そよ風便り、ありがとう
綾佳さま そよ風に乗せたお便りを嬉しく読ませていただきました。
年齢が60才以上も若い人に読んでいただけるとは思ってもいませんでした。
昔のことなど気にもかけない人達も多いのに、嬉しいことです。
私の文章は人様に読んでいただこうと書いているものではなく、
色々と体験したありのままを整理してみるつもりで書き始めたものです。
勿論読んでくださる人があれば嬉しいし、張り合いがありますが、
自由に読んで、自由に感じていただければ良いので、
勿論私自身の考え方への共感を期待するものでもなく、
ましてや、歴史的事実として押し付ける気持ちもありません。
読む人によって感じ取り方は万別ですし、こんな事があったのか、
その時、この人はこういう風に行動したのかなどとご自由に受け止めていただければ良いと思います。
何年かずれた時代を生きる、様々な世代の、様々な考え方の人たちが、
どこかで通じ合える何ものかが発見されたら望外の喜びです。
書ける間は書き続けたいと思いますので、興味を感じていただけるならばお読み下さい。
私もそよ風に乗せての返信です。
どうぞお元気でお過ごしください。
歌舞伎よもやま話
2006.3.5
演出上の工夫
島 健二
ある芝居が繰り返し上演される場合は、演出上の工夫として、演出者や出演者の考え方で色々な、又は
ちょっとした工夫がなされます。
それらの中には、次々と踏襲されて、「型」として後世に伝えられて行くものもあります。
更に歌舞伎の世界では、成田屋型、音羽屋型などとその「家」の「型」として、父祖伝来の「型」を
大切に受け継いで行く場合もあり、又「九代目団十郎の型」とか、「六代目菊五郎の型」等と個々の
名優の「型」として受け継がれて行くこともあるようです。
我々一般の観客は、こうして練りに練りあげられて完成した舞台を漠然と鑑賞して楽しんでいるわけで
すが、それでも時には「いい段取りだな」とか「美しい形式美だ」とか感じながら観ることもあります。
先人たちの長年の演出上の工夫が込められているのですから当然ですし、一々感心するまでもなく、単に
楽しめばいいのですが、興味がある人は、これらの工夫についての裏話や、創意工夫を調べて、それを頭
に置いて観劇するのも興を増す一つの手段になるかと思います。
私などは無精者ですから、わざわざ調べることはないのですが、伝聞で幾つか耳に入っている逸話等をご
紹介しようかと思います。
当代松本幸四郎丈が「夢の仲蔵」シリーズを上演したことから有名になりましたが、
「仮名手本忠臣蔵」五段目に登場する斧定九郎の役は、この場面での主役の一人として、黒紋付の着流し、
雨に濡れた頭髪や衣服、傘などの水を切る仕草や、見得の切り方等カッコイイ浪人のいでたちですが、
これは中村仲蔵丈の考案で、元来は風采の上がらない山賊のようなチョイ役だったのをカッコイイ重要な
役にしてしまったと云います。
上方風の演出では現在でも山賊風だそうで、以前に市川右近丈が上演したのを観ましたが、
登場した斧定九郎(猿弥丈)は、薄汚いドテラのような衣装で、派手な見得もなく、与市兵衛と立ち回り
の末、殺して金を奪うカッコワルイ悪者で感心しませんでした。
この上方風の「忠臣蔵」では、続く六段目も風変わりです。
与市兵衛の死骸が運ばれた際、江戸風では正面やや上手の奥に安置しますが、上方風では何故か上手の
次の間へ置きます。また勘平が切腹するとき、江戸風では舞台の中央で正面を向いて切腹しますが、
上方風はやや下手寄りの奥で、観客に背を向けて切腹です。どちらもあまりその意図が分からず、江戸風
のほうがいいと思いました。
もう一つ、「石切梶原」について。
梶原が名刀を入手して、六郎太夫親娘に試し切りを見せる場面で、現在、二通りのやり方があるのにお気
づきでしょうか? 十五世片岡仁左衛門丈は試し切りをする手水鉢の後ろ側に立ち、観客席に向かう形で
刀を振りかぶり、見事に真っ二つに割れた手水鉢の間から飛び出す形を取ります。
ピッタリと決まって美しい、十五世羽左衛門丈好みの派手な「型」で、私は「桃太郎型」と呼んでいます。
二世中村吉右衛門丈は、手水鉢のこちら側で観客席に背を向けて刀を振りかぶるやり方で、比較的に地味
な「型」です。確認していませんが、多分初世吉右衛門丈の「型」でしょう。
どちらかと云えば派手な仁左衛門丈には羽左衛門丈型が似合い、地味な吉右衛門丈には吉右衛門型がよい
のではないでしょうか?
なお面白いことには、歌舞伎では、梶原の役は大概悪役となっているのですが、この「石切梶原」だけが
良い役として描かれています。
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