2005.10.27
鑑賞眼



                                                                                                                            島 健二


私は批評家ではありませんが、芝居の話をするときには、とかく批評家めいた口を聞くようになりがちです。

その場合に我々年寄りが心しなければならないことは昔の名優たちと比較することだと思います。


誰でも同じ傾向があると思いますが、芝居を観始めて間もないころには、自分自身にはまだ鑑賞眼が発達し

ていないものですから、練達した名優が舞台で演じる完成された演技に圧倒され、一も二もなくその俳優を

名優として認識してしまいます。(鑑賞眼がなくても、多少の好き嫌いはありますが……)


私なども初めて観た十五代目市村羽左衛門や六代目尾上菊五郎、初代中村吉右衛門、七代目松本幸四郎、

七代目沢村宗十郎等々は、文句なしに名優として目に焼き付いています。

すると爾後に現れる年少の俳優たちは特別な名演技でも発揮しない限り「まだまだ未熟」と感じてしまう悪癖

があります。大幹部たちだけではなく、脇役の俳優たちでも、例えば「源氏店」の“蝙蝠安”を演じる松助の

演技に初めて出会って感嘆したとすると、その後で観る別の俳優の“蝙蝠安”は気に入らず、その俳優の演技

全般が劣るように感じてしまう傾向があります。

これらは未熟とか演技力の劣悪ではなく、役柄がその俳優のニンに合うか否かということで、いかなる名優でも、

あらゆる役柄をも立派に演じるわけには行かず、ことに脇役を演じる役者たちは、座組みの都合上ニンに合わな

い役でも演じなければならないのですから、その演技が下手だなどと決め付けては役者が気の毒です。

ニンに合わないと見るべきでしょう。


だんだん年数が過ぎると、鑑賞眼が多少なりとも発達してくるので、こうした傾向は益々強くなる恐れがある

のです。「最近の若い役者はまだまだ未熟だ」などと云われては、若い俳優たちは迷惑至極なのです。

上達途上の努力を評価すべきです。


数年前のことになりますが、歌舞伎チャンネルでの当代(七代目)尾上菊五郎丈と鈴木治彦氏との対談で、

なるほどと思うことがありました。


鈴木治彦氏が「今の三之助(辰之助、菊之助、新之助)と昔の三之助とどちらがうまいですか?」と質問した

のに対して、菊五郎丈は言下に「そりゃあ今の彼等の方がうまいですよ」と答えました。

菊五郎丈はその理由として「我々の頃には先輩の芸を見て、または同じ舞台で一緒に芝居をしながら芸を盗む

しかなかったけれども、今ではビデオなどがあるので、何度も繰り返して勉強することができますから……。

彼等は良く勉強していますよ。あとはどうやって自分のものにするかだけです。」と説明をしました。


勿論、自分たちのことを謙遜する意味合いと後輩たちをかばう意味もあったのでしょうが、

「近頃の若い連中は……」などとは言わない謙虚さ、奥床しさに菊五郎丈の人柄が感じられて爽やかでした。

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