2006.8.6
三婆


                                                                            島 健二


3人のお婆さんといっても歌舞伎の「三婆」ではありません。

私の父が叔父の養子となり島家を継いだため、私達にとっては、祖母が母方の祖母も含めて3人いただけ

の話です。父は中西家の9人兄弟姉妹の末子として生まれました。

母親の実弟、島欣之助が船員のため航海が多く、またある程度の財産を持っていたこと、また独身であっ

たことから、万一の場合に財産を相続させるために甥に当たる(母の子)保(たもつ)を養子にしました。

その何年後かに欣之助は結婚したので、戸籍上は継母となりますが、私たち兄弟には島家のお祖母さんと

なるわけです。


○島のお祖母さん:

継母という続き柄からか、性格的なものから来るのか我々には分かりませんが、祖母と父との間柄は互い

に遠慮がちでしっくり行かないところがあり、それに母や父の実母が絡んで複雑な雰囲気があったのを覚

えています。でも祖母は血が繋がっていないものの、孫たちは可愛がってくれましたが、私たちは何とな

く大人たちの雰囲気が分かる上に、会津生まれで東北弁が抜けない祖母を嫌がるときがありました。

悪いことをしたと思っています。昭和33年に88歳で死去しました。



○中西のお祖母さん:

父の生母、同じ地所内に隠居所を建てて、お手伝いを一人使って生活していました。

私たちは苗字を短縮して「ナカのお祖母さん」とお呼びしていました。

島のお祖母さんよりは大分年上で、嘉永2年9月13日の生まれで、嘉永、安政、万延、文久、元治、

慶応、明治、大正、昭和と九つの時代を生き抜いて、昭和12年に90才で亡くなりました。

非常に頭が良く、理財にたけた人と聞いており、土地の売買などで資産を増やしたと聞いています。

父を養子に出す際に、渋谷にあった400坪程の土地を持って行かせたそうです。

高齢にも関わらず、頭脳明晰で、歯も丈夫で、亡くなるまで義歯はなかったそうです。

さらにナカのお祖母さんは江戸っ子気質で、シャキシャキとした物言いで粋な人でした。

お芝居が好きで、青山から駕籠で新橋駅に行き、それから電車に乗って「おしばや」を見に行ったお話を

聞いたものです。

私が時々持ち出す「イチねずみ、うしは菅原天神紀、とらは大磯……」という端唄もこのお祖母さまから

教わったものです。



○藤堂のお祖母さん:

(中里のお祖母さん)母方のお祖母さんです。

藤堂は姓で、中里は晩年に玉川線の中里に住んでおられたからです。

3人の中では一番恵まれずに、戦争中には散々苦労をされた挙句、戦後間もなく七十五、六才でご他界に

なりました。とても優しく、柔和なお祖母さまで、私が一番好きなお祖母さまでした。

孫達には平等に優しく接してくださったので、このお祖母さまを嫌がる孫はいなかったでしょう。

このお祖母さまの唯一の楽しみは麻雀で、私も何度かお相手をしたことがありましたが、勝っても負けても

ニコニコと何回でも楽しまれていました。


私たちには懐かしい想い出ですが、お他人様には興味もない長広舌、お退屈様でした。

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