コミュニケーション
J.S.Bach
: Die Kunst der Fuge
「フーガの技法」
R.GOEBEL & Musica Antiqua Koln
review-25:98.1.15
ゲーベル&ムジカアンティカケルンによる演奏。「フーガの技法」はこの盤を一番よく聴いている。古楽器による弦楽合奏とチェンバロ独奏を組み合わせている。
金属的な音の質感が感情を刺激せず独特。解釈のきっかけを許さず緊張感を持続させる。チェンバロへ移行するときも違和感よりも統一感としての色彩が先に立つ。
拡がらずに展開する、有機的結合というのはちがう。感傷、が無視されて進行していく、音楽として成立することを拒絶していく。昆虫とのコミュニケーション、正確に一文字一句を伝える。もう一度同じことを言ってみる。無機質という言葉は人間にとって理解しにくい。自然と無機質、愛らしい赤ちゃん動物と昆虫と無機質。感情にふれずに、琴線のバイパスを正確にトレースしていく指。
四声以上が絡み合うとき、音楽は人間の知覚を超える。「音楽の捧げもの」の六声のリチェルカーレにおいても、一番複雑なところは四声部だった。バッハが六声のフーガを書かなかった理由。人間の耳の知覚の限界。あるいは十二音音階に許される和音のパターン、たとえば十二の音を同時にならしても、もちろん和音としては知覚できない。そんなんただの雑音、ノイズ。そのノイズが発生する瞬間に踏みとどまりつつ、境界の閾を埋めること。まるで音楽でしかありえない状態。
和声の食物連鎖。排泄された和音が「処理」されていく。
時間に。
時間の経過によって排泄されていく和音。
排泄され得ない旋律、酸化しない和音。
和音の循環。
どこまでも前に進まない音楽、そこに居続けているだけの音楽のはずなのに、他のどの曲よりも「前向きな」「それでも前に進むんだ」という力を感じるのはどうしてだ。どこだ。どこも前向きじゃない、前向きな必要さえない、前進するのに意志はいっさい必要とされていない。それなのに、何故か、前に進んでいる。音楽だから、前に進んでいるというの。
構成、そんなん嘘だ。悪いけどフーガは展開していないよ。ひとつのモチーフが様々な形で展開されているというのは嘘だ。展開されずに展開できずに留まっている。必然的に縮小していくしかないものが、それなのに同型を保っている。なんでダメにならずに、じっとしていられるの。
エクスタシーには唯の一歩も前進せず、何も人間の感情を刺激せず麻痺させず、繰り返しの中で麻痺していって既視感の連続の中で類型化されていくべきものが、類型化されるしかない音楽が、類型化できずにその場に留まっている。展開は常に許されていない。まったく展開していかない音楽。耐えきれずに人間の耳の方がコーディネーションを変えていく。その横にある感情線のバイパスを正確にトレースしていく指。
こんな音楽すごくねえよ。
ありがたがったらバカだ
と思った。
聴くたびに自分が感動していないことを確認する。
こんな音楽、ただすごいだけじゃん。
僕は、この音楽を聴いて感動したことはない。
感動していないことを確認したくなったときに、聴く音楽。
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