2006.10.14
用心深い少年(その2)
島 健二
私の用心深さは、極めて神経質で、ひ弱で、怖がり屋であること、万事に弱虫であること、そして体裁屋で、
他人にそれらを見せたくないことから来るものだったと思います。
幼少期に急性腎臓炎を患い、かなり長期間、中野の自宅から母に連れられて牛込の島病院に通院していたこ
とが、「自分は身体が弱く、いつも用心していないと駄目だ」という用心深さを身につけるもとになったの
かも知れません。食べ物も、ご飯は駄目、塩分はグッと控え目に、その他色々と制限があったようです。
一応病気が治ってからも、食べ物に制限があるため、母の手製のお弁当以外は、買い食い、もらい食いなど
を一切禁じられていたこともあって、その監視をも兼ねていたのでしょう、学校が遠いこともあり、小学校
1年生である1年間は、祖母が付き添って通学したくらいです。
いわば病弱と過保護が一緒になって、ひ弱な、神経質な少年を作り出してしまったのです。
従って一人で行動するようになってからも、その行動は極めて慎重で、子供っぽさがなく、用意周到で、
石橋を叩いて、それでも中々渡らないような子になっていたのです。
小学1年生の最初の顔合わせの授業のとき、先生が一人一人名前を読み上げて出席をとりました。
「佐藤君、斉藤君、沢崎君」と先生が名前を読み上げます。
「アイウエオ順だな」と分かって、「次はボクだ」とばかりに、先生が「シバタ君」と読み上げるよりも
早く、元気良く「ハイ」と返事しました。
柴田君も当然返事をしましたので、先生は「オヤ、シバタ君が二人いるのかな?」と言われました。
「シマッタ」と思った私は、恥ずかしさに、机の蓋を激しくバタバタと上げ下げしながら「間違えました。
サワサキの次はシマだろうと思いました」と叫んだのです。
先 生は「そのくらい注意を集中して待っているのは良いことだが、少し早とちりだったね」と言われました。
私はこの時の恥ずかしさ以来益々神経質になったようです。色々なことがありました。
失敗をしないように…、恥を掻かないように…、益々慎重になり、一層準備周到になりました。
神経がピリピリしているので、小学3,4年生の頃には酷い不眠症にも罹りました。
就寝してからは、まだ起きている大人の話し声や、掛け時計のカチカチ刻む音さえもうるさくて眠れません。
眠れないことが又焦りを呼ぶのです。
大人達が協力して、柱時計を止め、口も聞かないようにしてくれました。
2年ほど続いた不眠症は、目を刺激するように、枕元に切った玉葱を置いたり、暑過ぎないように掛け布団
を調節したり工夫をしているうちに何となく直りましたが、今でも寝つきは悪い方です。
不眠症と相前後するように、池袋の小学校までの電車通学の途中、しばしば高田馬場駅あたりで、急にムカ
ムカと吐き気が襲い、あと2駅が我慢出来なくなり、次の目白駅で途中下車して電車を2,3台やり過ごし
てから池袋へ向かったこともありました。
全てのことに準備周到で、神経的にピリピリしていた子も、前回ご紹介した10銭玉、5銭玉事件を契機と
して、余り神経質にピリピリしなくなり、思春期頃から普通の神経状態に戻って、身体も丈夫に成長して、
友人も増えて、現在では朗らかな老人となっていますが、いまだに何処か慎重で、石橋を叩いても中々渡ら
ない傾向は残っているようです。
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