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雑想ノート4/7/99より転載 ふとした発想から思索を進め、自分なりに納得できる、冴えた結論を得るのは気持 ちいいものだ。 ・・・が、それが「あれ、あの作品で言っていたことと同じじゃねーか」などと気 づいた瞬間、すごく悔しくなる。結論を得るまで、作品の名前など全く意識に浮かん でこなかったような時でも、自分の思索が先人によって既になされ、しかもその思索 を自分が読んだことがあるということに気づいてしまうと。 先を越されたという悔しさと自分の結論が本当に自分の思考の結果かどうかわから なくなる不安感。 そうすると次にその結論に対するアンチテーゼを考えようとする。それによってそ の結論を越えようとするわけだ。大体揚げ足取りの不毛な思考になるが。 ま、何が言いたいかというと先人たちの思索の集積というのは偉大だということな のだが。俺の場合は文学作品でも映画でもない、漫画にそれを求め、そして大概の思 索を得てきたように思う。 特に手塚治虫の作品にそういうことが多いなあ。
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