2004.11.3
プロ野球雑記帳@

                                                                   島 健二

何を隠そう、私はプロ野球の大ファンなのです。

(別に隠す必要もありませんが……)子供の頃から野球が大好きでした。

飛び抜けた身体能力や技術があるわけでもなく、また育った時代が悪かったので、チャ

ンスはありませんでしたが、本気で野球選手を夢見ていた頃がありました。


私の野球に対する興味がだんだん膨らんでいた頃はまだプロ野球は創生期で、一般的に

人気はなく、東京六大学野球の人気が絶頂期でした。そんな時にたまたま父が法政大学

の講師を引き受けることになり、父自身野球好きなこともあってか、神宮球場のネット

裏の観覧パスをもらったのです。

兄はスポーツ嫌いですので、当然父はいつも私を連れて行きました。


その頃はたまたま法政大学の黄金時代、後年プロ野球で大活躍した若林投手をはじめ、

戸倉、藤田、熊代、さらには鶴岡(後の山本)というような名選手が輩出した時代でした。

子供は強い者に憧れると云いますが、私は当然のように熱烈な法政大学ファンになりま

した。そんなわけで、私のプロ野球に対する興味は、法政大学出身の選手がプロでどの

ように活躍しているかにかかっているのです。



贔屓チームとして先ず固まって来たのは、

現在では消滅して確か日本ハム・ファイターズの前身だったと思いますが、当時のセネ

タースでした。法大出身の苅田や中村(信)といった名選手がいたからです。

二人とも打撃は今ひとつでしたが、守備は天才的でした。

その華麗な守備にあこがれて須崎球場や上井草球場によく通ったものです。


その後、昭和25年にセ・パ両リーグに分かれたときに、近鉄パールズ(今回オリックス

に吸収合併された近鉄バッファローズの前身)が結成されました。

法政大学の監督をしていたことがある藤田氏を初代監督とし、法大を卒業した名投手関根

潤三、バッテリーを組む芳村捕手、好守好打の宍戸内野手等が参加しました。

立教大学から五井投手も参加しました。

法大出身の監督、選手が中心ですから、セネタースが消滅してから贔屓チームが特定しな

かった私は、すぐに近鉄パールズのファンになったのは云うまでもありません。


後に法大出身の江川卓投手の巨人入り(有名な「空白の1日」事件で、江川は一度阪神へ

入団し、巨人の小林繁投手と交換トレードの形を経て、巨人入りしたのです)

を契機に巨人ファンとなりましたが、パ・リーグでの近鉄ファンは変わっていません。

江川の巨人入りはさんざんに叩かれましたが、私はかえって天邪鬼的に「江川が悪いので

はない。彼はひたすら巨人に入りたかっただけで、知恵をつけた周囲が悪い」と江川擁護

の立場を取り、あまり好きでなかった巨人ファンへと傾きました。


こんな紆余曲折を経て、近鉄が消滅した現在、巨人ファンの立場でいますが、今回のオリ

ックス・近鉄合併、1リーグ制指向の立場を取ったナベツネ氏は好きになれませんし、

オリックスもあまり好きでないので、合併チームのオリックス・バッファローズも応援す

る気になれません。元近鉄の選手達は今後も好意的に見守って行こうと思いますが……。

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