2006.5.15 
熊谷陣屋



                                                                              島 健二


先日(4月30日)(日)NHK3チャンネルで「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」熊谷陣屋の

場を観ました。(2005年11月歌舞伎座所演のもの)


主人源義経が桜の木のもとへ立てた制札に

「一枝を切るものは一指を切るべし」と書いてあるのはどういう意味か?

熊谷次郎直実が、これを義経が平家の公達敦盛公の命を助けよとの趣旨と解釈してとった行為は、義経公

の意に沿ったものだったのか?

を問う源平時代の武門の情を描いた名編で、主従の義と親子の情、その狭間に揺れた熊谷直実の苦衷を描い

た人気作品です。


1751年初演以来、様々な名優によって繰り返して上演され、「九世団十郎型」と「四世芝翫型」が残さ

れている由で、どちらかの型に工夫を加えて演じると云われますが、私たちの目には、初世中村吉右衛門丈

が得意中の得意として、極め付きの名演を見せていたのが焼き付いています。

現代の俳優たちも、二世吉右衛門丈をはじめとして九世松本幸四郎丈他多くの役者が挑戦していますが、

今回の片岡仁左衛門丈は仁左衛門を襲名してから初めての挑戦だと云うことです。


相模は雀右衛門丈、まず当代随一の相模といって良いでしょう。

控え目に、淡白に演じながらも母親としての耐え難い悲しみ、夫直実の心中をよく読んだ対応、藤の方へ

の恩義を忘れぬ振る舞い等が良く伝わり、申し分のない相模だったと思います。

我らの嶋之亟丈も最近相模役を演じられましたが、観られなかったのが残念でした。

きっとよく勉強して、立派な相模役だったろうと信じています。


藤の方は秀太郎丈、芝居にそつはなく、及第点の藤の方ですが、いささか品位に欠けたように見えました。

義経公は梅玉丈、気品あり、情あり、貫禄ある得がたい義経役でした。

弥陀六役は左団次丈、悪い筈はなく、事実無難な出来でしたがイマイチ、私の好みの問題かも知れません。



さて仁左衛門丈の熊谷次郎直実、「団十郎型」を主体に工夫を加えたと云われますが、なるほど良く勉強

していると思いました。どちらかと云えば線の細いこの優にはニンにないと思われる熊谷役ですが、

役柄を内面的に掘り下げて勉強していて、発声法にも科白回しにも工夫があり、見得の切り方も大きく、

立派に及第点に達していたと思われます。

ただ私の好みから言えば、感情表現が押さえ過ぎて内面的に過ぎたように感じられるので、もう少し前面に

出して悲しみ、嘆く方が良かったようにも思われます。花道の引っ込みの時にも、初世吉右衛門丈のように

「アア夢だ、夢だ」とツルリと丸めた頭を撫で下ろす仕草をした方が良かったのではないでしょうか?


しかし、いつも感心するのはこの優の芸域の広さ、努力です。

十五世羽左衛門丈の当たり役を殆どカバーし、「姿の良さ」だけで見せるような「与三郎」までもこなしま

すし、河内山もOKなら熊谷も及第点、上方歌舞伎も江戸歌舞伎もどちらでも行ける懐の深さと研究が行き

届いていることです。益々色々な役柄に挑戦してほしいと思いますが、この優に対しての私の期待は、やは

り現代の「いい男の標本」つまり「十五世羽左衛門の再現」なのです。

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