2005.10.5
修善寺物語



                                                                              島 健二

 
前回、私自身が中学時代に学芸会の朗読会で「修善寺物語」の夜叉王娘「楓」の役を演じたことに触れました。

確か三年生の時でした。

歌舞伎好きな担任の先生が、教科書に載っていた岡本綺堂作「修善寺物語」の夜叉王内の場の朗読を学芸会

でやるということになり、配役の人選が始まりました。

積極的な生徒がどんどん手を挙げてテストを受け、次々と配役が決まって行きました。

女形の「桂」と「楓」の役は誰も自信がないようで、挙手する者がいません。

私はまだ兄の稽古台はしていませんでしたが、その頃から歌舞伎に興味を持ち始めていた頃で、兄と一緒に

役者のせりふ回しを真似て、女形の声を出したりしていましたので、ある程度自信は持っていましたが、

例によって人一倍の恥ずかしがり屋なので、手を挙げることはしませんでした。


先生が「島、どうだ。桂をやってみないか」と指名がありました。

女形の発声でやったところ、仲間はドッと笑いましたが、先生には「うん、うまい。決まりだ」と褒められ

ました。続いて「楓」の人選です。

適任者が中々出ず、何人目かのテストで一応女形の発声が出来る者が見つかりましたが、声の調子が私より

も干低いので、「桂」と「楓」を入れ替えることになりました。



前回の原稿を書いた後、急に懐かしくなって「修善寺物語」の録画テープを探し出して観ることにしました。

ちょっと古いもので、

先代猿之助(猿翁)の夜叉王、先代段四郎の婿春彦、団子(当代猿之助)の下田の五郎と親、子、孫三代が

揃って出演している懐かしい配役で、他に、寿海の頼家、三代目時蔵の桂、我童の楓等々です。

懐かしく、感慨深く鑑賞しました。



ご存知ない方のためにご説明しますと、劇作家岡本綺堂氏(明5〜昭14)は、主として二代目左団次のた

めに多くの新作歌舞伎を書いていますが、「修善寺物語」もその代表的な一作で、明治44年明治座で初演

されて好評を博し、以後度々上演され、主役夜叉王は何人もの俳優によって演じられましたが、先代猿之助

もこれを得意役とした一人です。


ストーリーは、執権の北条氏により伊豆に押し込められた鎌倉幕府二代将軍頼家は、失意の日々を送るうち、

自分の面体を後の世に残そうと、伊豆修善寺に住む名人と聞こえの高い面作師(おもてつくりし)夜叉王に

自分の絵姿を渡して面(おもて)の制作を命じます。

夜叉王は鋭意制作に励みますが、出来た面には何故か死相が現れるので、献上できずに延引するのでした。

苛立った頼家が自身で催促に来ても夜叉王は応じません。

怒る将軍に姉娘「桂」が昨夜出来(しゅったい)したという面を差し出します。

頼家は一目で気に入り所望します。夜叉王は止むを得ず献上しますが、不作を献上したと後悔するのでした。



気位の高い姉娘「桂」は、将軍に望まれて側女として奉公するのに応じ、将軍から二代目若狭の局の名を許

されますが、将軍の御供をして帰る道すがら、北条氏の討手に襲われ、面をつけて将軍の身代わりとなって

奮戦し、息も絶え絶えに我が家へ帰って来ます。

結局将軍頼家も落命したことを聞いた「桂」は「死んでも本望じゃ」と息を引き取るのですが、夜叉王は

「若い娘の断末魔を写したい」と絵筆を走らせます。

さらに夜叉王は「何度打ち直しても面に死相が現れたのは、我が作品に将軍の未来が映し出されたのだ。

我こそ日本一の面作師じゃ」と満足そうに云うのでした。


とても印象的な戯曲で、朗読会で「楓」を務めた思い出もあって、私の大好きな芝居の一つです。

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