2005.3.19
スター列伝(深川生まれのKさん)
島 健二
Yさんが足を骨折されて寝たきりになられた後、ボスとして中心的存在となった方です。
小唄に「辰巳」というのがあります。
『辰巳ゃ よいとこ 素足が歩く 羽織ゃ お江戸の ほこりもの
八幡鐘が 鳴るわいな』
深川芸者を歌ったものです。
Kさんは芸者ではありませんが、深川生まれの、深川育ちです。
容姿はどちらかと云えば少しゴツイ感じで、粋な方ではありませんが、心と云うか、
考え方、対人関係の接し方が江戸前で粋な方でしたので、人気があった方です。
「花ちゃんクラブ」ではホステス役で、粉から練って丸めておいしい蒸しパンを作って
下さいました。入り口に近い指定席に陣取ってニコニコしておられたお姿を思い出します。
口数は少ない方で、皆が楽しく談笑するのをジッと聞いておられました。
普段はロビーの事務所前の決まった場所に腰掛けて、お相手があればニコニコと応対され、
お独りだと人の出入りを見ておられました。
お耳がかなり遠いのに早耳で、シルバー内の出来事は何でも知っておられました。
幾つか年長のやはりKさんという男性と親しくしておられましたが、その男性の方が、
「Kさんは偉いよ、今でも胸がふっくらしているもの…」と云われたのが有名な逸話です。
お風呂の時に、よそながらチラと見えたのだそうです。
その男性のKさん
当時「花ちゃんクラブ」を楽しみにされて、常連だったKさんは大層真面目な老紳士で、
真面目に談笑されながら定量のお酒をゆっくりと時間を掛けて楽しんでおられました。
私は途中から「花ちゃんクラブ」に参加したので、Kさんとはあまりおつき合いがなく、
このくらいの印象しかありませんが、あるとき三越劇場での宮浦先生の新内の発表会の時に、
祐子先生に言われて、Kさんと同行し、車椅子を押して差し上げたことがありました。
Kさんは大変恐縮されて、お礼として一升瓶を戴いたのを覚えています。
あとから祐子先生から聞きましたが、当時私は家内を見送ったばかりで、痩せて疲れて落ち
込んでいたので、その私に、99才になるKさんの長寿の福を分けてもらいたいと近付けて
下さったのだそうです。
その後約12年私が元気でいられるのは、
その時Kさんから福を分けて戴いたからかも知れません。
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