奥沢通信 1998年5月

 さて、3月19日にコロンボを発った萌とわたしは、シンガポールのエアポートホテルに一泊して翌日の夕方成田に着きました。以来、萌を実家に預け華麗に遊び暮らしておりました。4月に入り、日本人学校でいただいたパンフレットを片手に文具店、スーパーを回り、買い物も一通り済ませ、次なる地シンガポールで夫と待ち合わせ、なにを食べよう、待ち合わせをした亜衣梨と萌はどんな対面をするだろうなど夢をふくらませていたところ夫が急遽東京出張で戻ってきました。しばらく東京の仕事になりそうだ、というので小学校の手続きにふみだしたのが4月7日、入学式の翌日のことでした。世田谷区の教育委員会に連絡をとり、小学校へ出向き、世田谷区役所へ行き、教育委員会の職員と喧嘩までして翌日からの登校となりました。

世田谷区八幡小学校は、区の中で帰国子女受け入れのモデル校ともなっている学校ですが、日本人の日本語を喋る先生に期待をふくらませて、はやくあしたにならないかなー、と楽しそうに出かけていった萌の背中がだんだん前屈みになって、彼女が新しい現実と格闘している姿を見るにつけ、母の方の気苦労もひととおりではありませんでした。

優雅に一時帰国の「お客様」が一挙に「いそーろー」に転落し、「あれーなんだまりまだいたのー」になり、再び東京の物価高の現実と向かい合わなくてはならず、住民票はあるものの貸してしまっている家の近くにアパートを借り、家族3人肩を寄せ合い生活しています。

今月末には海外の大幅な機構改革があるとのこと、それまではこの暮らしを続けることになりそうです。

萌は新しいクラスのおともだちに「おともだちになってね」と言われると「うん、コロンボに帰るまでね」と言っているそうです。

母も娘も少しづつこの生活に慣れていますが、機構改革の後、身辺がどうなるのか、いつ東京の生活にピリオドを打つのか、わからないという状況です。

「シンハラ正月明けね」ということばを残してコロンボをさっているので、気になることはたくさんあるのですが、仕方ありません。

訳のわからない近況ではありますが、とりあえずの近況報告とさせていただきます。

次に会うときまで、みなさんどうぞよろしく、ばいばい!

お便り待っています。

新住所

〒158-0083 東京都 世田谷区 奥沢 3-29-4 鯉沼ビル207号室

                        古 川  眞 理