若者の敵?
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雑想ノート6/25/99より転載
社会的な価値観というのは手に負えない。議論の余地がないからだ。
ここで社会的な価値観というのは「社会一般でまかり通っている価値観」という意味だ。
どんなに正しい価値観であっても、社会的な価値観と対立するときはどうしようもない
ことが往々にしてある。というよりその場合の方が多かろう。
俺など社会に出たことがないから社会的な価値観などあまり知らない。だから社会的な
価値観と対立する意見も持つことがある。
これは俺だけのことだろうか?
おそらく違うだろう。○学生、という身分の人間は少なからずそういう経験があるはず
だ。で、大体オトナはそういう意見には反対する。
この場合、オトナの意見は「社会的な価値観に反する。だからだめだ」ということにな
る。そうするとどんなにコドモ側の意見が正しかろうと説得は無理だ。
社会的な価値観に対する反論は個人レベルでは存在しないのだから。
さて、何が言いたいかというと、社会を知らないコドモが社会的な価値観と反する意見
を持ったとき、コドモはどうすればいいのか、またオトナはどうすればいいのかというこ
とだ。
この先に踏み込むと非常にやっかいな議論になる。ものが「価値観の対立」だから、妥
協点が存在しない。結論も出ない。そもそも考えがまとまらない。故に省略する。
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上の括弧部はもう何度も書き直して、そのたびに違和感を感じて消してしまった跡であ
る。一番楽なのは社会的な価値観を無条件で受け入れてしまうことなんだが、それをする
のはくやしいし、受け入れる度に何か非常な代償を払っているような気になる。
代償というのは・・・つまり「若さ」なんだろう。人は社会的な価値観にスレて年老い
ていくのだ。
それを良しとすべきなのか、悪しと見るのか、それすらも社会に出ていない俺には分か
らない。それも若さか。