2005.12.28
入院の顛末
島 健二
「天使の花園」(昼)
12月15日、生まれて初めての救急車でピーポーピーポーと「天使の花園」へ運び込まれました。
さきの脳梗塞の時から18年ぶりです。
今回は肺炎から呼吸困難を来し、ひどい酸欠状態になったためです。
脳梗塞の時には救急車どころか無線タクシーで付き添いもなしで外来へ、これは祐子先生に後から伺った
ところでは、脳梗塞は初めに自力で兎に角歩くことが一番なのだそうです。
「天使の花園」は大分様変わりしました。
私の担当は「キュート」チャンと命名しました。中々の魅力ある女性です。
他には無表情、無愛想に仕事一筋という感じの看護師さん、お色気たっぷりにお愛想は良いが、用事を頼ん
でも忘れたりする種族、または年輪だけがにらみを利かせているような貫禄派と様々ですが、新味を感じた
のは見習看護師(正式な呼称は知りませんが……)でしょうか?
若手でテキパキと仕事をこなす数人が目に付きました。
お化粧もせず、勿論メイクではなくスッピンですが、「ガングロ」族を思わせるような色黒で精悍さを感じ
させる若き女豹のようです。ノートパソコンをワゴンに積んで颯爽と花園内を闊歩しています。
ご存知の方も多いでしょうが、留置針(リューチシン)……小津作品に登場する、よく似た発音の老け役
専門の老優がいましたね……。と呼ばれる柔軟性のある「針の基地」を手首近くに作り、そこから点滴を
入れるのは全く痛くないのは嬉しかった。
昔は点滴一回ごとに針を刺されるのがたまらなく厭でした。
まだ3日に一回は「針の基地」を作り替えるのですが、それでも随分楽です。
これは大いに宣伝すべきです。医者嫌いの相当%が注射、点滴嫌いなのですから…。
病気(肺炎)の方は数日で収まりましたが、肝臓が異常に肥大していると言われ、将来の爆発に備えて、
管を通して体外に抜く道を作る手術を勧められました。
「将来に備えるより、目の前にある一週間、一ヶ月、一年を大切にして、様子を見ながら生きること
にしたい」と謝絶して退院した次第です。
病院のベッドは自由に動かして角度を変えることが出来るタイプでしたが、私にはどんなに工夫しても良い
角度が得られず、腰やお尻が痛くなって2時間おきくらいにソファーへ移ったり、又ベッドへ戻ったりしま
した。
クリスマスイヴ近くの夜、ソファーでうたた寝をしていると、ドアがソッと開いて、人の気配! ギョッと
しましたら夜勤の看護師さんでしょう、「お休みになれないの? 御用があればお隣の部屋にいますからね」
とご親切なお言葉、デモちょっと怖かったような…。
天使の白い服だったか、ひょっとしたらネグリジェだったかも……。
増田さんと違ってうまく表現できません。
翌日の夜、また丑三つ時頃に人の気配、部屋へは入って来ず、細めに開けたドアの隙間から、顔と指先を出
して声なき声で「オヤスミ」と「キュート」ちゃん、彼女なら入ってきても良かったのに…。
ケシカラン爺さまです。
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