2005.9.21
歌舞伎研究会




                                                                              島 健二


 
前回記しましたように、私が歌舞伎に親しみましたのは兄の影響によるものですが、兄の影響で、もう一つ

大きなものに、慶応義塾大学の「歌舞伎研究会」があります。


兄はこの歌舞伎研究会に入っていましたが、この会の主な行事は「朗読会」で、メンバーにそれぞれ役がつ

いて練習に励み、「朗読会」の発表を行なうのです。

最近では、「衣装をつけて、舞台装置までして大掛かりにやり過ぎる。

おまけに女形の役は女子学生がやるので、意味がない」と兄は批判していますが、当時はせりふを言うだけ

で、舞台装置も衣装もない簡素な研究会だったそうです。

又その頃は女子学生もいないので、女形の役も男子がやったわけです。

 

兄の配役が決まると、稽古の練習台が私に回って来ました。

例えば「勧進帳」で、兄に富樫の役が来ると、

私は弁慶から義経、四天王から番卒と富樫以外の役のせりふ全部を引き受けて相手をさせられるのです。

兄は凝り性ですから相手役のせりふの出来が悪いと気に入りません。

納得が行くまで何回もやり直しです。

私は人一倍恥ずかしがり屋で、人前でやるのは大の苦手ですが、元来が好きで、凝り性なところは兄と似て

いますので、文句を云われないように頑張って練習しました。

せりふというものは繰り返し、何度も練習するうちにはうまく言えるようになりますし、若い学生時代のこ

とですから、すぐに頭の中に記憶されてしまいます。

もう現在では大分忘れてしまいましたが、それでも相当な部分が記憶に焼きついています。

芝居を観ていると役者さんと一緒に自分も舞台上で芝居をしているような気分になり、また相手役のせりふ

も知っているので、余計にお芝居の中にのめり込むような感じで熱っぽく観られます。



「嶋之亟を囲む会」で嶋之亟さんを中心に皆でせりふを回して楽しむことがありますが、

歌舞伎をさらに面白く鑑賞するようになるために良い方法だと思っています。

さらに配役を決めてやればもっと盛り上がると思いますが、限られた小人数でしか楽しめなくなるので、

問題があるかと思います。



それは兎も角として、先に述べた「歌舞伎研究会」での朗読会の練習台となって、兄のすべての相手役の

せりふを練習したことで、私の頭の中の歌舞伎のせりふの記憶は短期間に相当な量に膨れ上がりました。

私は勿論「歌舞伎研究会」には出演したことも、又見に行ったこともありませんが、これが歌舞伎についての

私の財産となっているのは間違いがありません。

芝居を観る時に、役者が言うせりふを皆知っていて、その役者の台詞回しがうまいとか、良い口跡をしている

とか批評家のような聴き方が出来るのは面白いことです。

兄の稽古台となって相手役のせりふを練習するよりも二三年前に、私自身は中学のときの学芸会で、

朗読会「修善寺物語」の夜叉王娘「楓」の役をしたことが一度だけあります。

偶然ですが、女形の声がうまく出せて褒められたのを覚えています。

勿論人前で演じるのは恥ずかしくて仕方がありませんでしたが、自信はありました。

こんなことも私自身が歌舞伎に興味を持つようになったきっかけになったと云えるでしょう。

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