2005.4.1
草津温泉行
島 健二
10年程以前の話になりますが、最近書き始めた「こぼれ話・新ボケ論」の中に登場する
スターの方々と草津温泉への一泊旅行を楽しんだ思い出があります。
この珍旅行の思い出は、今でもしばしば「花ちゃんクラブ」での話題などに出てくるほど
に楽しく、可笑しな思い出で、私は「やっとこさっとこ」にも既にご紹介したように錯覚
していましたが、まだご披露していなかったのに気が付きましたので、ご披露することに
しますが、文章にすると楽しさ、可笑しさが十分に伝わるかどうか心配です。
○「やる気」のUさん
例の朝食後の事務所前での歓談に加わるようになったUさんという警察官上がりの方が
おられました。私と同い年で当時68才だったと思いますが、脳梗塞を患って、私よりも
かなり程度が重く、ヨチヨチとやっと歩ける程度でしたし、会話能力も聞き手が十分には
理解出来ない状態でしたが、色々「やる気」のある人でした。
ことに女性への関心度が高く、ヘルパーさん達にもてようとプレゼントをしたりするのは
良いのですが、さらに積極的にドライブや旅行に誘う目的で、勝手に自動車のバイヤーに
新車を注文したりするのです。
身体の状態からとても運転するのは無理ですし、また本人は十分な預金を持っているつも
りでいるようですが、祐子先生から聞いたところでは一桁も二桁も間違えているらしく、
車購入など無理だそうで、業者に謝ってキャンセルしたり、色々と大変だったようです。
○ 草津温泉旅行
意欲満々なUさんは中々「カノジョ」が出来ないのがご不満で、温泉旅行に行って遊びた
いと言い出したのです。そこでUさんの「お遊び」も配慮に入れて、希望者を募って温泉
へ行こうということになりました。
祐子先生はご自分が団長として取り仕切るおつもりだったようですが、Uさんの「お遊び」
のこともあり、また半ボケ、まだらボケの男性参加者が多く、入浴の際のお世話もあり、
当時専務だった現在の隆就社長(私達は親しさをこめてセンムと呼んでいました)が引率し
て行くことになりました。
そこに特別参加したのがノンフィクション・ライターの久田恵さんで、女性参加者のお世話
をするヘルパーさんが2、3名だったと思いますが、Yさんを初めとした女性参加者も
7、8名いて、のんびり参加したはずの久田さんもお世話する側にまわって大変だった
そうです。
草津までの貸切バス旅行でした。
出発当初から無礼講で、お酒を飲んだり、お菓子を食べたり、カラオケを歌ったり、
賑やかに楽しみました。老人達ですから、はしゃいだりはしませんが、適度にお酒も回っ
ておしゃべりもはずみ、皆上機嫌でした。
○ トイレは連れション
センムと運転手さんが気を使ったのはトイレ休憩でしょう。
年寄りはトイレが近いので、頻繁にオシッコ休みがありました。
まだらボケのTさんは特に頻繁に休憩を申し出ていました。
街中は困る場合もありますが、郊外に出るとすぐに休憩です。
Tさんは独りでトイレに行かせると何処かに行ってしまう恐れがあるとのことで、
センムが毎回連れションです。ご苦労さまなことでした。
カラオケは私と演歌好きなFさんが交代でマイクを握り、歌い続けました。
賑やかに歌い、飲み、おしゃべりをしている間に草津に到着です。
湯畑や名物の湯もみショーを見物してから予約したホテルにチェックインしました。
ご婦人方は和室、男子はUさんと私が洋室で同室、Tさん、Fさん、シゲオさんと
センムが和室で同室です。
Fさんはほぼ大丈夫ですがUさん、Tさん、シゲオさんは問題があるので、入浴の時など
必然的にTさん、シゲオさんはセンムが、Uさんは私が面倒を見ることになります。
○ 温もりパンツ
入浴の時に珍事が発生しました。
Uさんと私は無事に上がって、脱衣室で着衣をしていた時でした。
一足遅れて入浴した3人のうち、シゲオさんが真っ先に上がってきて、私の隣りでパンツ
(トランクス)を履きました。
シゲオさん達は一足遅く来たので、私は彼がパンツを脱ぐところを見ていません。
「随分派手なパンツだな」とは思いました。
シゲオさんの後を追うようにセンムが上がって来ました。
一目見るなり「シゲオさん、違う、違う」とパンツを脱がせて隣りの脱衣籠からパンツを
取り出し、シゲオさんに履き替えさせ、派手なパンツを元の籠へ戻しました。
慌てているのとシゲオさんがモタモタしているので、湯上り直後のセンムは全身汗だらけ、
前を隠す余裕もなく、スッポンポンでの奮闘です。
間一髪間に合って、派手なパンツの主が上がって来て、パンツを履こうとしてやや怪訝な
顔をしました。
多少濡れていたか、シゲオさんの温もりが残っていたのでしょう。
一部始終を見ていた私は笑いをこらえるのに必死でした。
センムは茫然として流れる汗を懸命に拭いていました。
まだパンツを履いていません。シゲオさんはケロッとしています。
これも可笑しさを誘い、私は吹き出すのを咳で誤魔化したり、汗を拭いて誤魔化すのに
苦労しました。
この場面は、原作久田恵さんの映画「母のいる場所」にもちょっと出ていましたが、
映画でも、また文章でもこの可笑しさをうまく表現出来ません。
唯一の現場目撃者の私にしか分からないと思います。
○ 残念!!
珍事もセンムの奮闘のお陰で何とか無事におさまり、夕食となりました。
夕食も無事に終わり、各自室に引き上げましたが、次はUさんの「お遊び」です。
自室でUさんはニンニクのたっぷり入ったものを食べていましたが、しばらくしてトイレ
から浮かぬ顔をして戻って来ました。
ベッドにゴロリと横になると、「やっぱり止めておくよ。センムに断ってくれ」と言うの
です。私は直ぐに事情を察知しました。
ニンニクを食べても効き目が現われて来ないのでしょう。
「お遊び」のために草津まで来たのに、私達もそれに付き合って来たのに、可哀想ですが
お役に立たないのでは仕方がありません。
早速久田さんと一緒にカラオケ室にいたセンムにその旨を伝えると、「助かった。世話を
する気でいたけれど、正直言って気が重かった。でもUさん可哀想に! ショックだろうな」
とセンムは言いました。皆気の優しい人達なのです。
そこへ演歌好きなFさんも現われたので、私と2人でカラオケを始めました。
センムと久田さんは歌わずに色々とおしゃべりをしていました。
草津の夜は更けて行き、しんしんと寒くなって来ました。
自室に戻るとUさんはスヤスヤと寝息をたてていました。
大騒ぎだった草津温泉行も無事に(?)済み、復路も貸切バスで帰京しましたが、皆疲れ
たのかあまりお酒も飲まず、カラオケも歌わず、おしゃべりもしないで黙々とバスに揺ら
れていました。センムや久田さん、ヘルパーさん達は別にして、参加した入居者で残って
いるのは私ひとりとなってしまいました。
同い年だったUさんもシゲオさんも帰らぬ人となりました。
老人ホームでは、10年という歳月には厳しいものがあります。 目次へ