2005.6.5
大相撲の歩む道
島 健二
国技と呼ばれている大相撲には、貴乃花、若乃花以来日本人の横綱が出ていません。
別に国粋主義でもありませんし、また朝青龍の強さにケチをつける気もありませんが、
やはり日本人の横綱が出てほしいと思います。
このシルバーヴィラのお年寄りは皆同じように考えるらしく、あまり外国人力士の
活躍がお気に召さないようで、曙・武蔵丸時代には殆ど全員が若・貴ひいきでしたし、
曙・武蔵丸が強いと「ハワイ場所でも作ればいい」などとおっしゃるご老人もおられ
ました。
最近では、「お相撲も面白くなくなったわね! 外国人ばっかりだもの」とおっし
ゃいます。あらためて番付を見ますと、なるほど幕内に外国出身の力士が多いこと、
モンゴルを筆頭に、ロシアや旧ソヴィエト圏等々の国々出身の力士が大勢います。
しかもこれらの外国出身力士はどんどん強くなる勢いを見せています。
モンゴル勢は体格的には日本人と大差ありませんが、欧州系の外国人は体格的に優れ
ています。これらの大型力士が十分に日本の環境に慣れて力を発揮すれば、体格的に
劣る日本人は勝てそうにありません。
これでは当分日本人の横綱は出て来そうにありません。
どうしてこんなになってしまったのでしょうか?
国際化といってしまえばそれまでですが、相撲協会は外国人力士の勧誘、育成を熱心
にやり過ぎたようです。
相撲の醍醐味は、重量別等の階級を設けずに、体格的に劣る小柄な力士でも、巧みな
技を発揮して体格的に優れた大型力士を倒す可能性にあると思います。
日本人は概して小柄であるため、小兵力士が大型力士を倒すことに快哉を叫ぶようです。
京の五条の橋の上で、牛若丸が「ここと思えばまたあちら、燕のような早業に鬼の弁慶
謝った」と云うような寓話を好む国民的感情かと思います。
つい先日故人となった先代貴乃花関を始め、ごく最近まで活躍していた寺尾関や舞の海
関など小兵の技能力士は大変な人気がありました。
しかしこの「小良く大を制する」可能性にも限界があり、体格的な格差が余りにも大き
い場合は、いくら巧みな技も通じないで圧倒されてしまいます。かつて日本の特技と呼
ばれた柔道での前例があります。柔道は国際化し過ぎて、体格的に優れた外国人が盛ん
にやるようになったので、この可能性の限界を超えてしまい、重量別階級制をとらざる
を得なくなった結果、オリンピック種目となり、国際化を果たしましたが、本来持って
いた「小良く大を制する」面白さを失ってしまいました。
相撲が柔道の轍を踏むのを避けたいと思うのは私だけでしょうか?
私だけが「小良く大を制す」にこだわっているのでしょうか?
相撲協会が「大相撲を将来オリンピック種目に」と考えているのかどうか知りませんが、
オリンピック種目になどならなくて良いから、この日本独特の「小良く大を制する」可
能性を持つ相撲を今の形のまま残して置きたいと私は考えています。
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