2006.1.28
天性ボケ



                                                                                                                                                                               島 健二


前回「昔の名優たち」で、初代吉右衛門丈のところで「天性ボケ」について触れました。

この「天性ボケ」をもう少し考察してみたいと思います。



先日、例によって気紛れに歌舞伎チャンネルに切り替えてみました。

タイミング良く、ちょうど「加賀鳶」が始まるところでした。


昨平成17年1月に歌舞伎座で演じられた芝居で、梅吉と道玄役を幸四郎丈、松蔵を三津五郎丈、

女按摩お兼を福助丈、お朝を宗之助丈、おせつを鐡之助丈という配役でした。

幸四郎丈の梅吉、道玄は初役かどうか知りませんが、記憶にありません。

最近では河内山や直次郎のような世話物を手掛ける幸四郎丈ですから、これも新規の取り組みかと思います。

梅吉役は先ず先ずとして、按摩道玄役がどうも感心しませんでした。

勿論、道玄役は悪いゆすり役ですから、悪党らしさの表現に力点を置いたのでしょうが、以前に河内山役を

演じたときもそうでしたが、悪党らしさを強調するばかりで、何処となく現れてくるべき愛嬌に欠けるのです。

歌舞伎に登場してくる悪党役は、誰もが何処となく愛嬌を持っていて、それが救いともなり、お芝居を楽しく

しているのですが、幸四郎丈の悪党役にはその愛嬌がないように思います。

これは演技力の問題というよりは、この優に「天性ボケ」の要素がないのだと思います。


これは弟である当世吉右衛門丈にも共通する傾向で、

例えば、一条大蔵卿とか法界坊のような喜劇的な演技には向かないようです。

何時でしたか、吉右衛門丈は歌舞伎チャンネルの鈴木治彦氏との対談で、

「家の芸ですから一所懸命にやっていますが……」と不得手であることを認めていました。

演技力抜群な同優をもってしても演技力では現せない「天性ボケ」とでもいうべき素質が必要なのでしょう。



これに反して、初代吉右衛門丈、その弟であった先代勘三郎丈、その子の当代勘三郎丈へと繋がる血筋には

この「天性ボケ」の素質が引き継がれているように思います。

勘三郎親子などは楽しみながら、地のままに大蔵卿や法界坊のご愛嬌を初代吉右衛門丈と同じように、出して

いるように見えます。


当代吉右衛門丈やその兄幸四郎丈が演技力で何とか出そうとしても中々出ないこの味は、「天性ボケ」の

素質によるもので、云うなれば「ニン」にも近い要素かも知れません。



そう云えば、古くは七世松本幸四郎から血筋が続く十一世団十郎、白鸚、二世松緑という高麗屋系列の

血筋には、この「天性ボケ」の素質はなかったようです。

播磨屋・中村屋系には血筋として受け継がれて、

高麗屋系には受け継がれなかった「天世ボケ」と云えましょうか? 

この「天性ボケ」の素質があるとは思えないものの、演技力として、また技術としてこれを役柄に反映させ

て来た例外としては、六世尾上菊五郎丈が特筆されましょう。

「ニン」にない、素質にない何とも云えないご愛嬌を、演技力で役柄に反映させたのは、この優ならではの

卓越した力量だったのでしょう。

「加賀鳶」の道玄役の憎たらしいが、ご愛嬌のある演技が今でも目に浮かぶようです。


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