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現代の日本人は世代を超えて不安の中に生きていると言っても過言ではない。

この不安の原因はいくつも挙げられるが、主なものとしてまずは「経済的な不安」である。
バブル崩壊以後の下落の止まらない経済状況下、昨年(2003年)にはマクロ統計上わが国の家計が、戦後初めて全体の収支が赤字に転落した。
つまり収入が支出に追いつかず、貯金を取り崩して生活していることになる。そしてすでに全家庭の3割が貯蓄ゼロに陥っている。
この経済的な不安が、思考の全領域でボディブローとなって効いていることは想像に難くない。
地球と言う入れ物の限界が来ていて、これ以上の拡大成長を望めないことを考えれば、支出を抑えて縮小した家計の中で生きる術を身に付ける生き方は実に真っ当な生き方であり、不安に陥るものではないはずだ。(参照: 持続可能な日本型システムを求めて

不安の原因の2番目には、「向かうべき方向が見えない」ことが挙げられる。
戦後民主主義教育の下、かつての高度経済成長期には、経済的な目標だけではなく「自由の国アメリカ」というモデルがあり、それと共に明るい戦後民主主義を信じた。
1980年代には「Japan as No.1」と持てはやされ、吟味することなく日本の全てを肯定的に考えたがゆえに、バブル崩壊後には今度は正反対の全否定に走ってしまった。
こうしたその時々の時代にコロコロと流される根無し草のような生き方からは、経済だけでなく「背骨のない」生き方、融通無碍(ゆうずうむげ)な態度こそが成功を収めると言う風潮が生み出されてしまった。
そして、一旦マイナスの方向に向かうと、止まることなく全否定の中に倒れてしまう。
この不安にはその場凌ぎの方法論的対応は無力であり、我々日本人が歴史の縦の繋がりをもう一度見直し、古代からの生き方に学ぶ生き方に戻ることしか道はないだろう。
そこからまずどこの国にも頼らず、日本国内で自給自足できる体制を実証的に築き、これの上に「戦わずして戦いを収める」日本的な手法を以って、世界の共存・共生の道を呼びかける努力が求められよう。

3番目は少子高齢化が進む中、経済的な不安に加えて「孤独への不安」が大きいことが挙げられる。
現在70歳以上の高齢者層は、国の年金・介護保険制度の中で何とか生きて行けるにしても、年代を下るにしたがって、既存制度の財源への信頼度は落ちて行く。
そこに少子化傾向が重なって、10〜20年後には完全に身寄りのない高齢者になってしまう可能性が飛躍的に高まるわけで、これは心細い状況である。
人間は元来社会的動物であり、家族がその基本単位である。
人間は本能が退化した分、社会的規範の枠を自らに当てはめることで、初めて生きていける動物である。
その社会的最小単位である家族を喪失した人間は、本能の壊れた動物と同じ状況にあるとさえ言い得るのである。
高齢社会での孤独はこうした人間に内在する根源的危機でありその事態に対して、擬似家族を創出することで切り抜けようとする
「長土塀共生館」があり、個人から再出発できる社会装置として「個人墓」等の事業フレームがある。

こうした3レベルの不安に苛まれざるを得ないのが、今日の我々日本人である。
これに対して今世紀に入り、解決策を提示して進み始めた活動が、いくつか散見されるようになって来た。
宗教的な側面を極力外して考えても、この問題にはやはり「魂」の問題に帰するところが大きい。
以下にこれらをいくつかの方面から紹介する。



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