2006.8.14
三婆



                                                                              島 健二


前回、「想い出いろいろ」の中で、「三婆」として我が家の関係での三人のお祖母さまの話をしましたが、

一転して、歌舞伎の「三婆」のお話です。

私も歌舞伎は大好きで色々観ていますが、まだ観ていない芝居もあり、また「三婆」について特に研究した

こともありませんが、分かる範囲内で述べたいと思います。

ご承知のように、歌舞伎の女形の役柄には、色々あります。

赤姫、娘形、女房役、老け役、その他芸者、花魁、悪婆役等々様々な役柄がありますが、その中で、代表的

なものとして、三姫、三女房、五娘、三婆などと特徴的な役、目立つ役、類型的な役、技量を必要とする役

等々を選んでいます。

渡辺保氏によれば、三姫とは「本朝二十四孝」の八重垣姫、「鎌倉三代記」の時姫、「金閣寺」の雪姫を云

い、三女房とは「本朝二十四孝」のお種、「吃又」のお徳、「義経腰越状」の関女を云うそうで、亭主の尻

を叩くしっかり女房だそうです。

さらに五娘とは、八百屋お七、白木屋お駒、「野崎村」のお光、「妹背山」のお三輪、「神霊矢口渡」の

お舟を云うそうで、思いつめたらドえらいことをしでかすタイプと云いましょうか? 

ちなみに、三芸者とか五花魁とか三悪婆とかは選ばれていないようです、あれば面白いのに…。


さて本題の「三婆」とは、「盛綱陣屋」の微妙(みみょう)、「道明寺」(菅原)の覚寿(かくじゅ)の

二役は問題なく、三人目は「本朝二十四孝」筍掘りの場…勘助住家の段…の越路(こしじ)か、あるいは

「源太勘当」の延寿(えんじゅ)を採る説もあるそうですが、

ここでは日比野利裕氏の「かぶきのおはなし」に従って「筍掘り」の越路を採ることにしましょう。

(以下、説明は日比野利裕氏の前記「かぶきのおはなし」から引用)



「盛綱陣屋」の微妙

息子の盛綱と高綱が敵味方に分かれて戦うことを余儀なくされていて、高綱の子、小四郎が捕らわれて来

た時に、盛綱の依頼で、この孫に切腹を迫ります。凛とした気迫を感じさせる婆で、劇の進行上にも重要

な役を果たします。


「道明寺」の覚寿

菅丞相(かんしょうじょう)の伯母の覚寿は、菅丞相左遷の口実の原因を作った菅丞相の娘、苅 屋姫が

一目逢ってお詫びをしたいと訪ねて来たのを許さず、涙ながらに杖で折檻をするという芯の強さを示す

役です。


「筍掘り」の越路は、二人の息子、山本勘助は武田方の軍師、直江山城介は上杉方の軍師と敵味方に分か

れて戦わねばならない運命に当たって、上杉方に味方するため、勘助に腹を切れと迫る気丈な母親役。

以上の三婆を通じて共通するのは、男勝りの行動の強さの中にも、気品と数奇的な運命を背負った一族へ

の思いやりを感じさせる演技の上での配慮が必要で、至難な役と云えましょう。


お芝居の中でも実社会でも、年寄りは目立つように出しゃばってはいけませんが、時と場合によっては、

重要な役割を果たさなければならない時もあり、日頃から心して置かなければならないと思いました。

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