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2002.5.8
久々にサッカーをした。3月に荒川の河川敷で翌朝から筋肉痛でひいひい言うほど走りまくった時以来だからおよそ2ヶ月ぶりぐらいだった。相変わらずボールコントロールは下手で、ボールに寄せるタイミングも思い切りがよくない。そうやって自分のプレイは中高とずっとそんな感じだったよな、と思い出しつつ汗をかく。どうしようもない結論だけど、やっぱりサッカーは楽しい。それだけなんだよな。

とにかく4月とは違った新たな生活サイクルに馴染むことが先決かな。レアル戦なんて二の次でしょう。それにしてもこの頃どうしてこんなに日本代表のサッカーは自分に近しいものでなくなったのだろうか?
 

2002.5.6
ゴールデンウィークという実感もなく、オーケストラの合宿へ行って、次の日はまたオーケストラの練習。全ての中心にオーケストラが据えられつつあって、それ以外のものはサッカーでさえも少し霞んでしまっているのが現状なのです。コパ・ナビスコも柏の葉に行って以来ずっと結果のみしか追っていない。大学に入ったらサポートとオーケストラの両立だ!と思っていたけど、現実はそこまで甘くないみたいで比重のかけ方によって天秤みたいに色々なものとの関わりが軽くなるのは当然のことなのだろうと。

そういうことで、とりあえず模索していたこのサイトもこんな感じで更新しよう、と決めましたのでお付き合いください。
 

2002.5.2
昨日は飲みで日付けが変わってから帰宅、今日は1限から授業、明日からはサークルで合宿。本当にめまぐるしい忙しさ。別に自分が望んだことだから、「忙しい」ってのはおかしいけど。

他のことをしながらぼんやりと日本対ホンジュラス戦を見ていた。なんの感情も起こらない。熱さを感じないっていうのか、テレビを見ているだけでもスタジアムの雰囲気がどうもしっくりこないな、と感じる。張り詰めるような緊張感も、勝利だけを願う心も、厳しい視線も。いまや代表はあまりにも一般化されて存在してしまっているのかもしれない。
 

2002.4.30
磐田相手に引き分け。コパ・ナビスコだし、監督問題はまだあるしなんだか素直に結果を解釈は出来ないけれど、やっぱり「厚別だから」引き分けに持ち込めたんだろうな。なんだか、どこをとっても勝てそうもないのに意外に健闘できちゃうあたりホームって雰囲気でいいなぁ。

大学へ行って休講が山のようにあることを期待していたのに、5限まで全部埋まっていた。あまりの不条理さに(自分が不条理なんだが)自主休講することにして、久々に4時前に家に帰ってきました。太陽が眩しかったから殺人を犯すよりは、まだ理性的な判断だと思いますが・・・言い訳ですか?それは。
 

2002.4.29
一段落着いたら買おうと思っていたノートパソコンをやっと購入。SONYのPCG-FX99V/BP。とりあえず、自分専用のパソコンっていうのが嬉しい。パーソナルなコンピューターと言っても今まで色々と人の目を気にしなければいけなかったし。とりあえずは今のデスクトップから必要な情報を移植する作業をしないと。

明日は大学。えー、やるのー?って思いますが。こういうのって金銭感覚が麻痺しているか勉強に対する意欲がないって見られるんだろうな。でも調子が狂うことのは否めない事実だし。
 

2002.4.27
ナビスコということもあり、なんとも中途半端な柏の葉のスタジアムに拍子抜けしたこともあって、それほど必死になれずに極めて平熱にサポートに入った。試合のほうも札幌は予想通りだし、柏の方もコリアンコンビと明神が抜けているおかげで今一歩の出来で全体としては低調。結局後半に、大野に決められそのまま終了。ま、でも洋平がPK止めたのは見たし、吉瀬や中尾の姿も見られたし(新居が見られなかったのは残念)、それなりに納得できた試合ではあったな。試合に負けたのは内容を見たら当然だもの。そんな中でちょっとだけ感情が激しく湧きあがってきたのは試合終了後挨拶に来ていた吉瀬が泣いていたこと。別に泣くことが特別かっこいいとは露ほども思わないけれど、彼のために「We are Sapporo」と素直にコール。

柏の葉は確かに見やすい環境とは言えないかもしれないけれど、そこまで酷評を受けるほどの酷さとも思えなかった。それだったら横浜国際の方が批難されるだろうし。要は日立台との比較なんだろうな、行ったことはないけど。柏の駅からは遠い、ピッチからも遠くて見にくくなればそりゃ怒るのは当然だと思う。特に柏の葉のナイトゲームは相当行きにくいだろうし、最低でも今日みたいに午後の早いうちにキックオフしなければまた行く気にはなれないな。
 

2002.4.26
いよいよ今年の私的開幕戦。久々に札幌を生でサポートする機会がやってきました。例えそれがチームはリーグ戦最下位で、監督不信、故障者続出で、しかも試合は勝ったところでどうなるわけでもないコパ・ナビスコの予選リーグで、その上会場が見にくいことで有名な柏の葉であっても。こんなに悪条件が重なっているのにも関わらず、どうしようもない期待感を持っているんですよね。この逃れられない螺旋階段に陥っている自分が不思議と心地よいです。

大学の生協書籍部に「みだら妻恥辱の調教」が置いてあったり、本当に普通の鯛焼き屋にいわゆる「あゆ」やいわゆる「うぐぅ」がマスコットキャラとして使われているのは非常にミスマッチでもあり、そのカオスさに笑いを抑え切れないのです。でも、こういう巧まざるがあることは妙に安心感を受けるものでもあります。
 

2002.4.22
首相官邸が新しくなったそうですが、どうしてセレモニーの時の音楽がモーツァルトのアイネクライネ・ナハトムジークなのでしょうかね。高校時代は毎年弾いていた曲だけに急に所帯じみてしまっているのですけど。

新しい1週間の始まり、ということをはっきり意識するようになったのって実はかなり久しぶりなんだよな。ついでに言えば月曜日が辛いのも。それもこれも含めてまた慣れないといけない。異文化理解に関する本を読んでいるのだけど、カルチャーショックというものを経験することってそれほど珍しくないことではないかと環境が変化するたびに思う。大学へ行けば独自の文化やメタファーや様式があり、それは今まで生きてきた世界とは違うものだ。世の中なんて自分からしたら異文化と呼べるものだらけで、自分の人生はただ異文化だったものを自文化に転換していく過程。そんな異文化だらけの世界に自分は生きているって認識を持つことは大切なのかなぁ、と。
 

2002.4.21
東京都1部の今年初観戦。FC町田ゼルビア対FC青山。強い雨が降りつける中での観戦でした。去年の東京チャンピオンに対して、きちっとボールを支配して、組立ててシュートまで持っていく。何度かあった危ないシーンは必死にボールをかきだしてディフェンス。今まで見たFC町田の中で一番良い試合をしていた気がします。見ていて本当に楽しい試合。プロなんかじゃなくてもサッカーは楽しめる。結局2−0で勝利。今季初勝利。なんでも今年は元Jリーガーや高卒の選手が加入してきて戦力的に充実しているとのこと。

さてそのFC町田ゼルビアなのだけど、ただ単に試合を見るという立場からどうやらもう一歩踏み込んだ立場で関わることになりそうです。それは後援会のスタッフとしての関わりのようなものになると思います。今まで事実上名前だけの組織だったものを実際の市民クラブとしてのサポート組織とするその手伝いをする形になるのではないかと。とにかく、普通の観戦者ではなくなったことは確か。ワールドカップだ、Jリーグだというのも大切かもしれないけれど、それよりももっと大切で身近なものがここにあるのかもしれません。

それにしても、こうやって選手が入ってきて、後援会も動き出そうとしている今の状況を見るとほとんど同好会レベル(と言っては失礼だけど)だった2年前より非常に進歩していると言う感慨があります。それもこれも、町田に市民クラブを作ろうと動いて下さっている方がいるからであって、それは僅か数人なのだけれどもそれでも確かに変わろうとしているんです。一人一人の力というのは決して無力なものではあり得ないと思います。なんでもできるとは思わない。でも、やろうと思えばできてしまうことは意外に多いのです。
 

2002.4.20
今度入るオーケストラの新歓コンパで飲む。自分がかなり飲めそうだっていうことが最近やっと分かってきたような気がする。すごく楽しく話をしながらで、こういう飲みならいつでも良いかな、と思います。落ち着いた雰囲気というか、自分の入った大学のイメージってこういうものだ、というのにぴったりはまっていたのが嬉しかった。なんだか居心地良さそうです、オーケストラ。やっぱり大学生活の核ですから。

そんな具合で、ちょっと浮かれていたので、札幌がまた負けても大丈夫。それに加えて曽田が絡んで新居がJ初出場初ゴールを決めたらしいと聞けば、結果なんて不謹慎だけど予想の範囲内だっただけに、なんだか嬉しさの方が先になってしまいます。J2では優津樹と河村がゴール決めてますし。今はなんだかポジティブシンキングです。それはやっぱり酔ってるからですか?どうなんですかぁ(と山へ向かって叫んでみるポーズで)?

あ、でも監督は考えて欲しいと思いますよ、本当に。何度もいいますけど、内容云々ではなく結果に責任を取るために監督という職業は存在しています。選手を全て取り替えることは不可能ですが、監督の交代はやろうと思えば出来ます。タイミングは今以外にはないと思います。
 

2002,4,18
ギリシャ神話のオルフェウスの話をモチーフにした短編小説を英語のテキストで読んでいて、なんだかすごいデジャビュを感じるのは何故だろうと思ったら、日本にもこういう神話があるんですね、それも有名な。言うまでもなくイザナギがイザナミを黄泉から連れ戻そうとする話で、細部のディテールも結構似通ったところがあります。互いが影響を受けていた、ということは考えにくいでしょうから、神話の世界には世界共通の要素が見出せるのかな?と単純に考えてしまいます。だとすれば、その共通の神話構造に乗せてストーリーを書けば、かなり普遍的にアピールできる作品が作れるように思えるのは気のせいでしょうか。今でいうと、ファンタジーの世界。ハリーポッターや指輪物語が世界中で受けているのも(両方とも見てないですが)そういう要素があるからなのかと。

そろそろ土曜日。また憂鬱な結果を拝むことになりそうな札幌の試合ですが、次負ければ監督が解任される可能性が高くなるという事で、不思議に敗戦を希望する声が大きくなってきていますね。それ自体はこの頃試合が見られてない私にとっては少し蚊帳の外にいるような話ですが、札幌のサポートに行きたいという気持ちは日に日に大きくなってます。思いっきりコンサドーレコールをやって、「俺達の誇り赤黒の勇者、勝利を目指しさぁ行こうぜ!」を歌って飛び跳ねたい。その欲求が今までにないほど高いです。初参戦となる予定の柏の葉でのナビスコ杯がすごく楽しみ。この状況で、とも思うけれどもサポートは究極的には自分に向けたものだと思っているから。
 

2002.4.17
大学の授業は思っていたほど知的興奮に満ちているものではなく、大半がなんとかして欲しい気だるさの中にたゆたっているのですが、中には非常に面白い授業を展開する教官もいるんですよね。私が一番面白いと思ったのは、「社会学入門」という内容の講義。教官が若くて、熱意があって、授業の進め方も説明も分かりやすい。逆にそういう教官ほど単位には厳しいというおまけもついてくるみたいなのですが、それはさておき・・・。その授業で「社会化とは何か?」という題でインドで発見された狼によって育てられたとされる二人の少女(アマラとカマラ)の実例が引き合いに出されました。以下うろ覚えの講義を吐き出しておきます。

通常これは「社会(化)の欠落」すなわち、ヒトを人たらしめる社会の不在(端的に言えば親子間の接触)によって生み出された、と見るのが一般的なようです。しかし、それだけでは一面的な見方であり、もう一つの側面としてインドにおける女性地位の問題があるのだと言います。それは、インド社会では女性の地位が非常に低く、結婚の際にも持参金を持って男性の下に嫁がなければならず、家族にとって女の子の存在は非常に経済的圧迫となるものである、という事実なのだそうです。授業ではビデオで夫から持参金の増額を迫られ、揚句の果てには事故を装って油をかけられて妻が焼き殺されるという事件が多く発生していることや、超音波の医療器械による胎児の性別判断で女性と分かったら中絶を多くの人が望むという事実があることが紹介されました。すなわち、アマラとカマラの事例の背後には社会による過剰なまでの個人の束縛が含まれている、言わば「社会(化)の過剰」が存在しているのであり、その両面に思いを致すことで初めて「社会学的想像力」を持ったことになるという内容でした。

さて、授業の内容はここまでなのですが話を少し進めてみたいと思います。私たちはこの話を聞いてどう思うでしょう?「インドはなんて遅れた風習の残る国なんだ!」と憤慨する人が多いのではないでしょうか?私も実際にビデオで体に火をつけられて全身に火傷を負った女性の姿を見て、そう感じざるを得ない部分があったのは確かでした。そうすると「やっぱりそういう遅れた国には文明国の進んだ”男女平等”の理念を持ち込まなきゃダメだ」という論に傾いていくことは想像に難くないと思います。しかし、そこで思い起こしておきたいのはやっぱり9・11ではないでしょうか。ブッシュという小泉とコントをすると非常に面白そうな天然のボケキャラならば話は違いますが、多くの知識人と呼ばれる人たちはアメリカのアラブに対する今までの仕打ちからすれば、それに対して復讐をすることは出来ない、或いはすべきでない、という論調をとっています。それは今流行りの、というと語弊がありますが徐々に浸透しつつある考え方である「多文化主義、文化相対主義」という方向性にあることはまず間違いないと思います。それは、つまりアメリカを中心とする西洋社会(これもあまりに広くて語弊が大きいな)の正義や思考を違った価値観を持つ人間に押し付けるなということです。その立場から言えば、女性の地位が低いのはインド国内の文化問題なのだから私たちが口を出すのはおかしい、という話になります。しかしそうは言っても「人道的な問題だから」口を出してもいいのではないかとも思われます。しかし、文化が違えば「人道的、人間的」という基準すら違ってくるのであり、多文化相対主義を標榜したままでは論理的な破綻をきたします。だから、この問題は非常にシンプルに見えて複雑な問題なのだと思います。でも、私たちに必要なのは、この複雑さを引き受けて考え続けることだと思います。「ハネムーンサラダ」で斎藤遥子はこう言いました「本当のことは一つじゃないのに」と。それが答えなのかもしれないと思いつつ。

ちなみに、知識人はもっと高度な論議をしています。多文化主義、文化相対主義の限界などとっくの昔に知っていますから。それでも私個人レベルでは、その限界をどう克服するかということを考えるだけで頭がパンクしそうです。

・・・などと、つらつらと考えています。
 

2002.4.16
授業中の居眠り開始。生態が高校一年レベルに戻りつつあります。行き帰りの電車の中でも眠気が襲ってきて、終日気だるい雰囲気というのはちょっと気分の悪いもので、寝られるときにしっかり睡眠をとらなきゃいけないと思う。・・・が、CD−Rコピーのタスクが溜まっていて家に帰っていてもそう簡単に寝られない。ちょっと今週は踏ん張りどころかもしれないな。

で、その眠気の中でも行き帰りは円地文子訳の「源氏物語」。文学部志望ながら今まできちんと文字で源氏を本格的に読んだことなかった。「あさきゆめみし」経由の情報が80%なのだから推して知るべしだとは思う。ストーリーは大体知っているだけに、細部の和歌に重点入れて読んでいる。物語全部を現代に置き換えることは不可能そうな話だけど、場面場面、エピソード、エピソードには創作意欲を駆り立てられるものがあるよなぁ。ストレートに置き換えたら単なるエロゲーにしかならない気もするが。
 

2002.4.15
2週目にして既に1限に出るのが辛くなってきているのですが・・・。

授業受けた後は、入ろうと思っているオーケストラの練習を見に行った。高校までの部活は最大出ていても人数は二桁に乗らなかったし、レベルだってたいしたことはなかった。しかし、大学となるとさすがに違う。もう始めの一つ音が出ただけで、上手いとしか言いようがない音出ているもの。こんなとこに入ってやれるのかと思うと、4年と言わずもっとやりたい、と切に感じます。まぁでもそれが意味するところは留年ですが。
 

2002.4.14
親戚の引越しを手伝いに行って、それとなく午後を過ごしたのですが、人の持っている荷物を見ると自分の持ち物にも思うところがありますね。傍目から見れば、なんでこんなものを持ってきているのか?と思うようなものを少なからず持ってきていて、整理している方はすこしうんざり気味。でも本人には思い入れもあるし、捨てがたいものでもあることは分かっているだけに捨てろとはなかなか言い難いものがあります。もしかしたら私自身も北海道で大学生になっていたかもしれなくて、その時はどうするのだろう?と考えたことは何度かあります。本当に必要最低限度だけと言われれば、ほとんど持っていくものなんてないですね。逆に特に制限されなければ歯止めなく持っていきそう。そうやって自分の持ち物に捨てる捨てないの判断をするということは難しいと、本当にそう思います。それは全てに敷衍できることかもしれないですけど。

そう思うと、経済ってものが急に分からなくなってきます。勿論、最低限の需給バランスだとか、成長の理由は分かっているつもりですが、感覚的に納得いかないものがあります。今、これだけのものがあるのだから、需要なんてそんなになくて当然じゃないかと思ってしまうんですよね。欲しいものがそれほどないにも関わらず需要が生み出されているのならば、それは単なる無駄遣いではないでしょうか。そのあたりがなんだか資本主義というシステムをよく理解出来てない本質だな、と自分でも感じますが。
 

2002.4.13
高校時代の友だちと渋谷でビリヤードやって、飲み。そこそこフラフラになるまで飲んで、おまけに地元で吉牛食って深夜帰宅する俺は大学生ですか?わー!

・・・とその予定を入れたときは今日の札幌対京都戦の放送日程を頭の中に入れてなかったので、出て行く直前になってBSで始まった試合も選手入場くらいしか見ていない。この頃スタジアムに行けないまでも、試合の放送日程すら予定に合わなくなってきてるのはどういうことなんだろう?今までホームに行ったことは一度もないけれど、室蘭入江の真っ赤に染まるゴール裏を見ただけで泣きそうになった。やっとシーズンが始まったたんだなぁ、という気分になる。結果は負けたらしい。さすがに、そろそろ現実を見つめて決断するときじゃないかと。内容に関わらず、結果に対して監督は責任を取る立場にいる。選手を全て取り替えることは出来なくても、監督は交代できる。そういうことでしょう。
 

2002.4.10
授業の感想から。やっぱり少人数での授業になるとすごく楽しいですね、教わっているという実感があって。今日は初めて第二外国語で選択した韓国朝鮮語の授業がありました。あのハングル文字が今日のところたった10個だけですけど、読めるようになったのは快感。なんだかんだ言ってもとりあえず、文系学徒は語学なんだという理解でよろしいですか?

高校時代の友だちと渋谷でスパゲッティーを食べて帰宅すると21:00。ニュースをつけたら「今日はJ2が・・・」と放送されていて、試合の存在を忘れていたことに結構ショックを受ける。それでも、ベンチーニョのシュートをトンネルする岡中の映像や盛田剛平のJ通算3点目で癒されていて、暇が出来たら等々力でも出かけたいなぁと漠然と思ったりもする。
 

2002.4.9
環境が変わると何かと疲れるものだが、やっぱり授業も初日だと疲れる度合いが桁違いのような気がする。そのうち正常化するだろうとは言え、立ち見が出るほど人が入る講義の中で顔が見えないほど遠くにい教官の姿を眺めて、勉強しろというのは根本的に間違っている。入学した大学は国立の中でも多くの予算が回ってきているはずで、資金的には潤沢なはずなのにマス・プロ的な授業が多いのはなんとかならないものか?学力以前の問題として環境がかなり劣悪です、大学という環境は。その改善を学生の自主休講に期待するのはおかしいでしょう?

・・・と一日だけで判断するのは早いかもしれませんけど、少なからず学問の場としての大学には期待感が薄らいだのは事実かと。どうせオーケストラやるために入学したようなもんだからいいですけど。そういうわけで半年後には一日の大半を学生会館に入り浸ってバイオリンを弾いているに100ギル。
 

2002.4.6
また札幌は柏に負けた。あまり驚かない。後半だけテレビで見たが、セットプレイ以外ではそんなに悪くないように思えた。山瀬はすごい選手に成長しつつある。平塚時代の中田みたいな。・・・そんなに落ち込むということのない試合でも、やっぱり悔しいんだろうか、上手く言葉が繋がっていかない。多分自分の言語能力は和波のクロスの精度みたいなものなのだ。これからまた柱谷監督の解任論が花盛りになるだろう。まぁ当然だ。監督というものは責任を取るためにいる、そういう職業なのだから。
 
2002.4.3
大学の入学手続きでキャンパスへ。キャンパスそのものは卒業した高校から歩いて10分ほどなので見慣れているし、なんだか新しい生活がスタートするんだという実感はないかもしれないなぁ。実感と現実のギャップというものはついて回るもので、それが一致するのは自分が本当にその事柄に深く関わっていることだけだろう。それですら実感は現実より少し遅れるものなのだけど。そもそも新しい生活などいうものは幻影でありスタートすることもない。ひっそりと変わってゆくこれまでの生活の延長にしかないのだというのはゲームとサッカーでこの3月末を過ごした自分の感想ですが。

ま、そんなこんなでとりあえず現実に流されっていっている真っ最中で、明日からは大学のクラスのオリエンテーション合宿らしいです。引き続き微妙なやる気のままでの更新でーす(と事務的な口調で)。この辺やる気がないのに更新しているあたりが自分が今考えているインターネットというツールの不思議さでもあります。
 

2002.4.2
久しぶりに小説を書き始めているのですが、感覚が戻っていないんでしょうか、あまり進みません。というより文章作成能力が半月前に比べて明らかに落ちているような気がします。とても半月前に2時間30分で2400字の小論文を書いて大学に受かったとは思えないほどです。原因は緊張感なのでしょうが、とりあえず一日に10kのテキストを書いて更新していた高2頃のフォームまで持っていきたいなと思います。それに近づくステップは、とりあえず読書、読書。
2002.3.31
名古屋グランパスエイト 0−3 コンサドーレ札幌
あのー、祭りをやってもいいですか?なにしろ去年の10月17日以来の勝利ですよ?ちなみにJ2以上のプロクラブの中では去年の最終勝利から今年の初勝利までの期間が最長です。結果だけ見ると、ロブソンとマクサンドロよりも古川先生と田渕と和波の方が良いと言う結論でいいですか?4バックよりも3バックの方がいいですか?やっぱりおやつは300円までですか?・・・別に3バックに戻して待望論の強かった古川と田渕を使ったから勝ったなんてそんなことは思いません。サッカーはそんなに単純ではないですしね。ある程度の必然と偶然がミックスされて目先を変えた試合で結果が出た、ということ。ただそれだけでしょう。型にはめたような正義や正解を押し付けることほどつまらないことはないですし。

横浜国際に続いて、友人と市原臨海で市原対横浜マリノス。去年行ったときはみぞれ混じりの雨の中震えながらの観戦だった臨海の仮設スタジアムも今年は晴れて少し暑い位で、心地がよろしゅうございました。天気によって場所の印象は大きく左右されるものなのだなぁ、と。マリノスは憎らしいことに、なかなか安定しているみたいです。中村俊輔にはキレが戻ってきて、ウィルは相変わらずのキープ力と決定力でドゥトラもナザも効いていました。

帰りの総武線では、ブルジョワを気取ってグリーン車に乗ってみました。横浜までで乗り合わせた人はたった2人で、車内の落ち着いた雰囲気は正に普通車とは別世界。乗っていた1時間で時間軸の切り替えが済んだ気分になりました。対価もちょっと高いわけですが、たまにはこういうのもありではないかと思います。
 

2002.3.30
4月に入ると大学の入学手続きやら本物の入学式やらで忙しくなるのでしょうが、とりあえずこの週末はサッカー、サッカーなのであります。今日は横浜国際で横浜FC VS 川崎フロンターレ。器は大きくても、スタジアムの雰囲気や、試合の内容や、完璧な天気のおかげですっかりJ2の雰囲気を堪能させていただきました。皮肉抜きでJ2を見に行くとそこにいる自分に満足できるのが幸せだなぁ、と。札幌から移籍した黄川田の流れを変える先制点のアシストを喜んだり、フォワードなのにサイドに流れまくるベンチーニョのポジション取りの不思議を考えながら過ごす午後は退屈の中にもそこはかとない熱があって悪くないものです。ちょっと横の方に座っていた高校生らしき2人連れは思いっきりお昼寝モードでしたけど。

LinkにKanamedia Factoryを追加しました。
 

2002.3.29
「ハネムーンサラダ」完結記念ということで、誰にも知られない所で、ひっそりとサイトを立ち上げてみました。勿論、ほとんどのwebサイトは誰にも知られないところでひっそりと立ち上がるものですが。衆人環視の中でサイトを立ち上げたって話は聞きませんし。

さて、このサイトですがなんでもありの雑文サイトを目指したいと思っています。アホくさい話から逃げ出したくなるようなシリアスな話まで、どうしようもないエッセイからお約束と矛盾に満ちた陳腐な小説まで。文字にできるものならありとあらゆる形のものを目指していきたい、と。

以前にも自分のサイトというヤツは持っていたんですが、それを一回閉鎖してから自分のサイトを持つ意味について色々と考えてみました。一般的な考え方からすれば自己満足のマスタベーション以上のものではないものでしょうし、それは的確な事実でしょう。それでも、自分のためだけじゃなくて、誰かのために、もっと言えばここに来てくれる「あなたのために書きました」と陳腐さやくだらなさや個性のなさを自覚しつつも開き直りながら言えること。それが自分にとってのサイトを持つ意味なのではないかと、そう思うのです。自分が未熟であることの恥ずかしさや批判を恐れていては平凡な自分が誰かに何かを伝えることはできないでしょうし。どんな形であれ、自分はこういう存在です、と。