2006.7.5
ストレスの分析



                                                                         島 健二


「今般左記へ転居致しました。気分を一新して出来るだけ自立して生活してみるつもりです。ここはシル

バーヴィラグループ内の自立支援型マンションで、必要に応じて支援・介護が受けられます」


これは私が今回、転居に際して、親戚、友人達に宛てた転居通知の一節です。

これまでの私の身の処し方についてある程度理解している人達は、一様に不審な思いを抱いたようです。

何人かの人達から電話又は書状で問い合わせが来ました。

「病気続きだった妻の介護に専念するために、一軒家を処分して、まだ若いのに有料老人ホーム、シルバ

ーヴィラ向山を選んで二人一緒に入居し、家内の没後は、生活に不器用なるが故にそのまま老人ホームで

老後を過す」と聞いていたがどうかしたのか? という趣旨です。


これらに対しては、以前に「引越しが済んで」に記しましたように、「入居者に占める認知症の方々の

構成比率が大きくなったこと、立場が変わり、少数派になった我々健常者側が何か疎外感のようなスト

レスを受けるようになり、共存出来なくなったこと」等を説明して一応の了解を得たのですが、その後に

色々と考えてみて、もう一つ重要なことに気付きました。それは私自身の変化です。


私は元来、敬老精神に厚い方で、それまでは年老いて認知症になった方々に優しく接してあげることが出

来ました。多少迷惑を蒙ることがあっても、「お年を召していらっしゃるのだから……」と許してあげる

気持ちに驕りはなく、自分自身も将来辿る道かも知れないと優しく接してあげることが出来ました。

家内の没後、自発的にお年寄りたちと接触するように出来たのもそのためだったのでしょう。

でもこの二三年来、状況は変わりました。

私自身がその年齢に差し掛かって来たのです。


私自身は認知症にならないように気を付けて努力もしているつもりですが、年のせいか、こらえ性がなく

なり、自分の身を処するのに精一杯で、お年寄りを思いやるゆとりがなくなって来たのでしょう。

それにもう一つ、私と同年輩、あるいはもっと若い人達にまで、認知症の方々が増えて来たことです。

これは敬老精神では扱えません。それぞれに色々な原因があり、環境の影響もあるのでしょうが、

「お年寄りだから……」と許してあげる寛容さが出て来ないのです。

理屈が通じないことは百も承知ですが、

「若いくせにダラシナイ。シッカリしろ」という気持ちが先に立ってしまうのです。

こういう人達が増えて来たので、とても共存は出来ないと今回の行動に出たのです。


その転居考慮中に、私も昨年末、本年正月と腎不全、心不全から身体中がむくみ、肺や心臓にまで水が溜

まり、呼吸困難、酸素摂取不良を起こして入院、人工腎臓透析を受けたことは前に述べた通りです。

もう助からないか? とまで思いましたし、助かっても酷い状態で、シルバーヴィラから出て、出来るだ

け自立した生活をと考えるのは無理か?  とも思いましたが、

「負けてたまるか、もう一度頑張ろう」と精神力で頑張って耐え抜き、無事退院して若干の準備期間を経て、

計画を実行して現在に至っています。


ストレスが消えた生活は誠に安心で、お蔭で現在では、年齢相応の中程度の健康状態と体力を回復したと

云えましょう。

寿命のことは分かりませんが、あとしばらくは満足な気持ちで老後を送れると考えています。

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