堕ちた十字架 後編
<4>
自分が、何をしているのかわからなかった。
・・・いや、全てわかっている。
だが、止められない。止める事ができない。
心の底で、微かに残された理性が必死に叫んでいる。
いけない。それだけは・・・侵してはいけないと。
悲鳴のように己が心が細い叫びを上げて、闇の狭間に消え入るのが見えた。
魂の奥底から沸き出る破壊的な衝動が、痺れるような疼きと共にこめかみを駆け抜ける。
力のままに押さえ込んだ細身の身体は、しかし腕の中で抵抗一つ見せようとしなかった。
沸き起こる衝動のままに、若く滑らかな肌に舌を這わすと。欲を知らない、初心な肢体は、ただ怯えるように身を竦ませる。
大切に護り続けてきたその存在を、自らの手で手折る行為に嗜虐的な歓びが甘く満ちた。
組み敷いたこの身体が、魂が。このまま夜の魔物の手に堕ちてしまうくらいならばいっそ。
己が手で穢しても構わないと、今はそう思えた。
静かに俯くその表情を確認することに怖れを感じて、身体を背後から石壇に押さえつけた。
空いた片手を下肢に回すと、それは彼の心の内を示すように、震えながら小さくなっている。
乱暴に手をかけ、擦り上げるものの、頑なに何の反応も返しはしない。そもそも欲を散らす行為にすら慣れてはいないのだ。
力を持って支配し、強要される全ての行為は嫌悪を生むものでしかない。
だがしかし、身を暴き心を貶とす手段はあった。
ホークは自身の手首を口元に寄せ、強く歯を立てた。噛み破られた皮膚から赤き血の流れが滴り落ちる。
引き結ばれた薄い口元に、手首を翳し、その唇の端に生命の雫を落としてやると、見上げたセティの瞳が明らかに色を変えた。
「・・・だ、めだ・・・それだけは!」
顔を背け逃れようとする、その顎を強引に掴み手首を押し付け口を割る。
命の証、吸血の魔性の餌でもある、真紅の雫が無理矢理に流し込まれ、セティは嫌悪に眉根を寄せて身を捩る。
「ん・・・んぅ・・・」
元より吸血鬼の呪われた血脈を汲みながらも、彼はその行為を決して是とはしなかった。最も疎み忌避してきた血を得る行為を強要されて、表情が苦しげに歪められる。
強引に手首を咥えさせ、口元を塞いだまま、ホークは空いた手で懐から聖水の小瓶を取り出した。
指で小瓶を弾き、片手を聖水で清めると、そのまま双丘の奥まりに手を這わす。
びくりと、腕の中の身体が跳ねる。聖水が触れたそこから熱き火照りが身を焼いた。
幾度か周囲を撫でた後、堅く閉ざされた蕾に指を捻りこむ。
「・・・っ?!」
突如挿入された異物感に、引き攣るように身体が揺れる。
引き絞るように強く収縮し、しかし、血を得たことで忌まわしい半魔の性に僅か目覚めたのか、慣れぬはずのそこは熱く絡むように男の指を受け入れた。
切なげな呻きが漏れる。
息も継げぬままに流し込まれる血を嚥下する表情は、ほんのりと上気し。背後から押さえつけられたまま、男の指の動きに合わせて僅か身悶えしてみせる。
「う・・・んっ・・・ふ・・・・・・っぅ」
差し入れる指を徐々に増やしながら白き肢体を弄ぶと、堪えるように身体が時折震えを返した。
胸下に手を回し、その身を己が膝上に抱え上げると、解放された口許が、新鮮な空気を求めて月下で喘いだ。
「・・・こ、んな・・・」
耐えるように伏せられた瞼を震わせて、搾り出すようにセティが言葉を紡ぐ。
「こんな、ことで・・・・・・」
誰に向けて放たれた言葉なのか、唇を噛み締めながら、薄く開かれた翠の瞳が、闇夜を遠く見渡した。
自身の息が追い詰められたように荒く、熱を放つのをホークは感じていた。
腕の中に捕らえた身体を、石壇の上に仰向けに押さえつけ、震える胸板に舌を這わす。
その表情を覗き込むと、この期に及んで、自らの身よりも己を組み敷く男の心を案じているのか。澄んだ瞳が、揺れながら見返してきた。
「ホーク・・・わた、しは・・・」
鼓動が高鳴り、頭が割れるように痛んだ。激情のままに、自身の法衣の前を寛げると、細い腰骨を掴み引き寄せる。
途端、少年が息を呑み、逃れるように瞳を閉ざした。
一瞬、迷いのような感情が、冷たく背筋を駆け降りる。
だが、直ぐにもそれは闇に飲まれて、散り消えた。
「・・・うっ・・・く、あぁっ!」
白き肢体に楔を打ち込むように、己を打ち付けながら進入する。
血を受け、熱に僅か解れたとはいえ、初めて受け入れる熱塊の質量に、震えながら細身が跳ねた。
苦しそうに息を継ぐ様に気を遣うでもなく、抗い強張る身体を思いやるでもなく。
ただ強引に身を捻り入れると、まるで陸に打ち揚げられた魚のように、不安定な姿勢のまま身体が痙攣を繰り返し、喉にかかる呼吸が忙しなく掠れた音を立てた。
「どう、ですか・・・セティさま」
息を殺し、抑え込まれた、低い囁きが身を這った。
「・・・想い人の前で身を暴かれるというのは、どのようなお気持ちか」
途端、熱く絡みつく身の内が震えるように反応を返した。
「わかりやすいことだ・・・」
硬直の後、僅か緩まるその隙に杭を埋め、己が欲を全てその身に飲み込ませる。
はらり、と血の気を失いきつく閉ざされた瞼から、涙が零れるのが見えた。
兄のように信じ、慕ってきた男に蹂躙されて、この少年が何を想い泣くのか、知るすべもない。
ただ繋げた身体を通して鼓動と共に感じる。
それは白雪の大地を、初めて穢す者の昏き悦楽。
「ど、うして・・・」
細い声が闇に消える。
どこかでそれを聞いたことがある。
消えた声に、何故か焦燥と怒りが湧き起こり。
繋いだ身体を、乱暴に揺すり立てた。
悲鳴は声にもならず、喉に掛かるように擦れて消える。
月夜の闇の中、この場に目を向ける、その存在に、見せ付けるように。
壊すように。護るように。掻き抱く。
紫雲を宿す満月の明かりは、眩しい程に己が闇を暴き、照らすかのように見えた。
<5>
残酷に、冷たい夜の風が意識を呼び戻す。
へたり込むように石の柱の前で膝をつき、ホークは己が為した現実の前に、ただ愕然と放心していた。
石の祭壇の上に捧げられた哀れな贄は、くたりと力なく横たわり、血の気を失い伏したまま動かない。
一陣の風が祭壇を取り囲むように舞った。
白銀の、影が視界を掠める。
翠色の艶やかな長き髪が風に散り、光を弾く。
長身の影が、淀む紫雲を纏わせて、石の祭壇の端に姿を現していた。
”それ”は優雅な物腰で石壇に腰をかけると、紫玉の瞳が捧げられた獲物の姿を検分するように細められる。
背後から覗き込むようにして、白い指先が伏した少年の髪を優しく梳いた。
「可哀想に・・・」
甘い声色がヴェールのように場に落ちる。
それを認めてホークは、怒りとも悲しみともつかない複雑な表情を面に宿したまま。搾り出すように低い唸りを、漏らした。
「何故、このような真似を・・・」
感情を抑えようとしても、声が震えて収まらない。
「このような真似?これを為したのはお前だろう。」
指摘されて、絶望に近い悔恨が心を焼いた。
・・・わかっている。全てわかっているのだ。
これは、己が内の闇から、目を逸らし続けてきた自身の罪に他ならない。
「私はお前の”願い”に声をかけてやっただけ。」
ふ、と艶かしい微笑を浮かべて、白の貴族は顔を上げた。心を覗くように、正面から射竦められる。
「・・私が人の”願い”を喰らうものだと、知って追ってきたのだろう?」
「だが!」
「願いは叶えられた」
違う!
こんな事を、望んでなどいない
望みたくも無かった
ただ、護りたいと願った・・・それだけだった、のに・・・
叫びは声にならず、全身が金縛りにあったように、指先に至るまで動かなくなった。
白い手が翳されると、身体は従属を当然の事象であるかのように受け入れる。
「まあ、待て。・・・食事の邪魔は困るな。」
含み笑いと共に、魔物は倒れ伏す人影を膝上に抱き上げる。
ホークは、声一つ出せないまま、冷たい汗が背に伝うのを感じていた。心臓が重い鼓動を打ち付ける。
抱き起こされた少年は、霞む意識の彼方に、ぼんやりと白き影の姿を見たのか、僅か身じろいで細い声を出した。
「・・・どう、して」
それは幼子のように弱い声。
この声を聞いたことがある。
遥か過去の原風景。
それは紫雲の祭壇。
そう、初めてこの少年と出会ったのも、この呪われた地。
今日と同じように、青白き満月の燈が世界を覆う、静かな夜のことだった。
白磁の肌、光を弾く艶やかな翡翠の髪。
伝承に謳われる魔物と同じその姿で。
石造りの祭壇に縋り、すすり泣く幼子の姿を見た。
白の貴族が贄を喰らうと伝えられた、その祭壇で。
幼子は腕を自刃で傷つけ、月夜の晩に泣きながら祈りを捧げていた。
どうして・・・
細い声。透き通った、翠の瞳からはらりと零れる、澄んだ雫。
忘れられない。あの日の姿を。あの声を。
忘れる事などできない。
「どうして・・・ちちうえ・・・」
何故こんな所にいるのかと問うた。
ここは魔性が降りる危険な地であると。
贄を喰らいに夜の一族が訪れると、説いた。
幼子はただ、首を静かに振って、石壇にしがみ付いた。
だから、自分がここにいるのだと。
贄になって願いを聞いてもらうのだと。
「そうすれば、あの人は、わたしたちのところに、かえってきてくれるだろうか」
そう言って、幼子は、来る日も来る日も待ち続けていた。
後に人々から聖者として奉られることになる、人と”貴族”の混血児。
数奇な運命を持つこの少年が、人間達に保護されたのは、紛れもなくこの地であったのだ。
父を探すのだと言って、人と共に歩み始めた少年の言葉が。
いつの頃に変わってしまったのか、今となってはもう思い出せない。
父たる吸血鬼を狩ると公言し。教会の禁を破ってまで、追い続けるその執念が。
その想いの本質がどこにあるのか。
私だけがそれを知っていた。
最初から・・・全てわかっていたことなのだ。
<6>
ひやりと、冷たい指先に頬を撫でられて、視線を虚空に彷徨わせていた瞳が焦点を結んだ。
「久しいな、我が子よ」
魔物の言葉は、まるで慈愛に満ちているかのように優しく囁かれた。
しばし、虚を衝かれたように翠の瞳が見開かれ、そして、やがて静かな炎を宿して細められる。
睨み据えるように強く、燃え上がる。
「・・・・・・この、時を・・・わたしは、待っていた。」
静かな呟き。
傷ついた身体を僅か身じろがせ、固く閉ざされた手を開くと、セティは胸の前に十字架を翳した。
ずっと、それを握り締め、耐えていたのか。その手の内には、焼け爛れた痛々しい傷跡が、十字の形に残されていた。
「逃がしはしない・・・けっして」
聖十字を吸血鬼の胸元に押し当てようと手を伸ばして、その手が溜息と共に掴まれた。
「全く、お前は己が立場を理解していない。」
言葉と共に、身体が引き倒され、そのまま背後から魔物の膝の上に抱え上げられるように抱きすくめられる。
上げた視線の先に、先程まで闇に侵され、暴力的な支配で彼を苛んだ男の姿が映った。
傷つき、悲嘆に胸を喘がせるその姿。だが今は全ての狂気から解放されたようだった。
己を取り戻した、懐かしい友の姿を認め、安堵に僅かセティの表情が緩んだ。
「・・・戻ったのか・・・ホーク・・・」
「セティ、さま・・・私は・・・」
先の言葉は続かなかった。魔物の紫玉の瞳に捕らえられ、全身が凍りつく。
精神を解放されながら、今だ身体は支配の掌にある。ホークは己が身が忌々しいとばかりに、その視線のみで反抗の意を示した。
「・・・もう彼を解放してやってくれ」
それは懇願。魔物の腕の中で、遂に諦めたようにセティは目を伏せた。
「わたしはどうなっても構わない。」
「・・・呆れた事だ。そもそも私は、お前の望みに応えて出てきてやっただけだと言うのに。」
溜息と共に、背後から回された腕が、少年の顎を捕らえた。
状況を楽しんでいるのか、くつくつと喉を震わせながら、唇が項を辿ると、肩を揺らすように身体が反応を返す。
「ただ、お前が素直ではないから、少しばかり知らしめてやったまでのこと。」
魔物は薄く笑みを残したまま、セティの耳元に冷たい吐息を吹きかけた。
「覚えておくといい。もとより”あれ”は、私のものなのだ。」
闇を貫く視線が、動けぬままに目を見開き膝をつく男の姿を捕らえる。
「思い出したか?・・・お前こそ、この祭壇で、幼き日に自らを贄と捧げた過去を持つ事を。」
衝撃に、身を打ち震わせるように、ホークの全身が揺れた。
・・・そうだ。
今まで、何故か思い至ることもなかった。
どうして、自分がこの丘で、紫雲の祭壇で、この少年を見つけることとなったのか。
全ては予め、定められていたこと。
病に倒れた妹を助ける見返りに、血の交換の儀と共に、夜の眷属に忠誠を誓った。
人として、聖騎士として生きながら、魂の深潭に刻まれた闇の刻印。記憶とともに封じられた、忌まわしい己の本性。
今日、この日まで、己が敬虔な神の信者であることを信じて疑いもしなかったというのに。
「そして私は、愛しき我が子のためにお前を遣わした。」
声を潜めた囁き。冷たく、甘い、吐息。
腕の中で呆然と、紡がれる言葉を聞いていたセティは、何事かを告げようとして、しかし口には出さずに言葉を飲み込んだ。
そのまま感情を押し殺すように目を伏せる。
「お前が、人の世で、餌に困る事がないように、な・・・セティ」
魔物はそのまま我が子の首筋を、血の香のする吐息と共に舐め上げた。
それは貴族の”食事”の合図。
「今となってはどうでも良いことだ・・・」
「すぐにそう思えるようになる。」
顎が捉えられ、上向かされる。
「っ・・・!」
何をされるのかを瞬時に理解して、セティの顔色が変わった。
彼が頑なに護り通してきた、全てが崩れ去る。それは予感ではなく確信だ。
頭の中で早鐘のような警鐘が鳴り響く。本能的に逃れようと身もがく抵抗は、しかし何ら意味を成さなかった。
惑う視線が一瞬、助けを請うように友の姿を目で追った。
「お前に”貴族”の口付けを受ける栄誉を与えてやろう。」
これが最高の快楽というもの。
甘い声の余韻。
ひたり、首筋に白い牙があてられる。
言葉を理解する間もなかった。
悲鳴が静寂を切り裂いた。
「あ・・・あっ、あぁああっ!」
つぷりと、その柔肉に鋭い牙が沈み込む瞬間、身体中を雷が撃つような衝撃が駆け抜けた。
喉が反らされ、身体が弓なりにしなる。痙攣が全身を打ち震わせた。これまで感じたこともないような、未知の衝動が激流となって押し寄せる。
耐性のないものは、噛まれたその瞬間に命を落とすとも言われるヴァンパイアの牙毒。
人の精神を瓦解させる程の快楽を生むと言われる、貴族の口付けを受けて、何が起こったのかわからぬままの一瞬に、セティの花芯が震えながら果てていた。
「やっ、あっ・・・っ・・・っあ・・・や」
悲鳴の後、それは声にもならなかった。
過ぎた快楽の刺激に呼吸が出来ないのだ。
反らされた喉が呼気を求めて苦しげに震える。わななく唇は抑えようもなく、かちかちと歯が噛みあわずに音を立て続けた。
溢れる涙に潤む瞳は、熱く緩み、開かれた口元からは唾液が伝う。吸われ、嚥下するその仕草に合わせるように、狂乱の態で髪が打ち振られた。
やがて牙毒が馴染み始めると、暴れるように痙攣していた身体が、徐々に落ち着きはじめた。
全身を細かく震わせながら熱い吐息を吐いて、陶然とした表情で熱の海に溺れる。
身体中から血液が奪われていく、その感覚に酔いしれる。
このまま全てが奪いつくされることを、願わずにはいられないほどに。
だが突如として、吸血行為は中断された。
「・・・う・・・んぁ」
夜の冷気の中に投げ出され、甘い夢の口付けから突き放されて、戸惑ったような喘ぎが漏れる。
身を苛む、快楽の余韻は抑えようもなく熱く燻り続け、張り詰めた自身の熱を散らす術もわからないまま。
冷たい石の祭壇に身を擦り付けるように丸まり、セティは唇を噛み、声を飲み込み耐えて、熱をやり過ごそうとした。
「案ずることはない。・・・全てお前の求めるままに、与えてやろう。」
縋るような声の求める所を知ってか、押し殺した笑いを含む声が、再びその身を背後から抱き上げた。
ホークはその光景を、声すら発せぬままにただ、動かぬ身体で見ている他なかった。
それはあからさまに、見せ付けるように行われている。魔物の瞳が面白がるように、怒りに震える傍観者の姿を捉えていた。
膝ごと抱えるように寄せて、その身を上向く自身に宛がう。触れた瞬間、セティの身体は反射的に逃れようと動いた。
しかし、牙毒の影響の残る身体は、ゆっくりと沈められる肉杭を、一切の抵抗なく飲み込み始めた。
「っぁあ・・・、っは・・・ああっ」
緩やかに、その身が繋がりを深くする毎に、体は跳ねるように反応する。霞む意識が、身の内を圧迫する”存在”を認識する度に、頭の中で火花のようなものが弾けて甘く思考を溶かした。
首筋より流れ零れる血の赤き筋が、白い肢体を妖しく濡らし、美しくも交わりを彩る。
やがて全てを内に収め、慣らす様に幾度か揺すり上げられると、痛々しいほどに張り詰めた少年自身が耐え切れずに、高みに昇り、触れられぬままに震えて果てた。
セティは己を捉える腕の中に弛緩した身体を預け、苦しげに息を継いだ。
焦点を結ばぬ意識の向こう側に、声無く叫ぶ友の姿を映して、突如、自我が冷たい水の中に引き込まれたように僅かに己を取り戻す。
「どうした?」
優しい吐息が耳朶に吹きかけられる。
身を竦めると、身体の芯に埋めた熱塊の存在を感じて、喉が震えた。
「・・・っ・・・」
片手で口を押さえ、声を飲み込む。
「抗うな。・・・私はただ、お前の”願い”を叶えてやっているだけだというのに」
「なに、も・・・・・」
言葉を紡ごうとして、しかしそれすらもままならない。僅かな動き一つで、牙毒に侵された身体は過敏に反応を示した。
呆れたような吐息が零されるのが、聞こえた。
「私を求めている」
「ち、がう」
「私が欲しいのだろう?」
「ちがう!」
必死の相で、セティは繋ぎとめられた楔から逃れようと、膝を立てて腰を引こうとした。
半ばまで、腰を上げたところで、腿の力が抜けその支えを失った。
「あ・・・うぅっ!」
自然、重力と自重に従い、抜けかけた肉杭を再び飲み込む結果となった。瞬間、脳裏に走る電流に、瞼が震える。
息があがり、再び身の奥に沸く甘い疼きが抑えられない。
慌てて前のめりに逃れようとして足を立てる。しかしやはり中途で、祭壇の石に足を滑らせた。
「っ!く、ぁ・・・うぅん」
勢いよく腕の中に倒れこみ、より一層繋がりを深くし咥え込む。上げられた悲鳴の最後は、隠しようもなく甘い呻きに変わった。
魔物はその楔で、獲物を縫いとめながら、しかし何もせずに、自ら動かぬまま様子を伺っている。
ただ、面白そうに、自らの上で、獲物が徐々に弱り、勝手に堕ちていく様を楽しむかのように。
もがくように身を捩り、2度3度同じように逃れようとして、叶わず。
徐々にその動きが、意図するものと変わってきたのが傍目にもわかった。
「いや、だ・・・や、ちがっ・・・や」
自ら腰を引き上げては、体重をかけて再び飲み込み、身をくねらせて擦り付ける。
もはや止め所がないのか、揺れ続ける身体は意思から離れて快楽を追い始めていた。
「ちが・・・こん、な・・・」
涙を浮かべて、僅か残る理性が悲鳴を上げている。彼の頑ななまでに潔癖な心は、身体が受け入れた陥落を最後まで認めることが出来ないようであった。
助けを求めるように腕が虚空を掻き。そしてやがてそれさえも飲まれ行く。
翠の瞳が、潤む紫色に変じ、扇情的な色香を放つ。
喘ぐ口元から僅か垣間見える、夜の眷属の象徴たる牙が月光を弾いた。
かたり、と音を立てながら。
握り締められていた銀の十字架が
・・・地へと、落ちた。
冷たい月の輝きは、霞に飲まれて、まるで雲の中に居るように地を覆う。
「セ、ティさま・・・」
いつの間にか、身体が自由を取り戻していることに気づいて、ホークは石壇の元に走り寄った。
腕を伸ばすと、未だ篭る熱を宿したままに、縋るようにしがみ付かれた。
既に理性を失い焦点を合わせぬ瞳は、陶然と蕩けながら、しかし見たこともないほどに満ち足りた穏やかな表情に変じている。
それはまるで乳飲み子のように無垢な表情。
思わず抱きしめると、甘えたように安息の吐息が漏れ、身を寄せてくる。
「・・・ちうえ・・・」
いたたまれない。
胸の痛みを押し殺して、強く抱きしめる。
言葉にならず、ただ、護りたいと、それだけを一心に。
「どうか・・・」
「どうか、私の願いが叶えられるならばどうか・・・」
見上げた先。
白き影は紫雲を纏わせ、何事もなかったかのように霞の向こうに佇んでいる。
紫色の瞳が冷たく、静かに光を放つ。
そこには何の感情も伺えないように見えたが、同時に何か物言いたげな表情であるようにも映った。
それは迷い、と呼べるものであったのか。
しかし白の貴族は 求める声には応えようとせず
身を翻すと 振り返ることなく再び 夜の闇に姿を消した
胸に眠る甘やかな吐息は、まだそれを知らない
与えられた安息の夢に泳ぐ魂は
・・・目覚めたとき何を想うのだろうか
真円の青き月夜の晩
紫雲の祭壇で
己が最も大切にする者を
白の貴族へ贄と捧げた者は
願いを叶えられるという
そしてこの夜を境に
私は、新たな契約の主を得ることとなった
人の世で孤独に生きる半魔の少年の餌(え)として 影として
同じ時を彷徨う 長き宿業の
夜の旅路が始まったのだった
SSTOP