2004.8.1
別れのあとさき


                                                       島  健二 

家内との別れは平成四年の夏でした。

前の年の秋頃からどんどん具合が悪くなり、食べ物が喉を通らなくなって激痩せの状態

となって来たのです。J病院で検査を受けても相変わらず「異常なし」なのですが……。



予感


家内は感性が鋭い方でした。家内は既に「死」を察知していたのでしょう。

前に書いたようにかなり時間を掛けて友人たちとのお別れを始めたのは、その頃からだ

ったと思います。それとは別に、偶然と云いましょうか、後から考えると不思議なこぼ

れ話があります。


平成三年の十二月、シルバーヴィラのクリスマス・忘年会の時のことでした。

一次会の歌や演芸、お芝居が終って、二次会のカラオケに移る準備の時間帯でした。

部屋に戻るのも面倒なので、階段下に待機してヘルパーさん達が忙しく立ち働くのを見

ていました。家内がヘルパーさんと一緒にマメマメしく手伝っている中年の男性に気が

つきました。「あの方どなた?」と聞きますが、私も知らなかったので馴染みのヘルパ

ーさんに聞きますと「葬儀屋のSさんですよ」との事。家内が呼んで欲しいと云うので

声を掛けましたら、家内は「Sさんとおっしゃるのですね、そのうちにお世話になりま

すから、どうぞ宜しく」と丁寧に挨拶しました。

私はその時には何気なく聞き流しましたが、後に考えると、家内は間違いなくその時す

でに「死」を予感していたのでしょう。



みだれ髪


家内は土曜日の「歌の時間」が大好きでした。

出来るだけ参加して好きな歌を歌わせてもらいました。「早春賦」「希望のささやき」

や越路吹雪の「ラストダンスは私に」などを好んで歌いました。

時には美空ひばりの歌なども歌いました。確か平成四年の四月頃だったかと思います。

もうかなり病勢が進んでいて、声もかすれて出ない状態でした。

数週間ほど「歌の時間」にもご無沙汰していたのですが、或る時どうしても出たいと云

いますので、参加しました。司会役の牧さんが「島様の奥さま、何かお歌いになりますか?」

とマイクを向けてくれました。

「声が良く出ないので……」と私が断ろうとしたところ、家内は珍しく私を制して「歌

うわ」と美空ひばりの「みだれ髪」を選びました。


自分が1番と3番を歌うから2番を私に歌ってくれとのことでした。

後で考えると「歌の時間」とお仲間のお年寄り達とのお別れだったのでしょう。

3番の歌詞に出て来る「春は二重に巻いた帯、三重に巻いても余る秋」に激痩せの身の

思いを込め、「ひとりぽっちにしないでおくれ」に去ってゆく身の寂しさを歌ったのだ

と思います。

私は今でも命日の8月5日の前後には、カラオケでこの歌を必ず歌って1人で当時を偲

んでいますが、3番の歌詞を歌う時には胸がジーンとします。



葬儀の思い出  (葬儀屋さんを値切った祐子先生)


翌平成四年6月下旬に肺炎を起こしてJ病院に入院することになりました。

前々から練馬の老人病院に入院したり、退院したりしていました。

経済的にも逼迫していたので、費用が安い練馬の老人病院を利用していたのですが、

今度はただならない病状と考えてJ病院にしました。

家内が常々「最後はJ病院に入院させてね」と言っていたからです。

家内は「アラ、J病院に入れてくれるの?」と嬉しそうでした。

「別に最後というわけじゃないが、J病院で十分に手当てをしてもらった方が良いと思

って……」と云いましたが、「気にしなくていいのよ」と答えました。

結局、前回書きましたように、「あと一週間」と」宣告されながら1ヶ月半ほど延命さ

れて、8月5日に亡くなりました。


葬儀に際しては、平素から「お坊さんのお経なんか要らないから、このシルバーヴィラ

で、好きな音楽でも流して皆さんとお別れしたい」と言っておりましたし、長引いた入

院で経済的にも大変でしたので、祐子先生にその線でお願いすることにしました。

祐子先生は早速前記の葬儀屋さんを呼んで、「この方はお金を使い果たしていらっしゃ

るから、一番安い料金で、一応の格好だけはつけてね、この次に埋め合わせしますから

……」と交渉してして下さいました。

私も「是非宜しくお願いします」と真面目に頭を下げたのですが、後で考えてみるとお

かしくてなりませんでした。

シルバーヴィラは葬儀屋さんにしてみれば大得意先ですから、料金を値切る交渉は出来

たでしょうが、祐子先生の交渉技術がおかしかったのです。


「この次に埋め合わせする」とはどういう意味だったのでしょうか? 

次にこの私が死んだ時にという意味でしたら、その後丸12年経ってもまだ埋め合わせ

が出来ていないわけです。そうではなく、次のどなたかのお葬式の時に埋め合わせとい

う意味でしたら、よそ様にご迷惑をお掛けしたことになります。

その辺りが曖昧模糊としているところが、「祐子先生流」なのでしょうか?



余談になりますがお葬式のやり方も風変わりでした。

「音楽葬にお焼香は合わないから」という理由で「献花」にしたのですが、「お年寄り

にはお焼香の方が似合う」という意見も出て、両方を用意して「お好みの方を……」と

いうことにしました。ところが最初に弔問されたお年寄りが戸惑われたらしく、献花を

なさった後でお焼香もされたのです。

そうすると皆さん「右へならえ」で、献花、お焼香となりました。

お年寄り達に限らず、私の会社関係で弔問に見えた方々も同じようにされたのです。

珍妙な葬儀風景でした。
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