2004.9.4
一人暮らし(散歩とショッピング)


                                                                                                                               島 健二

私は生来の不精者で、外出があまり好きではありません。殊に、退職をした後自宅で翻

訳の仕事をするようになってからは、仕事を終えるとゴロゴロしているばかりで散歩も

しませんでした。家内の身体の調子が比較的に良い時に、たまに散歩かたがた車椅子を

押して、当時目白通りにあったファミリーレストラン・ロイヤルホストへ軽食を食べに

行ったくらいでした。


一人暮らしになってからは、翻訳の仕事を終えた後、一人でゴロゴロしていても話し相

手もなく、所在ないので、嫌いな散歩をするようになりました。

初めはただ闇雲に近辺を歩き回るだけでしたが、やはり面白くありません。

健康保持のためとは云え、世間の人達はどうして根気よくこんなつまらないことを繰り

返すのだろうと止めてしまいました。代わりに考えたのがショッピングです。

買い物もあまり得手ではないのですが、何か買いに行く目的で歩くことにしたのです。

駅の近くのコンビニへ行って冷凍食品等を二三品買って来るのです。

シルバーヴィラでは三食付きですが、夕食が五時であるため、まだ六十七才の私には夜

の時間が長いので、八時頃から始めるウィスキーの晩酌におつまみが必要です。

かわきものではもの足らず、また所謂酒の肴のようなものは好まないので、どうしても

好きな天ぷらやフライのようなものになります。

冷凍しておいてチンして食べれば良いのですが、散歩の度に買って来るので冷凍庫は直

ぐに満杯になってしまいます。そこで考えたのは衣料品でした。

これまでは殆ど背広とネクタイの生活でした。

自宅でくつろぐ時に着るシャツのようなものはあまり持っていません。

そこで買い物の対象に加えたのがそうしたシャツ類でした。

当時練馬駅の近くに「坂善」という衣料品の店がありました。

此処では欲しい品が手ごろな値段で自由に手に入ります。

食料品や衣料品を買う目的の散歩が当分は続きました。



私は健康には恵まれていて、六十二才で脳梗塞を患うまでは殆ど病気らしい病気をした

ことがなく、体重も二十才から六十才近くまでずっと70キロで安定していました。

六十才前後の数年間の苦労で体重がどんどん減り、家内が他界した六十七才の時には

63キロまで減っていました。

ところが、一人暮らしになって寂しい反面、心配や介護から開放されて気楽になり、

自分ひとりのことを考えれば良くなってストレスがなくなったのと、良く歩いて夜食に

カロリーの高いものを食べるせいで、だんだんに体重が増え始め、気がついた時には

75キロまで増えてしまいました。



激やせ時代と比較すれば12キロの増です。

流石にちょっと気になりましたが、75キロで止まっていますし、健康診断を受ければ

血圧を始め、血糖値、コレステロール、中性脂肪等すべて高く、要注意と言われますが、

特に体調も悪くはなく、生来の呑気者であまり気にしない方ですし、テレビで「中年以

降に5キロ程度体重が増加するのは心配いらない」と云っていたのを良いことに、

「健康時の70キロから5キロ増えただけだ」と都合良く解釈しています。

脳梗塞の時に医師に言われた「過労と睡眠不足だけは気をつけるように」との注意だけ

は守って、誰に何と言われようとも医者嫌いを通しています。

色々な飲み薬だけは忠実に服用していますが……。


そんな風に気ままを通してマイペースの生活ですが、気持ちだけはいつも明るく保ち、

何事も前向きに考えるようにして、家内の没後12年をどうにか無事に過ごして来て

八十才を目の前にするところまで来ましたし、家内の13回忌法要も済ませてホッとし

ています。まだ時間が残されている限りは出来る範囲内で人生を楽しもうと考えていま

すが、別に欲張ってはいません。寿命と運命にゆだねる心境の今日、この頃です。


最近では膝痛等があって、歩くのが困難になったのを良いことに、散歩も止めてしまい

ました。膝痛が大分良くなった現在も「この暑いのに無理をすることはない」と殆ど外

出はしていません。

涼しくなって気が向いたら、少しづつ動き出そうとは思っていますが、これもその時に

なってみないと分かりません。

無理をしないのも健康法と考えていますから……。                目次へ