早いもので、今年も押し詰まってまいりました。スポーツ界では、アテネ・オリンピ

ックでの日本選手の活躍や、プロ野球史上初のスト決行、オリックス・近鉄の合併や、

新規参入チーム(楽天)の誕生、ダイエー・ホークスのソフトバンクへの身売り等色々

あった変動の年でしたが、異常気象や地震等による災害の多かった年で、今年を表す漢

字一字としては「災」が選ばれました。

来年こそは「災を転じて福となす」年にしたいものですね! 


2004.12.16
プロ野球雑記帳B


                                                                島 健二

日本一のない唯一の球団

昭和25年、チーム結成以来、今年、平成16年にその歴史を閉じるまでの55年間、

近鉄パールズ、近鉄バッファローズを通じて、近鉄はパ・リーグのお荷物とまで呼ばれ

た弱い球団でした。殆どBクラス、それも最下位が多く、惨めな成績でした。

そんな弱小球団ですが、この間に4度のパ・リーグ優勝があり、

そのうち2度だけ日本一になる絶好のチャンスがありましたが、そのいずれをも逃して

しまい、12球団中唯一の「日本一のない球団」のまま球団の歴史を閉じることになっ

てしまったのが残念です。




江夏の21球

昭和54年にパ・リーグ優勝を果たした近鉄バッファローズは、セ・リーグの覇者の

広島カープと日本シリーズを争いました。

互角の展開で、3勝3敗で迎えた最終第7戦、近3−4広と1点ビハインドで9回裏の

攻撃を迎えた近鉄は絶好のチャンスを掴んだのです。

広島の抑えのエース江夏投手を攻めた近鉄はヒット、盗塁に捕手の悪送球がからんで

無死三塁とし、さらに四球、二盗、敬遠の四球を得て無死満塁という一打逆転サヨナラ・

優勝・日本一の又とないチャンスです。

近鉄ファンの誰もが逆転勝利を信じてやみませんでした。

続く強打者佐々木は三塁線にヒット性の鋭い当たりをファウルと判定された挙句、

惜しくも三振、次の好打者石渡は1ストライク後にスクイズしましたが、江夏投手に

外されて空振り、飛び出した三塁走者藤瀬が三本間で挟殺札されて二死、打者石渡も

あえなく三振して近鉄の逆転勝利は成りませんでした。

江夏投手がこの間に投げた投球数は21球で、この場面は「江夏の21球」として伝

えられています。




加藤哲郎投手の失言

平成元年にリーグ優勝をした近鉄はまた、めったにない日本一のチャンスを掴みかけま

した。相手のセ・リーグ覇者は巨人軍、「巨人圧倒的に有利」という下馬評で迎えた

日本シリーズ、巨人軍はどうしたことか原辰徳を中心とする攻撃陣が全く不振におちい

り、第一戦、第二戦、第三戦と近鉄が三連勝して、日本一に王手をかけました。

この第三戦のヒーロー・インタビューで、先発して6回まで巨人を無得点に抑えて勝利

投手となった加藤哲郎投手が、インタビューアーの誘いに乗った形で、

「巨人打線は怖くなかった。ロッテ打線の方が手強い」というような趣旨の発言をしました。


この年のロッテはパ・リーグの最下位でしたので、「巨人は最下位のロッテより弱い」

と増幅された発言として伝わり、巨人軍ナインの激怒を買ったのです。

奮起した巨人軍は第四戦から別のチームのように打ちまくり、流れは完全に変わって

巨人が4連勝する結果となって、近鉄はまたも掴みかけた日本一の座を逃したのです。

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