2004.7.22
医療不信、大病院不信
島 健二
38年の結婚生活の半分近くを家内の病気と戦った私達の悪戦苦闘も、こうして終焉を
向かえ、残された私一人のシルバーヴィラでの老後の生活が始まったわけで、これから
は一人身となったその後の私の暮らしぶりを綴ることになりますが、その前に、この十
数年の悪戦苦闘の間に私の心に焼き付いてしまった医療不信、大病院不信について触れ
たいと思います。
J病院の精神神経科、消化器内科での2度の入院加療(終末医療を加えれば3度の入院)
では、いずれも良い担当医に恵まれました。家内も満足し、感謝していたと思います。
私も個々の医師は最善の医療を施してくれたと感謝しており、文句を言う気もありませ
んが、医療体制や大病院のあり方には疑問を強く持つことになり、医療不信、大病院不
信が決定的になってしまいました。
もともと私は西洋医術が嫌いで、漢方、鍼灸、指圧等の東洋医術が好きでした。
私の考え方では、病気を治すのは患者本人が持っている自然治癒力であり、医療は所詮
補助手段に過ぎない。漢方、鍼灸等による治療は穏やかな投薬や、ツボ刺激等の手段で、
この自然治癒力を高める効果を期待する穏やかな療法であるのに対して、西洋医術は、
熱があれば解熱剤を、痛みがあれば鎮痛消炎剤を投与する、いわば毒をもって毒を制す
る対症療法で、自然治癒力を高めることを目的としていないこと、さらに投薬の効果が
期待できない場合には、患部を切り取ってしまう手術に頼り過ぎる過激な手法で、手術
による体力の消耗等のマイナスが大きいと考えていました。
これは生来臆病で、過激な手法、手術や注射、点滴等痛いことが大嫌いな人間の偏見、
または嫌いなことを避けたいがためのコジツケと云われても仕方がありませんが、一つ
の考え方であると確信しています。
私に言わせれば、一般的に世間の人々は西洋医学の進歩を盲信していると思います。
確かに最近の西洋医学の進歩には著しいものがありますが、それは主として検査方法の
進歩、それにより病気の発見、治療方法の確定が可能になることが主体で、医療方法に
ついては前述した過激な手法を効果的に実施するための、内視鏡を活用する高度な技術
の開発です。医師も人間ですから器用な人も不器用な人もいる筈です。
医学が進歩しても新しい医療技術が発達しても人間である医師の能力がいつも適応出来
るとは考えられません。新しい技術を習得するには日時と経験が必要ですし、医師全部
が適応できる能力を持てるとは思いません。
医学、医術の進歩を盲信して安易に手術等の過激な手法に頼ることは、身体を人体実験
に提供することになるかも知れません。
病気は患者が持つ自然治癒力が治すもので、病院へ行けば、医師に頼れば治ると思って
は危険です。
常にリスクを覚悟しなければならないと思います。
また病院、医師の側も医学、医療の進歩を過信してはなりません。
不良転帰(思いがけない悪い結果)が起きた場合に、患者の特異体質などと逃げてはい
けないのです。
リスクを覚悟の上で起きた結果として素直に認め、謙虚に施術にミスは無かったかを反
省しなければならず、また施術に先立って十分なインフォームド・コンセントを得なけ
ればならないと考えます。
医療の進歩を過信して安易な気持で人体実験的な施術を行う事は殺人にも等しい行為です。
家内の闘病経験の過程でJ病院の医師たちは間違った行為をしたりはしませんでした。
私が医療体制や大病院のあり方に問題を感じたのは、年に二回の検査を受けていてその
都度「異常なし」だったのに、ある時点から急速に容態が悪化し始め、遂には肺炎を起
こして入院して、胸部の検査をして初めて「食道癌の手遅れで処置なし・あと1週間程
度」と云われたことによります。
家内は胆道系の病変治療のため、ずっと消化器内科での診断・治療を受けていました。
消化器内科では腹部を中心に超音波検査(エコー)等で診断するために、食道部分で進
行していた癌を発見できなかったのです。
担当医師は入院後の胸部検査で手遅れの食道癌が発見されたことを、
「私が長年診察していながら、気付かなかったことをお詫びします」と素直に謝られま
したが、私は担当医師を責める気にはなれませんでした。
むしろ「10年前に先生の適切な処置で、家内は生き延びたと感謝しています」とお礼
を述べたくらいです。
これは担当医師の不注意と言うよりは、医学・医療の進歩・発達に起因する診療体制の
過度の細分化によると思います。細分化された担当科を横断しての検査や診断には色々
と煩雑な手続きもあるでしょうし、どうしても連携不十分が生じることと思います。
診療体制の問題です。
大病院のあり方については、家内が「あと一週間」と宣告されてから(実際には1ヶ月
半も延命されました)担当が異なると思われる色々な医師が現れて、様々な検査を受け
るように要請があったことです。
私は懸命に拒みました。
「その検査を受ければ助かる見込みがあるのですか?」
「助からない患者に何のための検査ですか?」と。
病院側の理由はただ一つ「症例として残したいから協力してほしい」でした。
私は頑強に拒みました。
「症例として後のために残したいという病院側の都合は理解出来るが、余りにも無神経
である。余命あと1週間と宣告してから後に症例に残す意図での検査など、死んでゆく
患者に対しての冒涜であるし、家族の思いを無視した無礼千万な要請で、協力すること
は出来ない」と拒否したのです。
しかも一週間と宣告してから1ヶ月余の延命、安楽死が認められないことは分かってい
ても、家内が苦しんでいるのは見ていられないほどですし、大部屋を希望しても「他の
患者の迷惑になるから……」と認められず、高価な差額ベッド代を支払わなければなら
ない1ヶ月余の個室での終末医療、モルヒネ投与で少しでも楽にしてもらうのがせいぜ
いで、患者も家族も苦しみ抜きました。
これで私の医療不信、大病院不信は決定的になったのです。
家内を見送った後、私が第一番にしたことは、尊厳死協会への入会でした。
私の終末時には「助からない場合には余計な延命措置はとらないで尊厳死をさせてもら
いたい」旨の「リヴィング・ウィル」にも記名し、一部は常時携帯し、一部はこのシル
バーヴィラの岩城隆就社長に預けてあります。
出来れば入院加療の必要なく、このシルバーヴィラで最後の時を迎えさせてもらいたい
と念願しています。
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