれば、南米からのグッピーを始め枚挙に暇がなく、これらの魚種も意図的、非意図的を問わず河川に放流されていることは間違いありません。 東京付近では既にピラニアの捕獲例があり、東京都葛飾区水元公園付近の江戸川では、四手網に入ってきたガーパイクが目撃されています。
 漁業関係者による意図的かつめちゃくちゃな放流は現在においてなお一層盛んに行われており、1999年8月のキャンパーの水難事故で有名な神奈川県丹沢湖にはペヘレイが放流されました。 金になりそうな生物種の移入は魚類に限られず、ウシガエル(食用ガエル)、ウチダザリガニ、またカエルの餌用としてアメリカザリガニなどに及び、またスクミリンゴガイ(ジャンボタニシ)も当初商業用として組織的に移入されたものです。 本来水生生物が殆ど存在しないはずの北海道の摩周湖に、ニジマスやウチダザリガニが生息するのもこうした放流の結果の一つです。

移入魚種の生態系に対する影響

 移入された外来魚種が日本古来の生態系を破壊するのではないかという懸念は古くからありました。 有名なものがライギョ(カムルチー、タイワンドジョウ)とカダヤシ(タップミノー)です。
 ライギョのうちタイワンドジョウは既に希少種に数えられる程に減少しており、現在では全く問題になりません。 一方カムルチーは戦後各地の池沼に分布を広げ、魚食性を持つ大型魚であることから、日本古来の生態系を破壊するのではないかと懸念されていました。 カムルチーのニッチェはナマズに近いものですが、ナマズより大きくなりまたナマズより大型の魚を食べます。 カムルチーの影響はまず公園池で問題になり、東京の井の頭公園ではコイが全て食べられてしまうのではないかと心配されました。 現在東京近郊にカムルチーの姿を見ることはなくなり、漁業関係者や生物学者の間でもいつの間にか話題に上らなくなっています。 おそらくライギョ減少の理由はナマズが減少した理由に近いと考えられます。 ナマズは池沼や水路のよどみの中の洞穴や石の間を住処にしています。 河川の護岸工事や水路のコンクリート化はナマズの住処を奪い、その数を急激に減少させました。 ライギョも遊泳力に乏しく、ナマズと同様の住処を必要とします。 従って結局は水際域を失った日本の池沼や水路では、充分に繁殖できる程の生活力を発揮できなかったのかもしれません。

 カダヤシ(タップミノー)は1913年に北米から関東地方に移入されました。 "蚊絶やし"の名前から分かる通り、当初の目的は蚊の駆除です。 当時の東京は現在と違って水路がいたる所に張り巡らされていました。 銀座の柳は水路沿いに植えられた街路樹で、日本橋や京橋、町子と春樹が出会った数寄屋橋などは水路を跨いで実際にあった橋の名前です。 都心にあったこれらの水路は古くから石垣やコンクリートで護岸され、水生植物は殆ど生育していませんでした。 また東京湾に近く汽水が入り込むためメダカは生息していなかったものと推測されます。 この水路に発生する蚊類への対策としてカダヤシが導入されたのです。 カダヤシは汚濁水に強く汽水にもよく耐えるため、東京の水路によく適応して増殖しました。 昭和30年代に多摩川下流の河川敷に点々として存在した池にはカダヤシが数多く生息していましたが、メダカは全く生息していませんでした。
 関東地方ではカダヤシの増加がメダカの生息域に及び、メダカの生息を圧迫しているのではないかと懸念されていました。 現実にはメダカの生息を圧迫していたのは人間による水際域の破壊で、特に水田脇の水路の深堀と三面コンクリート化が致命的な影響を与えていることが知られています。 近年メダカは絶滅が心配される程に減少していますが、カダヤシはメダカの減少について殆ど何の影響も与えていないと考えられます。
 カダヤシとメダカの生息状態については、水槽飼育などで実際に比較してみることができます。 水生植物が適度に存在する場合、メダカは容易に繁殖しますが、カダヤシは繁殖しません。 カダヤシの飼育は意外と難しいのです。 カダヤシはメダカよりも大きく同じニッチェを占めるため、同じ場所に生息している場合には確かにメダカを圧迫しているように見えます。 カダヤシが卵胎生であることも確実に子孫を残すための有効な性質だと考えられます。 しかしカダヤシはメダカと同じ生存適性を持っているわけではなく、その生息条件は微妙にずれています。
 カダヤシは完全な止水を好み、汚濁水、汽水に適応できます。 これに対してメダカは淡水であれば止水域だけでなく多少流れのある所でも適応できます。 カダヤシは卵胎生で子孫を残せる可能性を高めているものの、生まれる稚魚の数に制約があります。 メダカは卵生で付着卵を数多く産みますから、水生植物が繁茂した環境ではメダカは極めて高い増殖率を維持することができます。 またカダヤシはメダカよりも低温に弱く、山間地や東北地方で繁殖せず、飼育個体でも屋外で冬を越させることは容易ではありません。
 総じて日本の原生水生生態系においてはカダヤシが生息する余地は殆ど無いと言ってよく、日本古来の生態系を変化させることはあり得ません。

オオクチバスとブルーギルの影響

 これまで述べてきたことを踏まえて、今一度オオクチバスとブルーギルについて考えてみましょう。
 日本の水生生態系の中心は河川とそれに繋がる多くの水路、そして水路に繋がる池沼です。 多くの火山湖は生物相に乏しく、湖はこの国の水生生態系の主役ではありません。 例外は琵琶湖と沖積平野に現れた湖で、一部汽水湖を含みます。
 オオクチバスもブルーギルも河川の本流に生息せず、また水田脇の用水路にも生息しません。 両種が生息するのは人工的に作られた止水域や、国内外種の野放図な放流の結果、既に古来からの生態系が消滅して久しい多くの火山湖です。 例外として霞ヶ浦と琵琶湖がありますが、霞ヶ浦の生態系が外来魚の移入以前に既にオリジナリティーを失っていたことを考えれば、真に問題にすべきは琵琶湖のみとなります。
 そして琵琶湖の水生生態系はアユモドキの絶滅に代表されるように既に壊滅的な破壊を受けており、原生生態系とは程遠いものになってしまいました。 その様相は人工湖に近く、ダム湖や皇居のお濠に近いものです。 こうした中でその状況に適応できるオオクチバスやブルーギルが繁殖するのは至極当然のことで、琵琶湖の水際域の様相が変わらなければ、バスやブルーギルは極相に向かって増え続けるでしょう。 皇居のお濠や芦ノ湖の例から推測すれば、極相まで30年程度を要すると思われます。 従って琵琶湖のバスとブルーギルは10〜15年後には極相に達し、この過程で幾つかの魚種が危機に晒されるかもしれません。 しかし琵琶湖の水際域を現在よりも回復させることができるならこの危機は回避することができます。 オオクチバスやブルーギルが他の魚種に壊滅的な影響を与えるか否かは、琵琶湖の水際域に対する人間の係わり方次第なのです。

真の問題

 日本人が日本の水生生態系を守ろうとしたことは過去に実例がありません。 日本人の金銭に対する執着は凄まじく、水産行政当局と漁業関係者は金目当ての魚類の移入、放流に躊躇することはありませんでした。 そしてこのことは現在においても全く変わっていません。
 北海道では多くの川にサケの人工孵化場があります。 孵化場付近の河川では、サケの稚魚と餌を競合するという理由でトミヨ、エゾトミヨ、イバラトミヨが、サケの稚魚を食うという理由でオショロコマ、アメマス、ハナカジカなどサケ以外の全ての魚種が排除の対象になり、捕獲されては捨てられています。
 鹿児島県の池田湖ではアフリカからジルティラピアが移入されて増殖しています。 しかし池田湖の古来からの生態系の破壊が問題にされることはありません。 ジルティラピアは意図的に導入された魚種で、池田湖で最も金になる魚だからです。
 箱根の芦ノ湖、富士五湖の河口湖や山中湖ではオオクチバスは排除されるべき魚ではなく、積極的に移入が図られています。 河口湖漁協は霞ヶ浦漁協からオオクチバスを買い取って河口湖に放流していました。 河口湖はこれまでワカサギ、クニマスなど考えられ得る全ての魚種が放流されてきましたが、結局どれも充分な商業資源として成長するに至らず、釣魚としてのオオクチバスの人気が釣客を呼び寄せ、結果として最も大きな金銭的利益をもたらす魚種となったのです。 当然のことながらオオクチバスが河口湖の生態系にどのような影響を及ぼすかということは全く考慮されていません。
 霞ヶ浦でオオクチバスの増加が大きな問題になかった理由の一つに、河口湖漁協のようなバスの買い手が存在したことが挙げられます。 一方琵琶湖のバスには買い手が無く、食用にも利用されず、獲った魚は捨てるしかありません。
 結局、琵琶湖のオオクチバスやブルーギルが持つ本当の問題はそれらが"金にならない魚である"ということに尽きます。 "金にならない魚"が"金になる魚"を食べてしまう、これが琵琶湖漁協にとっての真の問題に他なりません。 もしバスやブルーギルが大金をもたらすならば、漁協が生態系の破壊を問題にすることはないでしょう。 漁協や水産行政当局の顔色を見ながらコメントを発する生物学者も、生態系の破壊を問題にすることは無いと思います。
 生態系の破壊が問題ならば1975年琵琶湖の生態系が急激に破壊され、アユモドキの絶滅がほぼ確認された時点で問題にされなければならず、その時に有効な対策が打たれていなければならなかったはずです。 しかし実際は何も問題にされず、生態系はその後も破壊され続けました。

結論

 オオクチバスとブルーギルはライギョやカダヤシなど過去に問題となった外来魚と同様、日本の水生生態系に大きな影響を与えることは無いでしょう。
 日本の湖沼の多くが既に古来からの生態系を完全に無視しためちゃくちゃな魚種移入を経験しており、外来種による生態系の破壊という概念が既に意味を為しません。
 行政当局も漁業関係者も生物学者も誰一人生態系を保護しようという意志はなく、相変わらず金銭の獲得のみを金科玉条として行動しています。
 唯一例外は琵琶湖で、琵琶湖の生態系はバスやブルーギルによって影響を受ける可能性があります。 しかしそれも外来魚の影響が避けられないような単調な水域に琵琶湖を改変したことが原因であり、この改変こそが最も大きな自然破壊だったのです。
 オオクチバスとブルーギルの真の問題はそれらが金にならないということであり、もし高く売れるのであれば何も問題にされることは無かったと思います。

この稿おわり


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