2006.4.10
小沢民主党に期待
島 健二
前原代表の辞任を受けて、民主党の新代表は、小沢一郎氏と菅直人氏との一騎打ちの選挙となりましたが、
大方の予想通り、大差をつけて小沢一郎氏が選出されました。
小沢氏は自民党に在籍していた頃、田中角栄氏の秘蔵っ子と云われ、抜擢されて47才の若さで幹事長を
務めた逸材として知られていました。その頃手を挙げれば総理大臣にもなれたと伝えられていますが、
時期尚早として固辞し、当時の政治情勢を憂えて「このままでは日本は駄目になる」と政治改革を唱えて
羽田孜氏らと手を組んで自民党から飛び出して新生党を結成し、その頃日本新党を立ち上げた細川護煕氏
を担いで、非自民の連立内閣を設立したのは1993年8月のことでした。
野党となった自民党の必死の復権運動によって細川首相は1年足らずで政権を投げ出しました。
取り敢えずは羽田孜氏を首班として、羽田内閣が発足しましたが、
政権内における小沢―市川(公明)ラインと社会党の確執、武村正義官房長官(さきがけ)の細川離れで、
羽田内閣は僅か2ヶ月で総辞職する羽目になり、
自民党河野洋平、社会党村山富市、新党さきがけ武村正義の三党首が手を結ぶことで、
村山氏首班の「自社さ」と呼ばれる変則政権の誕生となり、事実上自民党が復権したのです。
この時小沢氏は自民党から渡辺美智雄氏を、また海部俊樹氏を引き抜いて首班に担ごうとして、失敗し
ています。
新党さきがけにいた菅直人氏はこの時自社さ政権に参加し、1996年1月に村山氏から自民党橋本竜
太郎氏への政権禅譲の後、厚生大臣として橋本内閣に参加しています。
このように、歩んで来た道も政治経歴も違う二人ですが、
その後菅氏は鳩山氏と手を組んで民主党を起こし、また、小沢氏は壊し屋と異名をとりましたが、新進党
を解体した後に自由党を作り、小渕内閣の時には自自公という形で参加して、与党内部から政治を変えよ
うとして果たせず、一転して与党から離脱する際、残留を希望する仲間(保守党)と別れて縮小自由党と
なって野党に戻りました。
こうした有為転変がありましたが、民主党と合併したのは2003年9月、菅氏が民主党代表のときでした。
小沢氏は自分は一兵卒として民主党の政権奪取に尽すと、役職を辞退して以後約3年間表舞台には出ません
でした。この間民主党代表は、菅氏から岡田氏、昨年総選挙での惨敗により前原氏へと移り、今回の永田議
員のメール問題から前原氏も退任することになって、やっと小沢氏の出番がやって来たわけです。
小沢氏にも民主党にもこれが最後のチャンスでしょう。
先ず党内の融和・団結を固めて、民主党全員が小沢氏の経験と指導力に従って、一致団結して政権奪取を目
指すべきです。また小沢氏も過去の失敗に懲りて仲間に嫌われないようにすべきです。
小沢氏自身が表明した「私がまず変わる」ことを信じましょう。
味方割れさえなければ、自民党を倒す力量は十分にあるのですから……。
小沢民主党の団結を見届けて、我々有権者も民主党を応援しようではありませんか。
政権の交代こそが真の構造改革に繋がるのです。
官僚支配、政官業癒着の弊害を打破するには政権交代可能な二大政党政治の確立しかありません。
有権者の後押しさえあれば小沢民主党にはその力量があると思います。
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