皆様明けましておめでとうございます。

本年の歌舞伎よもやま話も「昔の名優たちについて」で幕を開けたいと存じます。


2006.1.1
昔の名優たちについて




                                                                                                                              島 健二




私が歌舞伎を見始めた頃の名優たちと云えば、十五世市村羽左衛門、六世尾上菊五郎、初代中村吉右衛門、

七世松本幸四郎、七世沢村宗十郎と書きました。この他にも名優と呼んでも良い役者さん達もいた筈ですが、

私の印象に強く残っているのがこの五人の名優たちです。



歌舞伎評論家の戸板康二氏は、真の名優と呼べるのは六世尾上菊五郎、初代中村吉右衛門の両者だけだと

言っているようですが、それは役者としての技量というか、役柄の表現力のみにとらわれた見解のように

思います。
者としての魅力はそれだけではなく、天性として備わった魅力のようなものがあるのではない

でしょうか? 



まず市村羽左衛門丈について云えば、舞台に出て来ただけで、パッと明るくなるような容姿の美しさがあり、

せりふを耳にしただけで爽やかさを感じる美声は天与の素晴らしさです。

この点から評価すれば菊五郎丈はズングリムックリした容姿で美しさに欠けますし、また悪声でせりふは通

りにくい難がありました。ケチをつけるのではなく、羽左衛門丈のような天与の美しさ、爽やかさに恵まれ

ていなかったと云いたいのです。

この天与のものというのも役者にとって大切なものだと思います。

演技力は多少劣っても、見ただけ、聞いただけで観客が酔う美しさ、爽やかさは名優の資質に他なりません。

羽左衛門丈の場合、演技力はそれほど必要がなく天与の資質だけで名優と呼べると思います。



また、戸板氏も言っていますが、菊五郎丈には日によってムラがあり、出来の悪い日には舞台を投げ出す

悪癖があったと云います。

これは経験の乏しい私にも感じられたことでした。名優でもそれは感心出来ません。



吉右衛門丈の場合には、対照的に兎に角常に全力投球で熱演することで、観客を酔わせる演技でした。

それでいて「天性ボケ」とでも云うのか、喜劇の時などに巧まないボケがあるのです。

当世吉右衛門丈も良い役者になりましたが、その点だけは苦手のようです。



幸四郎丈は押し出しが立派な上に、朗々とした口跡は周囲を圧倒する魅力でした。

勧進帳の弁慶役はこの優の右へ出る人はいないでしょう。

優はこの弁慶役を生涯に1600回以上も演じたことで有名です。



宗十郎丈はこれらの四名優とは少し異なります。

若い頃のことは知りませんが、先に宗十郎三代で触れたように、晩年は容色も衰え、口跡も代表的な悪声で、

女形としては致命的でした。

ところがこの晩年に「宗十郎歌舞伎」としてもてはやされ、大輪の花を咲かせたのです。

うまく表現できないほど、実に不思議な魅力でした。天性の古風さに加えて、年輪を重ねると共に上方風な

味を加味した確かな芸風が完成して名優の域に達したのでしょう。



六世菊五郎丈のことだけをけなしたようになりましたが、容姿、口跡等天与の資質には恵まれないながら

舞踊の名手、世話物の細かい表現力など幅広い芸域を持ち、押しも押されもせぬ名優としての評価を得て

いるのは、その役の解釈、表現が抜群で、演技力に優れていたことは五名優のうちで群を抜いていたという

ことで、名優中の名優であることに変わりありません。


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