2005.9.5
底の浅い歌舞伎通
島 健二
私は周囲の人たちから歌舞伎通のように言われていますが、決して通でも何でもなく、
多少興味を持っている程度で、それも歌舞伎オタクの兄の影響を受けているだけです。
兄は私との縁で、シルバーヴィラ向山の機関誌「銀杏」に「日本古来の文化―歌舞伎篇」
と題して毎号連載していますが、かなりの歌舞伎オタクで、しかも昭和14年からずっと
見てきているので、有名な十五代目市村羽左衛門や、六代目尾上菊五郎、初代中村吉右
衛門、七代目松本幸四郎等々の今は伝説的になっている名優たちをよく見ています。
私は兄と一緒にこれらの名優たちの舞台を少しは見ていますが、昭和十八年頃と終戦後に
少し見た程度です。戦争中から戦後しばらくは歌舞伎座等の大劇場が閉鎖されていたせい
もあって、これらの大幹部たちの舞台が見られなかったことは兄も私も同じですが、
渋谷の道玄坂上にあった渋谷劇場という映画館で、市川門三郎一座と云う一座が興行を始
めたので見に行きました。
門三郎のほかには沢村小主水という女形がいるだけで、小人数の一座でしたが、毎週演目
を替えて、しかも熱心に舞台を務めるので、私のように歌舞伎に興味を持ち始めた者には
歌舞伎を勉強し、楽しむのに格好な教材となりました。
網羅的にありとあらゆる演目を次々と演じるので、そのころこの門三郎一座で見た芝居が、
私の中ではかなりな知識の部分となっています。
昭和三十年以降は、私は関西在住の期間がありましたし、また家内があまり歌舞伎に趣味
がなかったせいもあり、私も歌舞伎に興味は持ち続けていたものの、たまにしか歌舞伎を
見ていません。家内に先立たれて独り身になってから、また頻繁に歌舞伎を見るようにな
ったものの、この間のブランクが大きくて、十一代目団十郎や歌右衛門、松緑、梅幸等の
時代の芝居はあまり見ていないのです。
昔見た名優たちの舞台と門三郎一座で得た知識と最近十年間くらいの間に見た舞台とを
つなぎ合せているだけで、色々と知っているように見えるかも知れませんが、
極めて底の浅い歌舞伎通なのです。
歌舞伎についての私の知識、経歴はこの程度のものなので、系統立ててご説明するような
ものはありませんが、時折思い浮かぶこと、たまたま知っていること、個々の俳優につい
ての私なりの好みなど、不定期に、単発的に書き綴らせていただきたいと思います。
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