自然保護と生態系

JAI 日本水生昆虫研究所


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 本稿では自然保護を考える場合の対象とする自然を「人間以外の生物のこと」と限定しました。 このように表現すると、それは結局のところ一般的に言われている「野生動物の保護」あるいは「野生生物の保護」と同義ではないかと思われるかもしれません。 先に述べた「トキの保護」や「イリオモテヤマネコの保護」というのは、この「野生生物の保護」に該当するからです。

 「野生生物の保護」というのは保護の対象となる生物を特定してその種の存続を維持しようとするもので、人間の特別な活動の一つと考えられます。
 ここで特別な活動というのは特殊な活動という意味ではありません。 それは個々人の職業や社会的立場、あるいは組織や団体の役割などに応じた個別の活動という意味です。 つまりパン屋がパンを焼き、床屋が客の髪を刈り、郵便局が手紙を取り扱い、病院が患者を診る様に、人間の通常の活動ではあってもそれを担当する者だけが行なう様な活動だと言うことです。
 例として人間の医療活動を考えてみますと、これは人間の病気や怪我の治療を主な目的とした人間の特別な活動です。 活動地点が病院を中心とした特別の場所に限られているだけでなく、活動主体も医者や看護婦といった特定の個人に限定されています。 医療活動は人間にとって決して特殊な活動ではありませんが、通常一般の人々が参加することはありません。 また医療方法もそれぞれ患者の容体に応じて適切な方法が定められていると考えられます。
 このように医療活動というものが、対象、場所、方法、主体の4つの項目について限定的性格を持っていることが分かります。

 一般に言われる「野生生物の保護」というのも同様の限定的性格を持っているために、これが人間の特別な活動の一つと考えることができます。 そのことを具体的に検証してみることにしましょう。

 まず保護の対象となる生物種については客観的な選定基準があるわけではありません。 選定理由の一つとして希少性が挙げられますが、現状から言えば希少性がそのまま保護の理由になっているとは考えられません。 昆虫類を例にとってみると、俗にレッドデ−タブックと呼ばれる環境庁の『日本の絶滅のおそれのある野生生物』1991年版には、絶滅種を含めて206種の記載があります。 内訳は絶滅種が2種、絶滅危惧種が23種、危急種が15種、希少種が166種です。 この内、民間のボランティアなどを含めて何らかの形で保護の動きがあると思われるものは、絶滅危惧種で23種のうち2種(ベッコウトンボ、ヤンバルテナガコガネ)、危急種で15種のうち5種(ミヤジマトンボ、タガメ、ギフチョウ、ル−ミスシジミ、タカネヒカゲ)、希少種では166種のうち12種(コガタノゲンゴロウ、ウスバキチョウ、ヒメギフチョウ、ミカドアゲハ、チョウセンアカシジミ、キマダラルリツバメ、オオルリシジミ、アサヒヒョウモン、オオイチモンジ、オオムラサキ、ダイセツタカネヒカゲ、ヨナクニサン)ほどに過ぎないと考えられます。

保護対象種に蝶類や大型昆虫類が多いことが一見して明らかで、このことは希少性よりも色や形などで人目を引きやすいことが保護対象種として選択されるための大きな要因になっていることを示しています。
 これは昆虫類に限らず他の動物や植物についても言えることで、例えば水生植物ならばオニバスを保護しようとする試みはあっても、各地で激減しているアカウキクサやデンジソウについては保護の動きはないようです。
 尚、国立公園のように一定の地域の自然が丸ごと保護されている場合、その地域内に生息する生物種は実質的に保護されていることになりますが、ここでは保護対象として明確に意識されていると思われる種類のみを列挙しています。 西表(いりおもて)島の自然が保護されているからといって、ハブやハマダラカが保護の対象種として意識されているとは言えないからです。 また国立公園内では石ころを拾うことさえ禁止されていますが、石ころが保護の対象として意識されているわけではありません。
 補足しておきますと、絶滅したとされる2種の昆虫(カドタメクラチビゴミムシ、コゾノメクラチビゴミムシ)については、保護の手が打たれたという記録はありません。

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 保護活動が実施される地理的範囲を考えてみますと、トキでは新潟県の佐渡トキ保護センタ−であり、イリオモテヤマネコでは沖縄県の西表島です。 昆虫類ではコガタノゲンゴロウやタガメが一部の水族館や民間の有志によって施設内や私有地内で繁殖が試みられています。
 蝶類やトンボ類では、ある一定区域を保護区域(サンクチュアリ)に定めてそこに限って保護されることが多く、高山蝶の多くが国立公園内で保護されていることなどが例として挙げられます。

 保護区域の設定というのは野生生物の保護の手段としても非常に重要なもので、たとえ保護種の増殖に成功したとしても、生息場所が確保できなければ保護の効果が半減してしまいます。 またサンクチュアリとは言えないまでも、生息場所の開発規制は多くの生物種の保護にとって必要不可欠の方法であると言えます。

 保護の方法として特異なものに一般的な商取引を禁止するというものがあります。 これは商品として取引の対象となったことが、過去において生物種の絶滅の原因の一つになったというだけでなく、現在においても乱獲を誘発する直接の原因になると考えられているからです。 ミヤコタナゴなどではこうした方法も取られていますが、国内では比較的珍しい例と言えます。
 国際的な動物保護を目的としたワシントン条約も同様の考え方によるものです。 この条約は世界的に重要と思われる生物種及びその生物種を使用した物品の国際的な商取引(貿易)を原則として禁止することを定めたもので、日本もこの条約を批准しています。 ちなみに批准(ひじゅん)というのは、国の外交機関が取り決めた国際的な約束である条約を、国の最高権力機関である国会が承認することです。 条約は締結しただけでは発行しません。 議会で批准されてからのち効力を持つことになります。


 次に誰が野生生物を保護するのかということを考えてみましょう。 トキの場合にはトキ保護センタ−の職員であり、保護区域が設定されている場合や開発規制が行なわれている場合には、行政当局並びに担当職員ということになります。 国立公園ならば管理事務所及び監視員になるかもしれません。 民間が保護主体になる場合では一部有志の人々ということになります。

 以上のことから、一般的に言われる「野生生物の保護」というのが次の四つの特徴を備えた人間の特別な活動の一つと考えることができるのです。

  1. 対象生物種が特定されていること
  2. 地理的範囲が限定されていること
  3. 特定の方法が定められていること
  4. 活動主体が特別の個人ないし団体に限られていること


 ところが、我々が本稿で定義した自然保護というのは、こうした特別な人間の活動だけを意味しているのではありません。 それは生命の価値を認め生命を尊重するという前提を基礎として、全ての生物種について、また人間の生活圏を含めたあらゆる空間において、そして有効と思われるあらゆる方法を試みながら、生物の生存を積極的に認めていこうとする思想なのです。
 従ってここで言う自然保護というのは、トキの保護や特定の昆虫類、山野草の保護のことだけではなく、むしろ私たちが身近にいる生物とどのように接していくべきなのかという生活態度に深く係わってくる事柄なのです。

 現代においては日本の、そして地球上の殆ど全ての陸地空間が人間の活動圏と考えられますから、山林で、農地で、公園で、街路で、水辺で、庭先で、私たちがどのように生物達を受け入れていくのかを考え、そして実行していくことが具体的な課題となります。
 それは私たちが自然に対して譲歩することであり、また同時に少なからぬ自己抑制を必要とすることになるかもしれません。

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 さて具体的な自然保護の問題に立ち返ってみましょう。 自然保護というのは全ての生物種についてその未来に渡る生存を無条件に保障しようとする考え方です。 生存を保障するというのは遺伝子の存続を維持するという意味ではありません。 生物を資源としてのみ捉える考え方や野生生物の保護についての悲観的な見方の中には、未来の生物の一部は動物園や植物園の中だけでのみ生存することができ、その他の多くの生物は遺伝子バンクの中にその遺伝子を残すことになるだろうと予想する向きもあります。 アメリカではこのような遺伝子バンクが現実に存在して活動を始めていると言われています。

 しかしこうした考え方では最終的に全ての生命を人間の管理下に置くことになって、生命の歴史を人類の運命に連動させることになります。 つまり人類が滅亡するときには、人間が管理する全ての生命を道連れにするということです。
 我々は人類の歴史は生命の歴史の一翼を担うに過ぎないと考えていますから、こうした考え方を採用しません。 動物園や植物園、遺伝子バンクなどの施設が一部の生物の保護に関して有効であるとしても、これらの施設で数百万種ともいわれる全ての生物種を確保できるとするのは非現実的です。 仮に全ての生物種が遺伝子バンクの倉庫に保管できたとしても、その遺伝子を生物の姿に変えて生存する場を確保できなければ、そもそも遺伝子を保管する意味がありません。

 こうした考え方の前提になっているのは、「人間が未来に渡って他の生物の利益(生存)を考慮して、自らの利益を追求する行動を抑制することはない」という予想です。 あるいはそうかもしれません。 しかし我々はそれでも人間のこうした価値観を改善するべく努力を続けるべきだと思います。 予測できない将来において、もしかすると問題を解決する劇的な知恵が生まれないとは言えないからです。
 古い表現を使えば
天、勾践(こうせん)を空(むな)しうするなかれ。時に范蠡(はんれい)無きにしもあらず
というところでしょうか。

 勾践  

春秋時代の越の王。父王の頃から呉と争い、父の没後、呉王闔閭(こうりょ)を敗死させたが、前499年闔閭の子夫差に囚われ、ようやく赦されて帰り、後范蠡と計って前477年遂に呉を討滅。

広辞苑



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 ここで生物の生存の場について考えてみましょう。

 人間が人間だけで生活しているのではなく、他の生物を利用しながら生活しているように、人間以外の生物も他の生物との関係の中で生活しています。
 細菌類の中にはある特殊な生活環境の中でその生物種だけが生きているということもありますが、一般的には全ての生物種は他の生物と係わり合いながら全体としてある一定の生息環境を形成して、その中で生活していると考えられます。

 従ってこのような生息環境の存在が、生物が生存するための基礎的条件になり、狭義での野生生物の保護に於いても、ここでいう自然保護に於いてもこうした生息環境の維持が重要な課題となります。

 この生息環境を特に生物に注目した一定のシステム(系)と考えたものが生態系といわれるものです。
 生息環境というのは例えば気候なども含めるのですが、こうした無機的環境は所与と考えることもできますから、生息環境の可変的要素としての生態系の保全が生息環境の維持にとって極めて重要であるということになります。 先に述べたイリオモテヤマネコの保護あるいは山野草や昆虫類の保護について言えば、生息環境の維持と生態系の保全は事実上同義と言っていいでしょう。 従って生息環境の維持を生態系の維持と言い換えても差し支えないと思います。

 しかしながら生態系とはどのようなものかということについては必ずしも正しく認識されているとは限りません。 一部に見られる表現で「農業は生態系を利用した産業である」というのも誤った認識の例として挙げられます。
 これは農業と生態系との基本的な係わりに関することですから、これについて少し触れておきたいと思います。

 ものを利用するということはそのものが存在しなければ成立しません。 無いものは利用できないのです。 従って生態系を利用するということは、その前提となる生態系の存在が欠かせないことになります。

 具体的に考えてみましょう。 熱帯地方では今だに焼畑による農業が行なわれています。 焼かれているのは主に熱帯林で、熱帯林は熱帯の森林生態系を構成しています。 ブラジルではこの熱帯林を焼き払った跡地がコ−ヒ−園や放牧場として利用されていますが、そこには元あったはずの森林生態系は影も形もありません。 森林生態系は利用されたのではなく破壊されたのです。 ここで熱帯林は焼かれて灰となり、コ−ヒ−や牧草の肥料として利用されていると強弁することができるかもしれません。 しかしそれでは常識的な理解に反していますし、物事を合理的に正しく判断しようと努力している人をバカにすることになります。 仮にこうした強弁を認めるにしても、利用されたのは森林であって生態系ではありません。

 同様のことは日本の農業についても言えます。 その土地に存在した生態系を利用した農業というものは、少なくとも日本においては殆ど見当りません。

 この生態系の利用という事柄に関して、現在の一部の学者の認識の中に生態的等価という考え方があります。 これはある生態系において一つの生物種を別の生物種に代替させたとき、生態系に変化が起こらないことを表現したもので、このとき元の生物種と新しい生物種の関係を生態的等価と呼びます。
 日本の水田が昔の葦原に稲を代替させたものと見做すとき、一部の学者は葦と稲との関係を生態的等価と考えているようですが、これも生態系というものが正しく理解されていないための誤解の一つと言っていいでしょう。 葦という植物は多年性で冬の間も地中に生きています。 これに対して稲は一年性で水田に存在する期間は田植えから稲刈りまでの5ヵ月程です。 後の7ヵ月間はその存在からいっても稲は葦を代替していません。
稲の生存する期間に限って見た場合でも、生態的等価であるためには水田の生態系を構成する生物種とその個体数が葦原を構成する生物種とその個体数にほぼ匹敵する必要があります。 現実には葦原には様々な生物種が数多く存在しますが、水田には農薬の影響もあって殆どの生物種が絶滅しています。
 常識的に判断すれば、静岡県の桶ケ谷沼を水田に変えた場合、65種といわれるトンボが引き続き生息できるとは考えられません。

 農業とはそれ以前の植生を破壊した跡地を利用した産業であって、当然元の植生を基礎とした生態系は破壊されています。 それは現在日本において栽培されている農作物のうち、日本の生態系の中で生まれ育ったものが、シソやミツバ、ワサビやタケノコなど極く一部を除いて殆ど存在しないことも理由の一つと考えられます。

 しかしながら、元の生態系とは違っていても農地が新たな生態系を形造ることができるならば、それが自然保護にとって有効であるばかりでなく農業経営にとっても有益であるかもしれません。 つまり生態系の仕組みを理解することが、農業の技術的改善の可能性を広げるだろうということです。

 以上述べたことを踏まえて、生態系というものを正しく理解するために必要な基本的な知識と考え方を次に示しておきたいと思います。


この稿おわり


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