2006.8.19
裁判官と花札



                                                                              島 健二

私の父は裁判官でした。

極めて謹厳実直で、出処進退が正しく、一日おきに宅調といって、自宅で書斎に閉じこもり、裁判記録を

調べる日があるのですが、私などがうっかりお休みの日と勘違いして、遊んでもらおうと甘えると大変、

私を直接叱るのではなく、母を呼びつけて、

「宅調のことを言って聞かせて、子供たちを静かにさせなさい」と厳重注意があるのです。

それでも私は末っ子ですから、一番可愛がられた方で、兄などは何時でもピリピリしていました。

兄と姉が喧嘩をすると「男のくせに」と叱られるのは兄、兄と私が喧嘩をすると「お前はお兄さんだろ」

とたしなめられるのも兄だったと云います。

そんな父でしたが、結構家庭サービス、家族団欒には心掛けていたようで、身体を動かすことが好きだっ

たらしく、本当のお休みの日には、40才前の頃には姉と兄を連れて、筑波山や高尾山などにハイキング

に行ったと兄の楽しい想い出に残っているようです。

その頃私はまだ幼かったので、いつもお留守番だったようですが、母に連れられて伯父さんや伯母さんの

家に遊びに行ったのを楽しく覚えています。


私が少し長じて、小学校高学年から中学時代には父は40代後半から50才に掛かる頃だったと思います

が、野球好きな私に付き合って、庭でキャッチボールやバッティング練習などを手ほどきしてくれました。

(父は一高時代、野球の選手でした)山や渓谷などへのハイキングには私があまり乗り気でなかった為か

一度も連れて行ってもらった記憶がありません。

またこれは後年、母から聞いたことですが、父がもっと若かった頃には結構多趣味で、母の兄弟(伯父、

叔父)を誘って写真を撮りに出掛けたり、時には当時流行っていた鉱石ラジオの組み立てや、写真の現像、

焼付けやらと一通りの楽しみはしていたようです。


いつも留守番、子供の世話やら家事に追われていて、父とは旅行の思い出もないとこぼしていた母は、

後年お寺さんが主催する檀家との旅行会によく参加して、又兄と一緒に結構あちこちへと旅行していました。

祖母は祖母でやはり出好きなものですから、お年寄り仲間と色々なところへ 行ったり、また厭がられるの

を承知で、父母や兄、姉の小旅行にもついて行っていました。

私は旅行嫌いですから留守番は平気でした。


家庭内での楽しみは、テレビのない頃でしたからゲーム類、と言ってもカルタやトランプ等ですが、

父が進んで参加したのは百人一首と花札でした。

百人一首は父の得意で、負けん気の私と互いの得意札を抜きあって対抗したものです。

父の大得意札は「あらざらむ……」で、私は「みちのくの……」互いにこれだけは絶対に取らせませんで

した。花札は、家族が揃うと八八をよくやったものです。

勿論裁判官の家庭ですからバクチはやりません。勝った者がお菓子やみかんをもらったりする程度ですが、

謹厳実直な父と花札というのがミスマッチで何とも可笑しいので、「父の想い出」とする予定だったサブ

タイトルを「裁判官と花札」としました。


父はよく言っていました。

「青短に赤短、四光、五光、また梅松桜に猪鹿蝶。花札遊びは元来優雅で風流な遊びなんだよ、博打打が

すっかりイメージを悪くしてしまったのだ」と。

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