2004.8.18
一人暮らしのスタート


                                                                島 健二

家内に先立たれて一人暮らしが始まりました。

これまでに経験して来た数々の新しい生活のスタートは、入学にせよ、そのための住関

係の変化(寮生活、下宿入居等)にせよ、就職にせよ、結婚にせよ、あるいは戦争中の

入営にせよ、いずれも何となく慌ただしく、華やかで晴れがましい一面もあって、心を

奮い立たせるような輝きや緊張に満ちた新生活のスタートでした。


ところが、今回の人生最後となるであろう一人暮らしのスタートは、これまでの経験と

は全く異なって、新しい生活に対する華やかさも、晴れがましさも、輝きも緊張も希望

もない、むしろそれらのことをすべて取り除いた、静けさや空しさだけが待ち構えてい

るようなスタートだったと云えるでしょう。

表現を変えるならば、自分自身で気を奮い立たせて、何か生き甲斐を見出せるような新

しい生活を作り出して行かなければ、何もない「無」に等しい、行く手には何も待って

いない、真っ暗な闇しかなかったように思えます。


これは実に厳しいものでした。

労苦に満ちたものであっても、これまでの生活は家内と支えあって来た生活でした。

終盤は経済的に逼迫したつらい生活でしたが、それは前に記したように出来る限りの贅

沢三昧をした結果のツケであって、楽しかった想い出を力に耐えて行けるものでした。

(限界まで来てはいましたが、……)

一人になって重荷を下ろして、気楽になった反面、のしかかって来る借金返済の重さと

こみ上げて来る寂寥感、心身ともに無理を続けて来たことから到来した身体面での様々

な不調と戦うことから始まりました。

幸いにも、翻訳の仕事をいただいていた各方面の方々のご好意もあって、仕事量は増え、

また親からもらったこの身体のしぶとい粘り強さもあって、次々と仕事も消化し、身体

の不調も乗り越えることが出来ました。

こうして必死に戦うことが出来たお陰で、こみ上げて来る寂寥感にも耐えることが出来

たのだと思います。



一人暮らしになった場合のことも考えて、56才の若さでこのシルバーヴィラでの生活

を選択したことは大正解でした。

入居してから既に12年も経過していたので、此処での生活には馴れていましたし、衣

食住の問題にも煩わされることなく、食事、掃除、洗濯つきのマンション生活のような

生活が送れますし、老後に介護を受ける場合の心配もありません。

また裕子先生をはじめとして、対人関係にも恵まれていました。

自分の身辺の問題点だけに対処して行きさえすれば良かったのです。

これまでは二人の生活でしたので、食事も自室に運んでもらいましたし、土曜日の音楽

の時間やクリスマスなどの特別な催し事にしか参加しませんでしたので、入居者同士で

ありながら、お年寄り達との接触も殆どありませんでした。


此処での生活に溶け込む目的で、まず食堂に出て食事をすることから始めました。

大食堂では、お付き合いのなかった大勢の人達の中へ一人で入るような感じでしたので、

小食堂(花ちゃん食堂)で食事をすることにしていただきました。

お付き合いがあったというほどではありませんでしたが、同じ階にお住まいで、お顔を

存じ上げていましたし、家内と同じ山脇高女ご出身と伺っていたYさんという私よりも

20才も年長のご婦人と同じテーブルで食事が出来るように取り計らっていただきました。

同じテーブルにKさんというYさんと私の中間くらいの年齢の男性もおられました。

この3人はすぐに打ち解けて、良い間柄が保てましたことは幸運でした。



催し事にも出来るだけ参加または出席するようにして、他の方々ともだんだんにお馴染

みになるように心掛けました。

健康面に配慮して、体調維持のために週に1回は鍼灸の小椋先生に治療していただいて

いました。この先生は家内が長い間治療していただいていた先生で、私どもがシルバー

ヴィラにご紹介して、他のお年寄りの治療もされるようになっていた先生です。

(現在はもうおやめになりました)


この小椋先生があるとき、「島さんの評判は鰻上りに良いようだよ」と云われました。

その時は何となく聞き流して、後になって「それでは以前にはかなり評判が悪かったの

か」と気付いて、次の機会に先生に訊ねましたところ、「奥さんがおられた頃は、島さ

んが奥さんのために色々と強硬に勝手なことを言うという意味で、あまり評判が良くな

かったということですよ。一人になってからはそんなことはなく、折り合いが良く、自

分勝手な人ではないということが理解されたのだろう」とのことでした。


考えてみれば、そのとおりで、「家内のためとは云え、かなり勝手な要求もしていたの

だな」と反省しました。

私は本来ジコチューな人間ではないつもりですが、立場によってはジコチューに振舞う

こともあるのだなと自戒しました。

誰しも年を取るに従って、体力的にも忍耐力的にも他人のことを思いやる余裕がなくな

って、ジコチューになりがちだと思いますので、それを避けるために、いつでも自分の

ためは二の次、三の次にして、協調しあって入居者全員が皆で仲良く過ごせるように気

を配ることをモットーにしています。                               目次へ