2005.11.13
宗十郎三代


                                                                       島 健二


七世沢村宗十郎

三島由紀夫氏は子供の頃、初めて歌舞伎を見たときの感想として後に、

「歌舞伎には、なんともいえず不思議な味がある。くさやの干物みたいな、非常に臭いんだけれども、

美味しい妙な味がある」ということを子供心に感じたと述べたそうです。

また七世沢村宗十郎のことを

「時代が亡びた後にただ一人生き残った顔、痴呆のように過ぎし世のかずかずの類型を無心に残したまま、

もはや何も語ろうとしない、それだけにわれわれがほしいままな幻想と憧れを描きちらすことのできるその顔」

と感じたそうで、熱烈な宗十郎ファンとなったと云います。

宗十郎丈の顔に「くさやの干物みたいな味」を感じたのでしょう。


三島由紀夫氏と七世沢村宗十郎丈、およそ結びつき難い取り合わせですが、私には分かります。

私も初めて歌舞伎を見た時に、当時の名優たち(十五世市村羽左衛門、六世尾上菊五郎、初代中村吉右衛門、

七世松本幸四郎等)の中に一種独特な味を持つ七世沢村宗十郎丈に不思議な魅力を感じました。

ちなみに、三島由紀夫氏と私は共に大正十四年生まれですし、戦後の大劇場閉鎖の頃、歌舞伎に熱中して、

本所寿劇場や渋谷劇場の小芝居を観て廻った同じような経歴があることに不思議なご縁を感じます。



七世沢村宗十郎丈は、その当時既に相当な老齢で、お世辞にも美しいとは云えませんでした。

面長な古風な面差しはいいのですが、皺だらけの顔に白粉を厚塗りするせいか、皺を白粉で塗り固めた感じで、

小さな目を大きく見せるため、目のまわりに目立つぼかしを入れるので、狸の目を連想させます。

なおその声はしわがれ声で、声色屋に言わせれば

「唇を大きく動かしてしわがれ声を出し、最後におお酸っぱいといえば良い」と表現したものです。

しかし、その全体の雰囲気には何とも言えない古風な雰囲気があり、芸風は上方の味も加味した確かなもので、

晩年は「宗十郎歌舞伎」ともてはやされたものでした。

かの有名な十五世市村羽左衛門丈が「十六夜清心」の清心を演じた時、相手役の十二世片岡仁左衛門丈が休演で、

相手役の「十六夜」が宗十郎丈になったのを嫌がったそうですが、代役の宗十郎丈の「十六夜」は大変な好評を

博し、羽左衛門丈も「大したものだ!」と見直したと聞きます。


また初代吉右衛門丈の南与兵衛で「引窓」が上演された時に宗十郎丈が初役で母お幸を演じた時にも大好評を

博して、吉右衛門丈に「紀伊国屋にすっかりさらわれたなァ」と言わせたそうです。

ちなみに宗十郎丈は、「忠臣蔵六段目」の「勘平」の扮装のままで、舞台で死去したそうです。



八世沢村宗十郎

七世の三男訥升が八世を継ぎました。

八世宗十郎は美貌とふくよかな姿態に恵まれて、十三世片岡仁左衛門を座頭として当時新宿の第一劇場で演じ

られた青年歌舞伎で立女形を務め、仁左衛門丈や二枚目として人気があった十四世守田勘弥丈の相手役として

活躍しました。

口跡にも恵まれて女形として前途洋々だったのですが、おっとりと控え目な性格が災いして、初代吉右衛門丈

の晩年の相手役に抜擢された六世中村歌右衛門丈や、兵役を終えて復員し、女形として売り出した大谷広太郎

(現雀右衛門)丈の陰に隠れて、役に恵まれなくなり、後年病を得て早世したのは惜しまれます。




九世沢村宗十郎

八世の長男、源平から訥升、宗十郎と襲名を重ね、七世と八世の良いところを受け継いだような女形でしたし、

立役でも祖父の七世の芸風を引き継いで、江戸和事に独特の柔らか味を持つ演技を見せてくれました。

現代では珍しい古風な雰囲気と美しさを持った役者で、芸風も確かで、意欲も充分な人でした。

自主公演「宗十郎の会」を十回催して沢村家に伝わる演目(七世が定めた「高賀十種」ほか)を復活、

上演して楽しませてくれましたが、平成十二年十二月に歌舞伎座で一世一代の「蘭蝶」を演じたのを最後とし

て、翌十三年正月に六十八才で亡くなったのは惜しまれます。

私は「蘭蝶」の舞台を観ましたが、座った姿勢から自力で立ち上がることが出来ず、何人もの役者に囲まれて

助け起こされる状態で、痛々しい限りでした。

それでも楽日まで立派に務め、宗十郎ならではのしっとりとした古風な味を持つ舞台を描き出し、幕切れには、

「東西、まず今日はこれ切り」と座頭格として挨拶をし、翌年正月に十世三津五郎を襲名する八十助を宜しく

と口上を述べるなど立派な大舞台を務め上げたのには涙が出ました。



七世、八世にも共通したものがありますが、特に九世は、若い娘役や赤姫のような役よりもどちらかと云えば

年増役や仇っぽい芸者や花魁のような役、また悪婆のような役が似合う人で、独特の艶っぽい色気があった

役者でした。もうこの人のような得がたい古風な味を持った役者は現れないのではないでしょうか?


九世には跡取りの男子がいないので、訥升、宗十郎の名跡は途絶えています。

寂しいことです。

沢村一門から誰か優秀な若手が出て、訥升、宗十郎の名跡が復活する日が来ることを願ってやみません。


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